元ヤンの俺、陰キャに懐かれる。


 紫苑の手料理のお蔭か、たっぷり寝たせいか、次の日には身体のだるさはすっかり消えていた。
 朝食でシリアルを食べていると、ピロンっとメッセージが入った。紫苑からだ。

『おはよう。体調どう? 学校はどうする?』

 俺はすぐにそれに返信する。

『もう大丈夫だから、学校行く』

 すると、またすぐに返信があって。

『ほんと? 良かった。でも無理はしないで』

「俺がいないとつまらないとか言ってたくせによ」

 そう思わず声に出して突っ込んでいた。

 でも考えたら俺だって、もし今紫苑が学校を休んだら確実にぼっちになってしまう。
 きっとつまらない日になるだろう。

 部屋を出るとすっきりとした青空が広がっていて、俺は大きく伸びをした。と。

「翔くん、おはよ!」
「えっ」

 その声に驚いて外廊下から見下ろすと、アパート前で紫苑が手を振っていた。

「待てなくて来ちゃった!」

 ……そうだ。
 家バレしてしまったから、もういつ紫苑がここに来てもおかしくはないのだ。
 諦めの溜息をついて、俺は外階段を下りていく。

「本当に大丈夫なの?」
「だから、大丈夫だって」
「ほんとに?」

 伸びてきた手が俺の額に触れてびっくりする。

「うん、熱はなさそうだけど」
「だ、だから、そう言ってるだろ」

 言って歩き出すと、紫苑が横に並んだ。

「本当に良かった!」
「……昨日は、ありがとな」

 前を向いたまま昨日の礼を言うと、紫苑は嬉しそうに頷いた。

「うん! あ、また僕の料理が食べたくなったらいつでも言って。作りに来るから!」
「や、それはいい」
「えー! なんで!?」
「なんでって……」

 その言葉に甘えてしまったら、そのままズルズルと紫苑の手の内に引きずり込まれそうでちょっと怖かった。

「俺も、手料理に挑戦してみようかなと思って」
「そうなの?」

 昨日、ほんのちょっとだけそう思ったのは事実だ。嘘ではない。
 それだけ紫苑の手料理が美味かったのもあるが。

「なら尚更! 僕作り方教えるし、今度一緒に作ろうよ! あ、なんなら今度は僕の家に来る? 調味料とか色々揃ってるし、翔くんの好きなもの作ろうよ!」

 そのはしゃぎ様を見て、つい、俺はぶはっと吹き出していた。

「お前、どんだけ料理好きなんだよ!」

 そう笑っていると、逆に紫苑の笑顔が消えていることに気付く。

「どうした?」
「……翔くんが、笑った」
「は?」

 紫苑が酷く驚いた様子で続ける。

「翔くんの笑った顔、僕初めて見た!」

 興奮したように言われて、急に無性に恥ずかしくなった。

「そ、そんなことねーだろ」

 顔を逸らして言う。

(え、俺、そんなに笑ってなかったっけ?)

 全くの無意識で自分でも驚く。
 確かに、紫苑と会ってから怒って呆れて疲れての連続だった気がする。

「翔くんの笑顔、可愛いんだね」
「可愛いとか言うな」
「ふふー、なんか嬉しいな」
「……はぁ、そうかよ」

 俺は溜息を吐きつつ、ぶっきらぼうに答えていた。


 ――その日から、俺と紫苑の関係がほんの少し変わった気がした。



 それからあっという間にゴールデンウィークが過ぎ、中間テストもなんとか終わり、そろそろ次の夜間観測会の日が近づいてきていた。
 天文部は相変わらず部員は増えなかったが、俺も部長と紫苑のお蔭で星について少しずつ詳しくなっていた。
 そんな、ある日のことだった。


