言いふらしたい僕らの話


 次の日、俺は朝倉の家にお邪魔することになって、朝、コンビニでお菓子を買った。
 人様の家に行くときには、飲み物かお菓子を買って行けと、優雅がよく母さんに言われていたから。
 俺は……そういう機会がないので、言われたことはなかったけど。
「すーえひろっ! 帰ろ?」
「ん! いつでも帰れる!」
 コンポタ味のスナック菓子の袋を見せると、朝倉はにっこり優しく微笑みながら「それ好き」と喜んでくれた。
「……いやおまえら……どしたんよ……?」
 あんぐり口を開けた馬渕は、俺と朝倉を交互に見やって気味悪そうに言う。
「今日、朝倉んち行くんだ!」
「そうなん? じゃ俺も俺もー」
「え」
「だめ、末広しか家には上げないって家訓だから」
「言い過ぎ言い過ぎ!」
 馬渕は冗談めかして、それからふと俺を見て「へーえ」と物思いにふけるような声を出す。
「な、なに」
「これがねぇ……つかおまえ、さっきすげえ嫌な顔したよな?」
「してない! え、してたかな!?」
「そこはとにかく否定しとけよ、バカ」
「バカって言うな!」
 二言目にはバカか能天気って悪口を言ってくるくせに、馬渕の顔はなんだか妙に誇らしげでむかついた。すぐ俺を見下して悦に入るの、ほんとうにやめてほしい。
「はい、おしまい」
「わっ」
 すると突然、黙って言い合いを見ていた朝倉に腕を引っ張られ、席を立たされた。普段とは違う真顔の朝倉に、また、ドクンと心臓が跳ねる。
 そうだよ。せっかく朝倉と二人で遊べるのに、馬渕と無駄話してる場合じゃなかった。
「んじゃ馬渕、達者でな~」
「馬渕、またあし――」
「末広はもう喋っちゃだめ」
「むぐっ」
 朝倉の手に口を塞がれ、馬渕に「またあした」と言えなかった。
「うっぜー!」
 それでも馬渕はひらひら手を振って、にこやかだったからよかったけど。
「急になんだよ、朝倉」
「んー? べつにぃ」
 にこやかに俺を見つめる朝倉は、なんだか太陽とは言えないような、そういう顔を浮かべていた。

 朝倉の家は、学校から電車で二駅先にあるらしい。俺の家とは、学校を挟んで反対方向だ。
「電車、久しぶりに乗ったかも」
 空いていた席に並んで座ると、ふとそんなふうに思った。普段は自転車通学だし、わざわざ電車に乗って出掛けるような用事もないしな。
「ごめんな、ちょっと遠くて」
「遠いって距離でもないだろ」
 とはいえ、あまりこちら方面に来ることはないから、車窓から流れていく景色も新鮮だった。朝倉は夏休み中、この景色を辿って、あの図書館まで来てたのかな。
「……うわ末広、ごめん」
「ん?」
 手の中のスマホを見て、朝倉は顔をしかめる。
「今日、弟見とけって」
「え?」
 それは、つまりキャンセルって意味――?
