バシャっ!!
「!?」
顔面に冷たい水を浴びせられ、俺は無理やり暗闇から引きずり出された。
鼻にまで水が入り込んで思い切りむせる。
「げほっ、ごほっ!」
苦しくて、目に涙が滲んだ。
(――なんだ? 一体、何が……?)
歪んだ視界の中でわかったのは、ここが薄暗いどこかの倉庫であるらしいこと。
その中の地べたに自分が転がされていること。
それと、腕と足が動かせないこと。ロープか何かで縛られているらしい。
「目が覚めたかよ、チビメガネくん」
「!?」
その覚えのある声を聞いて顔を上げると、ずきんっと頭が痛んだ。
そこで、先ほど頭を殴られたことを思い出した。
「ああ、違うか。メガネはさっき壊れちまったから、ただのチビだったな!」
ゲラゲラとそんなつまらないことで笑い出したそいつらを睨み上げる。
予想通り、それは先日天文部にやってきた、あの柄の悪い3人組だった。
リーダーらしいのが一番身体のデカい奴。
ひょろっと細長いキツネ顔の奴。それに横にデカい腹の出た奴。
「クズどもが」
そう罵った途端、ドカっと腹に思いっきり蹴りを入れられた。
「ぐ、う……っ」
クソ痛ぇ。
こんな卑怯な奴らに捕まって、悔しくて仕方なかった。
先輩から忠告されていたのに完全に油断していた。
「口の利き方に気をつけろ〜」
今俺を蹴ったリーダーの野郎が俺の前髪を鷲掴みにして持ち上げた。
「お前にはよぉ、上下関係ってやつをきちんと教え込まなきゃならねーと思ってな」
「ハっ、上下関係とか、昭和かよ!」
笑いながら言ってやると、そいつのこめかみに血管が浮くのが見えた。
次の瞬間、頬を殴られ俺は再び地面に倒れ込んだ。
――それを皮きりに、俺への容赦ない暴行が始まった。
防御しようにも手は後ろで縛られ足も動かなくて、出来る限り身体を丸くして急所を守ることしか出来なかった。
その間、とてつもなく長い時間に思えたが、きっと数分だったのだろう。
「おーいお前ら、そろそろやめとけよー。この場は貸してやったけど警察沙汰はごめんだからなー」
そんなダミ声が響いて、うっすらと目を開ける。
いつのまにか、倉庫の中にもうひとり男が増えていた。
そいつはどう見ても高校生ではなさそうだった。
チャラい格好をしていて、所謂「チンピラ」という言葉がぴったりの男だ。
「は、はい!」
リーダーが少し緊張した様子で返事をして、またも俺の髪を鷲掴みにした。
「くっ……」
「ここまでにしといてやるからよ。その代わり、お前天文部やめろよ」
「は?」
いきなり意味のわからないことを言われて俺は顔を歪める。
「あんなクソつまんねー部活、もう廃部でいいだろ」
「……っ」
そういうことかと、俺はそいつを強く睨みつける。
「誰がやめるかよ」
「んだと?」
「天文部は、つまらなくなんてねーから」
そして俺は大声で続ける。
「めちゃくちゃ面白ぇし、ためになるし、青春も出来る最高の部活だっつーの! つまらねーのはテメェらの方だろーが!!」
「こっの、」
そいつの顔色が変わって、また殴られると歯を食いしばっていると。
ガンっ!! と倉庫の中に凄まじい音が鳴り響いた。
続けてもう一度、ガシャンっと耳をつんざくような音。
どうやら倉庫のシャッターを誰かが外から叩いているらしい。
「なんだぁ?」
入り口近くで高みの見物を決め込んでいたチンピラ風の男が、鉄パイプ片手にシャッターを開けていく。
地面に転がっている俺からはまず脚が見えた。
徐々にそのシルエットが明らかになっていくが、丁度夕陽が逆光になってよく見えない。
「てめぇ、なんのつもり――」
そこまで言ってチンピラが後ろに吹き飛んだ。
「!?」
そのまま仰向けに伸びてしまった男を見て、慌てたのはこちらの3人組だ。
お蔭で俺は解放されたが。
「な、なんだてめぇ!」
そいつが、こちらに向かってやって来る。
そして。
「てめぇは!」
「はぁ!?」
「な、なんで」
3人組が各々驚愕の声を上げる。
俺はゆっくりと目を見開いていく。
いつも傍で見慣れている姿がそこにあったからだ。
「紫苑……?」
「ごめんね、翔くん。また遅くなっちゃった」
紫苑が笑顔でひらひらと手を振った。
その姿があまりにも場違いで、夢を見ているのかと思った。
(なんで、紫苑がここに……?)
