Summer Blue ~君が残したシトラスの嘘と約束~





外は、すっかり秋の空になっていた。
白い雲が高く、日差しはもう夏ほど強くない。

部屋の中では、そらと涼が並んで寝転び、
漫画をめくりながらごろごろしている。
クーラーの風がゆるく揺れ、ページをめくる音と、
たまに小さな笑い声だけが響いていた。

「なあ、そら……ほんまに駅行かんでええんか?
黒川さんの新幹線、十時発やろ?
今からぶっ飛ばしたら、ギリ間に合うんちゃうん?」

「ええねん。ちゃんとお別れはしてきたから」

「そうかもしれんけど……」


「それにな、行ったら絶対どえらいことなるわ」

そらは漫画を枕元に置き天井を見上げながら続けた。 

「たぶん俺、大号泣しながら新幹線乗り込む思う。
んで気がついたら東京までついて行ってもて、
改札で駅員さんに止められてるわ、絶対」

あまりにも鮮明に想像できてしまったので、
くすっと笑いがこみあげてきた。

「……そんな恥ずかしいこと、できひんし。
おとなしくここにおる」

涼は、半分納得しながらもまだ腑に落ちない顔で、
漫画をパタンと閉じた。

「……まあ、そうかもやけど。
でも、なんかな。それでええんかって思ってまうわ。俺は」

沈黙が落ちる。やがて、そらがぽつりと呟いた。

「……なぁ涼。俺、結局な、合計四回も振られてんねん。やばない?」

「え?」と涼が聞き返すより早く、そらは言葉を重ねた。

「中の二回目と三回目なんか、俺、なんも言ってないのにやで?
もうなんか振られた感じになってて、終わっとった。
告白すらしてへんのにやで? 意味わからんやろ?」

涼が顔をしかめる。

「……うん、まあ、
やばいかやばくないかで言ったら、やばいな」

「やろ? でもな、
なんで俺がここまで食い下がらんかったんかちょっと考えてみたんよ」

そらは目を閉じ、ゆっくり言葉を探すように続けた。

「俺ってなんでも結構見切りつけんの早いやん?
今までやったら一回目ふられた時点で諦めてたと思う。
でも、今回は諦めんかった。間違いやったら、それでもええ。
うぬぼれでもかまへん。でもな……前に涼が言っとったやん。
俺、絶対あの人に思われとる気がすんねんよ」

涼は黙って、そらの横顔を見つめている。

「がっつり振られてんねんで? 
何回も。でも……なんかわからんけどな、
俺、あの人と付き合う気がするんよ」

「はぁ~……ほんま、なんなん、お前ら」

涼が、大きなため息をついた。

「……は?」

「いやもう、なんなんそのめんどい関係。
ほんま、ややこしいわ。見とるこっちがしんどなるわ」

ぶつぶつ言いながら、彼はかばんをゴソゴソと探りはじめた。

「……なにしてんの?」

「はい、出ました~」

涼が取り出したのは、小さな四角い箱。

「……え、なにこれ?」

涼はそれをぽんっと、そらの胸の上に放った。
あわてて受け止めたそらは、箱を見て目を見開く。
ほんのり柑橘の香りがする――。

「きのう、黒川さんから預かった。
そらに渡しといてって。はぁ~、なんやねんお前ら」

涼はもう一度、めんどくさそうに頭をかきながらぼやいた。

「普通に会えるやん。直接渡せばええやん。
なんでわざわざ俺経由すんねん。
ほんま、まわりくどいわ。めんどくさいの極みやん」

そらは涼を無視してそっと箱を開けた。
中から出てきたのは、丸みを帯びた透明なガラス瓶。
手首にひと振り、シュッと香りをのせる。
その瞬間――。
ふわっと、あの香りが空気に広がった。
ほんのり甘くて、でも爽やかで。
まぎれもなく、黒川啓太朗の匂いだった。
鼻先から入ってきたその匂いが、まるでスイッチみたいにそらの胸の奥を押した。

控え室で初めて会った日。
お化け屋敷ですれ違うたび、ドキドキした胸の音。
二人で行ったドライブ、助手席で見た横顔。
泣きながら話した夜のカフェ。
「大事に思ってる」って言われたあの瞬間。
星を見に行った夜、ふたりで同じ未来を見た気がしたこと。
気づけば、隣にいるのが当たり前になっていた。

全部――思い出した。

香りと一緒に、まるごと。

「……う、うわああああああ!」

子供みたいな声を上げて、そらは泣いた。
声を殺そうとか、涙を止めようとか、そんなの無理だった。

「好きやった……めっちゃ好きやった。
ほんまに……ていうか、今も大好きやしもうなんなんこれ!」

ぐしぐしと目をこすり、
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のまま、叫ぶ。叫ぶ……。

「諦めさす気、全然ないやん! 俺の匂い、覚えとけってことやろ?
縛る気ないとか言うといて、めっちゃ縛ってくるやん!」

こぶしで床を軽く叩く。

「もうこれ、独占欲の塊やん……
忘れさす気、ゼロやん! ほんま、最後までずるいわ!」

両手で顔をぐしゃっと覆い、うなだれる。
肩が大きく上下して、しゃくりあげる音が部屋に響いた。
隣で見ていた涼は、最初こそ目を丸くしていたが、
やがてふっと笑った。

「……お前がそこまで泣ける相手でよかったな」

その言葉がそらの胸にじんと染みた。
そらはぎゅっと目をつむって深呼吸をひとつ。

そして――顔を上げた。

「行く」

「……は?」

「俺、行くわ」

「いや、どこに!?」

そらは鼻をズビーっとすすりながら真剣な目で答えた。

「駅。新幹線。やっぱり見送りに行く!」