俺の描く恐竜って、世界で一番美しい――。
結局、その気持ちがなによりも勝ってしまう。
だから、俺の左手は『悪い子』と呼ばれてきた。親も、先生も、たくさんの大人を困らせてきた『悪い』左手。
十歳のとき、とうとう母さんが泣いた。
授業中も、休み時間も、食事の時間や寝る時間さえ気にせず、俺の左手は恐竜を描き続けていたから。
二十四色の色鉛筆とスケッチブックが、燃えるゴミに投げ入れられたあの日。さすがの俺も変わりたいと、たしかに思ったはずなんだけれど。
高校一年生になった俺の左手は、いまだにノートの片隅に恐竜の絵を描き続けている。
いよいよ誰もが諦めて、俺の周りは静かになった。
しょうもないけどこれが俺の人生、恐竜だけを愛し抜こう――なんて悟りをひらき始めている、今日この頃。
「えっ、まって、それバジャダサウルス!?」
授業中、プリントを回してきた前の席の陽キャは、俺の落書きに目をまあるくしていた。
好奇心旺盛。とってもいいことだと思うけど。そのでかい声は、勘弁してほしい。
「こらー、末広。また恐竜描いてんのか」
ほらみろ。教師は板書の手をとめ、でかい声を出した陽キャじゃなく、俺を注意してくる。
わざわざ『恐竜』と指摘するあたりで、あいつも俺をバカにしている。
「すみませ……」
「せんせー、違う違う! 今は末広なんもしてなかった! 俺が勝手に見ただけだからー」
――はぁ?
陽キャの爽やかスマイルに、嫌な予感が募る。
まさかこのあと『さっきは庇ってやっただろ』なんていらない恩を押し付けられて、一軍たちのパシリにでも使われるんだろうか。
そんなの、さすがの俺でもごめんすぎるぞ。
見た目は地味で、性格は大人しい……というか、そもそも人と話す機会がないから、そう思われている。
そんなわけだから、周りには真面目そうに見られるけど、実際は授業も聞かず落書きにふけり、板書が間に合わないことも数えきれない。当然、成績も良くない。
いたって不真面目のバカなので、それがバレると、なんとなくクラスの笑い者になりがちだ。
入学して二か月、その片鱗は見え始めている。
これがその決定打になるのかな、なんて恨めしい気持ちで、陽キャを睨みつけた。
「ごめんな、末広」
けれど、ひそやかな声でそう囁いた陽キャは、なんていうか、うん。
悔しいけど、綺麗、だった。
その日の放課後。
陽キャは一切の邪気を感じさせない笑みで、俺の机をがたがたと揺すりまくっている。
「なあなあ、末広! さっきのもっかい見せてよ!」
「え……やだ」
「なんで!? 超上手いじゃん! ね、おねがい!」
どこからともなく、くすくす笑う女子の声が聞こえてくる。
これだから陽キャは――。
「やだってば、ていうか、ただの落書きだから!」
「落書きってレベルじゃないっしょ! ねー、おーねーがーいー」
じゃれつくような甘えた声。……こいつ、自分の顔がいいことを自覚しているタイプだな。俺のようなボサボサ頭の地味男子が真似したら、空気が凍るぞ。
「無理無理無理」
「……末広のけちっ」
「はぁ!?」
けちっ、っておまえ、子どもかよ。
「うみー。博士クンはいーから、早く帰ろーぜ」
「うみってほんと物好きよなぁ」
「純粋だから、うみんちゅは~」
奇妙なあだ名で女子が呼ぶと、陽キャは「その呼び方やめろって!」なんて真面目に取り合ってやがる。
そういうのはよそでやってほしい。俺を巻き込むな。
「ほら、呼ばれてんじゃん」
という言葉の中に『俺にかまうな』の意味も込めたつもりだったんだけど。
「末広はまだ帰んないの?」
「俺のことはいいって」
「んー、じゃあ、一緒にカラオケ行かね?」
「行かねーよ」
――全然伝わってない。
大体どこをどう見たら、俺がその誘いに乗る人間に見えるんだろうか。
「あは、末広って喋るとおもれー男」
それはおまえだ、うみんちゅ。
「明日は絶対見せろよなー」
去り際にびしっと指を指され、ファンサかよと心の中で吐き捨てた。
もうそれくらい、真っ当にかっこよかったものだから、つい。アイドルみたいなやつだな、うみんちゅ。