「あーあ、大分酷くやられちゃったね。痛そ~」
と、太っちょが動揺した様子で言う。
「どうしてここが……!」
「丁度いいじゃねーか。こいつも一緒にやっちまおうぜ!」
拳を振り上げ紫苑に飛び掛っていったキツネ顔の奴が、そのまま横に吹き飛んでいった。
紫苑の回し蹴りがキレイに決まったのだ。
置かれていたコンテナに突っ込んだそいつはそのまま動かなくなった。
「……僕さぁ、怒ってるんだよね」
「な、なんなんだよお前!?」
ビビった様子で太っちょが言うが、紫苑は変わらない様子で続ける。
「誰だってさ、自分の大切なものをめちゃくちゃにされたら怒るでしょ?」
「ワケわかんねーこと言ってんじゃねーぞ、コラァ!」
そして3人組のリーダーが紫苑に向かって突っ込んでいった。
「うおあああああーー!」
「翔くんに一番酷いことしたのって、お前?」
男の意味の分からない喚き声が響く中、そんな紫苑の声が聞こえた気がして、直後、ドスっと重い音がした。
紫苑の拳が奴の腹にめり込んだらしい。
「ガハっ……」
呻いて膝を着いた男を、紫苑は更に裏拳で横殴りにした。
男はその勢いで無様に倒れ込み、白目を剥いた。
その一部始終を間近で見ていた俺は……。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイっ)
ひとり大興奮していた。
(こんなにカッコ良いとか、反則だろ……!?)
見た目によらず強いことはなんとなく気付いていたけれど、まさかここまでとは思っていなかった。
と、
「うわあああ~っ!」
残っていた太っちょ野郎が悲鳴を上げ外へと逃げていった。
だが、その直後。
「ぎゃーー!!」
そんな叫び声が聞こえてきて流石にびっくりする。
(な、なんだ……?)
と、紫苑がこちらに駆け寄ってくる。
「翔くん大丈夫? って、全然大丈夫じゃなさそうだね」
そんなことを言いながら俺の手と足を縛っていたロープを手慣れた様子で解いていく。
そして手足が自由になった俺を、紫苑はぎゅうっと抱きしめてきた。
――!?
一瞬で自分の顔が赤くなるのがわかったが、振りほどく力はなかった。
紫苑がすぐ耳元で嬉しそうに言う。
「良かった……翔くんが見つかって」
「え?」
「遅くなって本当にごめんね。なかなか見つからなくて、仲間がやっと情報教えてくれたんだ」
「仲間……?」
「紫苑さーん」
そのとき紫苑を呼ぶ声がして、俺を抱きしめる腕が緩んだ。
「こいつどうしますー?」
シャッターをくぐって入ってきた金髪の男が先ほど逃げていった太っちょ野郎の首根っこを掴んでいた。
何があったか知らないが、どうやら目を回しているらしい。
「もう落ちてるんでしょ? その辺に捨てといてよ」
「へーい」
そしてその男はそのままそいつを引きずっていった。
「翔くん、立てる?」
「あ、ああ」
あちこち痛むが、紫苑に支えられながらゆっくりと立ち上がる。
「皆が心配してるし学校戻れる? それともこのまま病院行った方がいいかな。あー、でも今日日曜かぁ」
そんなことをブツブツ呟きながら歩き出す紫苑。
「あ、そうだ。翔くん、これ」
「え?」
胸ポケットから取り出したのは俺のメガネだった。
あいつらが踏みつけたのか、ツルの部分が酷く曲がってしまっている。
「これが部室の前に落ちてたからさ、絶対こいつらの仕業だと思って」
「紫苑、お前って……」
そう俺が名を呼んだときだった。
「紫苑!? って、お前、まさかあの由羅紫苑か!?」
悲鳴のような声を上げたのは初っ端にやられたあのチンピラ風の男だった。
どうやら気が付いたらしい。
(紫苑のことを、知ってる?)
