歌って、一番星

「いい曲だね」
 校舎三階の端。誰もいないはずの音楽室。小さな音で弾いていたメロディを褒められ、指が固まる。
「ちょっと切なくて、でもキャッチーで口ずさみたくなる。誰の曲?」
「ぼぇ」
 振り返ると、校内を歩いているのがあり得ないような美形男子と目が合って、声まで裏返った。

 高二の五月。僕、北条明人(ほうじょうあきと)が通う男子校は進学校である。放課後はみなさっさと塾や図書館へ直行する。
 僕も帰宅部だけれど――地味に時間のかかる音楽室の掃除を引き受ける代わりにこっそりピアノを弾くのが、唯一の気分転換だった。
(はじめて他人に聴かれた。はじめて、褒められた)
 噛み締める間に、美形が横に立つ。
 身長は百七十センチの僕より五センチ高いくらい。でも手脚が長い。制服の紺ブレとグレーのスラックスがお洒落に見える。目にかかる黒髪は窓の光をあまり反射せず、傷んでるっぽい。
 二重の瞳も、すっとした鼻も、薄めの唇も形が整っていてバランスよく配置されているゆえに、ぱっと見美形と気づかれにくいタイプの美形だ。
(見覚えが、!)
 再び目が合った。反射的に俯く。美形はピアノのそばを離れない。
(あ。誰の曲? って訊かれたんだっけ)
 ごくりと唾を飲み込む。
「ぼ、僕が」
「うん」
「つくった、って言うか。プログラミングの延長で作曲ソフトちょっと触っただけだし普段勉強の息抜きに聴く曲無意識に参考にしてるかもだけど」
 歯切れ悪かったのが一転、早口になる。
(典型的なオタクムーブ……!)
 居たたまれず、屈み込んだ。磨いたばかりの鍵盤蓋に、彼と違い正しく無個性な男子高校生の情けない顔が映る。
「オリジナルってこと? すごいね」
 でも、美形は静かな声で改めて称えてくれた。
「あり、がとう」
 たとえ挨拶程度のつもりでも、嬉しい。
(この曲の質感わかってくれるんだ)
 親は「受験に関係ない」と作曲にいい顔をしない。クラスメイトもこういうEDM(ダンスミュージック)には興味がない。
 芽生えた好感に背を押され、再度彼の顔を確認する。やはり見覚えがある。
「もしかして、カナタ?」
 脳裏に浮かんだ名を口にした。
「……」
 一方の美形は人形みたいに表情が変わらない。
(人違いだった? なら僕、不審者過ぎる)
 どっと汗が噴き出す。というかピアノを弾いてた時点で変人だと思われてる? ぐるぐる考えていたら、
「この学校で俺のこと知ってる人、はじめて会った」
 美形の目もとがほんのり和んだ。
(ってことは、当たりか)
 ほっとはしきれない。それはそれで大事件だ。
 「카나타(カナタ)」は、昨年末から四月にかけて韓国で行われたサバイバルオーディション番組に出演していた練習生である。ボーイズグループデビューを目指し、段階的な視聴者投票を経てファイナリストに残った。
 異国で頑張る同い年の彼に、僕も毎日投票した。
 でも、一歩及ばなかった。
(他の落選練習生みたいにインスタ開設もしなくて、消息不明だったけど)
 帰国して、うちの高校に入っていたとは。
 ピアノチェアに座っていなかったら走り出していた。
「暗髪にして日本語しゃべると、ぜんぜん気づかれないんだよね」
 確かに僕も確信しきれなかった。サバ番中の彼はハイトーンヘアだったのもある。校則に従い黒染めしたせいで傷んだのか。
 にしても、冗談とも自嘲ともつかない言い様。笑い飛ばせず、訥々と返す。
「うちの高校であのサバ番観てたの、僕だけなだけだと思う」
 動画配信アプリでの放映だったし、K-popアイドルに興味がなければ毎週追うまい。SNSの話題もめまぐるしく移り変わる。
 でも僕は未だにカナタの課題ステージの動画を再生し続けていた。
 まるで、僕に向けて歌ってくれているみたいで。
「実はこの曲、歌詞もあるんだ。よければ歌ってくれない?」
 その本人を前にした昂揚のまま頼む。素早くスマホのメモアプリを起動した。溜まる一方で捨てられないフォルダを開く。
「俺が? うーん……」
 カナタは対照的にもったいぶった。
 考え込む様子を見て、はっとする。僕、図々し過ぎだろう! 同じ制服着てたって、大きなステージで歌うべきアイドルの卵だぞ。
「ご、ごめん。聞かなかったことにしてください」
「勉強教えてくれたらいいよ」
 反省しきりの取り下げと、寛大な許可の声とが同時に上がった。え、いいの?