「今更、何の用だよ!」

 地学室からそんな喜多川先輩の怒声が聞こえてきて、入ろうとしていた俺と紫苑は顔を見合わせた。

「ちわーっす」

 俺が一応挨拶をしながらドアを開けると、中には喜多川先輩の他に3人の男子がいた。
 だらしなく結ばれたネクタイの色を見るに、二年生のようだ。
 行儀悪くテーブルに腰掛けたそいつらは、俺たちを指差しいきなり笑い出した。

「え、もしかして新入部員?」
「ガチで!?」
「天文部なんて何か面白いんだよ!」

 ゲラゲラと笑うそいつらは、どう見ても良い先輩には見えなかった。
 喜多川先輩が不機嫌そうに言う。

「用がないなら、早く出て行ってくれ」
「なんだよ、冷てーなぁ、喜多川センパイ。オレたちだって天文部員よ~?」
「え!?」

 思わず俺は声を上げていた。

(こんなガラの悪そうな奴らが、天文部の先輩?)

 でも、部員は喜多川先輩ひとりだと聞いている。

 すると喜多川先輩は憤慨するように言った。

「『元』だろう? 君たちのお蔭で、この天文部は廃部になるところだったんだ!」
「マジでよ~、あのまま廃部になっちまえば良かったのによっ!」

 そう言ってそいつは喜多川先輩が作ったというあのダンボール製のミニプラネタリウムを拳で叩き潰した。

(こいつら……!)

 カっとなってそちらに足を向けようとして、紫苑に腕を掴まれ止められた。

「離せ紫苑!」

 紫苑は真顔で首を横に振る。
 と、そのときだ。

「あ? お前ら、よく見たら、あのときの陰キャとチビメガネか?」
「あぁ!?」

 俺は『チビメガネ』と聞いてそちらを睨みつけ、それから首を捻る。

「あのとき?」
「忘れたとは言わせねーぞ、あの時はよくもやりやがったな!」

 首を傾げたままの俺に、紫苑がこそっと教えてくれた。

「ほら、僕たちの出会いのきっかけになった、カツアゲの」
「ああ! あのときの弱っち―奴ら!」

 指差して俺が言うと、そいつらは顔を真っ赤にしてこちらに向かってきた。

「てめぇー!」
「なんだ? またやろうってのか?」
「やめなよ、翔くん!」

 またも紫苑に腕を引かれ、俺はそいつとメンチの切り合いになった。

「やめろ! また停学処分になりたいのか!?」

 そう声を上げたのは喜多川先輩だった。
 すると、そいつらは「チっ」とデカい舌打ちをし、わざと俺の肩にぶつかるようにしてドアへと向かった。

「早く潰れちまえ、こんなクソだせぇ部活!」

 ガンっとドアを蹴り、そいつらは地学室を出て行った。

「あいつら~っ」
「翔くん、いいから」

 先輩に窘めるように言われて、俺は仕方なく追いかけるのをやめる。

「……先輩、あの人たち本当に元天文部員だったんですか?」

 紫苑が酷く冷静な声で喜多川先輩に訊く。
 すると先輩は溜息を吐きながら先ほどのプラネタリウムの方へ向かった。

「あーあ、ぐちゃぐちゃだ。今年の文化祭でこれの大きなのを作ろうと思ってたんだけど」

 そういえば試作品だと言っていた。
 先輩の寂しそうな顔を見て、やっぱりあいつらをもう一度殴りたくなってくる。

「もしかして、あの幽霊の噂と関係あります?」
「え?」

 急にそんなことを言い出した紫苑を見る。
 なんでそこであのデマだった幽霊話が出てくるんだ。
 そういえば、紫苑はあのとき何か納得がいっていなかったようだけど。

 と、先輩はハハと苦笑した。

「紫苑くん、鋭いな」

(え……?)

