深山先輩の部屋は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。かと言って、清掃が行き届いていないわけでもない。ベッドの上には読んでいる途中なのか本が広げられた状態で反対を向いており、その横に雑にスウェットが脱ぎ捨てられている。そして、勉強机には参考書が散乱し、床には飲みかけの水のペットボトルが三本とゲーム機のコントローラーが置かれていた。
つまりは、整理整頓が成されていないだけで、ゴミの類はない。飲みかけのペットボトルは、いつのか不明ではあるが……。
「ちょっと待ってて。すぐに片付けるから」
「お構いなく」
片付けを始める深山先輩の邪魔にならないよう、扉の前で待機する。
他人の部屋に入るのは新鮮で、絶対に来たくないと思っていた深山先輩の部屋のはずなのに、ワクワクソワソワしてしまう。
深山先輩が読む本が気になって、さり気なく扉の横にある本棚を見た。
(あれ? お菓子……作るのかな?)
そこに並んでいるのは、ショコラ、クッキー、アップルパイ、更にはホットケーキミックスを使用したアレンジおやつなど様々なお菓子のレシピ本。
見た目に似合わず…………片付けをする深山先輩をチラリと見た。見た目より、噂に似合わずの方がしっくりくる。学校での噂さえ知らなければ、深山先輩は至極柔らかい印象だ。お菓子を作っていても不思議ではない。
「何か気になるのでもあった?」
「あ、い、いえ」
恐縮している僕の横から、深山先輩はベッドに置いてあった小説を棚に戻した。
文庫本の類は全てカバーがしてあって内容は分からないが、問題児が本を読む時点で意外性は半端ない。
「ごめんね。俺BL読まないからさ、置いてないんだよね。今度、揃え」
「揃えとかなくて結構です!」
被せ気味に言えば、クスクスと笑われた。
「な、何がおかしいんですか……」
「ごめん。ムキになるところ、可愛いなぁと思って」
「か、かわ、かわ……」
「顔、真っ赤だよ」
言われなくとも分かっている。そうやって揶揄って、僕で遊んで、キスまでして……。
先程の路地裏での誓いのキスを思い出し、更に顔が熱くなる。しかも、深山先輩のプルンとした唇から目が離せなくなってしまったではないか。
「あ、あの……」
「ん?」
「さっきの、あれ、何だったんですか?」
「さっきの? あれって?」
首を傾げる深山先輩があまりにも普通すぎて苛立ちを覚える。僕はファーストキスを奪われ、こんなにも戸惑い、こんなにもドキドキしているというのに。
「誓いのキ、キスなんて……」
「嫌だった?」
「嫌……じゃないですけど、僕、初めてで……その」
「俺も初めて。世のカップルは、なんでみんなキスするんだろうって不思議だったけど、理由、分かったかも」
そう言って、深山先輩に顎をクイッと持ち上げられた。
「ちょ、せ、先輩……」
その顔が直視出来ず、目線を下にずらす。
二度目のキスも呆気なく奪われるのだろうと覚悟したその時、ニコッと微笑まれた。
「水か烏龍茶、どっちが良い?」
「へ?」
「セイヤの唇カサついてたからさ、喉渇いてるのかなって。生憎、俺んちジュースの類ないからさ。地味でごめんね」
「い、いえ……お構いなく」
僕の顎から手を離した深山先輩は、テレビの横にある小さな冷蔵庫へと手を伸ばす。
「水か烏龍茶、どっち?」
「じゃあ、お水で」
「水ね」
ポイっとペットボトルの水が弧を描いて放り投げられる。それを僕は持ち前の反射神経で……取り損ねた。額にペットボトルの蓋の部分が当たって、激痛と共にペットボトルが鈍い音を立てながら床に落ちる。
「痛ッ……」
両手で額を押さえながら蹲ると、深山先輩が慌てて駆け寄ってきた。
「ご、ごめん。セイヤ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃないです……」
どの道駆け寄ることになるなら最初から手渡しして欲しかった。けれど、そんなことを言えるはずもない。
それより、僕の額は本気で大丈夫だろうか。感覚的には血が出ている。救急で脳神経外科、若しくは整形外科、形成外科……どこでも良いから病院に行かなければ。そうしなければ僕は死んでしまう。それくらい痛い。
涙目になっていると、深山先輩が落ちたペットボトルを僕の額に押し付けてきた。それが、皮肉にも丁度よく冷えていて心地良い。
「痛いよね? マジでごめん。わざとじゃないんだ」