彼らが教室を去り、一人残された俺の手は、ノートの余白を探していた。
つややかな黒髪。無造作に遊ばせたトップの毛が、ちょっとティラノの羽毛っぽい。
それから、幅の広いくっきり二重。きらっと輝く潤いのある瞳。それを縁取る、下向き加減の長いまつ毛。
「……あー……こうじゃないな」
下まつ毛の存在感、出し過ぎた。ここまで浮世離れした感じじゃなくて。
もう少し人間味のある、親しみやすさも兼ね備えた綺麗な顔立ちだ。
鼻筋はすっと通っていて、唇はやや薄め。口角は上じゃなく横に引っ張るタイプの笑い方だったな――。
「――って、俺、なにしてんだ……?」
問いかけに返事なんてあるわけもない。あったら困る。こんなの、誰にも見られたくない。
ノートの余白に恐竜以外のものを描いてしまったのは、それが初めてだった。
翌朝。昇降口でぱちっと目が合ってしまったのが、たぶんまずかった。
「あ! すーえーひーろー!」
「げっ……」
ぶんぶんと大きく手を振りながら、うみんちゅが駆け寄ってくる。
「おはー! ちょうどよかった! なあなあ、これ! これ描いてよ!」
「声でけーって……聞こえてるから」
もう目の前にいるっていうのに、声量がおかしい。圧が強すぎる。
「え、末広って低血圧? めんごめんご」
低血圧じゃなくたって、朝からその陽キャ全開のテンションはきついわ。
さっさと上履きに履き替えて、この場を去りたいところだけど。ちらちらと視界に映りこんでくる、うみんちゅのスマホが気になってしかたない。
その画面には、見覚えのあるアイツが映っているから。
「でさ? これ、描いてほしーんだけど!」
ずい、と差し出されたその画面に映るのは、やっぱり。
「……デイノケイルス」
「正解ーっ! こいつやっぱ恐竜界で人気なの? かわいーよな、この指!」
「ゆ、指……? ああ、まあ、たしかに……」
恐竜の羽毛の色は、あくまで想像の域を出ないものらしい。けれどデイノケイルスは、淡いピンクのグラデーションカラーで表現されることが多い恐竜だ。
ふわふわしていて、まるで着ぐるみのような、結構かわいらしい見た目をしている。うみんちゅの持っている画像もそうだ。
だからかわいいといえば、その見た目だろうと予想していたのに。
「……指か」
よく見てんな、と思った。
昨日俺が落書きしていたバジャダサウルスも、メジャーな恐竜ではないし、うみんちゅもひょっとして同類……だったりして。
いやないか、陽キャだもんな。
「末広が笑ってんの初めて見た! かわいー顔すんのなぁ」
「……なんて?」
「うわ、なに? かわいいって地雷?」
「ちげーよ、うみんちゅの目やべえなって話」
「うみんちゅ!? なんで末広までその呼び方すんだよ! やめろよ!」
「あはは、うみんちゅ」
「やーめーろー!」
うみんちゅは、なんのためらいもなく、俺の腕に頭突きをお見舞いしてくる。
こんなの女子からしたら、母性本能くすぐられてたまったもんじゃないと思う。罪な男だな、うみんちゅ……。
「てか末広ってさ、俺の名前知ってる?」
「ん……?」
ぎくっとした。『うみ』と呼ばれている陽キャ。としか、俺はうみんちゅのことを知らない。
人間に興味がないので、人の名前とかあまり覚えられないたちだ。
けれど、なんとなく期待のこもった視線に、そうはっきり告げるのも……良心が痛むというか。
「えーと……」
ちょうどそのとき、廊下にチャイムが鳴り響いた。
「あっほら、予鈴だ」
「うわ! 誤魔化してんだろ!」
「違う違う」
「じゃあ言ってみろよー!」
「うみ、だろ?」
「……名字は?」
げ、うみって名前なのか……。『海野』とか、そんな名字なのかと思ってた。
たしか入学した頃、廊下側の列の、前の方に座っていたはずだ。
だからたぶん、あ行のはず……。
「い、いしだ?」
「はい、ぶっぶー! 誰それ! 『いしだ』なんてうちのクラスにいねーよ!」
――あれ、まじか……。
俺の頭の中のクラス名簿は、中学時代からアップデートされていないらしい。
いしだ、いなかったか……。
「朝倉! 朝倉海だよ!」
あさくら、うみ?
