生徒会長の恋人役になった件



夏休みが終わり2学期が始まった。
2学期が始まってから2週間ほどは、文化祭の準備期間に充てられる。
かくいう俺も、生徒会の仕事に追われていた。


「あー……終わんね〜」


生徒会室でパソコンと大量の資料と睨めっこしながらそう呟く。
文化祭準備期間はお金が絡むことが多いため、会計である俺の仕事は自ずと増えていた。


「じゃあ悠、俺たちはクラスの方の手伝いに行ってくるよ」
「頑張って〜」


会長と副会長の佐伯先輩はそう言い残して生徒会室から出ていく。
議長の中井と一年生コンビの三浦と川島は、既にクラスの出し物の手伝いに駆り出されていた。
生徒会室に1人取り残された俺は、残りの仕事をこなしていく。


「……ここのクラス、予算足りるか?一応警告文出しとくか」


お金の管理は自分たちのクラスでやってくれよ、なんて愚痴を心の中で吐きながらキーボードを叩いていると、トントンと生徒会室の扉がノックされる。


「はーい。鍵開いてるんで入ってください」


立つのが面倒なのでドアの向こう側に向かってそう声を上げる。
ガチャ、と中に入ってきたのは山名だった。


「山名か。なんか用?」
「去年の出し物の配置図貸してくんね?」
「あー、文化祭実行委員か」
「そう」


そういえば山名は文化祭実行委員だったな。
文化祭の企画・運営は生徒会と文化祭実行委員で行っているのだ。
大体の書類は生徒会が管理しているので、それを借りに来たらしい。


「右側の棚にあるはず。探してみて」
「了解」


それだけ言って、俺は自分の作業に戻る。
室内には、山名が書類を確認する音だけが響く。


「……成瀬、これなに?」


不意に、山名の声のトーンが変わった。
振り返ると、山名は一枚の書類を手に取ったまま、固まっていた。
その書類には、見覚えがある。
この偽装恋人作戦が決まった際、作戦の要項や設定を書記の三浦がまとめていたものだ。

……しまった、あそこに紛れてたのか


「あ、いや、それは……」
「成瀬と会長、本当は付き合ってなかったってこと?」


山名の低い声が、静かな室内に響いた。
その瞳は、驚きよりも、どこか確認するような鋭さを帯びている。


「……うん」


言い逃れはできなかった。
咄嗟につく嘘に山名が騙されるとは思えなかったし、それになにより、俺が山名にこれ以上嘘をつきたくなかった。


「ごめん、嘘ついてて」
「……なんでこんなことしたの?」
「会長と俺が付き合ってる、って風にした方が色々都合が良くて……」


訝しげに俺を見つめる山名に、言葉を続ける。


「ほら、会長ってモテるだろ?だから、生徒会の仕事に影響出ててさ」
「恋人ができたらみんな諦めるから、仕事が円滑に進むってことか」
「うん」


山名の言葉に頷く。理解が早くて助かる。


「それでさ、このことは誰にも言わないで欲しくて」


本題はここからだ。
ここで俺と会長の関係が嘘だと他の人たちにバレたら、今までの作戦が無駄になる。
山名はしばらくの間、その書類と俺を交互に見ていたが、やがてゆっくりとそれを棚に戻した。


「……いいけど、一つ条件が」
「なに?」


飯の奢りか、実行委員の手伝いか。
もしくはもっと無理難題か。
俺がそう考えていると、山名は一歩、詰め寄ってきた。


「俺が呼んだ時は、俺のところに来てほしい」
「え?」


予想外の言葉に聞き返すと、山名は「あー……いや」と視線を泳がせ、首筋を気まずそうに掻いた。


「最近の成瀬、会長とずっと一緒だろ? 偽装とはいえ……だから、あんまり前みたいに遊んだりとか、一緒に帰ったりとかできなかったじゃん。それで、たまには俺とも遊んでほしいっていうか……」
「なんだ、そんなことか」