「韓国の事務所にいたときレッスン漬けだったから、一学年下に編入させてもらったけど、それでも授業さっぱりなんだよね」
 カナタが照れまじりに打ち明けてくる。一年生の教室にいるのか。どうりで鉢合わせなかったわけだ。
(編入先をわざわざうちの高校にしたの、受験とレッスンを両立させたいのかな?)
 当然、再出発を準備しているに違いない。
 さておき。ひとつ咳払いする。
「教えるのが僕でいいならよろこんで」
 幸い、勉強はいやというほどしてきた。一年次に習う内容なら支障なく対応できる。
「じゃあ明日の放課後、教室まで迎えいくね。えっと」
「あ、二年一組の、北条明人」
「またね、明人せんぱい」
 カナタは同い年なのに僕を先輩呼びして、悪戯っぽく片目を瞑った。
(うっ)
 心臓に見えない矢が刺さったかと錯覚する。サバ番ではデビューできなかったとはいえ、さすがアイドル練習生。
 残像に見惚れるうち、下校を促すチャイムが鳴った。
「え? 時間溶けた」
 長居すると教師に目をつけられる。忍び足で音楽室を後にする。
(星が僕の頭上に流れてきて、しゃべって、歌ってもらう約束までした……)
 ちょっと意味がわからなくて、一転バス停まで走った。

「明人先輩」
 翌日、カナタは約束どおり教室に現れた。立てば芍薬って感じの麗しさで後方の出入口に佇んでいる。
「は、ぅあ」
 完璧に帰り支度を終えていた僕はしかし、二歩目で横の机に腿をぶつけて蹲る。
 教室に残っていたクラスメイトは、カナタをちらっと見るだけだ。こんな美形めったにいないのに、よく平然としてられるな。世界は狭いんだか広いんだか。
 結局、「大丈夫?」とカナタに助け起こされた。
 眩しい。教室も廊下も、彼と僕の周り半径一メートルが光に照らされているみたいに感じる。
「――るの?」
「え?」
「俺の話聞いてた?」
 聞いてませんでした。土下座しよう。
「普段どこで勉強してるの、って」
 でも僕が膝を折るより早く、カナタが言い直してくれる。その顔は怒っていなくて、胸を撫で下ろした。
「家かな」
「家かあ」
 と思いきや、正門前で足を止める。
 それで自分が何を言ったか自覚した。家って。いきなりアイドルの卵を連れ込む気か!
「い、家ってカフェって意味ね!?」
「俺の知らない日本語?」
 強引に方向転換する。
 何とか駅裏手のカフェに落ち着いた。
「静かでいいね」
 ここはほどよい静けさと珈琲の薫りで、集中できる。窓際の席には電源があり、ノートパソコンを開く人もいる。僕も勉強したことがあるのは本当だ。
 意外に気づかれないらしいが念のため隅に座り、やっとスクバの中身を広げた。
(フルネーム、(みなみ)奏多っていうんだ)
 プリントに書かれた氏名をつい盗み見る。サバ番では下の名前しか公開されなかった。
 ってプライベートを探るやっかいオタクか。空だけ見ていよう。
「えっと。この問題の解き方がわからなくて」
 奏多は僕の挙動不審に気づかずノートを見せてくる。勉強でも努力家だ。平常心、と言い聞かせて向き直る。
「これはひとつ前の練習問題の応用」
「古文の現代語訳なんでこうなるの?」
「助動詞の意味が何通りかある。暗記が早い」
 僕も宿題を進めながら、奏多の質問に答えていく。いつもと同じ勉強色の放課後だけど、二人だと新鮮だ。
 氷が溶けたアイスコーヒーのグラスに僕と奏多の手が映る。画面の向こうにいた人が隣にいるの、まだ慣れない。
(投票もっと頑張ってデビューさせてあげられてたら、奏多は今ここにいなかった……)
 奏多が挑んだサバ番は、視聴者投票型だ。一端末につき一日一票。といっても社会人オタクがスマホを何台も契約したり、学生も友達に布教したりと推しのデビューのために奔走した。
(僕は、クラスメイトのスマホぶんどって投票させる勇気はなかった)