「……名は体をあらわす、だっけ」
「え?」
「すげー、綺麗。うみんちゅのための名前って感じだな」
言ったそばから、バカ丸出しの反応だなと後悔した。そりゃそうだろ、自分の名前なんだから。他の誰のものでもないわ。
「ごめん、俺なに言ってんだろ」
「……ううん、いい。やっぱ末広ってなんかいいわ!」
「は?」
うみんちゅは朗らかな笑顔で、肩に腕を回してくる。もう教室は、すぐ目の前だっていうのに。
「もう教室着くけど……」
「ん? べつに、席前後じゃん」
「そうじゃなくて」
なにこれ、陽キャって肩組んで登校するのが普通なわけ? 俺にはちょっと理解しがたい文化で、びっくりなんだけど。
べつに俺たち、友達でもないのに……。
「末広、俺たち友達になろ?」
「……でた……」
昨日、恐竜を見せろとせがんできたときと同じ、甘えた声だ。
「俺と友達になってもいいことないよ」
「あるだろ! 恐竜描いてもらう!」
「打算……」
「いいことないとか、末広が言うからじゃん。打算じゃないよ、プレゼンプレゼン」
どうしてうみんちゅ……じゃなくて、朝倉は、こんなに恐竜にこだわるんだろう。わざわざ俺と友達になってまで描いてほしいなんて、相当な物好き……いや、やっぱり同類?
その質問をしようとしたところで、教室に着いてしまった。
朝倉の腕は、俺の肩に回されたままだ。
同じくらいの背丈ではあるけれど、朝倉はオーラのせいか、自分よりも随分たくましく見える。それに朝倉の輝きのせいで、俺の影はいつも以上に濃くなっているような気がした。
「うみんちゅ~おっはー!」
「うみー、おはよー」
「え、なんで博士クンと一緒なの!」
一歩足を踏み入れただけで、あちこちから声のかかる朝倉。
一方、俺に挨拶してくれるクラスメイトなんて一人もいないし、それどころか『博士クン』なんてちっともふさわしくないあだ名で、草を生やされる始末だ。
「博士クン、じゃねーだろ、末広な!」
朝倉は俺の後頭部をくしゃくしゃにしながら、一軍陽キャたちにそう主張してくれる。
陽キャたちは、めんどくさそうな顔で、へらっと笑っておしまいだ。
「べつにいいのに」
朝倉の立場を心配しているわけじゃない。問題は俺のほうだ。
陰キャのくせに――という目で方々から鋭く睨みつけられる未来が、簡単に想像できてしまう。
「なに、博士クンってあだ名、気に入ってんの?」
前の席に着いて、朝倉は背を向けたまま俺にそう問いかける。
「……気に入ってはない、けど」
誰がいつからそう呼び始めたのかは、よく覚えていない。けど、人の話も聞かず恐竜ばかり描いているから、オタク、のような意味合いで『博士』と揶揄されているのだろうと思っている。
別に博士クンと呼ばれること自体に、嫌悪感はないんだけど。
ただ俺は、恐竜の見てくれに魅了されているだけだから、博士ではないよな、と思うだけだ。
「俺、博士って呼ばれるほど恐竜に詳しくないし」
たとえば中学の社会科見学で、国立博物館に行ったときもそうだった。
先生は、これぞこの子の得意分野! とばかりに、俺に質問を投げかけてきたけど、答えられたのは『ジュラ紀』『白亜紀』の二単語くらいなものだ。
化石も地層も、生命の進化も。俺にとっては、どうでもいい。
「あは、そこなの、気にするとこ!」
振り向いた朝倉は、にっと白い歯を見せて、俺の机をこつんと叩く。
「ま、気に入ってないならもう呼ばせないよ、あいつらに」
「いいってば、そういうの」
「だーめ、もう末広は俺の友達だから!」
朝倉は無邪気にそう言って、すっかり前に向き直ってしまった。
