冷酷な高利貸しは、売られた没落令嬢を離さない。〜塵と呼ばれた私は、強欲な支配者に溺愛される〜



 一銭硬貨の真実を知ってから、数週間が経った。

 あの日以来、私は妙堂さんと一定の距離を保ちながら過ごしている。

 「今日は一段と冷えますね」

 「本当ですね。今年の冬も荒れそうな予感がします」

 「では、これを」

 妙堂さんのお仕事に同行したあと、彼おすすめのホテルの最上階にある西洋料理をいただいた帰り道。

 車を降りて帝都の賑やかな通りを二人で歩いていたとき、私の首元にそっと温かさが宿った。

 「こ、これは?」

 「マフラーというものですよ。首元も冷えますから、外へ出る時はこれを巻いてください」

 そう言いながら、妙堂さんはふんわりと肌触りのよいそれを巻きつけてくれた。

 幾何学模様のついた桃色のマフラーから、ほんのりと彼の匂いがする。

 「……っ」

 ──勘違いしてはダメ。

 彼は私の雇い主であり、私は借金のカタとして隣にいるだけの関係に過ぎないのだから。

 社会的な立場も、地位も、何もかもが違いすぎる私たち。

 「ありがとう、ございます」

 「……」

 「大切にしますね」

 彼が私に与えてくれる過保護なまでの好意や優しさに、これ以上甘えてしまわないよう必死で自分を戒め続けた。



 「──お前が妙堂漣だな?」

 「え?」

 お礼を述べて、いつものように妙堂さんのお屋敷までの帰路を歩きながら、人通りの少ない路地に入った瞬間。

 待ち構えていたかのように数人の男たちが私たちの行く手を塞いだ。

 彼らの手に鈍く光る刃物や鉄パイプが握られていることを見た瞬間、私の中に恐怖という二文字がドロドロと流れ込んでくる。

 「れ、漣さん……?これはいったい」

 「俺のうしろにいてください。いいですね?」

 「は、はい」

 恐ろしさのあまり萎縮してしまった私を、妙堂さんはそっと自分の背中に隠す。

 彼は呼吸一つ乱さないまま、大きなため息をついて二人を取り囲む男性たちの方を見た。

 「……池畠の差し金ですか?」

 「あぁ、そうだが?」

 「お前のおかげで池畠の旦那は相当お怒りだぜ?」

 「妙堂漣を殺せば多額の報酬も用意してくれるそうだしなぁ」

 一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる彼らに臆することなく、妙堂さんは面倒くさそうに首を回しながら黒革の手袋を外していく。

