幼馴染が帰ってきた。最強にかっこよくなって。

 告白って、人生の中で一番、音がしないのにうるさい出来事だと思う。

 あの夜。琉人の部屋。間接照明の影が柔らかく揺れて、世界が少しだけ夢みたいに滲んで見えた場所で、俺は泣いて、笑って、「バカじゃん……」って言って、琉人は真っ直ぐに「好きだ」って言って、俺たちはキスをした。

 ……それだけで終わればよかったのに。

 終わるわけがない。

 現実は、告白の続きを容赦なく連れてくる。

 翌日も、学校はいつも通り始まるし、偏差値70越えの青霞学院は、恋よりも先に“点数”を要求してくるし、噂はどこからともなく生まれて、速くて、鋭くて、命取りだ。

 だから俺たちは、“秘密”を選んだ。

 好きって言えたのに、好きって言えない。

 その矛盾が、甘酸っぱくて、ちょっと苦い。

 俺たちが“付き合う”って言葉を口にしたのは、告白の夜から、少しだけ時間が経ってからだった。

 琉人の膝枕のまま、俺は涙目で「許す」とか言って、琉人は「やっと言えた」とか言って、そのあともう一回、もっとちゃんと、息が止まりそうになるくらいの熱くて濃いキスをして。

 でも、その瞬間。

 俺の頭の片隅で、ものすごく現実的な声が鳴った。

 ――これ、学校でバレたら終わる。

 いや、俺の人生が終わるわけじゃない。

 でも、青霞学院における“終わる”は、だいたい人生に直結する。

 ここは成績第一。進路第一。実績第一。
 恋愛は別に禁止じゃない。だけど、恋愛が原因で成績が落ちた瞬間、その人間は簡単に“だらしない”のレッテルを貼られてしまう。

 しかも相手はあの、篠山琉人様だ。

 海外帰りで、頭が良くて、顔が良くて、背が高くて、声が低くて、女子からの人気が異常で、先生からも期待されている“青霞の王子”。

 そんな琉人が、男子――しかも俺と付き合ってるなんて。
 青天の霹靂だ。

 噂になったら、終わる。

 俺が、じゃない。琉人が。
 琉人の居場所が壊れる。

 その想像だけで、胸が冷えた。

「……琉人」

 俺が小さく呼ぶと、琉人はまだ近い距離のまま、息混じりに返事をした。

「ん」
「……これ、さ」
「うん」
「……学校では、内緒にしよ」

 言いながら、俺は怖かった。
 琉人が傷つく顔をするんじゃないかって。

 でも琉人は、少しだけ目を細めて、俺の髪を指で梳いて、静かに言った。

「……分かってる」
「え」
「バレたら、雄大が困る」
「……俺だけじゃない。琉人も」

 俺がそう言うと、琉人の視線がほんの少し揺れた。
 嬉しいのか、切ないのか分からない揺れ。

「……じゃあ、秘密」
「うん、秘密」

 俺が頷くと、琉人は低く囁いた。

「……でも、俺は雄大を隠したくない」
「っ……ず、ずるいこと言うな……!」

 ずるい。
 告白の余韻の中で、その言葉は反則だ。

 琉人は俺の頬を撫でて、淡々と続ける。

「……でも、我慢する」
「……ありがと」
「でも……」

 そこで、琉人が俺の顎を軽く持ち上げた。

 距離が、近い。

「俺から逃げるなよ?」

 笑いながらも低い声が、耳の奥に直接落ちた。

 俺は顔が熱くなって、視線を逸らしながら、でもちゃんと頷いた。

「……逃げないって」

 その返事を聞いた琉人は、少しだけ安心したみたいに息を吐いた。

 それが、俺たちの“付き合う”の合図だった。

 言葉にしたわけじゃないのに、全部伝わった。

 こうして、俺たちは恋人になったのだが……


 翌朝の教室。

 いつもの席。
 いつもの光。
 いつものプリントの山。

 なのに俺の世界だけが、昨日と違う。

 隣にいる琉人が、“好きな人”になってしまった。

 好きな人が隣にいるって、こんなに拷問なのか。
 いや、幸せな拷問。

 琉人は何食わぬ顔でノートを開いている。
 黒髪がさらりと揺れて、横顔が綺麗すぎて、俺はまともに見られない。

 俺がソワソワしていると、真木が前の席から振り返って、淡々と言った。

「崎枝、どうした?」
