リケジョ転生令嬢の科学革命

 王都へ続く夜の峠道を二頭引きの馬車が暴走していた。御者は手綱を絞ろうと試みたが、パニックに駆られた馬を人力で組み伏せることなど到底敵わない。柵にしがみついて、振り落とされまいとするのが精一杯だった。
 カーブに差し掛かってもスピードは落ちない。右に左に車体が大きく揺れる。
 板バネで衝撃を吸収する仕掛けの付いた豪奢な造りの馬車だった。だが、整地の行き届かぬ山道を暴走していては用をなさない。転がる岩や枝に乗り上げるたびに馬車は大きく跳ねた。

「きゃあ! お母さま!」
「アニー! 口を閉じて。舌を噛むぞ。父さんに掴まっていなさい。お前も!」

 窓外を真っ黒な木々が猛スピードで通り過ぎていく。

「あなた、怖いわ」
「大丈夫だ。私たちには女神さまのご加護が付いている。大丈夫だ」

 馬車にはクラウゼ伯爵と伯爵婦人、そして一人娘のアニエルカが乗っていた。
 公爵位を賜る式典に向かう途中だった。そこでアニエルカの五歳の誕生日に合わせてベルンハルト王子との婚約が発表されるはずだった。

 カーブで車体の片側が大きく浮き上がり、そのまま宙に投げ出された。馬車は二頭の馬と御者と、そして伯爵親娘を道連れに、放物線を描いて落下していった。

 かろうじて一命をとりとめたアニエルカが目覚めたのは、それから一週間も後のことだった。見慣れない天井。見慣れない壁紙。見慣れない調度品。見慣れない次女。

「まあ! お目覚めになられたのですね。お加減はどうですか?」
「だいじょうぶ……です」
 事態が飲み込めず、アニエルカはそれだけ答えるのが精一杯だった。

「すぐに、王息殿下にお伝えして参ります。毎日お見舞いに来られてたんですよ」
 そそと部屋を去る侍女を見送りながら、ふかふかのベッドに体を預け、さっきまでの夢を思い返す。

 何しろ長い夢だった。夢の中のアニエルカは、恵梨香という名前の女の子だった。サイタマのマンションに両親と姉の四人家族で住んでいた。
 小さな家。まるで召使の部屋のよう。そこでお絵描きをして遊んだ。食い入るようにテレビを見て、動物の着ぐるみの動きを真似て踊った。おめかしして家族でお出かけした。車や電車、飛行機にも乗った。毎日バスで幼稚園にも通った。まるで最初からこの世界に生まれ、住んでいるかのようだった。だからか、テレビも電車も飛行機もバスもすんなりと理解できた。
 五歳の誕生日。同じ月に誕生日を迎える二つ上の姉がゲーム機を、恵梨香はそれで遊べるゲームをプレゼントに貰った。いつもそうだった。姉と一緒に遊べるものを、姉がメインで自分がサブというように。恵梨香が望んでそう両親にお願いするのだった。その方がより楽しめて理にかなっていると、子どもながらに感じていたからだ。恵梨香はそういう子だった。
 ゲーム機を初めて手に入れて、姉共々有頂天だった。ゲームは姉と相談して決めた。『永遠と静謐のプリンセス』。剣と魔法の夢の国でヒロインを育て、美男子揃いの王子や貴族や魔王の中の誰かと結ばれるマルチエンディングの、いわゆる乙女ゲームだった。

 ――だいぶ違うけど、あのゲームの方が、まだちょっとここに雰囲気は似てるかも。

 思い返しながら、アニエルカは夢の中の両親や姉との別れに寂しさを感じていた。

 ――ヘンテコな夢。

 妙に現実感を伴う夢だった。サイタマで暮らした五年間と、ギュンター王国での五年間。どちらが夢なのか分からなくなりそうなほどだった。

 ――夢というよりも……過去の記憶? あの(﹅﹅)お父さんにもお母さんにもお姉ちゃんにも、もう会えないのかな……。

 その時、現実(﹅﹅)の記憶が戻ってきた。暴走する馬車。両親に抱きかかえられながら、どこまでも落下する恐怖。

「お父さま! お母さま!」

 がばっとベッドから跳ね起きてみると、やはりそこは見たことのない部屋だった。壁際の暖炉、大きなクローゼット、ティーセットののったテーブルと椅子。そして自分が寝ていたベッド。どれも微に入り細にわたって彫刻が施され、金銀や宝石の飾りがふんだんにあしらわれていた。

「やぁ、お姫さま。やっとお目覚めだね」
 軽いノックと共に返事も待たず扉を開けて現れたのは、第一王子ベルンハルトだった。以前、両親に連れられて出席した式典で遠くからなら見たことはあったが、直接話をするのは初めてだった。間近で見る王子は格別だった。眉目秀麗を絵に描いたような美少年。

 ――まつ毛、長いなぁ。

 アニエルカと大して歳は変わらないのに、理知的で大人びた雰囲気。つい見とれてしまい、頬が知らず赤くなってしまう。

「クラウゼ公と御母堂さまにおかれましては、真に残念でございました。日をあらためて公には爵位が贈られ、国葬をもって弔うこととなります。また、クラウゼ様と王息殿下のご婚約につきましては……」
「よさないか。カッツェルク」

