生徒会長の恋人役になった件



待ちに待った夏休み。
俺も学校から解放されて自由な夏休みを謳歌する……ことは残念ながらできない。
生徒会は2学期にある文化祭に向けて、夏休み中も稼働しているのだ。


「あ〜、も〜疲れたぁ〜!」


クーラーで少し寒く感じる生徒会室でそう声を上げるのは、副会長の佐伯先輩だ。
「一旦休憩〜」と言いながら椅子の背にもたれて伸びをしている。
確かに朝9時ごろから3時間ぶっ通しで仕事をしているので俺も疲れた。


「じゃあ、休憩にしよう」


疲れが溜まってきた面々の様子を見た会長がそう声を上げる。


「お茶淹れますね!」


庶務の川島が席を立ち、室内に置いてあるカップなどを準備し始めた。


「そういえば、意見箱に入れられる涼介へのラブレターの数減ったらしいね〜」


椅子の背もたれをギシギシと鳴らしながら佐伯先輩が言う。
先輩の言葉を受けて、中井が頷く。


「会長の出待ちも少なくなったしな」
「これも、偽カップル作戦のおかげだね〜」


「オレたち天才じゃ〜ん」と佐伯先輩と中井の悪ガキコンビはハイタッチをする。本当に、調子のいい2人組だ。
川島が用意してくれた冷たい麦茶を喉に流し込んでいると、三浦がおもむろに声を上げた。


「た、ただ…まだゼロとはいかないです…ね」
「たしかになぁ」


そんな三浦の言葉に中井が頷く。
まだ一定数、諦めきれない層がいるらしい。
確かに、そんなすぐには諦めもつかないだろうな。


「それじゃあ、もっとアピールしないとね〜」


佐伯先輩はニヤリと口角をあげる。
なんだろう、嫌な予感がする。
先輩は、壁に貼られたカレンダーの一点を指差した。


「今週末にある地域のお祭り、2人で行ってきなよ」
「はぁ!?」


黙って見てたらすぐこれだ。
俺はこの人たちに振り回されてばっかりだと痛感する。


「この祭り、うちの生徒も相当数行くよね?」
「そっすね。地元じゃ一番デカい祭りですし、みんな行くと思いますよ」


中井が同調すると、佐伯先輩は待ってましたと言わんばかりに、俺と会長を交互に見た。


「ピッタリじゃん!2学期に向けて仕事も多くなるしさ〜、ここで一発アピールしといたほうが、今後の仕事に支障が出ないんじゃない?」


名案だ!とキメ顔をしている佐伯先輩に、小さくため息をついた。


「それは、そうですけど……会長も忙しいんじゃないですか?受験生だし」


3年生である会長と佐伯先輩は、今年受験生だ。
ただでさえ生徒会業務で時間が削られているのに、こんなことに時間を割いていいのだろうか。


「悠は涼介を誰だと思ってんの。成績学年トップの完璧生徒会長サマだよ?」


佐伯先輩が会長の肩を掴んで言う。
なんで佐伯先輩がちょっと自慢げなんだよ。
そんなツッコミを心に留めながら会長の顔をうかがうと、いつも通り柔らかな笑みを浮かべた。


「俺は大丈夫だよ。だから、一緒に行こうよ。夏祭り」
「いや、でも……」


俺が口ごもると、会長はムスッとして口を尖らせた。


「なに、悠は俺と行きたくないの」
「……っ、そんなこと、言ってないじゃないですか」


予想外に子供っぽい反応をされて、俺は思わず言葉を詰まらせた。
普段の完璧な生徒会長の顔はどこへ行ったのか。
そんな風に露骨に不機嫌そうな顔をされると、こちらが一方的に悪者にされているような気分になる。


「じゃあ、いいよね」


会長はすぐに表情を和らげると、逃げ場を塞ぐような完璧な微笑みを浮かべた。

その笑顔が、あの時と重なる。

──他の人としちゃダメだよ。

会長に抱きしめられた時の、耳元に吹きかけられた熱い吐息が、今もそこにあるような錯覚に陥った。
ただの役作りだと自分に言い聞かせても、一度触れられた場所がじりじりと焼けるように熱い。

結局俺は、この人に敵わない。


「はい……」


俺はなす術なく、頷くことしかできなかった。



ーーーー



週末。
電車の中は、いつもと違う熱気を感じた。
お祭りに向かう浮ついた雰囲気の中で、俺は少し緊張する。


「暑っ……」


最寄りの改札を出ると、むせかえるような暑さが身を纏う。
午後5時。夕方のチャイムが鳴る時間なのに、まだ日は照りつけている。
太陽の眩しさに目を細めていると。


「悠」
「あ、先輩。お疲れ様です」


名前を呼ばれて振り返ると、会長が立っていた。
汗が噴き出るほど暑いのに、会長はそんな素振りを一切見せず、むしろ爽やかな雰囲気を醸し出している。


「悠の私服、あんまり見たことないから新鮮だね」
「確かにそうですね」


ニコニコと笑う会長に同意する。
普段は制服姿ばかり見ているので、会長の私服も俺にとっては新鮮だ。
会長ほどのルックスとスタイルの持ち主であれば、どんな服でも着こなせるのはいうまでもない。