 番組最終回、デビューメンバーに拍手を送りながら静かに涙を流す奏多に、「もういいよ」とさえ思った。
(なのに僕の曲を歌ってもらおうとか)
 罪悪感を紛らわすように、奏多の質問に答え続けた。

 その後も週に数回、放課後二人で勉強した。
 毎日じゃないのはボーカルやダンスのレッスンがあるからだろう。オタクの嗜みで根掘り葉掘りは聞かない。態度も「ただの同校生」を心掛ける。
 だんだんと取り繕えるようになってきた。
「中間テスト、どうにか乗り切れそう。受けるの中一ぶりだよ」
 二年一組の教室で、奏多がぐっと伸びをする。教室は女子に取り囲まれる心配なく、話しながら勉強できる穴場だった。
(練習生期間三年半だっけ)
 僕も手を止め、彼のプロフィールを思い返す。中一途中で渡韓した計算だ。
「韓国の中学って定期テストないの?」
「日本の公立中に籍だけ置いてた。不登校で卒業」
 素朴な問いに、シビアな答えが返ってきた。韓国の練習生は一日十時間練習するとか。感心の息を漏らす。
「中学の時点でやりたいことに打ち込む覚悟、すごいなあ」
「いや、逆に子どもだったから流れで」
 素直に賞賛すれば、真顔で謙遜する。自分が褒められるのは慣れていないのか。
「でも事務所のオーディション受けたんでしょ」
「コロナのときママの推しグループの配信ライブ観て、『かっこいい』って言ったらダンススクールの見学連れてかれて。ちょうどオーディションあるっていうから『受けます』って。ほとんどノリ」
「そうなの!?」
 とはいえ合格してのけたなら原石として光るものがあったに違いない。しかも三年半、人知れず磨き続けた。今も磨き続けている。
「だからダンスと比べて歌は苦手なんだ、実は」
「僕は奏多のボーカル好きだよ」
 ここぞと告げた。たとえアーティストやオペラ歌手に技巧や声量は及ばなかったとしても、僕は君の歌が好き。
「……ありがとう」
 でも、奏多の表情は動かない。オタクの全肯定って思われたかな。
「明人くんはいつから作曲してるの?」
 奏多がこっちの机に乗り出してきて、話題を切り替える。僕の話は……。
「君みたいに華々しい経歴じゃないけど」
「聞かせて」
 興味を持たれて、面映ゆい。口早に語り出す。
「中一から。作曲ソフト触ってみたはいいけど音楽ほとんど知らないって気づいて、勉強中Youtube流すようになってね」
「歌聴きながら勉強できるタイプだ」
「うん。それで『好き』って感じるの、不思議とアイドルグループの曲ばっかりで」
「へえ」
「僕に歌ってくれてるみたいっていうか。アーティストもリスナーに歌い掛けてるとは思うけど」
 違いははっきり言葉にできない。それを探りたいのもあるし。
「いつか誰かに、僕に向けて歌ってほしくてつくってるのかも」
「……。結果アイドルオタクになったと」
「オタクって言うな! うはは」
 つまらない僕の話は笑って終わらせる。
 中学生の僕は「音楽をやってみたい」と両親に言えなかった。今も公務員の父のようになれという言いつけに従い、進学校に通って勉強する毎日を過ごしている。
 そういう意味でも、奏多は眩しい存在だ。


 梅雨のじめじめした日。中間テストを無事切り抜けた奏多だが、放課後迎えにきた。
「今日レッスンじゃないの?」
「……。今日はカフェに行こう」
 答えになっていない答えが返ってくる。今日もじゃないか? 小首を傾げつつ正門を出て角を曲がろうとしたら、シャツを摘ままれた。
「そっち?」
「え?」
「カフェって『家』って意味なんでしょ」
 真顔ながら思わせぶりに囁かれる。
 それを引っ張るか。家が「カフェ」なら、カフェは「家」ときた。
「こっち。バスに乗る」
 でも、羞恥心より昂揚が勝った。三年半の努力を結実させてあげられなかった罪悪感から、「いつ歌ってくれる?」と言い出せずにいた。
 ついに、約束の歌を歌ってもらえる――?