「どうしたって?」
「なんか顔が落ち着いてないぞ」
「落ち着いてるってば!」

 必死に否定した瞬間、隣から低い声。

「……雄大」

 名前。

 ――教室で。
 公の場で。

 俺の心臓が爆発した。

「……な、なに!?」
「消しゴム」

 琉人が指差した先に、俺の消しゴムが転がっていた。
 俺、落としたの気づかなかった。

 俺が慌てて拾おうとした瞬間、琉人が先に拾って、何もないふりで俺の手のひらに置いた。

 そのとき。
 指先が、ほんの少しだけ触れた。
 たったそれだけ。
 でも、電気みたいに熱が走って、俺は変な声を出しかけた。

「……っ」

 琉人は無表情のまま、机の下で、俺の指先を軽く撫でた。
 一瞬。
 触れて、離れる。
 まるで“秘密”を確認する合図みたいに。

 俺は机の上に顔を落としたくなった。

 死ぬ。
 この人と付き合うの、難易度が高すぎる。

 真木が「お前ら何してんの!」と目だけで言ってくる。
 湊は後ろの席から「うわ、今の何? 手ぇ繋いだ!?」と小声で煽ってくる。

 俺は全力で否定するしかない。

「繋いでないわ!!」
「でも繋ぎたそう!」
「マジでうるさい!」
「可愛いー!」
「黙れって!」

 俺が小声で抗議している間に、琉人は何事もなかったように教科書を開き直す。
 しかし、琉人のオーラは、嫉妬が漂っている。

 ……平然と嫉妬しすぎ。

 俺だけが動揺してるの、悔しい。

 悔しいけど。

 嬉しい。

 今、琉人の指先の熱が、俺の手の中に残っている。
 それだけで、今日の授業の範囲くらいなら覚えられる気がする。

 ……気がするだけ。



 秘密交際のルールは、思ったより細かかった。

 ①教室では“幼馴染の再会”として振る舞う。
 ②放課後に一緒に帰らない。(目立つから)
 ③LINEも最低限。(心臓に悪いから)
 ④人がいない場所でだけ、恋人になる。

 このルール、最後が一番難しい。

 だって俺たちは、同じクラスで、隣の席で、毎日顔を合わせる。

 “恋人にならないでいる”方が無理だ。

 ある日、放課後の廊下。

 俺が真木と話しながら靴箱へ向かっていると、後ろから女子の声が飛んだ。

「篠山くん! 明日のテスト範囲、教えてほしいんだけど!」

 琉人が「無理」と即答して去ろうとする。
 女子が追いかける。
 周りがざわつく。

 そして俺は、意味もなく胸が痛くなる。

 ――まただ。

 琉人はモテる。
 琉人は眩しい。
 琉人は遠い。

 それを分かってるのに、付き合った瞬間、俺の中に“独占したい”が芽を出してしまった。

 そのとき。

 琉人が、俺の方を見た。

 ほんの一瞬。
 誰にも気づかれない速度で。

 でもその視線は、確かに俺だけに向けられた。

 ……ずるい。

 そんな目をされたら、嫉妬すら甘くなる。

 俺が視線を逸らすと、琉人は女子に向かって淡々と言う。

「明日、教える時間ない」
「え、じゃあいつ……」
「……雄大が待ってる」

 待ってる。
 しかも、苗字ではなく、下の名前で……

 その単語が、俺の胸を撃ち抜いた。

 女子が「え?」って顔をする。
 真木が「は?」って顔をする。
 湊が「え? 今なんて??」って顔をする。

 俺は顔が真っ赤になった。

「ちょ、琉人!!」

 琉人は何食わぬ顔で、俺の横を通り過ぎる。

 通り過ぎる瞬間、耳元で低く囁いた。

「……独占したいから」

 ――っ。

 心臓が、死んだ。

 俺はその場に立ち尽くして、真木に肩を叩かれる。

「崎枝、今のは言い訳がもう無理だな」
「……違う、幼馴染の再会だから!」
「再会って便利な言葉だなー?」
「べ、便利なんだよ!!」

 湊が後ろで腹を抱えて笑っている。

「やば、篠山、独占欲漏れてるって!!」

 漏れてる。
 漏れすぎ。

 俺は泣きそうになりながら、琉人の背中を睨んだ。
 琉人は振り返らない。

 でも、肩がほんの少しだけ揺れた。

 あいつ笑ってる!
 絶対、笑ってる!