「それじゃあ行こうか」


会長は俺の手を取って歩きだす。
手の引かれるままについていくが、ふと疑問が浮かぶ。


「あ、あの、涼介先輩。そっち逆方向ですよ?」


そう。会長が歩きだした方向は、お祭りの会場とは逆方向なのだ。
そんな俺を見て、会長はにっこりと笑った。


「いや、こっちで合ってるよ」
「え?」


首を傾げる俺をよそに、会長は迷いのない足取りで進んでいく。駅から少し離れた、静かな住宅街の方へ。


「あの、どこ行くんですか?」
「内緒。まあついてきて」


繋がれた手のひらから、会長の微かな体温が伝わってくる。
俺の困惑を楽しんでいるような、いたずらっぽい横顔。
しばらく歩くと、そこには一軒のこぢんまりとした呉服店があった。歴史を感じさせるその店の中に、迷いなく会長が入っていく。


「え、ちょっと涼介先輩!?」
「なに、悠」
「なに、じゃなくて……」
「浴衣。せっかくお祭り行くんだから、一緒に着たいなって」


どうやらここがお目当ての場所だったらしい。
というか、会長ってこういうのするタイプなのか。
まあ確かに、生徒会長となると行事と関わることが多いし、お祭りや行事が好きじゃないとやってられないな。
そう納得しかけた俺を見て、会長が少しいじわるそうな笑みを浮かべた。


「──あと、俺が悠の浴衣見たいから」


そう言うと、会長は俺の頭をポンポンと撫でて、掛けてある浴衣を選び出す。


「あ、悠。これとかいいんじゃない?」
「え、あ、あぁ……そ、そうですね」


差し出されたのは、落ち着いた深い紺色の浴衣だった。
今の俺の脳内は、さっきの言葉がリピート再生されていて、まともに色味を判断できる状態じゃない。
されるがままに店員さんに促され、更衣室へと連れて行かれる。

……見たいから、ってなんだよ

鏡の前で店員さんに帯を締められながら、俺は一人、心の中で毒づく。
恋人役に慣れるための、役作りの一環なのだろうか。
そうだとしても、調子が狂う。
「見たい」なんて、まるで本当の恋人みたいな台詞をさらっと言える会長が、少しだけ怖くなる。


「はい、お疲れ様でした。とってもお似合いですよ」


店員さんの声に我に返る。
鏡の中には、見慣れない浴衣姿の自分がいた。


「ありがとうございます」


店員さんにお礼を言って、慣れない裾捌きを気にしながら更衣室を出ると、一足先に着替えを終えた会長が待っていた。
墨色の浴衣を見事に着こなした会長は、普段の5割増しで輝いて見える。


「涼介先輩、似合ってますね」


もはや浴衣はこの人のためにあるのではないかと錯覚するほど似合っていた。
俺の言葉に微笑んだ会長は、おもむろにこちらに手を伸ばす。


「悠も似合ってるよ。かわいい」


するっと俺の頬に手を滑り込ませた後、乱れた俺の髪の毛を耳にかけた。


「あ、ありがと……ございます」


なんで、そんな甘い顔でそんなこと言えるんだ。
恋人役、という名目じゃなかったら勘違いしそうになる。
呉服店の静まり返った空気の中で、俺の心音だけがやけに大きく響いた。



ーーーー



呉服店を出て、お祭りの会場へと向かう。
住宅街を抜けると、提灯の明かりが夜の闇を朱色に染め、風に乗ってソースの焦げる香ばしい匂いと、祭囃子の音が聞こえてきた。


「……すごい人ですね」


会場に近づくにつれ、人混みは激しさを増していく。
カラカラと下駄を鳴らしながらその中を進む。


「そうだね。ハグれないようにしないと」


そう笑う会長は、案の定、周りの視線を独り占めしていた。
なんとなく背筋を伸ばして、会長の隣を歩く。


「あれ、会長と成瀬くんじゃない?」
「デートかな?」


所々から同じ学校であろう人たちのそんな声が聞こえてくる。
佐伯先輩が言っていた、恋人アピール、というものは成功しているらしかった。


「お腹空いてない?なんか食べる?」
「そうですね……あ、たこ焼きありますよ」


俺が指差した先には、威勢のいい掛け声とともに湯気を上げる屋台があった。お祭りの定番だし、手軽に食べられるのがいい。


「いいよ、行こうか」


会長は俺の手を引いて、人混みを縫うように屋台の前へと進む。
会長がパックに入った熱々のたこ焼きを受け取ると、ソースと青のりの香ばしい匂いが鼻をくすぐり、急にお腹が空いてきた。


