幼馴染が帰ってきた。最強にかっこよくなって。

 中間テストが終わった。

 青霞学院の中間テストは「終わった!」と叫ぶようなイベントじゃない。
 終わった瞬間から「次」が始まっていて、みんなの顔は喜びよりも計算でできている。平均点、順位、志望校、判定、春の模試――未来の話が、空気に混じってくる。

 それでも。

 中間が終わった今、教室には確かに“解放”があった。

 だって次は――修学旅行。

 そして、それは進学校における“最大級の息抜きイベント”だ。

 担任が教壇に立って、やたら明るい声で言う。

「いいかー! お前ら! 青霞学院は進学校だ! だから修学旅行は早めに終える! その代わり、思い切り楽しめ! ここだけは――校則、適用されませーん!!」

 教室がざわっとした。

「え、やば」
「校則適用されないって先生言った!?」
「今言ったよね!? 録音した!?」
「言質取った!」

 湊がすぐに前の席から振り返って、目をキラキラさせる。

「雄大!!! 校則適用されないって!!! やばくない!? つまり自由!!」
「声でかい!!」

 真木は相変わらず冷静にプリントを眺めながら、淡々と言った。

「自由って言っても、勉強からは逃げられないぞ」
「真木は空気読め!!」
「すんませんね」
「だりー」

 俺が言い返しながら、隣の席を――見ないようにして、見た。

 琉人はいつも通り、静かに座っている。黒髪のセンターパートがさらりと落ちて、横顔は完璧で、無表情の仮面も上手い。

 でも、俺だけには分かる。

 琉人の視線が、ほんの少しだけこっちに向いている。

 初デートの余韻が、胸の奥で甘く広がった。

 修学旅行。
 鹿児島、宮崎、熊本、大分。
 四泊五日。

 しかも先生たちが「校則適用されないぞ!」って堂々と言ってる。

 ……自由。

 自由って、何?

