イケメン問題児の先輩に弱みを握られたと思ったら、溺愛され始めました。

 それから三週間の時が過ぎ去った。
 暑い夏も徐々に終わりを迎え、過ごしやすい季節へと移り変わっていく。
 ただ、この季節は天候が不安定になる。今日も今日とて台風情報がネットニュースのトップに上がり、雲行きも怪しくなってきた。
 耕平君と共に歩いて帰っていると、次第にぽつりぽつりとアスファルトに小さな黒いシミが出来始める。
「うわ、雨降るの夜じゃなかった? 俺、傘持って来てないんだけど」
「僕の使う? 良いよ」
 折りたたみ傘を鞄から取り出し、開く。二人で入るには窮屈で、互いの肩は傘から飛び出ている。
「サンキュ。けど、途中からは走るしかないな」
「これ、使って良いよ」
「そんなことしたら、サンタが濡れるだろ。元々これサンタのなんだし。正也がいたらなぁ」
 正也君は吹奏楽部に所属しており、今は部活の真っ最中。そんな正也君と耕平君は家が近所なのだ。正也君なら確実に傘を持っているだろうが、今いないのだからどうしようもない。
「良いよ、これ使って。僕、そろそろ行動に移そうと思ってたところだから」
「行動に移すって……?」
「んー、体育祭の練習? 耕平君、また月曜日にね! バイバイ!」
 耕平君に傘を押し付け、僕は雨の中を駆けだした。
「おい! サンタ!?」
 困惑して僕を呼ぶ耕平君の声が聞こえてくるが、僕は振り返ることなく一直線に走った。公立図書館へと――。

 ◇◆◇◆◇◆◇

 図書館に着いた時には雨脚も強まって、夏用の制服は体に張り付く程びしょ濡れになった。髪の毛なんて癖っ毛だから、雨に濡れてクルクルだ。
 ハンカチで濡れた顔と腕を拭いては見るが、追いつかないのは一目瞭然だ。このまま図書館の中に入るのは流石に良心をやられる。僕は図書館の前に設置されている木製の椅子に座って時間を潰すことにした。
 椅子に座って中の様子を窺えば、カウンターに緑のエプロンを着けた深山先輩の姿を発見した。相変わらず遠目から見てもキラキラと輝いている。しかし、どこか元気がなさそうに見えるのは、ここが図書館だからだろうか。図書館で元気溌剌な姿を見せられた方が怖い。
 僕よりも授業を一時間早く終えた深山先輩は、微塵も濡れた様子はない。それを見て、ふと思う。
「だけど、良く考えたら深山先輩も傘持ってないかも……うわぁ、早まったかな」
 そう、僕は深山先輩の傘に入れてもらう作戦に出ることにしたのだ。
 ――この三週間、僕は何も行動に移さなかった。それは僕に勇気と根性、度胸がないのも勿論ある。しかし、そうではなくて、押し過ぎは逆効果であると本に書いてあったから。
 『月が綺麗ですね』と送った深山先輩からの返事は、肯定的なものと否定的なものの二つだった。つまり、僕のことは好きだけど付き合えない。先日言われたことと同じだ。好きだから別れる……と。
 フラれた原因は分からず仕舞いだが、それでも本に書いてあることが正しいとするなら、相手が少しでも自分に好意を抱いてくれているのであれば、引いている間にその想いはどんどん膨らんでいく。故に、そこを狙うのが効果的だと。
 ただ、引く期間の間隔というのは結構大事で、短すぎるとまたフラれる可能性が大。けれど、開けすぎるのも逆効果で、相手の気持ちは既に整理されてしまった後だったりするらしい。二週間から一ヵ月くらいが丁度良い。
 そんなこんなで、雨に降られたが傘がない為、ここで雨宿りをしているという極自然な状況を今まさに作り出したというわけだ。耕平君様様だ。
 深山先輩のバイトが終わるのが二十時なので、そこまで待つ予定ではあるものの、夜になると台風は更に近付いてくる。予報でも警報級の大雨になる可能性が高いと言っていた。折りたたみ傘で対処できたかどうかは不明であるが、仮に深山先輩も傘を持参していなかった場合、二人して各自の家に走る未来しか見えない。話すらしないまま。
