視線を伏せて、ぽつりと続ける。
「だってな、啓太朗さんに思ってもらえて、
手つないで下校して……
俺やって、中学生の啓太朗さんに想ってもらいたかった。
そのあと付き合ってた女の子たちも、めっちゃずるいって思ってる。
俺はそんなええとこの子やないし、
啓太朗さんのお父さんを満足させられるようなことなんもない。
だから……うわべだけでも選んでもらえたその子たちですら、
めっちゃうらやましい……」
自分で言いながら、そらは小さく息を吐いた。
「……やばいやろ、俺も。昔のことにこんなに嫉妬してまうんやで」
「いやいや、そらのそれと俺のとは……また全然違う気ぃするけど」
啓太朗は、ふっと口角を上げた。
「でも……もうなんかそらが可愛いからどうでもよくなった。
もうそれでいいことにする」
次の瞬間、二人で同時に吹き出して、声を合わせて笑い合った。
「だからな。ほんまにそらが俺のこと好きって言ってくれたとき、
めっちゃ嬉しかったんやけど……
それと同時に、玄関で怒り狂った親父の顔が浮かんできた」
彼は視線を落とし、かすかに笑った。
その笑顔は痛いほど脆くて、儚い。
「それと訳もわからず振られた、あの子の絶望した顔も……
だから、これはあかんなって思った。
……でも、あの夏ずっと一緒におるうちにどんどんそらのこと好きになっていって。
諦めきれんくなって……
だから俺はさっさと就職決めて、地元のしがらみから解放されて、
親に文句言われんように生きる目途がついたらそらを迎えに行こうと思ってた。
……まあ、こんなに早くなってもたけどな」
「まあね、なんやかんや一年待ってくれって言われたけど……
九月にバイバイしてから、まだ八ヶ月しか経ってへんからな。
だいぶ早なりましたね。
でも俺は正直この八ヶ月、体感十年ぐらいあった気します。
それぐらい、早く会いたかった」
「それは間違いない。でな、そら……俺の就職先、
大阪やねん。だから、地元から通えんこともないけど……
毎日出勤するとなるとやっぱ遠いから、一人暮らしすることにした」
少し笑って、そらの手をやんわり握る。
「……なんか、自分の価値観押し付けるみたいで、
正直、あんまり言いたくなかったんやけど……
俺は、あんまり地元が好きじゃない。ええやつもおる。
友達もいっぱいおるし……そらにも会えた。だから、それは感謝してる」
そう前置きしながらも、啓太朗の声は少し低くなる。
「でも……俺にとっては、ちょっと窮屈やった。
ちょっとした一言が、大きな尾ヒレをつけて噂になる。
小さな行動ひとつでも誰かに見られてて、
どこにいても監視されとるみたいで息が詰まる」
その口調は淡々としていたが、
目の奥に長い時間しまい込んできた想いが滲んでいた。
「親父も親父でさ……大変なんはわかる。
あの人、婿養子やから。
お母さんの籍に入ってるんよ、お見合いして。
プレッシャーもすごかったんやろなと思う。
だから,息子の『悪癖』に敏感になってたんやと思う」
そらは胸の奥にひやりとしたものを感じた。
ここでいう悪癖が何を指しているのか分かってしまったからだ。
啓太朗は自嘲気味に笑った。
「……でもな、だからって相手攻撃するのは違うやろ?
やから俺はそらを守りたかった。親父からも、地元からも……
まぁ、地元が好きで上手くやってるそらからしたら、
何いうてんねんって話やけどな」
そらは否定も肯定もできず、ただ握られた手を握り返す。
「……だから、今の会社に決めたんや。
地元おるより会えへんけど、かといって東京みたいに距離があるわけじゃない。
毎週末会えるようになる。だから……また家に泊まりに来てほしいなって」
そらの表情を確かめるように、さらに続けた。
「それに、そらの第一希望の大学にも電車一本で行けるんやで?
……俺、偉くない?」
小さく胸を張って笑う啓太朗に「偉い。偉すぎます」と言って、
勢いよく抱きついた。胸に頬を押しつけるように、思いっきり、ぎゅっと。
重かった空気がふわりと溶けて、時間までもがやわらかく動き出した。
「……あ、そうや。俺、志望大学、
ちょっと視野広げてみようと思ってるんです」
「そうなん? どこ受けるん?」
「俺、ほんまにたまたまなんですけど……
大阪の教育大も受けてみようかなって」
そらは、照れたように鼻先をかいた。
「今よりもうちょっと偏差値上げなあかんのですけど……
啓太朗さんと会えへん鬱憤を勉強にぶつけてたら、
なんか知らん間にめっちゃ賢くなってたんで。
で……ちょっと相談なんですけど」
そらは少しもじもじしながら口を開いた。
「六月二日の日、一日会う約束してたんですけど……
大阪の教育大のオープンキャンパスと被っちゃって。
俺もめっちゃ一緒におりたいんですけど……
午前中はそっち行ってきてもいいですか?」
「それは行ってきて。もう存分にいろいろ見てきて。
俺もその方が都合いいねん」
「どういうことですか?」
「その日、もともと大阪デートしようと思っとったから」
「……えっ? そうなんですか?」
啓太朗は苦笑しながら、耳のあたりをかすかに赤くして肩をすくめる。
「やっぱりまだ、
地元を明るい時間にふたりでうろうろするのはちょっと気が引けて。
もうさ、思いっきり手つなぎたいやん。
イチャイチャしたいやん。
だから誰の目も気にせず一緒におれる大阪がいいかなと思っとって。
……どう?」
「行きます!」
そらは間髪入れずに答え、顔をぱぁっと輝かせた。
「啓太朗さんと大阪デートとか……もう、最高やん!」
頬と頬が触れる距離で、温かい息が混ざった。
そのまま、啓太朗がそらの耳元にそっと顔を寄せる。
「……その日、ホテル取ったから」
低く甘い声が、耳に直接落ちてくる。
そらは一瞬まばたきをして、息を呑んだ。
「……意味わかる?」と啓太朗が囁いた瞬間、
体がピタリと固まった。みるみるうちに頬が真っ赤に染まっていく。
胸の奥で、ドクンドクンと心臓がうるさい。
鼓動の音が、啓太朗にも聞こえてしまうんじゃないかと思うほど。
啓太朗はそんなそらをじっと見下ろし、口元を緩めた。
「……そら、顔まっか。……かわいい」
低い声が、さらに胸の鼓動を加速させる。
何か返そうとしても、言葉が出てこない。
啓太朗は、そんな様子を楽しそうに眺めながら、
そらの頭をそっと撫でた。
――大阪デート。
その日を思うだけで、
心臓が勝手に速くなる。待てば待つほど、会いたい気持ちが膨らんでいった。