「い、いえ、僕がどんくさいだけなんで……」
本気で心配されているようで、調子が狂う。
深山先輩は誰よりも強くて、誰よりも問題児で、誰よりも人を殴ってきたはず。そんな彼がペットボトルが当たっただけでこんなにも動揺して謝罪をするなんて……。
これではまるで良い人みたいではないか。虫も殺せぬ心優しい人みたいではないか。
「深山先輩……虫……」
「え!? 虫!? セイヤ、ちょっとこれ持ってて」
額に当てられたペットボトルを持つよう言われ、戸惑いながらも自分で持つ。どうしたのだろうかと深山先輩の動向を追っていると、棚の上に置いてあった殺虫剤を手に持って周囲を警戒し始めた。
「セイヤ、虫、どこ!?」
「え、む、虫ですか……?」
「見たんでしょ? こういうのはすぐに対処しないと増えちゃうから」
どうやら、虫は殺せるらしい……。
それは分かったが、この落とし前をどう付けようか。思わず口にした『虫』の単語にここまで反応するとは思いもよらなかった。
「あー、見間違いだったみたいです。埃が飛んだのがそう見えただけかも」
「そっか。それなら良かった」
深山先輩が胸を撫で下ろすのを見て、僕もホッと息を吐く。そして、話題は僕の額に戻る。
「これ、傷残ったりしたら、俺の責任だよね」
「だ、大丈夫です。多分、たんこぶ程度ですし」
気持ちは大量出血だが、さっき手に血が付いてなかったのを確認した。虫の一件で痛みもほんの少し飛んでいった。
「とにかく、ベッドで横になる? 安静にしとこう」
「痛いですけど、そこまでじゃ……」
保健室ならともかく、人様のベッドに寝るなんてこれまで一度としてなかった。しかも、深山先輩のベッド……。
(ここで寝たら、ベッド料金取られたりするんじゃ……?)
深山先輩と対立する不良グループからは守ってくれたとしても、深山先輩自身に搾取されるのは変わらないのだ。今日からヨロシク宣言されてしまったのだから。
「もう痛みも治りましたから。大丈夫です」
「大丈夫って言う人は、大丈夫じゃなかったりするのが常だよね」
「いやいやいや、それは確かにありますけど、大丈夫な人も大丈夫って言いますよ」
「まぁ、とにかく休んで。俺のせいでセイヤが死んだら困る」
それは、新しいカモがいなくなるから? なんて聞けるはずもなく、結局深山先輩にベッドへと誘導された。
「頭を打ってから二十四時間は何があるか分かんないんだって。逆に言うと、二十四時間何もなかったら大丈夫」
「そう……なんですね」
二十四時間ここで寝ろと、そういうことだろうか。さすがにそれはないか。
それよりも、深山先輩の匂いが詰まった布団に包まれていると、深山先輩に抱きしめられているようで、恥ずかしくなってきた。顔も赤くなっていること間違いなしだ。
僕は、口元まで隠すようにして掛け布団を少し引っ張った。
「そんなにかけたら、暑くない? まだ、冷房そんな効いてないよ」
「だ、大丈夫です」
暑いが、この顔を見られる方が恥ずかしい。それに、起き上がって見られるのと横になった状態で上から見られるのでは、何故だか後者の方が百倍照れる。
その時、僕は閃いた。
どうせ後からお金を請求されるのなら、いっそ汗で汚してしまおう。それくらいの仕返しをしてもバチは当たらないだろう。それに、クリーニングする手間を考えると、これからこの嫌がらせはしてこなくなるはず。
妙案を思いついてニヤニヤしていると、深山先輩が思い出したように言った。
「そうだ。ゼリー食べる?」
「ゼリー……ですか?」
「帰って食べようと思って、朝作って出たんだよ」
「深山先輩の手作り……」
気になる。あれだけお菓子のレシピ本があるのだ。味は間違いないだろう。
「食べ……たいです」
お金は請求されるのだろうが。
まぁ、これに関しては店で買って食べたと思えば良いか。
――それから僕は、宝石のように輝く水色のゼリーを食べた後、少ししてから解放された。
つまりは、整理整頓が成されていないだけで、ゴミの類はない。飲みかけのペットボトルは、いつのか不明ではあるが……。
「ちょっと待ってて。すぐに片付けるから」
「お構いなく」
片付けを始める深山先輩の邪魔にならないよう、扉の前で待機する。
他人の部屋に入るのは新鮮で、絶対に来たくないと思っていた深山先輩の部屋のはずなのに、ワクワクソワソワしてしまう。
深山先輩が読む本が気になって、さり気なく扉の横にある本棚を見た。
(あれ? お菓子……作るのかな?)
