Summer Blue ~君が残したシトラスの嘘と約束~



 
 八月に入って、サンサンパークは一気ににぎやかになった。

 子どもたちの歓声、遠くで鳴るアトラクションの音、
ジェットコースターからの絶叫。
湿った風に汗の匂いが混ざり、
夏が本気を出してきたみたいだ。
 控室の掃除当番だったそらは、
片づけをしながらぼんやり啓太朗のことを考えていた。

(やば……俺、連絡先聞いてへんやん……)

 この前勢いに任せて遊びに誘うなんて言ったけど、
そもそも電話番号もSMSも知らなかった。
シフト被らんかったらそれで終わりやん……と、
心底落ち込みかけたそのとき、控室が開いてムワっッとした空気がなだれ込んだ。

「お疲れさまです」

「……え、あ、お、お疲れ様です!
啓太朗さん、今日シフトかぶってたんすね! プールの方ですか?」

「そうそう。プールめっちゃ暑かった〜」

「ですよね。お疲れ様です」

 自然と声が弾んでしまって、思わず照れる。
ちょうど啓太朗のことを考えていたので動揺が隠せない。

「なあ、そら。今日、このあと予定ある?」

「……えっ?」

「時間あるなら、今からドライブとかどう?」

「きょ、今日っすか?」

「うん。何人か誘ったんやけど誰もつかまらんくて」

「い、いきます! 行きたいです! 
ていうか、行かせてください!」

(え? うそやろ? ドライブって、あのドライブ?
待って! 心の準備! 待って!)

 慌ててまくしたてるそらに、啓太朗は目を細めて笑った。

「じゃあ、着替えたら裏の駐車場で待っとくな」

「は、はいっ!」
 ついさっきまで落ち込んでいたのに。
気づけばデートできることになっている。

(タナボタってほんまにあんねやな……)

そらはただただ、うれしさで胸がはちきれそうだった。



控室でごみ袋を結び終わると、
そらはムダに部屋の中を周回する。

(うわ、マジで行くことになった……ドライブ……
え、これデートやんな? 急すぎん?)

「片付け、俺やっときます!」と叫んでモップをかけ終えると、
数分後には更衣室に駆け込んでいた。
 頭の中はテンパってるのに、身体は自然に急ぎモードに入る。
汗拭きシートを取りだして首周りをごしごし。
「ぬおー、べたつく!」と言いながら全身をぬかりなく拭いていく。
次に制汗スプレーをシュッと吹きかけ、
タオルで髪を拭いて、ワックスをちょいちょい。
仕上げに鏡の前で自分を覗き込み、気合いを入れる。

「よし……いける! いけるで俺!」

 これからのことを想像するだけで顔が熱くなる。
「口から心臓出そう」なんて、小学生の頃ふざけていたけれど、
あれはこういうことだったのかと今更ながら実感した。
深呼吸してシャツを整えて、自分に言い聞かせるよう独りごちた。

「いってきます」

 早く会いたいような会いたくないような……
そらは不思議な気持ちのまま裏口に向かう。

「おーい、そらくん! なんか今日めっちゃキメてない?」

「うわ、ほんまや。めっちゃ整ってるやん。なんかあんの〜?」

廊下で先輩数人に出くわし、そらは足を止めた。

(やばっ……よりによって今?)

「い、いや、そんなんちゃうし! 今日は……たまたまっす!」

「たまたま言うて、汗拭きシートの匂いしてんで〜」

「ほんまや、勝負の日の匂いやん」

「ちゃうし!! ほんまにちゃうし!」

 いつになくしつこい先輩たちに頭を下げ、
そらは足早に裏口に向かった。


 啓太朗は施設の陰になったスペースで、ひとり壁にもたれていた。
伏せた視線、夜風に揺れる髪。
手には、ゆらりと白い煙をたてているタバコ。
オレンジの灯りに照らされた横顔はまるで映画中の俳優みたいだ。

「……なあ、そらくん」

 声がして、肩がびくっと跳ねる。

「見過ぎ。穴開くわ」

「いや、ちがっ……そんなんちゃうくて!」

 顔を真っ赤にして手を振るそらをよそに、
啓太朗は小さく首をすくめてタバコを消した。

「ははは。ごめん、吸い終わった。行こか」

「は、はい!」

 心臓で鳴っている爆音を抑えながら、
そらは彼のうしろをついていった。
 車に乗り込むと自分の鼓動の速さに気づいた。
なんとか抑えようと小さく深呼吸を繰り返すけど、
さらにドクドクと加速していった。

