「……はぁぁ?
いやいや、もう間に合わんやろ? もう十時とか……」
「いや! がんばったらギリ間に合う!
バス停からの接続、まだあるはず!
おい涼、お前もついてこい! 俺の勇姿、見届けろ!」
叫ぶと同時に、そらは玄関へ一直線に走り出した。
鼻水も涙もそのまま。けど、今はそれどころじゃない。
「えぇぇ、ちょ、まってまって! マジで行くん?
いやほんま、お前ってやつは!」
涼も慌ててあとを追いかける。
二人は勢いのまま自転車を引っ張り出しペダルを蹴った。
風を切る。タイヤが地面を鳴らす。
カゴの中で鍵やペットボトルがガチャガチャと揺れる音さえ、
今は鼓動の一部みたいだった。
「涼! このまま坂降りて、あのバス停まで全速力や!」
「ほんまに行くんかよ!」
「今から行けば、ギリ間に合うはずや!
それに乗れたら……もう絶対、大丈夫!」
「うわ、マジかぁぁ!」
そらは前を向いたまま、叫ぶ。
「ぜってぇ間に合わせたるーーー!」
二人のチャリが、風を巻きながら坂を駆け下りる。
夏の終わりの匂いが鼻をかすめ、風が背中を押してくる。
バス停の向こうに、白と青のバスが見えた。
「うわっ、やべー! 多分あれや!」
「絶対あれやん! 乗らなあかんやつ!」
ペダルをさらに踏み込む。
重力も味方にして、スピードが一気に上がる。
バス停に自転車置き場なんてない。
でも、そんなこと気にしてる場合じゃない。
「いけえええええぇぇっ!!」
二人は自転車をそのへんの植え込みにガッシャーンと放り投げ、
勢いのままバスのステップに飛び乗った。
車内はがらがら。冷房のきいた空気に、
汗だくの二人の息遣いだけが響いた。
「……はぁ、はぁ……間に合ったな……」
涼が座席に沈み込み、肩で息をする。
「死ぬか思た……マジで……」
そらも隣に座り、額の汗をぬぐった。
「いや、なんか……ほんまごめん。勢いで来てもうた……」
涼はふっと笑い、息を整えながら言った。
「ええって。しゃーないしゃーない。青春~」
車窓に流れる街並みを眺めながら、ぽつりと続ける。
「新幹線のとこまでは、あと二十分ぐらいやな。
……で、お前さ。黒川さん、どこらへんの車両に乗るとか、
どこのホームとか、知っとるん?」
「は? 知るわけないやん。そんなもん」
涼は口をぽかーんと開けたまま、固まる。
「……お前なぁ。新幹線って、
めっちゃ長いんやぞ? 知らんのか?」
「知っとるけど……でも、言うてそんな広ないやろ?」
「端っこと端っこやったら、もう絶対会えへんで?
ホーム、人でごった返しやぞ!
どこおるかわからんかったら詰みやんけ」
そらはどこ吹く風でフンっと鼻を鳴らした。
「そんなこと言うたってしゃーないやん。
もうすぐ着くんやし勢いで探すしかないやろ!」
「……はぁ~……ほんま、行き当たりばったりやなお前は……」
涼は呆れたように言いながらも、どこか浮かれた声だった。
バスが新幹線の駅に着くと、そらと涼は迷うことなく出口から飛び出した。
「目の前、階段や! いける、ここや!」
二人は地面を蹴るように階段を駆け上がる。
息が切れて、喉が焼けるみたいに熱い。
改札口にたどり着くと、ほとんど飛び込むように入場券を二枚買った。
「東京行き、どこや!? 表示板、表示板……!」
「あった! 六番ホームや!」
そらが叫ぶ。
「エスカレーターより階段や! おい、涼、こっち!」
「えぇぇ? マジかよ……!」
文句を言いながらも、涼はそらのあとを全力で追いかける。
二人はまたしても全速力で、
今度はホームへ駆け上がった。そして――。
「……おった!」
六番ホームの奥。
乗車口の前に、サンサンパークのバイト仲間たちが集まっていた。
この夏、何度も一緒に働いた顔ぶれ。
その中でひときわ目立つ後ろ姿――。