「散らかってるけど」
「どこが?」
 両親共働きの北条家は日中誰もいない。それでもそそくさと、殺風景な自室へ通す。
 奏多はスクバからノートを出そうともせず、僕のパソコンに興味津々だ。
「スペックすごいね」
「まあ」
「本棚の参考書の圧もすご……ん?」
 かと思うと、デスクの横の二度見する。やっぱり奏多は気づいたか。
「ふふん。これは日本のグループ。こっちは韓国の、」
 アイドルの初回盤CD(特典つき)を、自作カバーで包んで参考書に偽装している。
 集めたいし、捨てたくない。
「ほんとうに好きなんだね」
 しみじみ言われた。ガリ勉なのに意外か?
 何だか自信がなくなってきた。僕の曲はしょせん素人高校生がつくったものに過ぎない。それで所在なく突っ立っていたら、
「歌詞は?」
 端的に訊かれる。
「あっ、はい」
 わたわたとスマホのメモアプリを起動する。奏多にとっては同じ高校に通う一時の気まぐれだとしても、だからこそこの機会は逃せない。
「楽譜いる?」
「一回聴いたら憶えてる」
 さすがアイドル練習生。緊張で忙しない僕を宥めるように、奏多は少し足を開いて立った。
 たちまち僕の部屋がステージになる。マイクスタンドとスポットライトまで錯覚した。
 思わず正座した僕の目の前で、すう、と息を吸う。
「『僕の一番星 きらめいて』」
 前奏なしの歌い出し。部屋を漂っていた空気の代わりとは思えないくらいきらきらした声が吐き出された。
 僕に向けて、歌が届く。陳腐な歌詞も切実に響く。
 実は奏多も緊張していたのか、ときおり声が掠れたり震えたりする。
(そこがいい)
 曲調にぴったりだ。それに、歌がリアルに伝わってくる。
 『一番星』。つくったのは奏多に出会う前だけど、奏多に歌ってもらうための曲に思える。
「『君の光が僕を導く』」
 サビはキーが高い。奏多はきれいに地声からミックスボイスにつなげてのけた。
「『雨も風も太陽も邪魔できない』」
 はじめて見た歌詞をここまで鮮やかに歌えるものなんだ。彼の三年半の積み重ねも、滲む。
 ラストのロングトーンに合わせて伸ばした手を、奏多がそっと下げた。まだ余韻が残っている。
「どう、かな」
 歌い終えた本人がなぜ冴えない表情なのか、理解できない。
「最高。嬉しい。奏多の曲みたい!」
 感激しまくりで拍手する。生きててよかった。
 一方の奏多は「君の曲だよ」とまた謙遜してる。
「いい曲なのに、自分で歌わないの?」
「そ、んなの」
 と思うと、鋭い指摘が飛んできた。喉が詰まる。答えはわかりきっている。
「音痴だから。声も裏返りやすくて」
 軽い調子を装うが、ひそかなコンプレックスだ。高校でも人前で話す系の役回りは避けている。
 でも、奏多は笑わない。
「明人くんは耳がいいし、ボイトレすれば改善するよ」
「僕が?」
 ボイストレーニング。そこまでして歌う発想はなかった。耳がいい、だってはじめて言われた。
「君が」
 なおも大真面目に頷かれる。
 早まる鼓動とともに、少し考えてみる。
(……ステージに立ちたいって願望は、あんまりないな)
 というか。奏多がこうして歌いにきてくれたり、自分で歌うよう勧めてくるのは。
(デビュー準備が本格的に忙しくなるからとか?)