 ずるい!
 けど、かっこいい。好き!



 秘密交際の一番の敵は、噂だった。

 青霞学院の噂は、早い。

 数学の小テストの平均点より早い。
 教頭の説教より刺さる。
 模試の判定より残酷。

「ねえ、篠山くんって崎枝くんと仲良すぎない?」
「幼馴染って言ってたよ」
「でもさ、あの距離おかしくない?」
「篠山くん、あんな優しい顔するんだってびっくりした」

 やめて。
 俺の心臓がもたない。

 俺たちは必死に“幼馴染”を演じた。

 昼休み、琉人が俺に話しかけるときは、あくまで勉強の話。
 ノートの貸し借りも、テスト範囲の確認も、全部“合理的な関係”に見せる。

 でも琉人は、時々失敗する。

 俺が女子と話していると、視線が冷たくなる。
 俺が湊に肩を抱かれると、ペンの音が強くなる。
 俺が笑うと、琉人の目が一瞬だけ柔らかくなる。

 全部、独占欲。

 漏れるなって。

 ……でも。

 漏れる独占欲が、嬉しい俺がいる。

 恋人の言動が罪になるって、こういうことなのかもしれない。

 俺はただ普通にしてるだけなのに、琉人の視線が「誰にも渡すな」って言ってくる。

 その圧が甘くて、怖くて、胸がきゅっとなる。


 放課後。
 誰もいない階段の踊り場。

 俺は息を整えながら、琉人を見上げた。

「……ねえ、琉人」
「何?」
「学校、危ないね」
「……うん」

 琉人は短く頷いて、俺の手首をそっと掴んだ。

 引っ張るわけじゃない。
 逃がさない、ってだけの力。

「……でも、我慢してるよ」
「え」
「雄大に触れたい」

 低く囁かれて、俺の顔が一気に熱くなる。

「……我慢しろ! ここ学校だぞ!」
「……分かってるけど」

 分かってるって言うくせに、琉人の指が俺の手首を撫でる。

 一秒。
 二秒。
 三秒。

 それだけで心臓が死ぬ。

 俺は小声で怒った。

「琉人、ずるい」
「……雄大もずるい」
「俺が?」
「可愛いから」

 また言う。
 何度も言う。
 俺を壊す気か。

 俺は唇を噛んで、視線を逸らした。

「……好き」
「……俺も」

 琉人の返事が、静かに落ちる。
 その“俺も”が、世界史の年号より確実に頭に刻まれる。

 琉人が顔を近づける。

 キス――したい。

 でも、できない。

 だから琉人は、俺の額に額を軽く当てて、低く言った。

「……帰ったら、ちゃんとする」
「……ちゃんとって何」
「ちゃんと」

 意味深すぎる。

 俺は顔が赤いまま、琉人の胸を軽く叩いた。

「勉強だろ?!!」
「……それもする」

 それもって何だよ!
 絶対しないじゃん。

 でも、こういう“甘酸っぱい戦い”が、秘密交際の毎日だった。

 噂は怖い。
 進学校の壁は高い。
 成績第一の空気は容赦ない。

 それでも。

 隣の席で、琉人が俺の消しゴムを拾ってくれるだけで。
 机の下で指先が触れるだけで。
 誰もいない廊下で「好き」と囁くだけで。

 俺の世界は、少しだけ眩しくなる。

 恋って、命取りだ。
 でも、秘密って、もっと甘い。

 俺たちは今日も、“幼馴染の再会”を演じながら、確かに恋人になっていく。