「あ」
突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。
「絶対に負けられない戦いがそこにはある」
「どうしたの、椎名くん。ワールドカップでも行くの?」
「何のだよ」
それはこっちのセリフだと思った。
友達の椎名くんは突然変なことを真顔でやってのけるので油断がならない。
今も危うくどついてしまうところだったけど、私は周りを気遣って止めるくらいの理性なら持っている。椎名くんはそんな私に感謝するべきだろう。
昼休みの図書館の中には数名の生徒がいて、静かに本を選んでいる人もいればそのまま読み耽る人もいる。私たちのように、五時間目に提出する数学の宿題をしている生徒はあまりいない。教室で写せばいいものを、椎名くんは騒がしいところじゃ集中できないなどとうそぶいてここへやってきたのだった。
騒がしくても静かでも、本当はどっちでも集中しないくせに。
その証拠に、さっそく彼は脱線しようとしている。
「で、負けられない戦いが何だって?」
「あそこを見てみろ」
椎名くんが指差した先には、二つ先のテーブルで私たちに正面を向けて座っている男子生徒の姿があった。
「察した」
そこにいたのは、隣のクラスの沢田くんという男の子だった。
彼は椎名くんの笑いのツボでもあり、師匠でもあり、何かと気になる存在らしくて、椎名くんは沢田くんを見かけるとすぐにちょっかいを出したがる。
沢田くんにとっては迷惑な話だと思う。
「今度は何? 沢田くんと戦うの?」
「当たり前だろ。沢田は友と書いて好敵手と読むほどの相手だぞ」
「いや、逆」
好敵手と書いて友と読め。
沢田くんがかわいそうだ。いろんな意味で。
「沢田のやつ、彼女と一緒だな」
「あの二人、いつも一緒だよね。微笑ましいなあ」
椎名くんの指摘通り、沢田くんのテーブルにはもう一人、女の子が座っていた。肩の上のショートボブがよく似合う、沢田くんの彼女。名前は佐藤さんだ。
「でもあの二人が会話しているとこ、あんまり見ないんだよな」
「うんうん。そばにいるだけで通じてる感じがするよね。いいなあ」
「連れがいるのによくしゃべらずにいられるな。俺たちなんか、恋人同士じゃないのによくしゃべるぞ」
「それが普通だと思うけど……」
椎名くんに言われて気がついたけど、確かに沢田くんがしゃべっているところを見たことがないかも。
佐藤さんと二人きりの時なら少しはしゃべると思っていたのに。
「よし、俺も負けてられない」
「何が?」
「今から、俺は黙る。沢田と俺、先にしゃべった方が負けとする!」
「え、沢田くんはその対決知らないのに? ずるくない?」
「ずるくない。こっちには藤川というハンデがあるからな」
藤川。つまり、私のこと。
おしゃべりな私に釣られて、椎名くんがしゃべってしまうかもしれないということか。
「なるほどね。じゃあ私は妨害してもいいってことだ」
「お前……どっちの味方なんだよ!」
「沢田くん」
「なぜ⁉︎」
ハンデと言われた恨みしかないだろ。
「それじゃ、対決スタート〜」
私のゆるーい音頭で、椎名くんVS沢田くんのしゃべらない対決が始まった。
図書館の中は咳を一つしても分かるくらい静まり返っている。
「そういえば、対決に勝ったら賞品とかあるの?」
「!」
何か言いかけて、椎名くんは慌てて自分の口の前に人差し指でバッテンを作った。私のトラップにいきなり引っかかるというマンガ的なミスをするしょうもないのが友人じゃなくて良かったと思う反面、しょうもない罠に引っ掛かってこそ椎名くんだろ、とつっこみたい気持ちが交差する。
その時だった。
「ねえ、ちょっといい?」
二つ前の席に座っていた佐藤さんがくるっと振り向き、なんと私に声をかけてきた。
「えっ? う、うん」
「椎名くんって、もしかして沢田くんと勝負してる?」
「えっ! どうして分かったの?」
「さっきからすごいオーラを椎名くんから感じてるんだって」
そういう沢田くんもすごいオーラに包まれている。
椎名くんが真っ赤に燃える炎のオーラだとしたら、沢田くんは氷のようにキンキンに冷えた青いオーラだ。
「……(なるほど。沢田も俺との勝負に気づいたか。ならば遠慮はしない! どっちが先に声を出すか、命懸けのバトルだ!)」
椎名くんは多分そんなことを思っている。
一方、沢田くんは、
「……(ほう。面白い。この俺に勝負を挑むとはとんだ若造だな。返り討ちにしてくれるわ! 脳ミソはじけろ!)」
みたいなことを思っている。多分。
「ぷぷぷっ」
下を向いた佐藤さんが、なぜか笑った。
先に仕掛けたのは椎名くんだった。
椎名くんは沢田くんと向かい合い、シャーペンを手に取った。そして、挑発的にそれを指先でクルクル回す。
ラッパーが大会で相手をディスって煽るシーンにちょっと似ている。
「……(さあ、どうだ! 俺より長く回していられるかな⁉︎)」
「……(小癪な)」
おっと、沢田くんもシャーペンを取り出した。いや、なんだアレは?