それからあっという間に陽キャ軍団に囲まれて、俺に反論する隙はない。
――変な奴……。そんなに恐竜を描いてほしいなら、美術部の奴にでも頼めばいいのに。
けれど俺の手は、ノートの余白を探していた。
頭に思い浮かべるのは、今朝、朝倉が見せてきたデイノケイルスの画像。
あまり使わないピンク色の蛍光ペンを取り出すと、俺の世界にはまた、恐竜しかいなくなる。
二時間目が終わり、次の選択授業に向けて各自が移動を始めていた。
陽キャ軍団が体操服片手に教室を出て行ったのを確認してから、つん、と朝倉の背中を突く。
俺は美術を選択していて、朝倉も同じだということは知っている。どちらかといえば俺みたいなのが多数の授業で、そこに一人紛れ込んだ陽キャの朝倉は、なにかと目立つのだ。
「ん? ……あ、すっげー! もう描いてくれたの!?」
ガタッと椅子から立ち上がり、朝倉は大袈裟なくらいにはしゃいでいる。
「こんなんでいい? 気になるとこあれば直すけど……」
「いや最高っしょ! まじですごいわぁ、ほんとに動き出しそう!」
目をきらきらと輝かせて、それをスマホのカメラに収めてくれる朝倉。
「……ありがと」
言葉にすると、なんだかじわりと背中が熱くなる。
こんなことで恥ずかしくなっている自分が恥ずかしくて、そそくさと教室を後にしようとすると、朝倉はごく自然に俺の隣に並んできた。
……え、美術室まで一緒に行くのか?
「こちらこそ、ありがと! でもあれだぜ? これ描いたから友達おしまいとかないかんね?」
「なんだそりゃ」
始めたつもりはないけど、おしまい、の判断をするとしたら、それは俺じゃなくて朝倉だろ。どう考えても。
「……やっぱ末広の笑い方かわいーよ、ハムスターみたい」
「ハムスターって笑うの」
「概念! 概念の話だよ!」
そのあとも朝倉は「リスとか」「モモンガもそう」なんて、決して小柄ではない俺に対して、なぜか小動物ばかり当てはめてくる。
「なんでちっこいのばっかりなんだよ」
「なんつーのかなぁ、枝豆食べてほしい系男子?」
「え、えだまめ……?」
「しかもあれね、殻ついてるやつ。剥いてあるのはだめよ?」
なにを言ってんだ、この陽キャは。
「……朝倉って見かけによらず、だいぶ様子おかしいのな」
「様子おかしいってなんだよ!」
爽やかな笑顔がまぶしい。真っ当なイケメン。
けど『枝豆食べてほしい系男子』なんて属性、今初めて聞いたし。
「おもれー男じゃん、朝倉も」
昨日、朝倉は俺にそう言ったけど。俺だってそう思う。
学校中の人気者で、陽キャ一軍の中心メンバー。できれば関わり合いになりたくない、おっかない人種だと思ってたのに。
朝倉は、こんな俺とも普通に接してくれる。俺の描いた恐竜に、目を輝かせてくれる。そんなの、おもれー男でしかないと思う。
「そんな褒めんなよ、照れんだろ?」
「褒め……? まあ、褒めて、る、か」
「素直に認めんなよ、はずいわ!」
朝倉のツッコミが綺麗に決まったところで、美術室に着いた。
今日の授業では、果物のデッサンをするらしい。どうせなら恐竜のフィギュアでも持ってきてくれればいいのになぁ、と、単調なブドウの房を眺めながら思っていた。
「末広くんは、恐竜じゃないと本領発揮しないねぇ」
「あ、すみません……」
「集中力じゃないのかな、画力は間違いないんだし」
「はあ……」
先生はそう言うけれど、これは今に始まったことでもない。
昔から恐竜以外のデッサンは、人並み以下だ。展覧会に選ばれたり、賞をもらったりしたのも、恐竜以外では経験がなかった。