「あの噂はね、彼らが流したんだよ。天文部への……というか、ぼくへの嫌がらせに」
「それ、どういうことっすか……?」

 意味が分からなくて訊くと、先輩は潰れたプラネタリウムを手に取りへこみを直しながら穏やかな口調で話してくれた。

「彼らが天文部員だったのは本当。でも全然星に興味なさそうだし活動日にもほとんど出てこないし、おかしいなとは思ってたんだ。でも、あるとき気付いたんだよ。天文ドームの中がタバコ臭いって」
「!?」

 紫苑が息を呑んだ。
 俺も驚いて声を上げる。

「まさか、あいつら」
「そう、彼らは天体観測って名目で屋上でタバコを吸ったりお酒を飲んだり、そういう悪さをしていたんだ」

 喜多川先輩の声がいつの間にか怒りに震えていた。

「最悪じゃねーか……」
「ぼくも許せなくてね。先生に相談して発覚して、彼らは停学処分になった」

 退学でもいいくらいだと思った。

「それで彼らはその腹いせに例の噂を広めたんだよ。彼らの報復が怖くて辞めていく部員もいて、残ったのは僕一人だった」

 なんとかドーム状に戻ったプラネタリウムを元あった場所に戻して、先輩は話を終えた。

「だから、君たちが天文部に入って来てくれて本当に嬉しかったんだよ」

 そう笑った喜多川先輩はなんだか泣きそうに見えた。
 そして俺は先月、西野先輩から言われた言葉を思い出した。

 ――ここの天文部の命運は、お前たちにかかっている。

 きっと、西野先輩もその事件のことを聞いて知っていたのだろう。

「……なぁ、やっぱあいつらもう一発ずつ殴ってきていいか」
「ダメだよ。翔くんまで停学になっちゃうよ」

 そう紫苑と小声で話していると、喜多川先輩はふっと笑った。

「でも驚いたな。翔くん、見た目によらず結構ケンカっ早いんだね」
「あ」

 俺は固まった。

 ――そうだ。
 先輩の前なのに普通に地が出てしまっていた。
 折角これまで可愛い後輩を演じてきたというのに。

「しかも、もしかして、彼らと一度やり合ってるの?」
「あー、えっと……」
「翔くんは、あの人たちにカツアゲされそうになっていた僕を助けてくれたんです」

 そう紫苑が助け船を出してくれた。

「カツアゲ!? そんなことまでしてるのか彼らは……」

 はぁ、と重たい溜息を吐いてから先輩は俺を見た。

「でも、そっか。翔くんは強いんだね」
「い、いやあ……」

 そんなふうに言われて少し照れていると、先輩は真面目な顔をして言った。

「でも、気を付けて。彼らはこれで引くようなタイプじゃないと思う。君が天文部に入ったってわかったわけだし」
「大丈夫っスよ。またあいつらが来たらそんときはまた俺が返り討ちにしてやります!」
「だから、ダメだって言ってるでしょ!」

 紫苑から何度目かのツッコミが入ると、喜多川先輩はやっと笑顔を見せてくれた。

「君たちは、本当に仲が良いんだね。良いコンビだなぁ」

 そんなふうに言われて、俺はなんとなく視線を泳がせる。

(傍から見たら、そりゃ仲良く見えるんだろうな)

 いつも一緒にいるし、最初はそれをうざく感じていた俺も、今では紫苑が傍にいることが当たり前で、それが「普通」になってしまっている。

 ただ、やっぱり紫苑のことをそういう(・・・・)意味で好きとか、付き合うとか、そんな気持ちにはなれなかった。
 最近は紫苑も俺に好きとか言ってこなくなったし、キスも俺が熱を出したあの日以来してこない。

(このまま、普通の仲の良い「友達」のままで、いいんだけどな)

 そう、俺は考えていた。

 ……考えていたはずなのだが。



「――は?」

 俺は、あいつが一人暮らしをしている部屋から綺麗な女性が出てくるところを見てしまった。
 その女性とあいつが熱いハグを交わしているところを、ばっちり目撃してしまった。

 ――それを見て、胸がどうしようもなくざわついて、そんな自分に俺は酷く動揺した。