そこに並んでいるのは、ショコラ、クッキー、アップルパイ、更にはホットケーキミックスを使用したアレンジおやつなど様々なお菓子のレシピ本。
見た目に似合わず…………片付けをする深山先輩をチラリと見た。見た目より、噂に似合わずの方がしっくりくる。学校での噂さえ知らなければ、深山先輩は至極柔らかい印象だ。お菓子を作っていても不思議ではない。
「何か気になるのでもあった?」
「あ、い、いえ」
恐縮している僕の横から、深山先輩はベッドに置いてあった小説を棚に戻した。
文庫本の類は全てカバーがしてあって内容は分からないが、問題児が本を読む時点で意外性は半端ない。
「ごめんね。俺BL読まないからさ、置いてないんだよね。今度、揃え」
「揃えとかなくて結構です!」
被せ気味に言えば、クスクスと笑われた。
「な、何がおかしいんですか……」
「ごめん。ムキになるところ、可愛いなぁと思って」
「か、かわ、かわ……」
「顔、真っ赤だよ」
言われなくとも分かっている。そうやって揶揄って、僕で遊んで、キスまでして……。
先程の路地裏での誓いのキスを思い出し、更に顔が熱くなる。しかも、深山先輩のプルンとした唇から目が離せなくなってしまったではないか。
「あ、あの……」
「ん?」
「さっきの、あれ、何だったんですか?」
「さっきの? あれって?」
首を傾げる深山先輩があまりにも普通すぎて苛立ちを覚える。僕はファーストキスを奪われ、こんなにも戸惑い、こんなにもドキドキしているというのに。
「誓いのキ、キスなんて……」
「嫌だった?」
「嫌……じゃないですけど、僕、初めてで……その」
「俺も初めて。世のカップルは、なんでみんなキスするんだろうって不思議だったけど、理由、分かったかも」
そう言って、深山先輩に顎をクイッと持ち上げられた。
「ちょ、せ、先輩……」
その顔が直視出来ず、目線を下にずらす。
二度目のキスも呆気なく奪われるのだろうと覚悟したその時、ニコッと微笑まれた。
「水か烏龍茶、どっちが良い?」
「へ?」
「セイヤの唇カサついてたからさ、喉渇いてるのかなって。生憎、俺んちジュースの類ないからさ。地味でごめんね」
「い、いえ……お構いなく」
僕の顎から手を離した深山先輩は、テレビの横にある小さな冷蔵庫へと手を伸ばす。
「水か烏龍茶、どっち?」
「じゃあ、お水で」
「水ね」
ポイっとペットボトルの水が弧を描いて放り投げられる。それを僕は持ち前の反射神経で……取り損ねた。額にペットボトルの蓋の部分が当たって、激痛と共にペットボトルが鈍い音を立てながら床に落ちる。
「痛ッ……」
両手で額を押さえながら蹲ると、深山先輩が慌てて駆け寄ってきた。
「ご、ごめん。セイヤ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃないです……」
どの道駆け寄ることになるなら最初から手渡しして欲しかった。けれど、そんなことを言えるはずもない。
それより、僕の額は本気で大丈夫だろうか。感覚的には血が出ている。救急で脳神経外科、若しくは整形外科、形成外科……どこでも良いから病院に行かなければ。そうしなければ僕は死んでしまう。それくらい痛い。
涙目になっていると、深山先輩が落ちたペットボトルを僕の額に押し付けてきた。それが、皮肉にも丁度よく冷えていて心地良い。
「痛いよね? マジでごめん。わざとじゃないんだ」
「い、いえ、僕がどんくさいだけなんで……」
本気で心配されているようで、調子が狂う。
深山先輩は誰よりも強くて、誰よりも問題児で、誰よりも人を殴ってきたはず。そんな彼がペットボトルが当たっただけでこんなにも動揺して謝罪をするなんて……。
