イケメン問題児の先輩に弱みを握られたと思ったら、溺愛され始めました。

 付き合って一週間記念。
 西日の当たる机に僕と深山先輩は並んで座り、各々静かに本を読んでいる。
 これが恋人同士の記念日にすることかと問われれば、大半がNOと応えるだろう。しかし、僕はこれが良い。
 せっかくの記念日なのだから、互いに好きなことをするのが良いに決まっている。どちらかが妥協したり譲ったり我慢をする記念日も悪いとは言わないが、共通の趣味があるのならそれに越したことはない、
 ちなみに、深山先輩が読んでいる本は僕には少々難しい哲学の本だ。こんな難しい本を読んでいる時点で学校一の問題児疑惑は無くなるだろうに、普段学校では本を開かないらしい。徹夜して本を読んでいたら昼間は眠くなるのだとか。居眠りばかりしている姿をクラスメイトに見られているので、尚のこと真面目な生徒には見えなくなってしまうのだろう。勿体ない。
 学校終わりに立ち寄った図書館の為、穏やかに過ぎていた時間はあっという間に終わる。閉館十分前の音楽が鳴り始め、本をパタンと閉じる音が複数聞こえてくる。座っていた者らがゆっくりと腰を上げ、僕も深山先輩と同時に本を閉じた。
「はぁ……あっという間でしたね」
「だね。それ、借りてく?」
「いえ、明日も来ますので」
「それって、待っててくれるってこと……?」
「待たなくて良いんですか?」
「ううん。待ってて」
 深山先輩は、月・水・金の放課後この図書館でアルバイトをしているのだ。夏休み中は主に昼間のカウンター作業を任されていたようだが、学校が始まった今は閉館後の十九時頃まで本の整理やら事務処理をするらしい。その間、館内では待てないので、図書館の前にある椅子にでも座って借りた本でも読みながら待とうと思っている。
 この話を聞いて察した人もいるかもしれないが、記念日だからわざわざ図書館に来たような口ぶりで言ってはみたが、僕らは出会ってからというもの、土日以外ほぼ毎日この公立図書館に通っている。ただ、深山先輩はバイト中。暇な時は本を読む時間もあるようだが、基本は読めない。館内でゆっくりと読んだのも今日が久々なのではないだろうか。
 本を元あった棚に戻した僕らは、アルコール消毒をした後に自動ドアから館外へと出た。冷房が効いた場所から外に出るのは、昼間ほどではないにしろ気温差に体が付いて行かない。しかし、深山先輩は僕とは違った感想を覚えたよう。
「少し、涼しくなったかな?」
「そうですか? あんま変わんないですよ」
「蝉の鳴き声が減ったからかな」
「あー、確かに」
 夏の終わりを告げるように鳴くツクツクボウシの声に耳を澄ませる。どこからか鈴虫の鳴き声も聞こえてきた。知らぬ間に秋に移り変わっているようだ。
 日本の夏が年々長くなって気付きにくくはなっているが、秋はちゃんと来ているのだと実感する。
 そんなことにも気付ける深山先輩は、誰よりも感性豊かなのかもしれない。
 隣を歩きながら、ポツリと聞いてみた。
「深山先輩って、どうしてあんな噂が流れてるんですか?」
「どんな噂?」
「喧嘩っ早くて、気に入らない相手は半殺し。停学処分を何回も繰り返してるって」
「そんな噂流れてんの?」
「あ、知らなかったんですか……それは」
 どうしよう。本人目の前に悪い噂を堂々と話してしまったではないか。
 困惑していると、深山先輩がフッと笑った。
「実はさ、それ、俺が流した噂なんだよね」
「は……?」
「けど、一年生のところにまで回ってると思わなかったなぁ。もしかして、俺って学校内で有名人だったりして」
 学校内で有名もクソもない。その噂を知り得ない人はいない。顔写真まで出回っている。しかし、その噂を深山先輩本人が流したとはどういうことだ? そんな噂、不利益しか被らない。面白半分で流す内容ではない。現に、深山先輩の周りには人が寄り付かず、友人関係はゼロだ。
「どうしてそんな噂を……?」
「んー、なんでだろうねぇ」
 深山先輩は儚げな表情で遠くを見つめた。