 心がざわつく。海の泡になって消えてしまいそうなくらいしょげた気持ちだけど、きっと家の人になにかあったのだろうから、俺が落ち込んじゃだめだよな。
「あの、大丈夫?」
「母ちゃんがパートのシフト代わんなきゃいけなくなったらしくて。なんでよりによって今日なんだよー……」
「お母さん、働きに出てるんだ」
「そうそう、週三くらいだけど……って、おいおい、泣くなよ末広?」
「は!? 泣いてねーわ!」
 からかうように、朝倉は俺の目尻に触れてくる。
 たしかに泣きたい気持ちではあるけど、決して泣いてなんかない。俺の涙の泉は、とっくに枯れている。
「弟一緒じゃ、やっぱやだ?」
「え?」
「なるべく末広に迷惑かけないようにするからさ。できればこのまま、一緒に来てほしいんだけど……」
 気まずそうに眉をひそめた朝倉を見て、心がふわりと浮上する。てっきり、今日はキャンセルになる流れなのかと思ったのに。
「いいの……?」
「末広がいいなら。ごめんな、二人じゃないけど」
「全然いい。俺、帰ってって言われるのかと思って……あの、うん。そ、そんな感じ」
 こんなふうに言ったら、また朝倉に弟扱いされる――そう気づいたときにはもう言葉になっていて、手遅れだった。
 案の定、朝倉は小さく笑って「かわいー」っていつものあれを言ってくる。
「ほんと、目おかしい。どこがかわいいの、こんなもさもさしてるの」
「髪、さっぱりしたじゃんよ」
「気づいてたんだ」
 なにも言わなかったくせに……なんて、また俺の皮肉が飛び出しそうになったとき。
 朝倉の大きな瞳が、じっと俺を見つめる。
「……気づくよ、そりゃ。けど馬渕がうるせーから、俺は言う必要ないかなって思っただけ!」
 ぷくっと膨れたほっぺたに、一瞬目を疑った。やっぱりどう考えても『かわいー』のは朝倉のほうだ。こんなあざとい仕草に、一切違和感がないもんな。
「……髪、変じゃない?」
「変じゃない」
 んふ、と変な声が漏れた次の瞬間。
「似合ってる」
 金城大前(きんじょうだいまえ)――金城大前――。
「あ、ここ」
 車内アナウンスとともに、電車の扉が開く。
 朝倉は涼しい顔でスッと立ち上がり、俺より先に歩き出した。俺も慌ててその背中についていくけれど。
 ――似合ってる、って。あんなキメ顔で言うなよ、もう……!
 足元がおぼつかなくって、階段でつまずいた。

「はじめまして、こんにちは! あさくら はるきです! ごさいです! あおばようちえんの、はーとぐみです!」
「あ……は、はじめまして。えと、末広風雅です。十五歳です。港第一高(みなとだいいちこう)の一年二組です……」
「ぜんぶ言うじゃん!」
 朝倉はそう言って笑うけど、こんなにしっかり自己紹介されたら、応えないわけにいかない。
 大人より……というか間違いなく俺よりもしっかりした五歳児が、玄関でお出迎えしてくれたのだ。
「好きなものは、きょーりゅーです!」
「はっ……お、俺もです」
「ほんとっ!? ぼくはアロサウルスがいちばん好き!」
「ああ、いいよね、ジュラ紀の王様だ」
 俺がそう言えば、はるきくんの大きな瞳は、きらきらと輝く。さすがは朝倉の弟だな。光の量が、生まれながらに違う。
晴樹(はるき)、このお兄ちゃん、デイノケイルス描いてくれたお兄ちゃんだよ」
「えっ! そうなの!? あれすごいかっこいいよ!」
「ありがとう……うれしいです」
「はいって、はいって!」
 晴樹くんに腕を引かれ、ローファーを脱ぎ捨てるようになってしまうと、朝倉はすぐさまそれを揃えてくれた。
「あ、ごめ――」
「いやこっちこそ、晴樹の勢いがやばくてごめん……」
 朝倉は、自分が余計なことを言ったばっかりに、なんて気まずそうにしているけど、俺は嬉しいんだけどな。
「あの、嬉しいので、大丈夫だよ。お邪魔します」