 守秘義務があって話せないのを、遠回しに伝えてきているのかもしれない。
 歌う代わりに勉強を教える利害関係も果たされた。彼の再出発に向けて手伝えることは他にない。
 突然始まった夢の時間は、終わるときも儚い。
「それより」
 奏多の足に取り縋る。ほとんど反射だ。
「もう一回だけ歌って。それで、音源をネットに公開させて」
「ネットに?」
「もちろん顔出しなしで!」
 奏多の表情がかすかに曇る。みっともなくも食い下がった。実際、彼の顔が前面に出たら意味がない。
 彼の歌を録って、繰り返し聴きたいだけじゃなく。僕のつくった、まだ僕と奏多しか知らない曲を、誰かに届けてみたくなった。
 頑張る彼に背中を押される形で。

 現実はそう都合よくいかない。パソコンの前で脱力する。
「再生数44回……まあ無名高校生の曲聴いてくれる人なんかいないか」
 先週奏多に歌ってもらった曲。夜な夜なミキシングして動画投稿サイトに公開したものの、見向きもされなかった。
(一日二千万本も新しい動画が投稿されてるしな)
 かと言って思わせぶりなサムネイルやタイトルにもしたくない。せっかく奏多が歌ってくれたのだ。消費されてすぐ忘れられるよりはまし、と自分に言い聞かせる。
「このうち一回は俺だし」
「そしたら十回は僕だよ!」
 奏多に背中をさすられた。貶されてるんだか励まされてるんだかわからない。
 奏多は高校を休みがちになると思いきや、変わらず登校してきている。
(僕の早とちりだったのかな?)
 しかも僕の家で勉強がてら、前につくった、『一番星』とはジャンルの違う曲も歌ってくれた。
(贅沢過ぎる……)
 特等席で聞き惚れながら、ひとつ気づく。
 奏多は歌うとき表情を変えない。サバ番の課題ステージと違う。新しい事務所ではそういう表情管理でいくらしい。
 目を瞑ったりキーに引っ張られるんじゃなく、こっちを見て心情を伝えてくれるのも好きな理由のひとつだから、もったいない――なんて。
 僕は彼をデビューさせてあげられるプロデューサーじゃない。

「今回の曲は百回再生されたらいいな――、んぇ?」
 投稿を始めて一か月。制服のシャツの背中に汗が流れた。
 初夏でも未だ僕の隣にいる奏多が、起ち上げたパソコンを覗き込んでくる。
「バズった?」
「当社比では」
 目を擦る。見間違いでも幻でもない。8566回も再生されている。
「ほら、明人くんの曲が刺さる人いた」
 奏多は淡々とした声色ながらも、背中をばしっと叩いてきた。わかりにくいが労ってくれている?
(独学だけど作曲理論をコツコツ勉強して、一音一音にこだわったのが伝わった……のかな)
 手応えを感じる。家や学校の外には、僕の曲を聴いてくれる人がいる。そう思ったら。
(世界が少し、明るい)
 指先に熱が灯った。
 一定数再生されると、投稿サイトのおすすめ欄に載ったりSNSで言及されたりして、加速するようだ。毎日増える再生数とコメントににやける。
[高校生が作ったの? すごい][なんか好き][他の曲もいいよ]
 ……ただ再生数が増えると、想定外の反応も増えるわけで。
 再生が数万を越えた、一週間後。音楽室の掃除を終え、スマホでこっそり新着コメントをチェックして、息を呑んだ。
[Vtuberにでもなるんですか?]
 平坦な一文なのに棘を感じる。
 そのコメントにコメントする形で、[ですよね! この声][私も思った]と話題が広がっていく。
 声で奏多だと見破ったサバ番オタクだろうか。いやな予感がしてSNSを開く。
[え~歌い手? とかやだよぉカナタくん]
[これ一般人のアカウントでしょ。芸能活動中途半端過ぎる]
 こちらの書き込みはもっと露骨だった。どこに隠れてた? って量の「カナタのファン」がお気持ち表明している。
(それはそうだ。僕が悪い)
 事務所の許可を取らないといけなかった。無名の非商業アカウントだしと甘く考えていた。
 奏多の歌を私欲で使ってはいけなかった。同じ制服を着てるからって調子に乗った。
(とにかく奏多に謝らないと。って、この状況どう説明するんだよ)
 くしゃくしゃと頭を掻く。
「新曲弾くの?」
「ぎぁ!?」
 その奏多の声がして、咄嗟にスマホをぶん投げて事態収拾を図った。
「わ」
 だが、ほかでもない奏多にキャッチされる。
「……[こんな簡単にアイドル諦めるんだ]、かあ」
 よりによって最悪なコメントが彼の目に入ってしまった。簡単に、だと?