「んー、一旦家に帰って傘を取りに帰るのが良いのかな……けど、長い傘持ってたら、何でそんなに濡れてるのかってなるし。傘あるなら一人で帰れってなりそうだし……んー」
 ぶつぶつと独り言を言っていたら、同じく傘がなくてびしょ濡れになった男子高校生が走ってやってきた。僕がベンチに座っているからか、そこには座らず、その横に立って腕に付いた雨を手で払っている。濡れた黒髪を前から掻き上げた彼は、きりっとした眉が印象的なワイルド系イケメンだ。その系統は違えど、深山先輩と優劣はつけがたい程だ。
(僕もこんなビジュだったら、深山先輩にフラれたりしなかったのかな……)
 そんなことを考えながら彼の動向を観察していると、鞄に付いた校章が目に入った。それは、最近よく耳にする北高の校章。
 よく耳にするというのは、最近頻繁に北高の生徒が我が南高の周りをうろついているのだ。見るからにヤンキーな見た目の彼らは『セイヤ』を探しているらしいが、我が校にいるセイヤは二人。言わずもがな、彼らの探しているセイヤは僕のことなのだろうが、僕はセイヤではないため自ら挙手はしない。幸い、本物の……というのは表現として違うかもしれないが、二人のセイヤの見た目は僕とは似ても似つかない。一人は百八十センチを超える高身長のバスケ部エースの三年生。もう一人は、お腹がぽてっと出たポッチャリ系の肉まんのような二年生。
 僕を探しきれない彼らは、諦めて帰るのだ。僕の顔も覚えられていないようで、モブで良かったと思ったのは初めてだ。これがもし、深山先輩と共に歩いて帰ったりなんてしていたら、一発でバレていたこと間違いなしだ。
(一発で……バレてた?)
 僕は、なんて馬鹿なのだろうか。今更になって気付くとは。
 深山先輩は僕を守ってくれていただけだった。僕を危険に晒さないよう、敢えて僕と距離を取ったのだ。そんなことにも気付けない僕は――――。
 深山先輩の愛情を感じて胸が締め付けられていると、北高の彼が声をかけてきた。
「その制服、濡れててあんま分かんねぇけど、南高?」
「あ、え!? ぼ、僕ですか!? そうですけど……」
 動揺しまくりの僕の横に座って来たので、思わず立ち上がる。
 以前出会ったヤンキー連中とは違うが、逃げなければ。墓穴を掘る前に逃げなければ、深山先輩の優しさを無碍にする結果になってしまう。頭ではそう思うのに、雨が本降りになっていることもあり、体は動かない。
「別に避けなくて良い。俺の方が後から来たんだから」
「は、はい……」
 萎縮しながら恐る恐る座れば、彼は案の定聞いてきた。
「南高に『セイヤ』っていう男いるだろ? 知らねぇ?」
「えっと、背の高い人、ですかね……?」
「そこまで高くないらしい。あと、デブでもねぇ。他に知らねぇ?」
「し、知りません……失礼ですが、そのセイヤ君と、どういったご関係でしょうか」
「三年に深山っているだろ? アイツのダチ……いや、今回は彼氏って言ってたかな。とにかく、深山と仲良くやってるらしいんだよ」
 何故、その深山先輩と仲良くなったら狙われるのか知りたい。知りたいが、聞いたら不審がるだろうか。しかし、深山先輩は北高の人たちのことは濁して教えてくれない。聞くなら今がチャンスかもしれない。
「あの、深山先輩とは……?」
「腐れ縁だな」
「というのは……?」
「聞きたがるねぇ」
「す、すみません」
 鞄を前で抱き抱えるように持ち直し、膝を揃えて縮こまる。すると、僕のクルクルになった頭をワシャワシャと撫でられた。もう肩が跳ねるなんてものではない。心臓が口から飛び出そうだ。
「度胸のあるやつは好きだ」
「度胸なんて……」
「あるだろ。この俺様、北高の番である北原真司を質問攻めにするんだから」
 それを聞いた僕の心臓は、本気で口から飛び出てしまったかもしれない。それくらい、思考は停止した。乾いた笑いが漏れる。
「お前、名前は?」
「ハハハ、名乗るほどの者ではございません」
 人生で二度目かもしれない。お見知り置きになられたくないと、切実に思ったのは。今回は特にだ。噂と違った優しい深山先輩とは話が違う。