 王子と共に部屋に入ってきた長身の男が、空気も読まず事務的な口調で述べるのを一喝すると、王子はアニエルカを気遣うように顏を近付けた。

「どこか痛むのか?」

 カッツェは「災厄」を意味する。この男がもたらしたものは、アニエルカが欲っした答え(﹅﹅)には違いなかったが、それは決して望まぬ物だった。アニエルカの双眸から、溢れる涙がとまらない。
 愛してやまないお父さま、お母さま。そして、夢の中のお父さん、お母さん、お姉ちゃん。一度にたくさんの家族を失った。僅か五歳の小さな体は、それを受け止めるには余りにも華奢で、非力で脆かった。

   ※     ※     ※

 それから十年。
 アニエルカは、もう泣いてばかりの女の子ではなかった。

 不思議な夢は毎日見た。ギュンター王国で一日過ごすと、サイタマの夢の記憶も一日進んだ。ひと月過ごすと、ひと月、一年経つと、一年。
 ギュンター王とベルンハルト王子の好意で王城に住み、王子と一緒に勉学に励む傍ら、夢の中でも小学校に入学し、卒業し、そして中学校に入った。中学では化学研究部(かけん)に入部した。科学実験が面白かったからだ。
 夢は前世の記憶ではないかと思われた。動画のように記憶をただ見せられるだけだったから。
 日々更新される記憶がいつ終わるのかは分からない。いつか前世での死が訪れた時は、どうなるのか。夢を見なくなるだけか、それとも。そして、それはいつなのか。

 夢の記憶のお陰で、一つ気が付いたことがある。ここは、生活や文化、宗教や政治の中心に「魔法」や「錬金術」が色濃く根を下ろす世界だ。

 ――だけど、魔法なんて存在しない。

 五歳の頃とは違い、サイタマの学校で学んだ知識を併せもつアニエルカには分かった。女神さまなんていない。魔法なんて嘘っぱち。人々を恐怖と畏怖で従順にさせるための方便にすぎない。

 ――そうでないなら。魔法が本当にあるのなら、女神様、お父さまとお母さまを返して!

 アニエルカは、魔法も女神様も眉唾だと知っていたので、錬金術省も、聖女様も、近付くのも嫌だった。だから、ベルンハルト王子から錬金術省で面白い実験が見られると誘われた時も本当は断りたかった。だが、立場上それは許されない。

 ベルンハルト王子との婚約は、王室の財源を増強すべく仕組まれた政略結婚だった。公爵亡き今、公爵領は、アニエルカが十八歳で成人となるまで、王室預かりの直轄地になっている。アニエルカが成人し、女公爵の爵位を賜った時に、あらためて下賜されることになっている。が、それまでにアニエルカが不興を買って王国から放逐された場合は、その限りではない。実際、アニエルカを貶めて自分の娘にベルンハルト王子との婚約をと考える者は、少なくなかった。
 自分の立場を、アニエルカは心得ていた。王や王子の不興を買う行いは慎むべきで、お誘いという名の命令には従わざるを得なかった。

「お父さま、お母さま。行ってきます」
 鏡に映る自分に語り掛ける。父親譲りのサファイアのような双眸と、母親譲りの濡れ羽色の艶のある髪だけが、アニエルカに唯一残された形見だった。

 しかし。アニエルカは、魔法という名の単なる手品や、錬金術という名の似非科学が吐き捨てたくなるほどに嫌いだった。錬金術も魔法も、女神信仰の一部をなす。あれ程に信心深かった両親を奪った女神様を彼女は恨んでいた。
 加えて、夢の中での化学研究部(かけん)の科学実験の知識もあった。そのせいで、錬金術の実験には甚だ懐疑的だった。
「なによこれ……。やっぱりインチキじゃない」
 ――しまった。

 アニエルカは、つい口を突いて出た言葉を飲み込むように、手で口を覆った。しかし、遅かった。

「クラウゼ様。今なんと? ベルンハルト王子の婚約者と言えど、かような妄言、看過いたしかねますな」

 あの「災厄」がアニエルカをギョロリと睨んでいる。
 大仰な実験装置が並ぶ室内で得意気に成果を喧伝していたカッツェルクがザウリク火山に棲むというドラゴン(これも嘘っぱち)もかくやという形相でアニエルカを睨みつけた。

「クラウゼ様には少々難しかったようですね。簡単に申し上げますと、銅貨を銀貨に、銀貨を金貨に変える実験です」
 物腰こそ丁寧だが、あからさまな侮蔑の言葉。

 ――リケジョ、ナメんな。

 喧嘩を売ったのはアニエルカだが、買われたからには受けて立つ。なにより、王や王子を騙そうとするのが許せなかった。

「ギュンター王、ベルンハルト王子。これは金ではありません。銅貨の表面に亜鉛がメッキされて銀色になり、それを熱したことで銅と亜鉛が化学反応をして黄銅(おうどう)になっただけです」

 ――ちょうど夢の中でこの実験やったとこだもん。

 カガク? とギュンター王が首を傾げる。


「何を根拠に!」
「証拠ならあります!」

 日ごろの恩に報いるため、王や王子を騙そうとする悪だくみを暴いてやる。そんな気概を胸に抱くアニエルカだったが。
 別室に呼び出されたアニエルカは王子から叱責を受けることになるのだった。