 車内には、静かなリズムの曲が流れている。
英語の歌詞で、メロディが少し切なくて心地いい。

「……これ、誰の曲ですか?」

「あぁ、HONNEってバンド。DAY1って曲。
兄貴が流してて、気に入ったんよ」

「へぇ……落ち着きますね、なんか」

「寝んなよ?」

 冗談めいた声が曲よりやさしくて。そらは思わずにやけた。

(……HONNE、だっけ。デイ、なんとか……)

 ちゃんと覚えておこう。そしてあとで検索しよう。
自分の知らない音楽なのにこんなに心地いいのは、
きっとこの人と一緒に聴いてるからだ。

 窓の外では、夏の空がオレンジから紺へとゆっくり溶けていく。
観覧車のライトがぽつりと灯り始めていた。

「あの、啓太朗さんって免許持ってるんすね。
なんか、かっこいいっす。大人って感じ。
俺まだ原チャすら持ってへんし」

「ふふ、ありがとう。でも、こんな田舎やと車ないと不便やろ?」

 軽く笑ったあと、ハンドルに視線を落とす。

「この車、兄貴のおさがりなんよ。
アウトドア好きで、無理やり譲られて」

「へぇ〜、だから四駆なんすね」

「ほんまは軽とかのがよかったけどな。俺、運転そんなうまないし」

「え〜、でもこれ乗ってるだけでモテそうっすよ。
めっちゃかっこいい」

 何気なく言った言葉に、啓太朗がふと視線をそらした。

「……あ、ごめんなさい、変なこと言いました?」

「いや、そんなことないない。ちょっと直球すぎて照れただけ。
でも俺、人乗せて運転するの家族以外やとそらが初めてなんよ。
やから今けっこう緊張してんねんで、じつは」

(うわ……なんか、めっちゃうれしい)

「……俺も、啓太朗さんに負けずめっちゃ緊張してます。
てことは、元カノとか友達とか、そういう人も……?」

「乗せたことない。家族以外やと、そらが初めて」

「……っ」

 思わず小さくガッツポーズしそうになるのをこらえる。

(ちょ、ちょっと待って……
初めてって、俺やば! 啓太郎さんのはじめてもらった!)

 頬がゆるむのを隠しながら、冗談めかして言った。

「……じゃあ、ちゃんと大事に運ばれてるって思っときます」

 横でフッと笑う気配がした。
エンジン音が落ち着き、車はゆっくり走りだした。

「……そういえば、門限とか大丈夫なん?」

「え?」

「ちょっと夜景でも見に行こうかなって。
……あ、夜景なんてつまらん?」

 ちらっと横目で向けられた視線がやけに優しい。

「全然!親には遅くなるって連絡してます!
夜景、めっちゃ行きたいっす!」

「そっか。ほな、雪響山って知ってる?」

「名前だけ聞いたことあります!」

「ここからあんまり遠ないねん。でも夜景めっちゃきれいやから。
でも、その前に腹ごしらえしよっか。そろそろお腹すいたやろ?」

「はいっ!」

 緊張で忘れていた空腹が呼び起された。
欲に従順な自分にフッと笑う。

「そらは好き嫌いとかなんかある? なんでも食べれる?」

「うーん……とくにないっす! 基本なんでもイケます!」

「お、それは助かるわ」

 軽く笑ってハンドルを切る横顔に、そらはちらっと目を向ける。

「じゃあ、がっつりラーメンとか、どう?」

(……ラーメン?)

 頭の中では、勝手にもっとオシャレなカフェとか、
夜景の見えるレストランを想像していた。
なのに提案されたのはラーメン。
その意外さが、すごく人普通の人みたいで驚いた。

「いいすね! ラーメン、めっちゃ好きです!」

「よかった。ほな行こ」

 運転席と助手席。狭い車内でいつもより彼を近くに感じる。
啓太朗の言葉や何気ないしぐさにいちいち反応してしまう。そ
らは熱を帯びた頬を隠すようにそっと窓の外をのぞいた。