待ちに待った文化祭。
生徒会役員には大量の仕事があったが、なんとか全てこなして、無事文化祭を迎えることができた。
「皆さん、夏休みから準備をたくさんしてきたと思いますが──」
中庭のステージで開会式の挨拶をしている会長をステージから少し離れたところでみていると、同じ生徒会の中井が声をかけてきた。
「マジ大変だったな〜。俺全然クラスの方の手伝いできてねぇもん」
「俺も」
生徒会の仕事で手一杯で、なかなか自分のクラスに顔を出す機会がなかった。
「成瀬のクラスは何すんの?」
「カフェ?らしい」
「なんで疑問形なんだよ」
「あんま知らないんだよ。手伝えてないから」
そんな話をしているうちに、拍手が巻き起こる。
どうやら会長の挨拶は終わったらしい。
「皆さん、最高の二日間にしましょう!」
ステージ上にいた文化祭実行委員長が爽やかな宣誓行うと、全校生徒の地響きのような歓声が上がり、ついに文化祭が幕を開けた。
「じゃ、俺は受付の方手伝ってくるわ〜。成瀬は会長とアピール、頼んだぞ」
「わかってるよ」
中井にひらひらと手を振り、ステージから降りてきた会長の元へ向かう。
会長は俺の姿を見つけると、それだけで周囲の空気が華やぐような、完璧な笑みを浮かべた。
「お疲れ様、悠。さ、行こうか」
自然な動作で、会長の長い指が俺の手を包み込む。
その瞬間、周囲にいた女子生徒たちから「きゃあ!」と黄色い悲鳴が上がった。
そう言えば学校の中で手を繋ぐのは初めてだな。
いつもは風紀が乱れるから、と、してなかったが、行事という最大のアピールチャンスなので今日は例外だ。
2人で校舎の中に向かうと、すでにたくさんの生徒で溢れかえっていた。
「……すごい人ですね」
「そうだね」
正直、人混みは得意じゃない。
けれど、会長の隣にいると不思議なことが起きた。
目の前にそびえ立つ、クラスTシャツを着た生徒たちの壁。それが、会長が歩みを進めるたびに、まるでモーセの十戒のごとく左右に割れていくのだ。
こちらからすれば、歩きやすいし、アピールしやすいし、一石二鳥だ。
「どこ行こうか?」
「そうですね……あ、あそことかどうですか?」
俺が指さしたのは、「縁日」とデカデカと掲げられた教室だった。
教室の中に入ると、射的や輪投げ、スーパーボールすくいなどがあり、夏祭りのような賑わいを見せている。
「なんか、悠と行った夏祭りを思い出すね」
「そうですね。先輩が金魚すくい苦手だったやつ」
俺がそう頷くと、会長はムスッと口を尖らせた。
「……もうできるようになったよ」
「えっ、ほんとですか」
「本当。夏休みの間、家で練習したから」
「家でって……どんだけ負けず嫌いなんですか」
呆れ半分に笑っていると、会長は自信満々にスーパーボールすくいのコーナーに俺の手を引いた。
「じゃあリベンジってことで。勝負ね」
「いいですよ」
「今回は負けないよ」
そう低く呟いた会長の目は、もはや獲物を狙う狩人のそれだった。
夏休みの自主練の成果か、会長は驚くほど淀みのない手つきでポイを操り、次々と色鮮やかなスーパーボールをすくい上げていく。
対する俺も負けじと食らいつくが、最後には数個の差で敗北した。
「俺の勝ち」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる会長は、なんだか年相応の男子に見えて少しだけ可笑しくなる。
この人のこんなところは、俺しか知らないんだろうな。
と、ちょっとした優越感に浸っていると。
「あの……!」
コーナー担当だった女子生徒が、顔を真っ赤にしてそう声を上げた。
会長がいつもの完璧スマイルを浮かべる。
「なにかな?」
「写真、撮ってもいいでしょうか……!?」
「あぁ、大丈夫だよ」
ガバッと頭を下げる女子に、会長が頷いた。
「あ、じゃあ俺が撮りますね」