黒のトートバッグを肩にかけ、
スーツケースを持っている。
啓太朗は、仲間と最後の挨拶を交わしていた。
「はっ……はっ……! 啓太朗さん!」
そらが叫んだ。
その声が届いたのとほぼ同時に発車ベルが鳴った。
構内に響く音が最後の警告のように胸を締めつける。
啓太朗が振り向いた。
一瞬、時間が止まった。
けれど啓太朗は静かに乗車口へと足を進める。
「啓太朗さん!!」
そらは腹の奥から、声を絞り出すように叫んだ。
「大好きいいいいいぃ! いってらっしゃい!」
その声は発車ベルにも、
構内アナウンスにも負けていなかった。
ホームにいた誰もが振り返るほどの、大きな声。
閉まりかけたドアの向こうで、啓太朗の顔が真っ赤になっていた。
目を合わせないように下を向いて、
降参するみたいに片手をあげている。
それだけで、すべてがわかった。
カチャンと音を立ててドアが閉まる。
新幹線がゆっくりと動き出す。
視界から啓太朗を乗せた車両が遠ざかっていった。
涼が半ば呆れ顔でつぶやいた。
「……うわ……こいつ……ほんまにやったったで……
ど直球の全力告白……」
周囲の空気がざわざわと揺れる。
ホームにいたサンサンパークのバイトメンバーたちも、
ぽかんとした顔でこちらを見ていた。
「え、お前ら……わざわざ見送りに来たん?」
「……まあ、そうっすね。お世話になったんで」
そらはできるだけ平静を装い、さらっと答えた。
すると、別の先輩がちょっと笑いながら言った。
「いやでも、お前……さっき『大好き』って……」
その瞬間――。
そらの顔がぱっと真っ赤になる。
固まったまま言葉が出ないそらを見て、すかさず涼が前に出た。
「あーっ、アレっすよアレ!
先輩として、人として、尊敬してるって意味の好きっす!
な? そら?」
「う、うん、そうそう、そういうことっす!
俺、みんなのこと、ほんまに尊敬しとるし、大好きですからね!」
あたふたと手を振るそらに、
先輩たちは「あー、なるほどね」と納得したようにうなずいた。
「いや~、びっくりしたわ。
こんな公衆の面前で、めっちゃ告白するやんって思ったし」
「……しませんし……」
そらが小声でぼやくと横で涼がニヤニヤ笑った。
ざわついた空気が少しずつサンサンパークの控室のように和みはじめた、
そのときだった。
「……なあ」
古参の先輩がぽつりと言った。
「君ら……高校生やんな?」
「……え?」
「で、今日……平日やんな?」
目の前を銀色の車体が駆け抜ける。
その一瞬の轟音のあと、残ったのは静けさだ。
「授業は? ……何してんの? 君ら」
一瞬でその場の空気が凍り付いた。
「あ、あー……いや、あの……
朝ちょっとお腹痛くて……二人とも学校休んだんすよ……」
そらがこっそり小声で「バレバレやん」とツッコむが、
涼は強引に押し切る。
「で、回復してきたから……
じゃあ見送り行こうかって……」
――バチン!バチン!
「アホか! 学校はちゃんと行けって言うとるやろがい!
バイトばっかりしとったらアカンねん!
学生の本分は勉強じゃボケ!」
「す、すいません……!」
「き、気をつけます……!」
ふたりはぺこぺこと頭を下げる。
先輩たちは笑いながら「青春やな~」と口々に言った。
「まぁ来年もきっと、このメンバーで集まるやろな」
「そうやな。黒川くん、来年就活やし……
あの人は次の夏がラストやな、サンサンの夏」
そらは彼が遠くに消えていった線路を見つめ、ぽつりと言った。
「楽しかったな、今年の夏……また、みんなで会えたらええな」
「ほんま、それな」
「集まろうや、絶対」
秋の風がホームを抜けていく。
バカみたいに全力で走って、
笑って、泣いて、叫んで――。
青春の一瞬を切りとったみたいな夏は、たしかに今、ここにあった。