親も、先生も、俺と関わった大人たちはみんな。どうにかしてこの『恐竜を描く』ということへの情熱を、他にも活(い)かせないかと試行錯誤してくれたように思う。
週末のたびに博物館に連れて行かれることもあれば、わざわざ山奥で化石を掘れと言われたり。かと思えば、絵画教室に通わされたこともあったな。
けど、どれもだめだった。
俺はただただ、恐竜という生き物を描きたいだけ。
それにしか魅力を感じられない、ちょっとおかしな人間なのだ。
「末広って、絵が得意なわけじゃないんだ」
「……悪かったな……!」
俺の描いた歪んだブドウを見て、朝倉はけたけた笑う。
「意外なんだけど!」
「昔からそうなんだよ、恐竜しか描けない」
「ほんと好きなんだな~恐竜」
感心したように、朝倉が言う。そこに他意はなさそうで、俺は素直に「うん」と頷いていた。
――そうだよ、俺は、恐竜が好きなんだよ。
もうあまり、誰にも言えなくなったこと。
小さな頃は、周りにたくさん仲間がいた。あの子もこの子も、恐竜が大好きで。俺が描く恐竜に、目を輝かせてくれて。親も先生も、天才なんじゃないの!なんて褒め称えてくれたっけ。
それをいつまでも拗らせて、こんなところまできてしまった。
高校一年生にもなって、いまだに恐竜のペンケースを愛用している。そんなDK、きっといないと思う。
「……しょうもないけど、好きなんだよ」
言葉にすれば、むなしくて無性に泣きたくなった。
俺だって普通に、スポーツとか、音楽とか、おしゃれとか、勉強だっていいけど。そういうみんながハマるものに、熱を上げたいのに。
どうしてみんなみたいになれないんだろうって、思わないわけじゃない。
けど、どうしても捨てられないんだ。
恐竜を描く自分のことも、自分の描いた恐竜のことも。
握り締めた鉛筆の芯が、ぽきっと折れたその瞬間。
「しょうもなくないだろ、夢中になれるものがあるっていーじゃん!」
朝倉の、あの屈託のない声が耳に飛び込んでくる。
思わずスケッチブックから視線を持ち上げ、朝倉のほうへ顔を向けてしまったけど。目は合わなかった。
朝倉はごく普通に、スケッチブックにブドウを描き続けている。
「……そう、だと、いいんだけど」
鼓動の大きさに引きずられて、声が震える。
……嬉しかった。
あれは、みじめな俺をなぐさめるための、取り繕った言葉じゃない。
朝倉の本心なのかな、と思えて、嬉しかった。
「ん、どうよ、よくない?」
浸っている俺へ、朝倉は自分のスケッチブックを向けてくる。
そこに描かれているブドウは、みずみずしく、とてもジューシーでおいしそうだ。
「絵、うま」
「だろ? そこそこはできんだよ、なんでもさ」
朝倉じゃない奴が言えば、嫌味に思えるけど。頷かざるを得ない。
だってほんとうに、上手いし。成績だって、たしかにいいような気がする。この前の小テストでも、女子にきゃっきゃと騒がれていた。こういう奴は、決まって運動神経もいいはずだ。……まあ、これは偏見だけど。
「器用貧乏ってやつなんだよな、俺は」
「は……? 器用は貧乏にならないだろ」
なにおかしなことを言ってるんだろう。器用が貧乏になるなら、恐竜を描くことしか能がない俺はどうなるんだ。大貧民待ったなしじゃないか。
「あはは! そういう意味じゃねーけど! まあ……いっか!」
「ん? え? なに、なにが違うの?」
聞いても、朝倉は「秘密」と言って、笑うだけだ。
「はー、末広ってやっぱかわいーわ」
「またそれかよ……」
うんざりと言うと、朝倉は俺の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜてくる。