ただのシャーペンじゃない。
ペンの先に変なおじさんがついてる! 土下座しているおじさんだ!
「アレは沢田くんの唯一の友達、土下座おじさんだよ」
佐藤さんが解説する。え、待って友達? しかも唯一の?
「ちなみに売店に行けば300円で購入できるよ」
「高っ」
「……!(高っ!)」
おじさんの価格に驚いた椎名くんが、ペンを落とした。
「……(戦わずして俺に勝つとは! さすがだな、沢田!)」
「……(ザ○とは違うのだよ、ザ○とは!)」
二人は黙ったまま不敵に睨み合う。
勝手にアフレコしているけど、これで合っているかな?
「ぷぷぷっ」
佐藤さんがなぜかまた笑った。
佐藤さんには他人の心の声が読めるんじゃないか疑惑がある。
もしかして、私のアフレコも読まれていたりするのか?
いいや、まさかね。
気のせいだよね。
気のせいであれ!
そうこうしているうちに椎名くんがまた沢田くんを挑発する。
自分の上下の瞼に人差し指と親指を押し当て、指先で一気にぐわっと広げた。それと同時に全部の指をピンと伸ばし、鳳凰の羽を広げるが如くに見開いた目を強調させている。
「……(どうだ、沢田! 俺の変顔に耐えられるかっ⁉︎)」
「……(笑止)」
沢田くん、どうでる?
すると沢田くんは自分の顔を挟むように手を置き、外側へと一気にグイッと引っ張った。目も鼻も口も横に伸びて、沢田くんのイケメンがのっぺりしてしまっている!
「……っ……!」
椎名くん、堪える! どうでもいい、くだらない戦いなのに何故か耐える!
「……(やるな、沢田! この俺にここまでダメージを与えるとは……)」
「……(そろそろこの虚しい争いに終止符を打ってやるか)」
「……(何⁉︎)」
沢田くんはスッと表情を無に戻し、たっぷりと間を取った。そして、
「……!(うおおおおおおおおお!!!)」
何故か青いオーラの炎を燃やした!
「大変、沢田くんがぼっち魂を燃やしてる!」
「佐藤さん、どういうこと⁉︎ ぼっち魂って⁉︎」
「沢田くんが……勇気を出して、椎名くんに話しかけようとしているの! これは奇跡だよ!」
ついに巨星落つか⁉︎
シーンと静まり返る図書館の中、とうとう沢田くんの口が開いた!
「………………………あ」
キーン、コーン、カーン、コーン。
あ、チャイムに消された。
沢田くんは無表情だけど、泣いているように見えた。
こうして、沢田くんと椎名くんの長い(くだらない)戦いに終止符が打たれた。
勝者は椎名くんだ。
「よっしゃああ! 沢田に勝ったああああ!」
思い切り叫んでガッツポーズしたせいで、司書さんにグーで殴られたけど。
「沢田くんが『何がなんだか分からないけど、楽しかった』って」
佐藤さんが笑顔でそう言ってくれた。
当の沢田くんは、また無表情になっている。この人、本当にいつしゃべっているんだろう? そして佐藤さんはなぜ沢田くんの気持ちが分かるんだろう。
謎は深まるばかりだ。
「それでね、もし良かったら椎名くんと友達になりたいって沢田くんが言ってるんだけど……どうかなあ?」
おっと。沢田くんの方からラブコールだ。
どうする、椎名くん。
私は椎名くんを見た。
椎名くんは当然オッケーすると思いきや、不敵に笑って言った。
「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵だ! つまり俺たちは永遠に友と書いて好敵手と読む関係だ!」
ややこしい。
素直に友達になろうと言えばいいのに。
兎にも角にも、二人の好敵手関係はまだまだ続きそうだ。
次はどんなバトルを繰り広げるのか。
まったく楽しみじゃない。
……と言えば、やっぱりちょっと嘘になる。