「んじゃ、俺が勝手に名前つけてやる。今日からお前はポチだ。俺の」
 僕はその続きの言葉を遮るように大きな声を出す。
「あ、あの! さっきの質問なんですけど!」
 彼と深山先輩との関係も、この際どうでも良い。どうでも良いが、あのまま続きを言わせていたら『俺の犬になれ』と強制的に北原真司の下僕に成り下がること間違いなし。学校は違えど、何をやらされるか分からない。最悪、深山先輩を傷付けるような命令をされるかもしれない。どの道刃向かってボコボコにされるのなら、先に刃向かうまでだ。
「み、深山先輩とあなた……真司さんは、どういった腐れ縁……なんでしょうか」
 刃向かうとは言ったが、尻すぼみ気味になってしまうのは許してほしい。僕はヤンキーでもなければ物語りの主人公でもないのだ。ヤンキー界のトップを名乗る男に虚勢を張る勢いはない。
 そんな弱腰の僕に、真司さんは堂々とした態度で言った。
「深山は、唯一俺に勝った男だ。いや、現在進行形で俺の連敗だ」
「もしかして、勝てないから深山先輩の友人を狙って……?」
「ハハハ、やっぱ南高のやつは頭が良いな。それ言っただけで分かんのか」
 何故だろう。偏差値の低い北高の生徒に言われたからか、いくら歳上に褒められても嬉しくない。
 そして、深山先輩が人を寄せ付けない理由も同時に分かって、胸のモヤモヤが少し晴れた。けれど、このスッキリは難問が解けた爽快感であって、深山先輩がこの男に苦しめられている事実を知って、気分は今の天候のように嵐だ。
「ですが、それで友人を狙うのはどうかと……」
「ポチの分際で、俺に楯突く気か?」
 見下されるように睨まれ、体は仔犬のように震える。
 好きな人の為に論破することも、力尽くでどうにかすることも出来ない自分が情けなくて嫌気がさしてくる。
「僕は、あなたの犬に成り下がった覚えはないですから。僕の名前は聖夜です。聖なる夜と書いてイヴって読みます」
「聖なる夜って、まさか……」
「あなたの探してる『セイヤ』で十中八九間違いないでしょうね」
 僕はどうしてしまったのか。絶対に教えちゃいけない人に正体を明かして。こんなところで殴られでもしたら、深山先輩に迷惑がかかるだけなのに……。
 挑発的に言ったせいで、余計こと真司さんを怒らせたよう。びしょ濡れの胸ぐらを掴まれた。それでも、僕の衝動はおさまりそうにない。
「どうぞ殴って下さい。殴ったところで深山先輩の勝ちは揺るぎませんけどね」
「チッ、言わせておけば……」
 今にも殴りかかって来そうで怖い。身の毛がよだつ程の恐怖を覚える。しかし、何故だか僕と同様に真司さんも震えている。その振り翳された拳が、胸ぐらを掴んでいる手が震えている。そして、その視線は僕ではなく違う方向を向いている。
「間違っていたらすみません。真司さんって、本当は人を殴りたくないんじゃ……ないですか?」
「は? なんで俺が」
「真司さんは、何に怯えてるんですか? ここには、僕ら以外いませんよ?」
 如何にもなセリフを言って、やや照れが生じてしまうのは顔に出さずに我慢する。
 こういう不良には熱血教師が付きもので、こういったセリフも全部彼らのものだ。しかし、生憎ここには僕しかいない。僕なんかの声が彼の胸に届くことは、限りなくゼロに近い。それでも、本心は“痛いのは嫌だ!”と叫んでいる。だから、あわよくばドラマのワンシーンのようなセリフで、どうにかこの場が収まらないだろうかとセコい考えが、僕の脳内の大半を占めている。
 どうやら、そんな浅はかな考えを見抜かれることはなく、むしろ成功してしまったようだ。真司さんは脱力するように僕から手を離した。
「さすが南高だな。全部お見通しか……」
 こんな単純なところが、熱血教師からしたら可愛いのだろう。ほんの少し、将来の夢を高校教師にするのも悪くないと思ってしまった。
 深山先輩へ危害が加わらないのであれば、僕はそれで良い。真司さんの身の上話など八割方興味はないのに、勝手に話し出したので相槌を打ちながら聞くことになった――――。