「ねーっ! おにーちゃんさぁ! アロサウルスかける!? ぼくもめっちゃうまいからしょーぶしよー!」
 五歳児にずりずり引っ張られている俺に、朝倉は苦笑いを浮かべていた。
「あらあら! こんにちは! ほんとうに今日はごめんなさいねぇ!」
 リビングのほうから駆けてきた朝倉のお母さんは、すごく華やかな人だった。この親にしてこの子あり、というか。
 スタイルもよくてモデルみたいなのに、口調は俺んとこの母さんと同じだから、ちょっとおもしろかったけど。
「こ、こんにちは。お邪魔してます」
「同じクラスの末広。今日ゲームする予定だった」
「やーだ、もう、ほんとにごめんってばー!」
 どうもこれは、朝倉流の嫌味だったらしい。
 俺はぺこりと頭を下げて、晴樹くんに招かれるまま、ふわふわの白いラグの上に座らせてもらう。
「おにーちゃんも好きなのつかってね!」
 そう言って、画用紙と、二十四色の色鉛筆を差し出してくれる晴樹くん。
「……これ、俺も持ってたな」
 苦い記憶がよみがえって、けれど紙に向き合えば、すっかり忘れた。
 アロサウルス、描こう。
「あと二時間もすればパパが帰ってくると思うから、ごめんだけど、ハルのことよろしくね」
「ん、わかった。気をつけてね」
「ハルも! お兄ちゃんたち困らせないようにね!」
「はぁい」
「聞いてんのー!?」
「きいてるってばぁ」
 絵を描く手を止めずに返事をするの、俺もよく母さんに注意されたな。
 さすがに俺のほうが大人なので、のそりと立ち上がって、朝倉のお母さんに挨拶をした。
 すると朝倉のお母さんは、「おかまいなくー……」と呟きながら、じいっと目を合わせてくる。朝倉がよくやるあれと同じだ。俺はやっぱり、うっと固まってしまう。
「なんか末広くんってこう……アンニュイね。うちにはいないタイプだわ」
「だろ、かわいいんだよ末広は」
「なに言って――」
「わかる。母性本能をくすぐるタイプ」
 綺麗な顔が二つ、揃っておかしなことを言っている。真顔の迫力が凄まじいので、ぜひやめてほしい。
「ねー! おにーちゃんのアロサウルスさぁ! なんでうんこいろなの!?」
「えっ!?」
「こら、ハル! うんことか言わないっ!」
 朝倉のお母さんはその声を最後に、仕事へと向かっていった。
 ――う、うんこ色……まあたしかに、晴樹くんの描いたレインボーに比べたら相当地味だけど……。
「ごめん末広! 五歳児だから! そういうの好きなんだよ……!」
 朝倉はいいお兄ちゃんだな。俺は優雅のために頭を下げてやったことなんて、ただの一度もないと思う。
「全然。むしろ新しい発見というか」
「え?」
「こう……凝り固まってたんだなと気づかされた」
「アーティストだな末広……」
「バカにしてんだろ?」
「してない、してない!」
 無邪気に笑う朝倉にうっかり見惚(みと)れていると、かわいい声で「なかよしだねぇ」なんて聞こえてきて、火を噴くところだった。
「そ、それより、ハルくんのアロサウルスは七色で美しいね」
 なるべく丁寧な言葉遣いで褒めたつもりだけど、ハルくんはきょとんとした顔で俺を見つめている。
「……そーだろ! うつくしーんだ!」
 あ、美しい、が、ぴんとこなかったのか。
「えと、綺麗だね。こんなふうだったら、きっと食べられても本望だ」
「ほんもう……?」
「またやったわ」
 キッチンで飲み物を用意してくれている朝倉に助けを求めると「ドンマイ」と気のないなぐさめが返ってくる。
「末広もハルと話せば賢そうに見えるな、さすがに」
「まじで失礼すぎる」
「あは! どうしよハル、おにーちゃん怒ってら」
「おこってないよ、うれしそーだもん!」
 ……うん。ハルくんの言うとおりだ。俺は今、とっても嬉しい。
 朝倉とこうして二人で話せることが、嬉しくてたまらないんだけど……五歳児にまで丸わかりっていうのは、ちょっと誤算。恥ずかしくって、今は朝倉のほう向けない。