 奏多は表情を変えない。そう思われても仕方ない、みたいな。
 ――違う。だって、奏多は悪くない。
「ふっ、ざけんなよ……!」
 その一心で、声が裏返るまま捲し立てる。
「どんだけ理不尽な世界かオタクなら知ってるだろうが。スキルとビジュとやる気兼ね備えて青春をレッスンに捧げてもデビューできるとは限らないんだよ、事務所のタイミングとかグループのコンセプトとか本人にはどうもできない大人の事情に左右されんだよ。サバ番だって放映分量偏りまくりだし、努力や実力じゃない『人気』で順位づけされてその数字胸に貼られて、二十四時間カメラある中で半年近く共同生活強いられてっ」
 正直、サバ番のデビュー構想に奏多が入っていないのは感じ取れた。それでも健気に課題に取り組む彼を見るのは、辛かった。報われないのにって。
「そっちこそ、こんなに綺麗で努力家な推しに、終わりの見えない練習生生活とか極限ストレスのサバ番もう一回やれって簡単に言えんのかよ、本人がもう一回やるって言うなら応援するしかないけどさ……」
 どんどん声が小さくなる。どの立場で憤慨してるんだ、僕は? 急にキレるのがオタクだとしても、画面の向こうには一言も届かないのに。
 はあはあと息切れする。自分で歌おうとはとても思えないもうひとつの理由は、これだ。
 アイドルの世界は、過酷だから。
「応援してくれるの?」
 言葉じりを取られ、どきりとした。
 多少作曲できるだけのやばいオタクとは友達やめる、と言われても反論できない醜態を晒してしまった。
「します」
 これ以上不快にさせないよう短く答える。
 できれば今後の奏多に届けと念じる。
「そっか。……俺ね。向こうの耳の肥えたファンに『歌が下手』って言われてて」
 は? 下手じゃない。それは奏多とポジションの被る練習生のオタクがネガキャンしただけだ。
「せめて明るく課題やろうと思ったら、今度は番組スタッフに『笑い方が耳障り』って言われて」
「はあ!?」
 文化や、外国語でニュアンスが違うとしても、スタッフが出演者に言う内容じゃないだろう。
「歌い方も笑い方も忘れちゃった」
 奏多は軽く笑って――みせようとして、人形みたいに真顔だった。
 ……ああ。歌をもったいぶったのは、歌えるかわからなかったからで。
(楽しいときも、歌うときも。笑わないんじゃなく、笑えなかったのか)
 震える拳を握り込む。理不尽な扱いが許しがたい。奏多がそんな目に遭っても何もできない自分も、許せない。
「でも君になら歌えた。好きって言ってくれて嬉しかった」
 なのに奏多は穏やかな声で続ける。
「歌手とアイドルの違いって、『何を歌うか』と『誰が歌うか』のどっちにより意味があるかじゃないかな。もちろん歌手だってその人だから愛されたり、アイドルだって曲を褒められたりするけど」
 何をより誰が。言われてみれば「アイドルが、みんなにじゃなく僕に歌ってくれてる」と感じる。
「日本ではもう事務所入ってなかったし、高校に馴染もうとしてたんだけど」
「えぃ?」
 驚きの事実まで明かされ、また声が裏返った。レッスンを続けていると思い込んでいた。
 でも、うん。三年半それ以外を犠牲にした努力が実を結ばず、すべて曝け出して挑戦しても返ってきたのが心ない言葉だけなら、普通の高校生になろうと思ったってちっとも罪じゃない。
「ピアノの音を無視できなかった。明人くんの曲を、俺が歌いたいと思った。まだアイドルを諦めきれない自分に気づいた」
 奏多の声色が変わる。覚悟を秘めたものに。
 レッスン日だと僕が勘違いしていた曜日、自主練習してたんじゃないかと直感する。
「七月半ばにボーイズグループをプロデュースしてる事務所のオーディションがある。一緒に受けてよ」
「ぼぇ、僕も?」
 再出発宣言かと思いきや予想だにしない言葉を投げられ、目を見開いた。
「うん。君は結構度胸あるから」
「……その節はごめん」
「レッスン受けたらきっと思うように歌えるよ。それに、俺は君となら歌える。君の曲を歌いたい」
 僕がいないとというのなら、記念受験的に付き添うか。でも万が一「こっちの石も磨けば光るかも」と審査員に思ってもらえたら。
(僕の曲を、もっとたくさんの人に聴いてもらう機会がある?)
 僕たちしかいない音楽室に、光が射す。
 奏多の瞳がきらめいた。この数か月ではじめて。
「アイドルの世界は、君の言うように地獄みたいなところだけど。俺が地獄の一番星になってあげる」