 何かあるのは分かるが、僕にそれを話すほどの信頼は寄せていないのだと思うと、ちょっぴり悲しくなった。
 とはいえ、まだ知り合って七日しか経っていないのだ。全て包み隠さず話す方が逆に大丈夫だろうかと心配になるので、丁度いい距離感なのかもしれない。それに、僕らは恋人同士ではあるが、それは深山先輩の勘違いによるもの。それを僕自身言えずにいる。そんな僕に話さない方が良い。
 ただ、もう一つ深山先輩に秘密にしていることは話せる。いくら笑われようが、これは変えられぬ事実だから。
「あの……深山先輩」
「ん?」
「実はですね、僕の名前なんですけど……」
「名前? セイヤの?」
「はい」
 いざ話そうとすると小っ恥ずかしくて中々先に進まない。僕は深山先輩を手招きして耳を寄せてもらった。そして、そこに耳打ちする。
「僕の名前、本当は聖夜(いゔ)って読むんです」
「え?」
「だから、聖夜って書いてイヴって読むんですよ」
「ガチ? 可愛すぎるんだけど」
 僕は深山先輩の耳元から口を離し、普段の声量に戻す。
「すみません。キラキラネーム、恥ずかしくて言えませんでした」
「なるほど。だから、サンタね」
 納得した深山先輩は暫し考える様子を見せ、辺りを見渡した。僕もつられて辺りに目をやる。すぐそこは河川敷で、小学生が走り回って遊んでおり、その少し向こうにはキャッチボールをしている親子の姿。平穏な空気が漂う中、深山先輩は普段の呼び方で呼んできた。
「セイヤ」
「はい。怒ってます?」
「ううん。逆。嘘吐いてくれてありがとう」
「……へ?」
 嘘を吐いて礼を言われたのは初めてだ。嘘も方便とかそういうことだろうか。しかし、名前を偽る嘘も方便とはいったい?
 キョトンとしながら深山先輩を見ていると、その周りに張りつめていた緊張の糸が切れたような気がした。言葉で言い表すには語彙力が足りないが、明らかに空気が変わったのだ。
「深山先輩……?」
「セイヤ、別れよっか」
「そうですね……え!?」
「今なら、まだ間に合うから。別れよう」
 このポカンと胸に空いた穴はなんだろう。
 僕は深山先輩のことを好きではない。それを伝えきれずにいて、この流れは願ったり叶ったりな状況だ。それなのに、何故だろう。至極泣きたい気持ちになった。胸が苦しくなった。
「それは、僕のことが嫌いになったから……ですか?」
「ううん。好きだよ。好きだから別れるの」
「意味が分かりません」
 何故、僕は素直に首を縦に振らないのか。縦に振ってしまえば、深山先輩の誤解を解くこともなくこの関係が終わると言うのに。
「明日の約束は、どうするんです? 別れたら図書館行きませんよ。これから、学校も一緒に行かないし一緒に帰りませんよ?」
「うん。そうしよう」
 その顔は、いつになく清々しい顔をしていた。だから、余計に腹が立つ。
「僕が嘘吐いたからですか? 名前を偽ってたからですか? キラキラネームの相手と付き合うのは、恥ずかしいですか?」
「セイヤ……」
「セイヤじゃないです。深山先輩には、本当の呼び方で呼んでもらいたくて……」
 駄々をこねるように引き止めていると、深山先輩は前髪を掻き上げた。同時に目つきも変わった。その冷徹な瞳は、昨日耕平君に向けていたものよりも冷たい。
「はぁ……まだ分かんないかな」
「深山……先輩?」
「ちょっと揶揄って遊んでただけなのに、そんな本気になられたらウザいんだけど。そもそも男同士で付き合うとかマジであり得ないから」
「そっちが、本音……ですか?」
 一瞬深山先輩の瞳が揺らいだ気がしたが、僕の両の目からは涙が溢れ出てきて視界が悪い。
「もう、良いです。どうせ、僕も深山先輩なんて好きじゃありませんでしたし。さようなら」
 本来言うべきだった言葉を並べ、駆け出した。
 追いかけて来ないことは分かっているのに、まだ追いかけて来てくれるのではないかと僅かな期待を抱いてしまう。けれど、深山先輩が追いかけてくることはなかった――。