冷徹な海神は人魚姫に心の氷を溶かされる

「見ろ、人魚が海に逃げるぞ!」
「追いかけろ!」
「逃がすな!」
 声と共に、追手の一人が弓を構えた。
 一直線に珊瑚の元へと飛んでくる鋭い矢。
「きゃあああああああっ……!」
 珊瑚が悲鳴を上げた――その時だ。

「うるさいぞ。こんな夜中に何を騒いでおる」
 海の中から、煌めく蒼い光とともに、一人の男が現れた。
 年のころは二十代半ばぐらいだろうか。
 背丈は見上げるほどあり、腰まで伸びたまっ直ぐな蒼髪は夜の海のように繊細に色を変え、煌めいている。
 凍てつく冬の海のような銀色の目に、頭には同じく銀色の角が二本。
 象牙でできた彫刻のような顔は、人知を逸するほど整っている。
 だがその美しさは、珊瑚にはうっとりするというよりもゾッと恐ろしく感じられた。
「か……海神皇様!?」
 村長が慌てて砂浜にひれ伏す。
 それを見て、村民たちも次々と砂浜にひれ伏した。

 (海神皇様? このかたが……?)
 珊瑚があ然としていると、海神皇はくるりと珊瑚のほうへ振り返った。
「貴様は人魚か。……フン、珍しいこともあるものだ。この地の人魚はすでに滅びたものかと思っていた」
 言いながら、海神皇はそっと珊瑚の髪に触れた。
 その時初めて、珊瑚は自分の髪が元の黒色から珊瑚のような薄桃色に代わっていたことに気付いた。
「お前――名を何という?」
 凍てつくような銀色の瞳が珊瑚を射抜く。
 珊瑚は怯えながらも小さい声で答えた。
「さ……珊瑚と申します……」
「そうか」
 海神皇はじっと珊瑚を見つめると、村長に向かってこう言い放った。
「ちょうどいい。この娘――珊瑚はこの俺がもらい受ける」
「は……しかし――」
 村長は何か言いかけたのだが、海神皇が冷たい銀の瞳で一睨みすると、大きく肩を震わせて再び砂浜にひれ伏した。
「か、かしこまりました。その娘は海神皇様に捧げます。ですからどうか、この村は――」
 村長は顔面蒼白になり、村の他の者たちも震えながら砂浜にひれ伏している。