「あれ、おにーちゃん、なまえなんだっけ! しょうまだっけ!」
「惜しいな、風雅だよ」
「ふーが! ふーがさぁ!」
「こら、ハル! 風雅クンにしろ、せめて。いや末広クンだ、末広クン。言ってみ」
「すえひろくん」
 ――め、めろい……。
 膝の上にハルくんを乗っけた朝倉も、朝倉の膝の上でちみっと丸まってるハルくんも、めろすぎる。
 俺の手は意図せず目の前の白い紙へと向かう。
 この美形兄弟のめろすぎる光景は、後世に残さなければいけない――そんな使命感に駆られて。
「ほら、もっかい、せーの?」
「ふーが!」
「ちげーって、末広クン!」
「ふーがでいいじゃん! ふーが、ふーが!」
「やめろ、俺もまだ末広って呼んでんだから!」
 ――なにを言ってんだ、朝倉は。べつに末広でも風雅でも、どっちでもいいわ。
 心の内を声に出すこともなく、俺の手は二人を描き続ける。
「えーっ! ふーがやばい! おにいちゃん、みて!」
「んー?」
「いや、まだ……」
 制止の声も聞かず、もちっとした無垢(むく)な手は、俺の手元から画用紙を抜き取っていく。
「ふーが、じょーずすぎ! せんせーにほめてもらえるよ!」
「そ、そう? もう今はあんまり褒められないけど」
「なんでぇ?」
「なんでだろう、お絵かきしちゃだめな時間にもしちゃうからかな」
 いや俺、なに五歳児に人生相談しようとしてんだ。
「それはだめだね、やることはやらなきゃ」
 すると、どこかで聞いた覚えのある言葉が返ってきた。……これ前、朝倉に言われたんだ。テストで赤点取ったとき。
 俺はチビ朝倉に「すみません」と深々と頭を下げ、描き途中の画用紙を、大きい方の朝倉から取り上げようとした。
「だめ」
「は? まだ途中なんだけど」
「これでいい、これ以上はだめ」
 朝倉はぼーっとした顔で、描き途中のそれを眺め続けている。
 人物を描くのは苦手だけど、この絵にはそれなりに自信があったのに。やっぱり恐竜以外は才能ないな、俺。
「おにーちゃん、ふーがおこってるよ」
「んー……でもこれは、だめ」
「あーあ、きらわれちゃう」
 ぷうっと頬を膨らませたハルくんの顔は、さっきの電車での朝倉にそっくりだった。だから描きたかったのにな。
 結局その画用紙は朝倉に隠されてしまい、俺の手には戻ってこなかった。

 それからしばらく、三人でお絵かきをしたり、カルタをして遊んでいると、朝倉のお父さんが帰ってきた。
 穏やかで優しそうな雰囲気は、一軍の中心にいても威圧感のない、朝倉と似ている気がする。
「今日は本当にありがとうね、末広くん。ほら、ハルも! ちゃんとお礼言いなさい!」
 朝倉パパにそう促されても、ハルくんはクッションに顔を埋めて、丸まったままだ。
 現在、大変光栄なことに、「まだかえらないで!」と駄々をこねられている。朝倉いわく「おねむ」で、普段よりわがままモードに入っているらしい。
「また遊んでね、ハルくん」
 俺がそう言うと、ハルくんは顔は突っ伏したままで「いつ?」と迫ってくる。
「いつでも暇だから、また遊ぼう」
「ねえ、ぜったいだよ! すぐだよ! ふーが!」
「だから、ふーがじゃなくて末広クンな!?」
 朝倉ってば、案外上下関係に厳しい系なんだろうか。俺はべつにどっちでもいいし、五歳児相手にそんなにムキにならなくても……。
「父さん、ごめんけど、末広送ってきてもいい?」
「もちろん! 末広くん、今日はほんとうにありがとうね。このお礼はまた改めて! 必ずさせて!」
「いやほんとに……そんなに大したことしてないんで……」
「ふーがぁ……! やくそくだからねぇ!」
 目に涙をいっぱい溜めたハルくんにも、朝倉は小声で「末広クンだっつうの」とツッコんでいて、さすがに笑ってしまった。
 玄関を出ると、外はすでに日が落ちて、暗くなり始めていた。
