俺は、2学期最終日──すなわち、今期生徒会が終わる日を迎えた。
全校集会で、生徒会の引き継ぎ式を行うことになっている。
生徒会室。
引き継ぎの仕事も終え、どこかがらんとした雰囲気の中、会長が口を開く。
「そろそろ体育館に向かおうか」
「りょ〜かい」
「今期も終わりか〜」
佐伯先輩と中井はそう声を上げながら会長に続く。
後輩の三浦と川島もその後を追った。
「何してるの、悠。早く行くよ」
「はい」
会長の言葉に頷いて、俺も生徒会室から出る。
こうしてこのメンバーでいるのも今日で最後。
そして──会長と“恋人役”としていられるのも、今日で最後だ。
俺は答えを、出さなきゃいけない。
俺は拳をグッと握りしめて、大きく息を吐いた。
ーーーー
「それでは、今期生徒会長の真宮涼介会長から、引き継ぎの言葉です」
静まり返った体育館の中。
中井の司会で、会長が前に立つ。
「今期生徒会長を務めさせていただきました。真宮涼介です。去年の3学期から今日まで、至らぬことも多々あったと思いますが、皆さんや先生方のご協力と生徒会役員のみんなに支えてもらい、無事仕事を終えることができました」
「ありがとうございました」と頭を下げる会長に、拍手が巻き起こる。
「それでは、次期生徒会長への引き継ぎを行なってもらいます」
会長の挨拶が終わったタイミングで、中井が司会の紙をめくりながら言う。
次期生徒会長は、今期の生徒会役員の2年生から選ばれる。
すなわち、俺か中井の二択だ。
これは会議を重ねて既に決まっているが、他の生徒に発表するのはこれが初めてだ。
ざわめきが体育館に広がり、こちらも少し緊張する。
「次期生徒会長は──現会計、成瀬悠です」
会長の言葉で、体育館に一瞬の沈黙が訪れた後。
大きな拍手が起こり、ホッとする。
「では、次期生徒会長。挨拶をよろしくお願いします」
「はい」
中井に返事をして会長の隣に立つ。
相変わらず歓声が沸き起こった。
「次期生徒会長に就任しました、成瀬悠です。生徒会長の名に恥じないよう、努力します」
「よろしくお願いします」と頭を下げ、歓声や拍手の中顔を上げる。
会長は俺の視線に気づくと、ニコリと笑った。
その後も、次期生徒会メンバーの発表がされる。
中井が副会長、三浦が会計、川島が議長だ。
残りの書記と庶務については、次の1年生の中から2人募集することになっている。
なんか、ほんとに終わりなんだな。
いつか来るとわかっていたのに、まだ実感が湧かない。
あの生徒会室に、もうこのメンバーが揃わないことも、まだ信じられないのだ。
「それでは、これにて生徒会引き継ぎ式を終了します」
中井の議長としての最後の言葉で、引き継ぎ式は終了した。
ーーーー
放課後。
俺は山名のいる教室に向かう。
人は山名以外誰もいないようだ。
「成瀬、会長就任おめでとう」
「ありがと」
山名は机に腰掛けながら俺に向かって笑う。
「まあ、成瀬は真面目だしな。納得だわ」
「そう?ブーイング受けたらどうしようって思ってたけど」
「なんでだよ」
「俺より中井の方が向いてるじゃないかって」
顔を顰めながら言うと、山名は俺を見て「卑屈だなー」と呟いた。
「大丈夫だって。成瀬も十分向いてるよ」
「ならいいんだけどさ」
他愛もない、ただの友達同士の会話。
今日で終わる「恋人役」のことや、まだ胸に残っている告白の返事のことなんて、最初からなかったみたいに。
けれど、沈み始めた夕陽が教室を濃いオレンジ色に染め上げていく。
長く伸びた二つの影が、一瞬だけ重なった。
「……山名」
俺が呼ぶと、山名がゆっくりと視線を俺に戻す。
「俺、山名に話さないといけないことがある」
「うん。聞く準備は、できてる」
山名は座っていた机から降り、こちらに向き直した。
俺は大きく息を吸って、山名をまっすぐ見つめる。
「俺、今まで恋愛とか全然わからなくて。だから、山名の告白の返事先延ばしにしてた。ごめん」
「……前に、涼介先輩に聞いたんだ。恋愛がどういうものか」
山名は黙ってそれを聞いていた。
俺は言葉を続ける。
「それで……わかった。俺が、ずっと一緒にいたくて、離れたくないのは」
「俺が、好きなのは」
「山名じゃ、ない」
そう言い切ると、目頭が熱くなった。
声が震える前に、口を開く。
「だから、ごめん。山名とは付き合えない」
気づいたら、目から涙がこぼれ落ちていた。
答えの出せない俺を、ずっと待ってくれていた山名に。
申し訳ないことをしたんじゃないかって。
筋違いだけど、そう思えてしまって。
「謝んなよ。俺は、成瀬がちゃんと考えて返事してくれただけで、十分だから」