これではまるで良い人みたいではないか。虫も殺せぬ心優しい人みたいではないか。
「深山先輩……虫……」
「え!? 虫!? セイヤ、ちょっとこれ持ってて」
額に当てられたペットボトルを持つよう言われ、戸惑いながらも自分で持つ。どうしたのだろうかと深山先輩の動向を追っていると、棚の上に置いてあった殺虫剤を手に持って周囲を警戒し始めた。
「セイヤ、虫、どこ!?」
「え、む、虫ですか……?」
「見たんでしょ? こういうのはすぐに対処しないと増えちゃうから」
どうやら、虫は殺せるらしい……。
それは分かったが、この落とし前をどう付けようか。思わず口にした『虫』の単語にここまで反応するとは思いもよらなかった。
「あー、見間違いだったみたいです。埃が飛んだのがそう見えただけかも」
「そっか。それなら良かった」
深山先輩が胸を撫で下ろすのを見て、僕もホッと息を吐く。そして、話題は僕の額に戻る。
「これ、傷残ったりしたら、俺の責任だよね」
「だ、大丈夫です。多分、たんこぶ程度ですし」
気持ちは大量出血だが、さっき手に血が付いてなかったのを確認した。虫の一件で痛みもほんの少し飛んでいった。
「とにかく、ベッドで横になる? 安静にしとこう」
「痛いですけど、そこまでじゃ……」
保健室ならともかく、人様のベッドに寝るなんてこれまで一度としてなかった。しかも、深山先輩のベッド……。
(ここで寝たら、ベッド料金取られたりするんじゃ……?)
深山先輩と対立する不良グループからは守ってくれたとしても、深山先輩自身に搾取されるのは変わらないのだ。今日からヨロシク宣言されてしまったのだから。
「もう痛みも治りましたから。大丈夫です」
「大丈夫って言う人は、大丈夫じゃなかったりするのが常だよね」
「いやいやいや、それは確かにありますけど、大丈夫な人も大丈夫って言いますよ」
「まぁ、とにかく休んで。俺のせいでセイヤが死んだら困る」
それは、新しいカモがいなくなるから? なんて聞けるはずもなく、結局深山先輩にベッドへと誘導された。
「頭を打ってから二十四時間は何があるか分かんないんだって。逆に言うと、二十四時間何もなかったら大丈夫」
「そう……なんですね」
二十四時間ここで寝ろと、そういうことだろうか。さすがにそれはないか。
それよりも、深山先輩の匂いが詰まった布団に包まれていると、深山先輩に抱きしめられているようで、恥ずかしくなってきた。顔も赤くなっていること間違いなしだ。
僕は、口元まで隠すようにして掛け布団を少し引っ張った。
「そんなにかけたら、暑くない? まだ、冷房そんな効いてないよ」
「だ、大丈夫です」
暑いが、この顔を見られる方が恥ずかしい。それに、起き上がって見られるのと横になった状態で上から見られるのでは、何故だか後者の方が百倍照れる。
その時、僕は閃いた。
どうせ後からお金を請求されるのなら、いっそ汗で汚してしまおう。それくらいの仕返しをしてもバチは当たらないだろう。それに、クリーニングする手間を考えると、これからこの嫌がらせはしてこなくなるはず。
妙案を思いついてニヤニヤしていると、深山先輩が思い出したように言った。
「そうだ。ゼリー食べる?」
「ゼリー……ですか?」
「帰って食べようと思って、朝作って出たんだよ」
「深山先輩の手作り……」
気になる。あれだけお菓子のレシピ本があるのだ。味は間違いないだろう。
「食べ……たいです」
お金は請求されるのだろうが。
まぁ、これに関しては店で買って食べたと思えば良いか。
――それから僕は、宝石のように輝く水色のゼリーを食べた後、少ししてから解放された。