 幻想的な紫色の空の下、駅までの道を朝倉と二人で歩く。
「今日まじでありがとね、疲れたっしょ」
 と言ってる朝倉のほうが、なんだか疲れてみえる……それともハルくんと一緒で、おねむか。
「おねむ?」
「ちげーわ!」
 あ、戻った。
「疲れてないよ、楽しかった。ほんとに」
「ならいいけど! ハルも超はしゃいでたな、うるさかったろ」
「かわいかったよ。俺、子どもと関わったことなかったけど、恐竜って共通の話題があってよかった」
「うんこ色のアロサウルスな」
「次はラメできらっきらのアロサウルを描くわ」
「末広っぽくなぁ!」
 こうして軽口を叩きあって、中身なんてほとんどない会話を交わすこの時間が、俺にはすごく大切だ。そう実感していた。
 いつも周りを見渡して、どいつもこいつも、なにをそんなに話すことがあるんだろう、なんて神経を疑うこともあったけれど。今ならわかる。
 友達、って、いくら一緒にいても、話しても話しても、全然足りないものなんだな。
「てかあれ、もらっていいよね?」
「ん? ……あ、今日描いたやつ?」
「そう。俺と、ハルのやつ」
 不意に朝倉の肩が、俺の肩に触れる。また離れてくのかなと思えば、ぴったりくっついたままだ。
「……なんか怒ってる? 拗ねてる?」
「はぁ? 拗ねてねえよ」
 なんとなく、朝倉が触れてくるときって、怒ってたり、いじけてたり、疲れてたり、そういう負の感情のときが多いのかなと思っていたけど。違ったか。
「もらってくれるなら全然。あれ途中だけど」
 ほんとはコレクションにしようと思ってました、とは言えない。
「……ありがと」
「なんで最後まで描いちゃだめなの? 下手だから嫌だった?」
「下手じゃねえだろ。こう、嫌っつうかさー……」
 と言って、口ごもってしまった朝倉。()かしたいわけじゃないけど、高架下まで来てしまったから、もうすぐ駅に着いてしまう。
「嫌なら、もう描かないので……ごめんな」
「ちがくて!」
 二人揃って足を止めたとき、ちょうど上を電車が通って、朝倉の声は一層大きくなる。
「俺とハル、どうだった!」
「どう……どう?」
 どう、ってなんだ。
「似てる。チビ朝倉。めろい」
 よくわからないので、今日感じたことを馬鹿正直に述べていた。
 それが気に入らなかったのかな、朝倉は眉を引き下げて、見たことのない顔で俺を見つめている。――心が引っ張られる。今夜夢にも出てきそうなくらい。
「な、なに!? ごめん! 泣かないで!」
「はぁ!? 泣かねえよ! なに言ってんの!」
 咄嗟(とっさ)に掴んだ腕は、べつに震えてなんてなかった。よくよく観察した顔も、今ではすっかり元通りだ。
「……ごめん、なんか泣きそうに見えた。しゃっくりした?」
「してねえわ、まじでおもれー男すぎ、末広」
 いつもと変わらない朗らかな笑顔のまま、朝倉は言った。
「俺とハル、血繋がってねーんだよ」
「へ」
「連れ子同士ってやつ。俺の母ちゃんと、ハルの父さんが再婚して……もう二年前か。あっ、変な気遣うなよ? むしろ俺は嬉しいからさ」
 そういう話はたぶん、めずらしい話じゃないんだと思う。けど、俺自身は初めて聞いた話だったので、どう反応すればいいのかわからなかった。
「黙っててごめんな」
「べつに謝ることじゃないだろ」
 と反射的に言い返してしまったけど、友達というのは、そういうことまで話すのが普通なんだろうか。万年ぼっちの俺には、わからない。
 けど、朝倉とハルくんの血が繋がっていても、いなくても、俺は朝倉と友達でいたいんだから、やっぱり俺に謝る必要はないと思った。
「……今日末広が描いてくれた絵、嬉しかったよ。嬉しかったけど、俺とハルのこと、すげー似せて描いてくれてたじゃん。それが、うーん……なんつうか、騙してるみたいで嫌でさ」
 もしかして、それで続きを描いちゃだめと言われたのか?