 まるでこんなことが日常茶飯事であるかのように落ち着き払っている彼を見て、やっぱり自分とは生きている世界が違うのだと思わざるを得なかった。

 「偽物の掛け軸を渡そうとした挙句、今度は人を使って俺を消しにくるとは……。なんとも哀れな男だ、おたくのご主人様とやらは」

 「池畠の旦那を悪く言うんじゃねぇ!」

 「俺らのことを大切にしてくれた人なんだよ、あの人は!」

 「本当に大切な人に人殺しの依頼をするか、普通?お飾りじゃあるまいし、少しはその頭を働かせるべきでは?」

 「くっ、このくそ野郎が!」

 「──本当に大切なものは、自分の手元に置いて……決して離さなようにしておくんだよ」

 そう言い終えてすぐ、妙堂さんは目にも留まらぬ速さで最初に目の前の男性の手から鉄パイプを奪った。

 そして私を守りながら次々と彼らを薙ぎ払っていく。

 「(これが、帝都の怪物……)」

 妙堂さんの強さは、ただのゴロツキ数人でどうにかなるものではなかった。

 あっという間に男たちは地面に這いつくばり、呻き声を上げている。

 「お前たちが尊敬してやまない池畠の当主と、もう一度きちんと話をしなければいけなくなりましたね」

 「グッ、クソったれ!」

 「この化け物め……っ」

 「まぁもっとも、この俺に喧嘩を仕掛けてきた以上命はないと思ったほうがいいでしょうけど」

 「……!」

 スーツのポケットからハンカチを取り出して手を拭きながら、妙堂さんはゆっくりとこちらへ振り向く。

 「和泉さん、怪我はないですか?」

 少し前の私なら、彼の周りに渦巻いている怒りや憎悪に慄いていただろう。

 けれど、今はそれさえも頼もしいと思ってしまう。

 「はい、私は全然大丈夫……」

 〝全然大丈夫です〟

 ほっと胸を撫で下ろしながら、そう答えようとしたときだった。

 「帝都の悪魔め!死ねぇっ!」

 妙堂さんが私の方へ向いたことを機に、傷だらけの一人の男がナイフを振りかざしながら妙堂さんめがけて飛びかかってきた。

 「れ、漣さん……!」

 ──もう、間に合わない。

 気づけば私は、弾かれたように妙堂さんを突き飛ばして、その男との間に割って入っていた。

 頭で考えるよりも先に、身体が動いていた。

 「うっ」

 そして鈍い音とともに、私の背中に焼け焦げるような熱い痛みが走った。

 「和泉さん!?」

 少しずつ、自分の呼吸が浅くなっていくのが分かった。

 みるみるうちに体温は下がって、少し前まで感じていたマフラーのぬくもりも消え去っていく。

 霞んでいく視界の端で、妙堂さんがその男を思いきり投げ飛ばしているのが見えた。

 「(力が、入らない……)」

 ゆっくりと、その場から崩れ落ちていく。

 冷たい地面に倒れ込む直前、妙堂さんの力強い腕が私を抱きとめてくれた。

 「──和泉さん!」

 「漣、さん」

 「どうして……っ。どうしてあなたがこんなことを!」

 「私のせいで、ごめんなさい」

 「ダメだ、しっかりしてくれ和泉さんっ!」

 妙堂さんの身体が震えている。

 あれだけの人数に囲まれても平気だった彼が、想像もつかないほどひどく狼狽えながら私を抱きしめている。

 「どうして俺なんかを庇ったりしたんだ!」

 「……」

 「なぜ俺みたいな人間の代わりに……っ、あなたのような人が傷つかなくちゃいけないんだ!」

 声を震わせながらそう言った妙堂さんを見て、胸がチクリと痛む。

 どうして彼を庇ったのだろう。

 だんだんと意識が朦朧としていく中で、必死に考えた。

 「あなたが、お母様以外に……初めて、私に優しくしてくれた人、だから」

 「え?」

 「私に、生きる希望を与えてくれた……人だから」

 そうだ。月濱の家で、ずっとひとりぼっちで孤独だった私を救い出してくれた人だからだ。

 塵と呼ばれながら、役立たずだと罵られながら、それでも一人で生きてきた私を、こうして一人の人間として丁寧に扱ってくれた人だから。

 彼にきちんとそう伝えたいのに、いよいよ声を出す力すらなくなってしまったのか声は掠れてもう言葉にならない。

 目を開けていることさえ困難になって、私はそっと瞼を下ろした。

 「ダメだ、許さない!」

 「……」

 「俺の許可なしにいなくなることなど絶対に許されない!」

 妙堂さんの声が残響のように微かに耳に届く。

 あぁ、もっと彼が与えてくれた仕事を一緒にしていたかった。

 あのお屋敷をもっと堪能したかった。お母様の形見を全部私の手元に戻したかった。

 そして、もっともっと──……妙堂さんと一緒にいたかった。

 「月濱和泉、あなたは俺の……所有者だろ!」

 妙堂さんの声が、一段と強く私の頭の中に響いた。

 ──……俺の、所有者?私が?

 「あのとき、一銭で俺を買ったのはあなただ!」

 力なく倒れている私を強く抱きしめながら、妙堂さんは叫ぶ。

 ぽたり、ぽたりと彼のあたたかい涙が私の頬を伝う感触だけは鮮明に感じ取ることができた。

 「俺の所有者であるあなたが、勝手にいなくなるなんてダメだ!」

 〝『この一銭硬貨で、あなたを買うわ!』〟

 その瞬間、不意に遠い昔の記憶が脳裏をよぎった。

 ……あぁ、そうだった。

 あの形見の部屋にあった一銭硬貨。彼が『命より大切な人からもらった』と言っていた、あの一銭は──。