「どこか座って食べよう」


少し離れた神社の境内の石段に腰を下ろす。
ここはメインストリートの喧騒が少しだけ遠のき、提灯の明かりがぼんやりと周囲を照らしていた。


「はい、悠」


会長はつまようじで一つたこ焼きを取ると、俺に差し出す。


「え、いや、自分で食べられます」
「いいから」


言われるがままに口を開けると、会長がその中にたこ焼きを放り込んだ。


「……熱っ」


外はカリッとしているのに中はとろとろで、火傷しそうなほど熱い。ハフハフと息を吐きながら必死に咀嚼する俺を、会長が隣で可笑しそうに眺めていた。


「ごめん。悠って猫舌だったね。もうちょっと冷ましてからあげればよかった」
「……いえ、大丈夫です。美味しいし」


口の中を冷ましながらそう答えると、会長は満足そうに目を細めた。
そして、俺の口元に手を伸ばし、優しく触れた。
ビクッと固まる俺を見ながら、会長はその手を自分の口に運ぶ。


「ソース、ついてた」


指先に付いたソースを舐め取る仕草に、心臓が跳ね上がる。


「ど、どうも……」


今日の会長は、いつもより近くて調子が狂う。
役作りだとわかっているのに、どうしても意識してしまう。
俺がこんな調子なのは多分、会長だってわかってるはずだ。
もはやそれを楽しんでいる気すらする。