「いや、そうじゃなくて……!!」
スマホを取り出してその2人に向けようとした俺を、女子が止める。
「お二人の写真を撮りたいんです!」
「俺たちの……?」
困惑していると、隣に立った会長は迷いなく俺の肩を引き寄せた。
女子生徒は「ありがとうございますっ!」と叫んで、信じられない連射速度でシャッターを切り始める。
「もっと寄ってください!」
「会長、成瀬くんの腰に手……あ、ありがとうございます!!」
要求がエスカレートしていく。
俺が固まっている間に、会長は手慣れた様子で俺の肩に顎を乗せたり、繋いだ手をカメラの方へ向けてみせたりと、サービス精神を爆発させていた。
「よし、アピールは大成功だね」
「ありがとうございました!」と満足げな女子生徒を見送った後、会長は俺の耳元で楽しげに囁いた。
その後もいくつかの教室を回る中で、たくさんの人に注目されたのはいうまでもない。
ーーーー
「……あ、もうこんな時間か」
時計を見ると、自分のクラスのシフトの時間が迫っていた。
「涼介先輩、俺、そろそろクラスの方に行かないと」
「じゃあ、そこまで送るよ。俺もこの後シフトだから」
会長は俺の教室まで一緒に来た後、俺の頭を撫でて去っていった。
教室の中に入ると、俺を見つけた山名が軽く手を挙げる。
「成瀬。お疲れ」
「お疲れ。俺何すればいい?」
「とりあえず白シャツに着替えて」
「了解」
山名に促され、バックヤードで着替える。
白シャツに黒のエプロンという格好でホールに出ると、店内は想像以上の混雑だった。
ちょうど昼時ということもあって、人が多い。
「成瀬、注文聞いてきてくんね?」
「わかった」
山名が気にかけてくれるおかげで手持ち無沙汰にならないで済んだ。
山名と一緒のシフトで助かった。
しばらく忙しなく動き回り、ようやく混雑が落ち着き始めた頃。
俺と山名はカウンターで注文を待っていた。
「成瀬」
「ん、なに?」
隣に来た山名がイタズラっぽく微笑む。
「口開けて」
「えっ」
「いーから」
言われるがままに口を開けると、山名が俺の口の中に何かを放り込んだ。
おそるおそる咀嚼すると、みずみずしい果汁が口の中に広がる。
「いちご?」
「そ。つまみ食い」
「勝手に食べていいの?」
「バレなきゃいいだろ」
そう言って、山名はまだ手に持っていたいちごを口に入れた。
店で出すクレープ用のフルーツらしい。
バレたら面倒そうなので、口に入っていたいちごを急いで飲み込んでいると。
「山名くん、成瀬くん。シフト終わっていいよー!」
仕切っていた女子が俺たちに声をかける。
「ありがとう」と言って、山名と共に着替えるためにバッグヤードに向かった。
「成瀬、この後なんか予定ある?」
着替えている途中で、山名が俺の顔をうかがう。
この後の予定を頭の中のスケジュール帳で確認する。
「特にないけど」
「じゃあ、一緒に回らない?」
「うん。いいよ」
俺は二つ返事で頷く。
山名とはこの前約束したからな。
「山名が呼んだ時は、山名のところに行く」って。
着替えを終え、山名と一緒にバックヤードを出ると、さらに人が増えていた。人が多いせいか、少し蒸し暑く感じる。
「うわ……人、増えたな」
「昼過ぎが一番混むからな。はぐれんなよ」
山名が俺の腕を軽く引き、人混みの中へと踏み出す。
大人しく着いていく俺の顔を、山名が覗き込む。
「昼なんか食べた?」
「いや、食べてない」
「んじゃ、なんか買って食べよ」
山名の言葉に頷き、人で溢れかえっている廊下を体を小さくして進む。
「なんでもいい?」
「うん」
特に食べたいものもなかったので、山名に任せることにした。
「ちょっと待ってて」と言った山名を廊下の端に寄って待つ。
至近距離で鳴り響く宣伝のメガホン。どこかのクラスが流している大音量のBGM。廊下全体に充満する、焼きそばやクレープの混ざり合った、逃げ場のない甘ったるい匂い。