 俺の脳が危ない方向に暴走しそうになって、慌てて現実に戻った。

 班決め。

 そう、最初の壁はここだ。

「よし! 修学旅行の班を決めるぞー! 基本は男女混合だけど、もう自由だ、好きにしろ! 四〜五人だ! 揉めるなよ! 揉めてもいいけど責任持てよ!」

 担任がノリみたいに言うけど、班決めって普通に人生の縮図だ。

 そして、恋人がいる俺にとっては――地獄。

 俺は机の下で、こっそり拳を握った。

 琉人と同じ班になりたい。

 当たり前だ。恋人なんだから。
 でも、露骨に同じ班にしようとしたら、噂が死ぬほど増える。

 “幼馴染の再会”で誤魔化すしかない。
 でもそれでも、怪しまれたら終わる。

 俺が内心でぐるぐるしていると、湊がまた声をかけてくる。

「ねえ雄大、俺たち班一緒にしよ! 真木も一緒でさ! 絶対楽しいじゃん!」
「うん……それは、ありがたい」

 真木が頷く。

「地理は任せろ。九州の地形なら説明できる」
「真木の地理、頼もしすぎて笑う」

 その流れなら自然だ。
 湊と真木と俺。
 あと一人――。

 俺の視線が、どうしても隣へ引っ張られる。

 琉人。

 同じ班になりたい。
 でも、言ったらバレる。

 俺が迷っていると、女子たちの集団が琉人の席の周りにできた。

「篠山くん、班どうする?」
「篠山くん、うちら空いてるよ?」
「篠山くん入ってくれたら助かる!」

 ……うわ。

 俺の胸が、ぎゅっとなる。

 琉人は断るのが上手い。秒速で終わらせる。
 でも班は違う。4泊5日だ。グループ行動だ。さすがに断り続けたら目立つ。

 琉人が淡々と返す。

「……決めてない」

 そのとき。

 女子の一人が、ちらっと俺を見た。
 そして、ほんの少し眉を寄せた。

「……篠山くん、崎枝くんと仲良いよね」
「幼馴染なんでしょ?」
「でも最近、近くない?」

 空気が変わる。

 俺の背中が冷えた。

 噂。
 命取りのやつ。

 琉人の視線が、一瞬だけ俺に落ちた。
 その目が、少しだけ焦っているように見えた。

 そして――

 琉人が、言った。

「……雄大とは組まない」

 冷たく。
 切るみたいに。

 俺の心臓が、一度止まった。

「……え」

 声が出た。
 小さすぎて自分にしか聞こえないくらい。

 琉人は、女子たちに向けたまま、続ける。

「……他の奴と組めばいいだろ」

 その言い方が、無意識の刃みたいだった。

 俺は息ができなくなった。

 違う。
 違うのに。

 分かるはずなのに。

 “好きだから不器用”を知っているのに。

 それでも、胸が痛い。

 俺は机の上のプリントを握りしめて、視線を落とした。
 教室のざわざわが遠くなる。
 何より、琉人の言葉だけが残る。

 雄大とは組まない。

 その一言が、俺の中の甘さを一瞬で冷やした。


 班は結局、いろんな紆余曲折があった。

 女子が琉人を引っ張り合い、男子がその様子を見て騒ぎ、担任が「揉めるなって言っただろ!」と笑いながらも強引にまとめていく。

 最終的に――

 俺、湊、真木、琉人。

 同じ班になった。

 担任が「お前ら遅い!! はいもう決定! この四人、バランス良いな!」と勝手に言い切って、黒板に班表を書いた瞬間、教室から「おおー」って声が上がった。

 でも俺は、嬉しくなかった。

 いや、嬉しいはずなのに。

 琉人のあの言い方が、胸に刺さったまま抜けない。

 湊が俺の肩を叩く。

「雄大! やったじゃん! 篠山も同じ班! 最強だろ!」
「……うん」
「え、元気なくない? 修学旅行だぞ!? 校則適用されないぞ!?」
「声でかいって……」

 真木が俺を見て、淡々と察した顔をする。

「……後で話せ」
「……うん」

 琉人は、班表を見たまま、無表情だった。

 でも、ペンを握る指がほんの少し強い。
 その硬さが、俺の胸をさらに痛くする。

 ――俺が傷ついてるって、琉人は気づいてる。

 気づいてるのに、近づいてこない。

 それが一番苦しい。


 放課後。
 俺は先に教室を出た。

 廊下を歩いて、階段を下りて、誰もいない踊り場の影に立った。
 涙が出るほどじゃない。
 でも、胸がぎゅっと痛い。

 少しだけ落ち着こうと思ったのに。

「……雄大」

 背後から、低くて柔らかい声がした。
 振り向くと、琉人が立っていた。
 教室では一歩も近づかなかったくせに、誰もいない場所では、ちゃんと来る。

 ずるい。

 でも、嬉しい。

 俺はむすっとしたまま、言った。

「……何」
「……さっきの、言い方」

 琉人がそこで言葉を止めた。
 視線が揺れる。
 珍しいほど、迷っている。

「……ごめん」
「……」

 ごめんって言われたのに、胸が軽くならない。
 俺は唇を噛んで、正直に言った。

「……悲しかった」
「……うん」

 琉人が頷く。その頷きが、重い。

「雄大と同じ班になりたかったのに」
「……じゃあ、なんであんな言い方したの」
「……女子が、怪しんでた」

 琉人の声が少しだけ低くなる。

「雄大と俺が近いって。……見られてた」
「……だから、冷たくした?」
「……うん」

 琉人が拳を握った。
 自己嫌悪の形みたいに。

「優しくしたかった。……でも、優しくしたら、もっと怪しまれる」
「……」

 理屈は分かる。
 守ろうとしたのも分かる。

 でも、心は痛い。

 恋って、簡単じゃない。

 琉人は小さく息を吐いて、視線を落とした。

「……俺、またやった。好きな人に冷たくして……最低だ」

 その声が、少し震えているように聞こえて、俺は胸がきゅっとなる。
 琉人が優しくなりたいのに、うまくできないのが分かる。
 好きだから不器用、が再燃してる。
 俺は一歩だけ近づいた。

 距離が、縮む。

「琉人」

 俺が名前を呼ぶと、琉人が顔を上げた。
 不安が滲んだ目。

 俺はその目を見ながら、ちゃんと言葉を選んだ。

「昔の琉人に戻って、じゃない」

 琉人の眉が、ほんの僅かに動く。

「今の琉人が好き」

 言った瞬間、胸が熱くなった。
 恥ずかしい。
 でも、言わないと伝わらない。

「優しくなりたいなら、なればいい。でも、無理しなくていい。琉人が不器用なのも知ってる」
「……雄大」

 琉人の声が、ふわっと柔らかくなる。

 俺は続けた。

「ただ、冷たい言い方されたら……俺、普通に傷つくから……」
「……うん。ごめん」
「だから……ちゃんと、言ってほしい。守りたいなら守りたいって」

 琉人はしばらく黙っていた。
 それから、ゆっくり頷いた。

「……守りたい」
「……うん」
「雄大を、誰にも、傷つけられたくない」

 その言葉が、甘くて苦しくて、胸が締まった。

 俺は笑ってしまった。
 ほんの少しだけ。

「それ、独占欲じゃん」
「……うん」

 琉人が認めるのが早くて、俺はまた笑ってしまう。
 ここで笑えるようになったのは、たぶん俺たちがちゃんと“話し合える恋人”になれたからだ。

 琉人が一歩近づく。
 俺も逃げない。

 琉人の指が、俺の手首に触れる。
 優しく、確かに。

「……修学旅行、同じ班で良かった」
「……うん」

 俺が頷くと、琉人はほんの少しだけ微笑んだ。
 その微笑みが、教室では絶対に見せないやつで、俺の胸が甘く痛む。

「校則、適用されないって先生言ってた」
「……言ってたね」
「……自由、だね」

 自由。

 その単語が、危険な響きを持ってしまうのは、俺が琉人を好きすぎるせいだ。

 琉人が小さく囁く。

「……雄大と、いっぱい思い出作りたい」
「……作ろう」

 俺がそう言った瞬間、琉人の指先がほんの少し強くなった。
 まるで“約束”を結ぶみたいに。

 進学校の壁は高い。
 噂は怖い。
 恋は命取り。

 それでも、俺たちは同じ班になった。
 鹿児島、宮崎、熊本、大分。四泊五日。

 先生が大声で許可した“自由”の中で、俺たちはきっと、もっと近づいてしまう。

 ……怖いくらいに。

 でも、今はそれが楽しみで仕方なかった。