山名はどこか吹っ切れた表情で、俺に一歩近づく。
「なんで成瀬が泣いてんだよ」
山名はそう笑って俺に手を伸ばして。
俺の頬に触れる前に、山名はその手をぎゅっと握りしめた。
「俺に悪いなんて思うなよ。成瀬は何も悪くないから……って無理か、お前真面目だもんな」
山名はあっけらかんとして俺を見据える。
「じゃあ、俺とこれからも友達でいて。いい?」
喉が引き攣って声が出せなくて、ただコクコクと頷くことしかできない。
山名は満足そうに口角を上げると、ポケットからハンカチを取り出して、俺の手に押し付けた。
「ほら、拭け。次期生徒会長がそんな顔してたら、みんな不安になるから」
「……ありがと」
手渡されたハンカチで、乱暴に目元を拭う。
山名の優しさが、今は心地よくもあり、同時にひどく胸に刺さった。
「成瀬。早く行ったほうがいいんじゃね?会長、待たせてんだろ?」
山名が顎で、教室の入り口の方を差した。
その視線の先にあるはずの人物を思い浮かべて、心臓が大きく脈打つ。
山名には、最初から分かっていたのかもしれない。俺の視線が、本当はどこを向いていたのかを。
「……行ってくる」
「あぁ」
俺は山名に背を向け、一歩を踏み出す。
教室の扉に手をかけた時、背後から山名の声が聞こえた。
「成瀬!」
振り返ると、夕闇に溶けかかったオレンジ色の光の中で、山名が眩しそうに目を細めていた。
「ごめん。そんで、ありがと」
「俺も、ありがと」
俺も精一杯の笑顔を返して、今度こそ教室を後にした。
廊下に出ると、冬の冷たい空気が火照った頬を撫でる。
もう迷いはない。
俺は真っ直ぐに、夕暮れに染まる廊下を駆け出した。
向かう先は、たった一箇所。
あの人が待っている、あの場所だ。
ーーーー
走ったせいで乱れた息を整える間もなく、俺は生徒会室の扉を開けた。
放課後の生徒会室。
西日が差し込む室内には、主のいなくなった机が並んでいる。
その一番奥、窓際に一人。
会長が、夕闇に溶けそうなオレンジ色の光を背負って立っていた。
「悠、どしたの?」
振り返った会長は、いつも通りの、穏やかで完璧な微笑みを浮かべていた。
「今日で、俺たちの恋人役は終わりですよね」
「……そうだね」
「でも、それじゃ嫌だ。ってこと、伝えにきました」
「……えっ?」
会長のこんなに困惑した顔は初めて見たかもしれない。
大きく深呼吸をして、まっすぐ会長を見つめる。
「俺、恋人役が終わっても、先輩の隣にいたいです」
「俺と、本物の恋人になってください」
言い切った瞬間、心臓が耳元で鳴っているのがわかるほど激しく脈打った。
静まり返った生徒会室。
窓から差し込む斜光が、俺と会長の間に長い影を落としている。
「……悠」
会長が、呆然とした様子で俺の名前を呟いた。
いつもどんな時でも余裕を崩さず、優雅に微笑んでいたあの人が、今はまるで幼い子供のように目を見開いて立ち尽くしている。
「仕事だからとか、任期があるからとか……そういう言い訳がないと隣にいられないのは、もう嫌だから」
視界がじわりと熱くなる。
俺の告白に、会長はゆっくりと、吸い込まれるようにこちらへ歩み寄ってきた。
机の横を通り過ぎ、俺の目の前で止まる。
「……悠。それ、本気で言ってるの?」
掠れた声。会長の手が震えながら伸びてきて、俺の頬を包み込んだ。
山名のハンカチで拭ったはずなのに、また溢れそうになっていた涙を、その親指が優しく掬い取る。
「……嘘に見えますか?」
「そんなわけない」
会長はそのまま俺を壊れ物を扱うように、けれど力強く抱きしめた。
冬の冷たい空気で冷え切っていたはずの体が、会長の体温で一気に熱を帯びていく。
「俺から言おうと思ってたんだけどな」
会長は自嘲気味に笑うと、俺の背中に回した腕の力を強めた。
「俺も……俺も、悠が好きだよ。役目なんて関係なく、最初からずっと」
その言葉が、俺の心の一番深いところにすとんと落ちる。
俺は会長の胸元に顔を埋め、その温もりに溺れるように目を閉じた。
「……早く言ってくれればよかったのに」
「ふふ、ごめん」
会長は腕を緩めると、俺の顔を覗き込み、愛おしそうに目を細めた。
「成瀬会長、俺と本物の恋人になってくれる?」
「……はい。俺がモテるの阻止してくださいね」
涼介先輩の恋人役になった日のことを思い出しながらいたずらに言うと、涼介先輩は嬉しそうに笑って、また俺を強く抱きしめた。
窓の外では、完全に日が沈み、群青色の夜が空を覆い始めていた。
俺が今、緊急会議を開くとしたら、間違いなく議題はこれだ。
──生徒会長の恋人になった件について。