これは、まずいな……
視界がふっと白く滲む。
体育館から漏れ聞こえるバンド演奏の重低音が、心臓に直接響いて吐き気を催させた。
人が多いところは得意ではないし、朝から動きっぱなしだったので少し気分が悪くなる。
壁に背中を預けて目を閉じていると、トンと肩を叩かれた。
「売り切れだって……って、成瀬?どした?顔色悪いけど」
「……ごめん、山名。ちょっと、人酔いしたかも」
「あー……お前、人混みとか苦手なタイプ?」
山名の声が、水の中にいるみたいに遠く聞こえる。
「どっか人少ないとこ行く?」
優しい山名の口調にコクコクと頷くと、山名は俺の腕を引いて歩き出した。
向かったのは特別教室棟だった。
ここには展示も出店もないので、人はいない。
階段の踊り場に座り、壁にもたれる。
山名は「飲み物買ってくる」と言い残して一度その場を離れると、冷たい水のペットボトルを持って戻ってきた。それを俺の頬にぴたっと当てる。
「サンキュ、山名。助かった」
「ん。いーよ」
山名が隣に腰を下ろす。
山名は「貸してみ」と俺の手からペットボトルを取ると、パキッとキャップを開けてこちらによこした。
それを受け取り、喉に流し込む。
「少しはマシになった?」
「うん。さっきはやばかった」
いつのまにかかいていた冷や汗が冷えて、体の体温を奪っていく。
暑さで頭がぼぉっとしていたので、よかったかもしれない。
「……人混み苦手なのに、会長といて平気?」
「え?うん……まぁ緊張するけど大体会長がなんとかしてくれるから」
「ふーん……」
なんか納得してなさそうだな。
怪訝な顔をした山名に、「でも」と続ける。
「山名といると、落ち着く」
「……そう」
俺が大きく息を吐くと、山名の大きな手が俺の乱れた髪を整えるようにそっと触れた。ゆっくりと耳の裏をくすぐり、そのまま俺の後頭部を自分の肩へと預けさせる。
「……山名?」
「疲れたんだろ。ちょっと休んだら?ここには誰にも来ないし」
そう言ってくれるなら、ありがたく休ませてもらおう。
俺は大人しく目を閉じる。
「成瀬、会長とまだ付き合ってるんだよな」
「ん?うん……会長の、任期が終わるまで……」
体を脱力して目を閉じたまま答える。
そんな俺の上から、心配そうな声が聞こえてくる。
「疲れない?ずっと気張ってんの」
「まぁ……慣れない……な」
「じゃあ、成瀬が疲れてそうな時は俺が呼ぶわ。そしたら、成瀬もこうやって休めるだろ」
「ははっ……なにそれ」
山名に預けていた体を起こすと、思いの外真剣な瞳と目が合った。
「約束。いい?」
俺の目を逃さないと言わんばかりにじっと見る山名に、俺は頷くことしかできなかった。
ぎこちなくなったのをごまかすように、山名からもらった水を飲んでいると、ポケットに入れていたスマホが振動する。
「電話だ。出ていい?」
「いいけど……誰から?」
「え?中井だけど」
なんでそんなことを聞いたのかわからないが、とりあえず山名が頷いたので『応答』のボタンをタップする。
「もしも……」
『成瀬!今どこにいる!?』
俺の言葉を遮って、電話の中の中井の声が響く。
「今は……」
『とにかく!体育館に来い!!今すぐ!!』
中井の質問に答えようとした俺をまたもや遮って、中井はそう叫んだ後電話を切った。
「なんだった?」
「わかんないけど、なんか体育館に来いって……行ってくる」
そう山名に伝えて、俺は立ち上がる。
「おー……無理すんなよ」
山名のどこか名残惜しそうな視線を背中に感じながら、俺は特別教室棟を後にした。
ーーーー
体育館に近づくにつれ、人混みと喧騒がまた激しさを増していく。人酔いの余韻が残る頭に、ズンズンと響くスピーカーの音が突き刺さった。
体育館の入り口に中井の姿を見つける。中井は俺を見つけるなり、親の仇でも見つけたような顔で駆け寄ってきた。