「はい、もう一個」


勘違い、しないようにしないと。

たこ焼きを差し出す会長を前に、俺はそう決意した。



ーーーー



メインストリートに戻ると、先ほどより人が多くなっていた。
無意識に、会長と繋いだ手に力を込める。


「……次、何する?」


会長の声が少し上擦った気がしたが、彼を見てもいつも通りだったので、気のせいのようだ。


「あ、金魚すくいとかやりません?」
「え」
「……嫌でした?」
「いや、やったことないなと」


意外だ。
勉強も運動も、生徒会の仕事も完璧にこなす会長が、金魚すくいを通ってきていないなんて。


「じゃあ、勝負ですね。これなら会長に勝てる気がする」


ニヒ、と笑ってみせると、会長は喉をゴクリと鳴らした。


「……負けないよ」


低く呟いた会長の瞳が、一瞬だけ鋭く細められたような気がした。

俺たちは近くの金魚すくいの屋台へ足を向けた。
祭囃子が鳴り響く中、水槽を覗き込む。
色とりどりの金魚が、青い水の中で涼しげに尾を振っていた。


「こうやって……ポイを斜めに入れて、優しくすくい上げるんです」


俺が手本を見せると、会長は真剣な表情でポイを握りしめた。
しかし、いざ水に浸けた瞬間、パシャリと派手な音を立てて紙が真っ二つに破れる。


「あっ……」


完璧なはずの会長が、破れたポイを手に呆然としている。
その姿がなんだか年相応の少年のようで、俺は思わず吹き出してしまった。


「っはは!いくらなんでも早すぎますよ。これは俺の勝ちですね」


ケラケラと笑う俺を見て、会長は口を尖らせる。


「……笑いすぎ」


会長はムキになったのか、その後何度かリベンジしたが、結果は惨敗だった。
多分負けず嫌いなんだろうな。
俺はそんな会長を見ながらひたすら笑っていた。


「涼介先輩って不器用なんですね」
「……悪い?」


目に見えて拗ねている会長に首を振る。


「いつも完璧なんで、不器用なとこ見れて嬉しいって言うか。俺は先輩のそういうとこ、結構好きですよ」
「はっ……?」


会長は目を見開いたかと思うと、その顔はじわじわと赤みを帯びていく。


「どうかしました?」
「い、いや……別に」


フイと顔を逸らされた。
結構気まぐれなんだな、この人。
あまり気に留めず、俺が取った金魚を袋に入れてもらう。
2匹の赤い金魚が、袋の中を少し狭そうに泳いでいた。


「この金魚、生徒会室で飼います?」


金魚すくいの屋台を後にして、いつも通り手を繋ぎながら会長とそんな話をしていると。


「成瀬?」
「あ、山名」


奇遇だな、と口にしながら山名の姿を眺める。


「成瀬、浴衣似合ってるな」
「ありがと、山名もな」


山名も赤っぽい浴衣を着ているが、結構似合っている。
元々背が高いから、浴衣が映えるのか。


「母さんが着ろってうるさくてさ。俺はいいって言ったんだけど」
「いや、似合ってるよ。なんか新鮮で、俺は好き」


そう言うと、山名はパチクリと目を瞬かせた後、ニコッと微笑んだ。


「ありがと」


満足気に頷いていると、会長と繋いでいた手をグッと引かれた。


「山名くん、だったっけ」
「あ、はい。そうです」


会長が山名に声をかけた。
山名が頷くと、会長は目を細めた。


「いつもうちの(・・・)悠がお世話になってるよ」
「どーも。それはこちらこそですけどね」


……なんか、会長の目が怖いんだけど気のせいか?
山名はその視線をものともせず軽く返す。
会長は俺と繋いでいた手を先ほどよりも一段と強く引く。

2人の間の雰囲気に俺が耐えられなくなったその時。


「おにーちゃん!あっちにおめんあったよ!」


山名の元に1人の男の子が駆け寄ってきた。
歳は幼稚園から小学校低学年くらいだろうか。


「だあれ?」


その子は山名の手を掴むと、こちらを見て首を傾げた。


「お兄ちゃんのお友達と先輩。ほら樹、ご挨拶して」


山名はその子を撫でながら優しく微笑み、そう促した。


「やまないつき、6さいです。いちねんせいです」
「俺は成瀬悠。よろしくね、樹くん」


俺が屈んで目線を合わせると、樹くんはパアッと顔を輝かせた。


「ゆうくん、ゆかたにあってる!かっこいい!」
「あはは、ありがとう」


素直な褒め言葉に、俺の頬も自然と緩む。
子供の無邪気な反応は、さっきまでのピリついた空気を一瞬で溶かしていくようだった。


「山名、弟いたんだ」
「まあな」


俺と山名がそんな話をしている隣で、樹くんが口を開く。


「おっきいおにちゃんとゆうくんは、なんでおててつないでるの?」
「えっ」
「すきすきどうしなの?」


子供の純粋な問いに、言葉を詰まらせていると。


「うん。俺と悠くんは好き好き同士なんだ」


頭上から降ってきたのは、驚くほど穏やかで熱を孕んだ会長の声だった。
屈んでいた俺の腕を引き寄せ、会長は樹くんに向かって優しく、けれどどこか誇らしげに微笑む。


「ち、ちょ、涼介先輩……!」


慌てて見上げると、会長はいつになく真剣な目をして俺を見つめていた。


「なに、ほんとのことでしょ?」


その鋭い眼差しに、動けなくなる。
恋人役の一環だと、わかっているはずなのに。
頬に集まった熱は、お祭りの提灯の明かりよりもずっと赤くなっているに違いない。


「……じゃあ、邪魔すんのも悪いし、そろそろ行くな」


山名は少し複雑そうな、それでいてどこか悟ったような顔をして、弟の樹の肩を叩いた。


「えー!もっとゆうくんとおはなししたい!」
「また今度な。ほら、お面買いに行くんだろ」


樹くんは不満げに口を尖らせながらも、最後には俺に向かって大きく手を振ってくれた。


「ゆうくん、ばいばーい!おっきいおにーちゃんと、なかよくねー!」


人混みの中へ消えていく小さな背中を見送りながら、俺はようやく深く息を吐き出した。


「悠、まだ顔赤いよ」


不意に、横から楽しげな声が降ってくる。
覗き込んできた会長の顔は、いつもの余裕たっぷりな微笑みに戻っていた。


「……会長のせいです。演技だとしても、あんなストレートに言うことないじゃないですか」
「え? 演技だなんて、俺は一言も言ってないけど」
「……は?」


思わず足が止まる。
心臓がどきりと跳ねたが、会長はそんな俺の様子を楽しむように手を両手で包み込んだ。


「悠は、誰にでも簡単に好きって言うでしょ。金魚すくいの俺にも、山名くんの浴衣にも。……だから俺も、対抗してちゃんと言っておこうかなって」
「それは、意味が違いますってば……」
「俺にとっては同じだよ」


会長の瞳の奥に、言葉とは裏腹に、ひどく熱く切実な色が過った。
それは一瞬のことで、すぐにいつもの柔らかな光に隠されてしまったけれど、俺の心臓はまた、制御不能なリズムを刻み始める。

……対抗して、ってなんだよ

結局、負けず嫌いを発動させているだけなのだろうか。
それとも、これも偽カップルとしての完成度を高めるための練習なのだろうか。


「さ、次はなにする?」


会長は俺の困惑を振り切るように、再び歩き出す。
繋がれた手のひらから伝わる熱は、夜風に吹かれても一向に冷める気配がなかった。
本当のところ、会長が何を考えているのか俺にはさっぱりわからない。

結局、俺はこの人に、一度も勝てた試しがないのだ。