「いや、俺は似せたわけじゃなくて、見たまんま描いてるよ」
 当然だ。俺にそんな粋な心遣い、できるわけがないだろ。
 そもそも人間なんて描き慣れてないから、似せるとか、そういう技術だってない。俺が恐竜以外は上手く描けないこと、朝倉は知っているはずなのにな。
「……ありがとな、末広」
「やめろ、なんか悟った感じにしないで!」
「ほんと、さんきゅ……」
「やめろて!」
 わざとらしくふざけてくる朝倉の肩を叩くと、「いってえ」なんて言いながら、くるりと背を向けられてしまった。朝倉はそのまま歩き出し、俺もそれに渋々ついていく。
 いつもはたくましく見える背中が、なんだか今は、やけに小さく目に映る。
「……似てたよ、ほんとに。それが朝倉にとっていいことなのか、そうじゃないことなのかは、俺にはわかんないけど」
 まとう雰囲気が一緒だった。笑った顔に面影があった。言ってることだって、一緒だったし。
「ハルくんに言われたよ。やることはやらなきゃ、って。朝倉にもそうやって叱られたことあるもん」
「あったか、そんなこと?」
「あったよ!」
 覚えてろよ、そこは。
「あとほっぺ、ぷくってするのも一緒。今日電車で朝倉もやってた」
「やってない、そんなあざといこと」
「無意識かよ、なおあざといわ」
 ポケットのなかで、スマホが震えている。長さ的にきっと電話で、電話をかけてくる相手なんて母さんしかいない。夕飯の時間過ぎてますけど! ってお怒りの電話だろう。
 けど、今はそれどころじゃない。
 朝倉の足が、ぴたっと止まった。きっと、なにか言おうとしているんだ。だから、黙って待ちたい。
「……俺、あんなお兄ちゃんの顔、ほんとにできてんの?」
「見たまんま描いたって。それに、朝倉はいいお兄ちゃんだよ」
 弟のために謝れる。弟と仲良く遊べる。弟の好きなもの、一緒に好きになろうとしてる。そんなの誰が見たって、いいお兄ちゃんに決まってるだろ。
 俺は一度だって、優雅にそんなことしてやった覚えはないぞ。
「……そんなの先輩に言われちゃ、信じるしかねーじゃん」
「え? 先輩?」
「お兄ちゃん歴は末広のが長いだろ、だから先輩!」
 振り向いた朝倉は、にっと白い歯を見せ、まぶしく笑っていた。
 騙しているとか、似てるとか似てないとか、朝倉の気にしていることは、やっぱり俺にはよくわからない。
 けど、朝倉が初めて弟のことを話してくれたとき、俺はたしかに(うらや)んだんだ。朝倉の弟のことを。あんなふうに家族に自慢されるの、きっと嬉しいだろうな、いいなぁ、って。
 なんか、それで十分だろ、と思う。朝倉はいいお兄ちゃんだ。
「……いい子、いい子」
 風に揺らされてる朝倉の髪の毛に、気づけば手を伸ばしていた。
「は? まじ哀れみとかいらねんですけど!」
 お気に召さなかったらしく、朝倉はぷいっと顔を背けてまた歩き出してしまう。俺はそれを追いかけて、()りずに手を伸ばした。
「やーめーろー。かわいそうとか、不憫(ふびん)とか思われんのが一番やなんだよ!」
「思ってねーわ、んなこと」
 思うわけないだろ。内情はどうであれ、今日俺がこの目で見た朝倉家は、まごうことなき陽の家族で、そこに朝倉がいるのが、ごく自然にしか見えなかったんだから。
「先輩だから褒めてやってんの、毎日お兄ちゃんやっててえらいねーって」
「……はー?」
「朝倉、いい子いい子~」
 ここぞとばかりに、頭を撫でまわした。いつもの仕返しでもあるし、朝倉の髪の毛はやわらかくてさらさらで、気持ちいい。ずっと触っていたくなる。
「いい加減にしろ!」
 ぴしゃりと言い放たれ、調子の良かった俺の左手は、朝倉の手に捕えられた。
 ぺいっと放り投げられるのかと思いきや、朝倉はじっくり、俺の手のひらを観察している。
「え、なんかやめて、変な汗噴き出してくる……!」
「ふぅーん、なるほど、これがあの、末広先生の黄金の左手ですかぁ」
 ――あなたの左手は『悪い子』ね!