「成瀬! 遅いぞ、何してたんだ!」
「ごめん、ちょっと休憩してて……で、何? 急ぎの仕事?」
「仕事っていうか、出番だよ! ほら、さっさと中に入れ!」
「え、ちょっ……!」
訳もわからず暗幕を潜り抜け、舞台袖の薄暗い空間に放り込まれる。そこには、なにやら佐伯先輩と話している会長がいた。
「あ、悠。やっと来たね」
「……これ、どういう状況ですか?」
全く状況が掴めていない俺に、佐伯先輩がのらりくらりと口を開く。
「2人がこの学校のベストカップルに選ばれたって〜」
「はぁ!?」
思わず声を荒げた俺の肩にガシッと中井が腕を回す。
「毎年恒例の有志の人たちがやる企画だよ。『ベストカップル総選挙』ってやつ」
そういえばそんな企画もあった気がする。
去年は縁も興味もなかったので、記憶がほとんどない。
佐伯先輩はやけに楽しそうに笑う。
「それで涼介と悠が暫定どころかぶっちぎりで一位になったってわけ〜」
「ぶっちぎりって……」
「まあ、今日手繋いでたのもあるだろうなー」
中井がニヤニヤしながら俺の肩を小突く。
確かに、今日一日中受けていた視線の正体はこれだったのかと納得した。けれど、単なるランキングの発表にしては、舞台袖の空気は妙にピリついている。
「で、どうすればいいんですか。ステージに上がって挨拶すれば終わり?」
「まあ、基本的にはそうなんだけどさ……」
中井が言葉を濁し、佐伯先輩と顔を見合わせた。
佐伯先輩は楽しそうにクスクスと笑いながら、どこからか手に入れた手元の進行表をひらひらとさせる。
「悠。この企画には、古くから伝わる『伝統』があるの、知ってる?」
「……伝統、ですか?」
「そう。選ばれたベストカップルは、キスをしなきゃいけないんだよ」
一瞬、思考が停止した。
キ……
「……はあぁぁ!?」
今日一番の叫び声が、舞台袖の狭い空間に響き渡る。
慌てて会長を見るが、舞台袖は暗くて表情をうかがうことはできなかった。
「──それでは発表します! 今年のベストカップル、第一位は!!」
ステージの向こう側から、司会者の威勢のいい声と、地響きのような歓声が聞こえてくる。
逃げ場はない。
偽装恋人のアピールが成功しすぎた結果、俺を待っていたのは、文化祭最大の公開処刑だった。
ーーーー
「3ヶ月前の生徒集会で、交際を宣言した真宮涼介会長と、成瀬悠会計のお二人です!どうぞ、ステージの方へ!!」
混乱した頭のままステージに出る。
暗い体育館の中でスポットライトが集まり、顔が熱い。
俺と会長の2人が舞台袖から出ると、とてつもなく大きな悲鳴がわきあがる。
「本日も仲睦まじく校舎内を手を繋いで歩いていたという目撃情報もありましたが、まだ交際は続いているんですよね?」
「そうですね」
会長がニコリと微笑むだけで歓声が上がる。
俺は無意識に背筋を伸ばしていた。
「ベストカップルに選ばれた気持ちはどうですか?成瀬会計」
「あー、えっと……たくさんの人に応援してもらえてるのは嬉しいです。これからもよろしくお願いします」
司会者の質問に、差し障りない言葉を紡ぐことしかできない。
俺はこの後の展開で頭がいっぱいだった。
「それではみなさんお待ちかねの、この企画の伝統の儀をお二人にしてもらいましょう!」
司会の言葉に、体育館のボルテージが最高潮に達する。
すごく逃げたい。今すぐこの場から消えてしまいたい。
そんな俺とは反対に、スポットライトを一身に浴びる隣の会長は、微動だにせずいつもの完璧な笑みを崩さない。
以前、注目されても平然といられるのは「慣れているから」だと言っていた会長だが、これに関してはその域を超えていると思う。
「悠、こっち向いて」
俺がぎこちなく顔を向けると、会長の手が俺の頬に触れる。
え、これ、ほんとにすんの……!?