俺は拍子抜けして、思わず笑みが溢れた。
バレた時はどうなるかと思ってたけど、山名から出された条件は本当にそれでいいのかと思うほど、普通のことだった。


「いいよ。俺も山名と話せなくてちょっと寂しかったし。山名が呼んだ時は、ちゃんと時間作るよ」
「……そっか。よかった」


山名はホッとしたように息を吐いた。
そして俺にピッと人差し指を突きつける。


「約束だからな。会長といる時も、俺が呼んだら俺のとこ来て」
「わかったよ。約束な」


突きつけられた人差し指をギュッと握ると、山名は満足したように口角を上げた。


「……ありがと、成瀬。じゃあ、配置図借りてくわ」
「おー」


配置図を片手に、山名が生徒会室のドアに手をかけた。
そのまま出ていくのかと思いきや、彼はふと思い出したように振り返る。


「……あ、そうだ。早速なんだけどさ」
「ん?」
「今日、久しぶりに一緒に帰らない? ……さっきの約束の、一回目」


山名は少し照れくさそうに笑った。
いつもは会長と一緒に帰っているのだが、なにせ「約束」をしてしまった手前、断ることはできない。


「いいよ。そっちが終わったら連絡して。俺も終わったら連絡する」
「うん」


山名は満足そうに頷いて、生徒会室から出て行った。



ーーーー



山名が出て行って1時間ほど経った頃。
そろそろ最終下校の時間に差し掛かってきたところで、廊下から聞き慣れた足音が近づき、ドアが開いた。


「ただいま、悠。仕事の進み具合はどう?」
「おつかれ〜。まだやってたんだ〜」


戻ってきた会長は、少し疲れた顔をしながらも俺を見て優しく微笑んだ。その後ろには、同じくクラスの手伝いを終えた佐伯先輩もいる。


「おかえりなさい。大体終わりました。あとは確認だけして貰えれば」
「了解。お疲れ様。……じゃあ、一緒に帰ろうか」


会長がいつものように、俺に促した。
本来なら、俺もいつものように「はい」と頷いて鞄を手に取る場面だけど。


「……すみません、涼介先輩。今日は、山名と一緒に帰るって約束しちゃったんです」
「……山名くんと?」


会長の動きが、一瞬で止まった。
その瞳がわずかに細められる。


「珍しいね。急ぎの用事でもあるの?」


会長の声は穏やかだ。けれど、その温度はいつものそれより数度低い気がした。


「いえ、用事というか……最近あまりあいつと話せてなかったので、たまには、って言われて。……すみません」


俺が眉を下げて謝ると、会長はしばらくの間、無言で俺を見つめていた。
沈黙に耐えかねて隣の佐伯先輩に助けを求めようとしたが、先輩は「おーおー」とでも言いたげに、ニヤニヤしながらこちらを観察している。
なんでちょっと楽しそうなんだよ。


「……俺がいるのに?」
「えっ」


ようやく開かれた会長の口から出た小さな呟きに、思わず聞き返す。


「……なんでもないよ。山名くんを待たせるわけにもいかないしね」


会長はすぐにいつもの柔らかな笑みに戻ったが、その目は少しも笑っていなかった。
会長が俺の耳元に顔を近づける。


「でも、ちゃんと俺の“恋人”だってこと意識してて」
「わ、わかってますよ……」
「ならいいけど」


その声に含まれた微かな熱に、背筋がゾクリと跳ねた。
会長は俺から離れると、何事もなかったかのように「じゃあ、気をつけて。山名くんによろしく」と、微笑んだ。

夏祭りの日から、会長との距離が近くなっているし、会長の言葉もますます熱を帯びている気がする。
気をつけないと、恋人役と本物の恋人との境界線がわからなくなりそうだ。



ーーーー



生徒会室を出ると、廊下の壁に寄りかかって待っていた山名が、俺の姿を見てぱっと顔を綻ばせた。


「成瀬、おつかれ。連絡入れたんだけど、見てなかった?」
「あー……ごめん、見れてなかった」
「いーよ、別に。行こ」


歩き出した山名の隣に並ぶ。
山名は俺をみて「そうだ」と声を上げた。


「会長に、なんか言われなかった?」
「……いや、なにも」
「そ。ならいいんだけど」


背後、閉じたはずの生徒会室のドアの向こうから、会長の視線がずっと刺さっているような気がして、俺は無意識に歩を早めた。

校門を出て、駅へと続く緩やかな坂道を下っていく。
夕焼けが街をオレンジ色に染め上げ、心地いい風が通り抜けた。


「……で、結局あの後、作業終わったのかよ」
「ああ、なんとか。山名の方は? 実行委員、大変そうだな」
「まあな。でも、今日こうして成瀬と帰れてるし、チャラだわ」


山名は可笑しそうに笑いながら、俺の歩幅に合わせて歩く。
会長といる時の、あの空気が張り詰めるような緊張感とは違う、不思議と肩の力が抜ける感覚。俺はいつの間にか、自分でも気づかないうちに深い溜息を吐いていた。


「……あ。じゃあ、俺こっちだから」


駅前の分かれ道。
街灯がひとつ、ふたつと灯り始める。
俺が足を止めると、山名も立ち止まり、少しだけ名残惜しそうに俺を見た。


「おー。……今日はありがとな、成瀬。急に誘って悪かった」
「いいよ。約束しただろ、山名が呼んだ時は行くって。俺も久しぶりに山名と話せて楽しかったし」


俺が真っ直ぐにそう告げると、山名は一瞬、何かを堪えるように視線を彷徨わせた。
そして、ふっと柔らかく目を細めると、大きな手が俺の頭に置かれた。


「……っ」


髪を乱すような雑なものではなく、慈しむような、優しく丁寧な手つきでポンポンと叩かれる。
駅前の喧騒が、その瞬間だけ遠のいた気がした。


「……お前、本当に真面目だよな。そういうとこ」
「……なんだよ、子供扱いすんな」


俺は照れくさくなって、軽く山名の手を払った。
けれど、頭に残ったその手のひらの温度が、思いのほか心地よかった。


「じゃあな。明日も学校で」
「ああ、また明日」


山名は満足そうに笑って、大きく手を振って去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、俺は乱れた前髪を無意識に指先で整えた。