いつだって朝起きたままの状態だから、決して整えているわけではないけど。でもだからって、ぐしゃぐしゃにしていいわけじゃないっつうの。
「やーめーろ!」
「かわいー末広が悪い!」
いやいやいや……そんなふうに人懐っこく笑う朝倉のほうが、世間的にはずっとかわいいと思うし。
俺だってたしかに今、そう思った。
それから朝倉は、なにかと俺に絡んでくるようになった。
席が前後なので、中休みに話すくらいなら、まあ普通かもしれないけど。
現在、昼休み。朝倉は自分の椅子に横向きに座って、俺の机に飲み物やらおにぎりを広げている。
いつメンの誘いを断ってまで、俺と食うの……?と、信じられない気持ちで尋ねたけど、朝倉は「末広と食いてえ気分」なんてたったの一言で片づけてしまった。
それを断る理由が思いつかないくらいには、朝倉といるのは、案外心地いい。陽キャのコミュ力ってすごい。
「そういや俺、じゅっこ下の弟がいんだけどさー」
メロンパンを口いっぱいに頬張った朝倉は、もぐもぐしていて滑舌が曖昧過ぎる。
「十個下?」
「そー! 今、年長さん!」
いつも以上にきらきらの笑顔で、朝倉は弟のかわいいところを一息で語っていた。その弟さんが、大の恐竜好きなのだと言う。
「末広が描いてくれたデイノケイルス、超気に入ってんだよ! タブレットの待ち受けにしてるし」
「え……それは、うれしい」
照れ臭い気持ちが、ないわけじゃないけど。俺の描いた恐竜で喜んでくれる人がいるのは、ただただ嬉しかった。もうどこにもそんな人間、いないと思ってたから。
「にしても……五歳、か……」
「あれ、なんかショック受けてる?」
ショックというより、呆れに近いかもしれない。
「よくよく考えたら、五歳と同じ趣味ってやばくね、俺。戦隊もの好きなオジと一緒じゃん」
「べつにいーじゃん、いくつになっても戦隊ものがロマンなら、それはそれで」
……朝倉って、やっぱりすごいな。あまりにも人格者すぎる。
たとえば好きなものがサッカーなら、俺だってそう言えるけど。好きなものは好きでいいんだよって。なにもおかしくないよ、ってな。
けど、きっと朝倉は違う。
サッカーでも、恐竜でも、幼児向けアニメでも、それ以外のことでも。言うことは同じだ。
朝倉は、人の好きを否定しないんだ。
「朝倉はすげーな、人間ができてる」
「あー、よく言われるわぁ」
「褒めた甲斐がない……」
「あっははは!」
朝倉の笑顔って、不思議だな。見ているだけで自然とこっちの気持ちまで明るくなってくる。これぞ陽、光属性の力だな、なんて思う。
口の中が空っぽになったらしい朝倉は、今度はツナマヨおにぎりを手にしていた。まだ机には、あと二つおにぎりが残っている。
たしかさっきの休み時間に、弁当だって食っていたはずだけど……一体どんだけ食うんだ。
「朝倉って運動部なの?」
「いや? 帰宅部……あ、おまえ、食いすぎって言いたいんだろ!」
「ちが……くはないけど、すげえなと思って」
本心だ。べつに太ってるわけじゃないんだし、うん。かっこいいんだからなにしたっていいと思う。
「末広こそ、それで足りんの? おにぎり二個だけじゃん、しかも昆布と梅。タンパク質ゼロ」
「なにそれ。タンパク質とか気にしたことない」
「はー? よくそれでそこまで育ったな」
いや、そこまで、と言われるほど長身ではないと思うけど。
「末広、身長何センチ?」
「一七六」
「っしゃ! 勝った! 俺、一七九!」
……べつに聞いてないし。なに急に小学生みたいなこと言ってんだ?