客席からの悲鳴が、まるで遠い世界の出来事のように遠のいていく。
カチンと体が固まって動けず、魚のように口をぱくぱくとさせていると、会長が俺の耳元に顔を近づけた。
「俺に任せて。大丈夫だから」
こればっかりはもう、会長を信じるしかない。
なにより、会長の「任せて」は信頼できる。
会長は両手で俺の頬を優しく包んだ。
唇に何かが触れる感覚がする。
「目、閉じて」
言われるがままに目を閉じる。
会長の顔が近い。会長の吐息が全身に駆け巡っている気さえする。
一瞬の静寂。
そして、それまでの喧騒をすべて塗り替えるような、耳を劈くほどの絶叫が体育館を飲み込んだ。
やがて、ゆっくりと会長の顔が離れていく。
俺が恐る恐る目を開けると、そこには満足げに微笑む会長の顔があった。
心臓が痛いほど音を立てて跳ねる。
会長は俺の頭を優しく撫でた後、熱狂する観客席へと優雅に手を振った。
拍手と歓声は、俺たちがステージを降りて、暗い舞台袖に戻るまで止むことはなかった。
暗幕の裏側に入った途端、足の力が抜けそうになる。
そんな俺の肩を、舞台袖で待っていた中井が「いやー、よかった!」と笑いながら叩いた。
「悠、顔真っ赤だよ? 演技にしちゃ出来すぎじゃない?」
「……うるさいです」
茶化してくる佐伯先輩から顔を背けると、会長と目が合う。
「……っ!」
その瞬間、急激に体温が上がり熱が身体中を駆け巡る。
なんだ、これ。
「悠、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。じゃ、じゃあ、俺はこれで!」
会長の顔も見れないまま、混乱する頭で体育館の出口へと急いだ。
顔と体の熱と共に、戻れないところまで来てしまったような、得体の知れない重苦しさが胸の奥に居座っていた。
ーーーー
体育館を飛び出した後も、耳の奥にはまだあの歓声がこびりついているようだった。
顔の熱さはまだ引く様子がない。
頭を振って、火照った顔を冷ますために人混みを避けて歩く。
すると、ポケットの中でスマホが短く震える。
メッセージは、山名からだった。
『さっきの階段のとこ、来て』
こんな顔山名に見せたくないが、約束なので仕方ない。
最大限顔から熱が引くように、少し時間をかけて向かった。
特別教室棟の階段。
体育館の喧騒が遠くの地鳴りのように響く中、踊り場に山名が座っていた。
「……成瀬」
俺の足音に気づいた山名が、ゆっくりと顔を上げた。その表情はいつも通り無愛想だが、どこか無理に平静を装っているような、硬い空気を纏っている。
「山名、ごめん。待たせた?」
「いや……それより、さっきのステージ、お疲れ」
山名は視線を窓の外へ逃がしながら、ポツリと言葉を落とした。
「……見たのか、あの企画」
「……まぁ」
言葉少なに答える山名の横顔が、いつになく思い詰めて見えた。
俺は居心地の悪さに耐えきれなくなって、自分から口を開く。
「……あ、あれさ。山名には言っておくけど、実際にはしてないからな」
「え?」
山名が驚いたようにこちらを振り向く。
「会長がさ、俺の唇の上に自分の親指を置いてたんだよ。会長はその上からしただけ。ただのフリ」
俺が説明すると、山名は一瞬きょとんとした後、深く、本当に深く、肺の中の空気をすべて吐き出すような溜息をついた。
山名はそのまま膝に頭を埋める。
「あー、そう……そういうことか。まじビビった……」
「俺もびっくりした」
さっきのことを思い出すと顔が熱くなってくる。
ごまかすように笑うと、そんな俺を山名は顔を上げてじっと見つめた。
「……指なら、お前はいいと思ってんの?」
「え?いや、まあ…実際には唇触れてないし……」
ギリギリセーフ、といったところだろうか。
俺がそう答えると、山名の目の奥が鋭くなった。
「じゃあ──俺もしていい?」
「は?」
山名が、ずいっと距離を詰めてきた。逃げる間もなく、大きな手が俺の頬を包み込む。その親指が、さっきまで会長の指が触れていた場所をなぞるみたいに、ゆっくりと俺の唇を這った。
「指なら、セーフなんだろ?」
「え、いや、それは……」
なんか、いつもの山名と違う。
どこかずっしりとした重さのある雰囲気に息がうまくできなくなる。
どうしたんだよ、山名。
そう口に出したいけど、うまく言葉が出てこない。
俺を見つめるその瞳に、少し怖気付いていると。
「……うそうそ。冗談。ごめん、怖かった?」
「え、あ、だ、大丈夫……」
山名はふっと視線を外すと、俺の頬から手を離した。
「そろそろ片付けの時間か。先、教室戻っとくわ」
「あぁ、うん」
山名は俺と目を合わせないまま立ち上がって、階段を降りて行った。
呆然とその場に座っている俺のポケットで、スマホが振動する。
『今日、一緒に帰ろう』
会長からのメッセージだ。
「分かりました」と短く返信を打ちながら、俺は困惑に沈む頭を抱えた。
会長と山名の二人の指先が残していった正体不明の熱が、冷めないままに俺をかき乱し続けていた。
不意に触れた自分の唇は、まだ、ひどく熱を持ったままだ。