 一瞬、色んな大人の声が頭を駆け巡った。
 俺の悪い左手を、朝倉は冗談でも『黄金』なんて言ってくれるのか。
「……もー、やめろって!」
「ふむふむ」
「くすぐってー!」
 手相をなぞるように指を()わされ、運命線がないとか、モテ線がないとか、当たってんのか嘘なのかよくわからないけど、朝倉はとにかく良くないことばかりを言ってきやがる。
 それでも俺は、悲しくはなかった。この喉奥のひりつきは、悲しさじゃないと思う。
 だって今なら俺、世界中の人に優しくできそうなくらい、心があったかい。
 ――あーあ……なんか帰りたくないなぁ。
「もう駅着いちゃう」
 ぱっと顔を見合わせた。朝倉と、声が重なったから。
「……こっち、ちょっとぐるってしてから、帰る?」
 朝倉の名案に即座に頷いて、俺たちは改札口に背を向けた。
 俺はまだ一緒にいたかったけど、朝倉もそう思ってくれてたのかな。それなら――嬉しいな。
「でも待って。これは連行されるみたいでやだわ!」
 まだ一緒にいられるのは嬉しいけど、手首を捕まえられたままっていうのは、ちょっとかっこ悪い。それにさっきからずっと、握られた手首が熱くて落ち着かないんだ。
 けれどそんな俺の抗議は「だめー」の一言で、あっけなく却下されてしまう。
 いくら腕をぶんぶん振って抵抗しても、朝倉はおもしろそうに笑うばかりだ。
「そんなにこれ、やなの?」
「やだよ! なんか俺が悪いことしたみたいじゃん!」
「ふはっ……じゃー……恋人繋ぎでもしちゃう?」
 朝倉は、まるで、いたずらにでも誘う子どもみたいな聞き方をしてきた。
「なに言ってんの、するなら友達繋ぎだろーが」
 いや『友達繋ぎ』なんてあるのか知らないけど。恋人繋ぎは恋人に取っておかなきゃ……いけない、よな?
「朝倉?」
 あれ。さっきまでの明るい笑い声が、消えた。また朝倉の顔が曇る。
「やっぱおねむ……?」
「ちげーわ」
 結局この……連行繋ぎ?のまま、俺たちは駅の周りを三周もした。
 最初はかっこ悪くて情けなくて、ちょっと気恥ずかしかったはずなのに。
 改札前でその手が離れていくとき、俺は「あともう一周」と喉元まで出かかって、なんとかぎゅっと吞み込んだ。
 もちろん、家に着くなりこっぴどく母さんに叱られたのは、言うまでもないことだけど。その間もずっと、俺は手首に残る朝倉の(ぬく)もりを探して、探して、それでまた「聞いてんの!?」と、母さんを怒らせてしまった。