「……っふ……」
「お、なに、今笑った? なあ、笑ったよな?」
「わ! なに! やめろって!!」
急に手を伸ばされ、ほっぺたをむちゃくちゃにされる。
朝倉って、すぐこうだ。いとも簡単に触れてくるから、陽キャって怖い。こっちは手を退けたいだけなのに、ちょっと変な汗かいてるんだぞ。
「ほら末広クン? もうバカにしません、は?」
「すぐほーやって、あにきぶる」
「あー!?」
あまりに無邪気に笑うもんだから、つい俺までつられて笑ってしまった。
「……ふん! だって兄貴だもんね、俺」
そこでやっと、手が離れていく。もう、勘弁しろっつうの。
「はいはい」
「末広は? 兄弟いんの?」
「俺も兄貴だよ、こう見えて」
三つ下の弟は俺よりずっとしっかりしているし、兄貴と名乗るのは、正直憚られるけど。戸籍上では一応、長男だ。
「いや? 俺的には全然納得だけど」
「え」
口の端っこに米粒をつけて、わんぱくな顔で朝倉は言う。
「お兄ちゃんって感じじゃん、末広。面倒見いいし」
「ど、どこが……?」
「なんだかんだ俺のわがままに付き合ってくれるとことか?」
わがまま、って、恐竜を描いてくれとせがまれる、アレのことだろうか?
べつにわがままだなんて思っちゃいないんだけど……ここだけの話、ちょっと嬉しかったりもするし。
「……ついてる、米」
「え、どこ?」
「反対……」
自然と、朝倉の口元へ手が伸びていた。
米粒に触れた、その瞬間。
俺の指を朝倉の舌先がぺろりと舐めあげて、一瞬、時が止まる。
「……あっ……ご、ごめんっ!」
それから声を揃えて、俺たちはお互いにひっくり返りそうなくらいに、身を引いた。
――な、ななな、なにしてんだ俺!
指で指せばいいだろ、なに取ってやろうとか、あれか、兄っぽいとか言われて調子乗ったな、俺。まじでそういうとこある、すぐ調子乗るんだ、これだから陰キャぼっちは……!
「ご、ごめ――」
「な、ほら、面倒見いい~」
真っ赤になっているであろう俺を、明るく和(なご)ませようとしてくれる朝倉。
俺の指なんか舐め……舐めた、みたいになって、かわいそうだ。今すぐ、うがいでもしてきてほしい。
「あの、うがいしてきたら……」
「そんな汚ねえのかよ、おまえの指」
「汚ねえだろ、そりゃ……!」
「大袈裟なやつ。じゃあ末広も手ぇ洗ってきてよ」
「俺は……べつにちょっとだけ、だったし」
まるで気にも留めないような言い方をしていた朝倉だけど、よくよく見れば、耳が真っ赤だった。
――そりゃ嫌だよな、俺が朝倉なら絶対嫌だもん……!
けど、これ以上この話題を長引かせるのも、汗が噴き出して大変なことになりそうだったから。
「「はー、あっつ……」」
また二人声を揃えてしまった、六月の終わり。
夏は、すぐそこまでやってきていた。



