「今日さ、友達が修行してるカフェがあってご飯もけっこう美味いんよ。
やからそこにしようかなと思っとんやけど」
啓太朗が提案してきた店は、
車を二十分ほど走らせて、大通り沿いにあるガラス張りのカフェだった。
白壁と木のフレーム、テラスに吊るされたエジソン電球。
北欧の街角のような雰囲気が漂っていてすごく洒落ていた。
「……うわぁ……」
中に入ると革張りのソファに、重厚なスチールと木のテーブル。
黒いアイアンの照明が席ごとにやわらかく灯り、
奥のカウンターでは、ベスト姿のバーテンダーがグラスを拭いている。
棚にはワインやウイスキーの瓶がずらりと並び、
カフェであり、バーでもある空間が広がっていた。
「……なにここ……おしゃれすぎる……」
思わずもれたそらの声に、啓太朗はフッと笑った。
「夜はバーとしてもやってるらしい。
まあ、未成年は飲めんけどな」
「いや、いやいや……!
こんなお店、見たことないです……大人すぎてやばい……」
圧倒されながら背筋を伸ばして足を踏み入れる。
──田舎じゃ絶対にありえない空気感。
そんな場所に、今、自分は好きな人とふたり。
ただそれだけで胸がいっぱいになる。
扉を閉めるとまたカラン、とベルが鳴りカウンターから声が飛んできた。
「お、啓太朗。席、取っとるで。奥、空いてるとこや」
「……え?」
啓太朗の横顔を見ると、さらっと答えが返ってきた。
「ん、まあ。一応、時間だけ伝えといてん」
(かっこええな、もう……。スマートすぎる……)
店の奥へと歩いていくと、
カウンターから出てきた男性が、手を差し出してきた。
「こんばんは。
このボンボン息子の友達やってます、拓実です。よろしくな」
「……ボンボン言うな、はよ案内せいや」
「うっわ、言い方こわ。……素出とるぞ、お前」
「うるさい」
ふたりのやりとりは、あまりに自然で気の置けない感じだった。
自分といる時とは少し違う飾らない姿。
いつもは落ち着いていてクールな啓太朗が、
この人と話してるときは無防備だ。
そらは思わずふたりに見入ってしまう。
「ほい、こっちやで。奥の席、空けといた」
拓実に案内されて座ろうとしたとき、彼がニヤッと笑う。
「なあ啓太朗、この子……彼氏?」
「……は?」
「こーんなかわいい子連れてきて。ついに手ぇ出したんか?」
「出してへんし! 勝手なこと言うな、このくそバイト!」
「うわ、焦りすぎぃ! それカスハラやで? カスハラ!」
「うっさい。はよメニュー持ってこいや」
「はいはい、クレーム対応入りま〜す」
拓実が笑いながら厨房へと消えていく。
そらは笑いをこらえつつ、ちらっと啓太朗を盗み見た。
「……ごめんな、あいつ、あんなんで」
「全然っす。なんか、仲良さそうで……ちょっと羨ましかったです」
「……こんなとこ連れてきて、だいぶ失敗やったかも……。
落ち着かんかったら言って。すぐ場所変えるから」
「えっ、そんな……全然ないです!」
そらは慌てて背筋を伸ばした。
「むしろ……めっちゃ嬉しいっす。
啓太朗さんのちょっといつもと違う顔見れた気がして」
向かいに座る啓太朗が小さく「そっか」とつぶやいた。
テーブルに並んだのは、おすすめのパスタと前菜。
拓実が勝手に「うまいから飲んどけ」と持ってきたジュース。
落ち着いた照明の下、いつもより静かな時間が流れていく。
仕事の話や音楽の話で盛り上がり、
特別なことはなくてもふたりでいると心地がよくて、
あっという間に時間が過ぎていった。
「……それじゃ、伝票、こっちで」
啓太朗が自然に伝票を取り、
拓実がレジで会計を打ち始めたそのときだった。
「……あ、そういやさ、お前あとちょっとしかこっちおらんのやろ?
今度の冬休みはまた帰ってくるんか? それとも、もう春まで帰ってこん?」
──その瞬間、空気がピタッと止まった。
啓太朗の手が、お札を出したまま硬直する。
「……っ、いや、それは……」
声がかすかに揺れて、横顔がこわばって見えた。
「バイトももうすぐ終わりやろ。
また飲みに行きたいし、連絡してこいや」
無邪気な拓実の言葉が、逆に鋭く響いた。
そらの中で、何かが「カーン」と音を立てて割れた。
ガラス越しのジャズも、グラスを拭く音も、全部が遠のいていく。
──東京に、帰る。
──バイト、終わる。
──東京……?
頭の中で散らばっていたピースが、
カチッ、カチッと音を立てて繋がっていく。
そして、気づいた。
──そうや。啓太朗さんって、東京の人やったんや。
さっきまで笑って話して、この夏がずっと続く気がしいてた。
でも、それは自分だけの錯覚にすぎなかった。
「東京」という言葉が胸の奥に重く落ちる。
そこからじわじわと広がる痛みで急に息苦しくなる。
「……行こう」
そらの手が、そっと握られた。
強くはない。けど確かに引かれるその感覚に、ぼんやりと足を動かした。
外に出ると、夜の風がひやりと頬を撫で、
その冷たさが少しだけ現実に引き戻してくれる。
ふたり、無言のまま車に乗り込むと、
ドアが閉まる音だけがやけに大きく響いた。