すると、紫苑がとてつもなく嫌な顔をした。
「うわ、最悪。なにお前、僕のこと知ってる人?」
「し、知ってるに決まって……や、知ってます、ハイ!」
「まぁいいや。じゃあ、こいつらに言っておいてよ。もう僕らに関わるなって」
そして、紫苑は聞いたことのない低い声で言った。
「じゃないと、消すよって」
その横顔を間近で見て、ぞくっとした。
「は、はい! しっかり伝えておきますっ!」
「よろしくね~」
土下座している男の前を通り過ぎ倉庫を出て、俺は更に驚くことになった。
煌々と輝く満月の下、十数人の男たちがそこに集まっていた。いかついバイクに乗った奴もいる。
見るからにヤンキー風の奴から、中にはホストのような派手な外見の男もいる。皆、紫苑よりも確実に年上に見えるが。
そんな男たちに向かって、紫苑はいつもの調子で言った。
「みんな、今日はありがとね。助かったよ~」
「こんなのお安い御用っす!」
「紫苑さんの頼みなら、俺らいつでも動くんで」
「いつでも声かけてくださいよ!」
「うん。ホントありがとう! もう大丈夫だから、みんな帰っていいよー!」
勝手にも思える紫苑の言葉に彼らは文句ひとつ言わず「ハイ!」と良い返事をして各々解散していく。
(ガチでなんなんだよ、こいつ……)
今も俺を支えてくれている友達が、友達のはずが、酷く遠い存在に見えた。
帰っていく仲間? に大きく手を振っている紫苑の横顔を呆然と見つめていたそのときだ。
一陣の強い風が吹いて、その前髪が靡いた。
「!!」
俺は大きく目を見開く。
奴の左眉の上に、ナイフで斬られたような古い傷跡があった。
「お前……その額の傷……」
「えっ、あっ!」
慌てたように片手で前髪を押さえつける紫苑。
「えーと……見えちゃった?」
その反応を見て、俺は確信する。
「じゃあお前、あのとき俺を助けてくれた……?」
小学生の頃、俺を助けてくれた、『憧れの人』。
――俺の『憧れの人』が、紫苑……?
「ごめんね。いつの間にかこの傷が僕のトレードマーク? みたいになっちゃってて、隠したくて」
(嘘だろ……)
「でも、お前だって小学生だっただろ? あの人はもっとでっかくて」
「あの頃にはもう僕180センチ近くあったんだよ」
恥ずかしそうに続ける紫苑。
「あの頃、僕かなり荒れててさ、今では黒歴史なんだけど。気付いたらなんか最強キャラみたいになってて。でも、こうしてまだ慕ってくれてる人たちがいて、それは有難いことだなぁって。今回も、そのお蔭で翔くんを見つけられたわけだし」
「――言えよ!」
俺がそう怒鳴ると、紫苑は慌てたように謝った。
「だから、ごめんて!」
だって、それじゃあ俺は、本人を前にして、「憧れてる」とか「カッコいい」とかって熱く語っていたってことじゃねーか!
恥ずかしいったらない。それに……。
「え、もしかして、僕のこと嫌いになっちゃった?」
不安そうに言う紫苑。
先ほどあんな立ち回りを見せた奴とは、まるで別人のようだ。
(嫌いに……? いや、それどこか、俺は……)
「あ、それとも、もしかして惚れ直してくれたとか?」
「バカか! んなわけねーだろ!」
「だよね~」
がっくりと頭を垂れた紫苑を見て、俺はぼそっと言う。
「……てか、お前には彼女がいるだろーが」
「へ? 彼女?」
キョトンとした顔で言われ、思わずムっとする。
「知ってんだからな。お前昨日、キレイな姉ちゃんと抱き合ってただろ」
「キレイな姉ちゃん……?」
一拍置いて。
「えっ、もしかして、昨日のアレ見てたの!?」
「ばっちりな」
「うわーー恥ずかし……あれ、姉ちゃんだよ。僕の」
「だからキレイな姉ちゃ……え? 僕の?」
「そう。僕の姉。ちょっと前まで海外に留学してたせいでスキンシップ激しくてさ。翔くんに見られてたとか、最っ悪!」
「……じゃあ」
「うん、彼女じゃないよ」
それから少しの沈黙が流れて。
「えっ! もしかして、翔くんそれで昨日怒って帰っちゃったの!?」
「う、うるせーな! だって、あんなの見たら誰だって彼女だって思うだろ!?」
すると、急にその口元がニヤ~っと上がった。
「そっかー、翔くん嫉妬してくれてたんだ~」
「嫉妬!?」
「大丈夫だよ。僕が好きなのは、翔くんだけだから!」
ちゅっ、といきなりキスをされた。
ひと月ぶりの紫苑の唇の感触に、じわじわと顔が熱くなっていく。
それどころか全身がどんどん熱くなっていって――。
「あ、あれ!? 翔くん? 翔くん! やばっ、やっぱ先に病院行った方が良さそう? えっと、日曜日にやってる病院ってどこだっけ!?」
耳元で煩いその声が心地よく思えるくらいには、俺は紫苑に心を許しているようで。
それ以上の感情にも、不本意ながら気付きはじめていて。
認めざるを得なくて。
(あー、俺はごく普通の青春を送りたいだけだったのにな……)
こいつとの出逢いのせいで、俺の青春は普通とはちょっと違うものになりそうである。
END.



