修学旅行が終わって、青霞学院の“日常”が戻ってきた。
朝のチャイム。提出物。小テスト。模試の話題。廊下に貼られる偏差値表。
先生の「受験生としての自覚を〜」という定型句。――この学校は、何もかもが未来に向かって押し流れていく。
修学旅行の自由なんて、最初から幻だったみたいに。
それでも俺は、幻じゃないものをひとつだけ持ち帰ってきた。
琉人の手の温度だ。
教室で、俺たちは相変わらず“幼馴染の再会”を演じる。
でも、ほんの少しだけ、変わった。
昼休み、俺がプリントを机の上で整えていると、琉人がさらっと言う。
「雄大、消しゴム落ちてる」
「え、どこ……?」
俺が探す前に、琉人はすっと拾って、何でもないふりで俺の手のひらに置く。
指先が一瞬だけ触れて、熱が走る。俺は顔が赤くなるのを必死で隠しながら、むすっとしたふりをして言う。
「……わざと触ったでしょ」
「偶然」
「絶対うそ」
「うそじゃないよ、雄大」
「よ」が柔らかい。余裕がある。ずるい。
俺は机の下で膝を軽く揺らして、心臓のうるささを誤魔化した。
放課後はもっと大変だ。受験対策が本格化して、校内の空気はさらに張り詰める。図書室も自習室も、みんな真剣で、恋なんて置いてきぼりみたいに見える。
だけど、置いていかれない。
なぜなら俺の勉強は、ちゃんと“恋に混ざってくる”から。
自習室の一角。隣に座る琉人が、俺のノートを覗き込みながら低い声で言う。
「ここ、式の立て方が違う」
「……琉人、近い」
「集中して」
「できない」
「できる。雄大なら」
さらっと言うくせに、俺の心臓を乱すのが上手すぎる。俺は小声で抗議する。
「……褒めるのずるい」
「ずるくない。事実」
そう言う目が、ずるい。
俺はノートに視線を戻しながら、心の中でこっそり降参する。
――今日も俺は、琉人に負けてる。
そして夜。
家に帰って、机に向かって、問題集を開いて、眠くなってきたころ。
スマホが震えた。
【琉人】
今日、ちゃんと頑張ったね
たったそれだけで、胸がぽっと温かくなる。
俺は布団に転がりたくなる衝動を抑えて、指を動かす。
【雄大】
琉人のせいで心臓がうるさくて集中できなかった
既読がつくのが早すぎて、笑ってしまう。
【琉人】
じゃあ、明日も
うるさくしてあげる
【雄大】
やめろ
【琉人】
やめない
……おやすみ、雄大
“おやすみ”の後ろに、たぶん笑ってる気配がある。
俺は頬を膨らませて打つ。
【雄大】
……おやすみ
明日、机の下で触ったら許さない
すぐに返ってくる。
【琉人】
了解
でも、触りたくなったら我慢しない
――ずるい。
俺はスマホを枕に押し付けて、声にならない悲鳴を上げた。
なのに、そのずるさが嬉しくて、笑ってしまう。
翌朝。
俺がいつものように教室に入ると、湊が真っ先に叫ぶ。
「雄大! 今日小テストやばい! 助けて!」
「自業自得!!」
「真木先生! 助けて!」
「先生じゃない」
真木がため息をついて、問題集を開いた。
琉人はいつも通り静かに座っていて、俺を見る。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で言った。
「……おはよう、雄大」
たったそれだけなのに。
昨日のLINEも、机の下の熱も、修学旅行の夜も、全部が一気に戻ってくる。
俺は少しだけ口角を上げて、同じくらい小さく返した。
「……おはよう」
進学校の日常は忙しくて、恋は隙間にしか置けない。
でも、その隙間がある限り、俺たちはちゃんと恋人でいられる。
俺は今日も思う。
噂が怖くても、受験が近くても。
この人の隣は、やっぱり落ち着く。
そうして琉人は、何も知らない顔のまま、俺の消しゴムを拾って手のひらに置いた。指先が一瞬だけ触れて、俺はまた顔が熱くなる。
琉人が小さく囁く。
「……今日も可愛い」
「……言うな!」
俺が小声で怒ると、琉人は余裕のある目で笑った。
「言うよ。雄大の前だけ」
――ほんと、ずるい。
でも、そのずるさが、俺の日常を毎日少しだけ彩ってくれる。
朝のチャイム。提出物。小テスト。模試の話題。廊下に貼られる偏差値表。
先生の「受験生としての自覚を〜」という定型句。――この学校は、何もかもが未来に向かって押し流れていく。
修学旅行の自由なんて、最初から幻だったみたいに。
それでも俺は、幻じゃないものをひとつだけ持ち帰ってきた。
琉人の手の温度だ。
教室で、俺たちは相変わらず“幼馴染の再会”を演じる。
でも、ほんの少しだけ、変わった。
昼休み、俺がプリントを机の上で整えていると、琉人がさらっと言う。
「雄大、消しゴム落ちてる」
「え、どこ……?」
俺が探す前に、琉人はすっと拾って、何でもないふりで俺の手のひらに置く。
指先が一瞬だけ触れて、熱が走る。俺は顔が赤くなるのを必死で隠しながら、むすっとしたふりをして言う。
「……わざと触ったでしょ」
「偶然」
「絶対うそ」
「うそじゃないよ、雄大」
「よ」が柔らかい。余裕がある。ずるい。
俺は机の下で膝を軽く揺らして、心臓のうるささを誤魔化した。
放課後はもっと大変だ。受験対策が本格化して、校内の空気はさらに張り詰める。図書室も自習室も、みんな真剣で、恋なんて置いてきぼりみたいに見える。
だけど、置いていかれない。
なぜなら俺の勉強は、ちゃんと“恋に混ざってくる”から。
自習室の一角。隣に座る琉人が、俺のノートを覗き込みながら低い声で言う。
「ここ、式の立て方が違う」
「……琉人、近い」
「集中して」
「できない」
「できる。雄大なら」
さらっと言うくせに、俺の心臓を乱すのが上手すぎる。俺は小声で抗議する。
「……褒めるのずるい」
「ずるくない。事実」
そう言う目が、ずるい。
俺はノートに視線を戻しながら、心の中でこっそり降参する。
――今日も俺は、琉人に負けてる。
そして夜。
家に帰って、机に向かって、問題集を開いて、眠くなってきたころ。
スマホが震えた。
【琉人】
今日、ちゃんと頑張ったね
たったそれだけで、胸がぽっと温かくなる。
俺は布団に転がりたくなる衝動を抑えて、指を動かす。
【雄大】
琉人のせいで心臓がうるさくて集中できなかった
既読がつくのが早すぎて、笑ってしまう。
【琉人】
じゃあ、明日も
うるさくしてあげる
【雄大】
やめろ
【琉人】
やめない
……おやすみ、雄大
“おやすみ”の後ろに、たぶん笑ってる気配がある。
俺は頬を膨らませて打つ。
【雄大】
……おやすみ
明日、机の下で触ったら許さない
すぐに返ってくる。
【琉人】
了解
でも、触りたくなったら我慢しない
――ずるい。
俺はスマホを枕に押し付けて、声にならない悲鳴を上げた。
なのに、そのずるさが嬉しくて、笑ってしまう。
翌朝。
俺がいつものように教室に入ると、湊が真っ先に叫ぶ。
「雄大! 今日小テストやばい! 助けて!」
「自業自得!!」
「真木先生! 助けて!」
「先生じゃない」
真木がため息をついて、問題集を開いた。
琉人はいつも通り静かに座っていて、俺を見る。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で言った。
「……おはよう、雄大」
たったそれだけなのに。
昨日のLINEも、机の下の熱も、修学旅行の夜も、全部が一気に戻ってくる。
俺は少しだけ口角を上げて、同じくらい小さく返した。
「……おはよう」
進学校の日常は忙しくて、恋は隙間にしか置けない。
でも、その隙間がある限り、俺たちはちゃんと恋人でいられる。
俺は今日も思う。
噂が怖くても、受験が近くても。
この人の隣は、やっぱり落ち着く。
そうして琉人は、何も知らない顔のまま、俺の消しゴムを拾って手のひらに置いた。指先が一瞬だけ触れて、俺はまた顔が熱くなる。
琉人が小さく囁く。
「……今日も可愛い」
「……言うな!」
俺が小声で怒ると、琉人は余裕のある目で笑った。
「言うよ。雄大の前だけ」
――ほんと、ずるい。
でも、そのずるさが、俺の日常を毎日少しだけ彩ってくれる。
