その少女の美しさは、かぐや姫を見出した竹取の翁でさえ、「いやいや、もう一度奇跡を疑うべきかもしれない」とつぶやくほどのものだった。僕ですら目を丸くしたのだから、想像してみてほしい。目だけでなく、鼻の穴まで丸く膨らみ、脳みそが軽く宙に浮いたような気分になったのだ。空気は膨張し、僕の鼻腔の内側で不穏なダンスを踊っていた。
物語の中でしか知らなかった奇跡が、目の前でひょっこり転がっている。それにしても、「綺麗」という言葉は、あまりにも貧相で、まるでその言葉だけで高層ビルを支えようとするような無理がある。

その日、僕は山あいの小さな村にいた。偶然にも、いや偶然と呼ぶには出来すぎた巡り合わせで、彼女と出会ったのだ。ヒーロー物の撮影をするために、映画研究サークルの合宿に半ば強引に連れ出された僕は、心のどこかでぶつぶつ文句を言いながら、この村に足を踏み入れていた。最初は乗り気ではなかった。ところが、岡島の一言で僕の心はあっさりひっくり返る。

「あの四宮家のご令嬢も、この合宿に参加するぞ?」

四宮家のご令嬢とは、僕のような普通の学生が、そう簡単に関われる相手ではない。冬に咲く桜のように、見ることはできても、触れることは許されない存在。
そんな、名前よりも先に噂が学園の廊下を一人歩きしている彼女が、なぜこんな名ばかりのサークルに興味を示したのか。いや、名ばかりじゃない。このサークルには何もない。空気すら重い。なのに、彼女は来る。来ると決めた。いや、来たいと言ったらしい。
噂というものはたいてい誇張されるが、四宮家に関しては逆で、噂のほうが控えめすぎて、あとになって思い知らされることになる。
岡島は軽い調子でそう言ったが、彼の目は笑っていなかった。どこか、説明を省きたがっているようにも見えた。

「本気かよ。あの四宮だぞ?」

「だからだよ。向こうから参加したいって言ってきた」

“参加したい”ではなく、“言ってきた”。その響きが妙に僕の理性をひっかいた。まるで彼女が僕を試すかのような、勝手な想像が脳内で渦巻く。

村に着いたのは、昼過ぎだった。山に囲まれたその場所は、地図で見るよりもずっと閉じていて、携帯の電波も心許ない。ロケ地としては確かに絵になるが、大学生の合宿先としてはいささか不便すぎる。
四宮家のご令嬢は、古い公民館を改装した宿舎の前に立っていた。
取り巻きも、使用人もいない。あまりにも普通の佇まいで、だからこそ異物だった。金持ちが乗る本物のリムジンなる物を、一度くらいは見てみたかった気もする。
美しい、という感想は正しい。だが、それだけでは足りない。
彼女は“浮いている”のだ。この村の風景から、わずかに、しかし決定的に。
視線が合った瞬間、彼女は首をわずかに傾げる。微笑みではない。初対面の人を見る目でもない。まるで、「本当に来るべき人は君か?」と空気に問いかけるような目。僕は咄嗟に鼻の穴を膨らませた。心臓は宇宙船の打ち上げを待つように高鳴り、頭の中では無数の思考が小さな円盤のように回転していた。

「おい、鼻の穴膨らんでるぞ」
「っ!…うるさいな」

岡島が背中を軽く叩いた。
僕は急いで鼻と口を両手で覆う。何がそんなにドキドキするのか、自分でも説明できなかった。
声はまだ聞いていないのに、なぜか確信めいた予感があった。
この合宿は、映画を撮るためのものではない。
少なくとも、彼女にとっては。

「紹介するよ。四宮麗花さんだ。今回、うちの作品に“協力”してくれる」
「よろしくお願いします」

静かな声。思ったより静かすぎる声。自己紹介も愛想笑いもない。なのに、妙に温かい。“協力”。その言葉は、まるで小さな雷のように僕の胸に落ちた。理性が「待て」と叫ぶ前に、胸の中で花火が上がり、心臓が独自のリズムで踊りだす。

「……ああ、こちらこそ」

間抜けな返事をしてしまったが、彼女は微動だにせず、僕を見つめる。僕の思考をすでに読み取っているのかもしれない。

「映画、撮られるんですよね」
「まあ、一応」
「ヒーローものだって聞きました」

知っているのか? 疑問より先に、知っている、という確信が心に残った。

「正直に言うと、あまり得意じゃないです」

頬をわずかに赤くして視線を落とす。その仕草に、僕は脳みそが泡のように浮き上がるのを感じた。

「でも、あなたが関わるなら……見てみたいと思いました」

頭が空白になった。大学生の遊び半分のヒーロー物に、なぜ興味を示すのか。理屈が宇宙の果てに飛んでいく。心臓は早鐘、頭の中の思考は霧のように濃く絡まり、宙に浮いたまま戻ってこない。
大学生の遊び半分で作るヒーロー物か、西部劇か、はたまた歌舞伎物の香りすら漂う、半ば冗談のような、映画とも呼べない映像作品に、何の取り柄もない男がほんの少し手を加えただけの脚本だ。
そんなものに、なぜ彼女が興味を示したのか。
考えれば考えるほど、心臓が早鐘のように打ち、頭の中の思考は霧のように濃く、まるで知恵の輪に知恵の輪がくっ付くかのように、絡まっていった。
ありえない。
けれど、目の前の事実が、理屈を押し流す。

「…それ、どういう意味ですか」

その瞬間、岡島の声が割り込む。

「おーい、機材運ぶぞ。いつまで立ち話してる」

熊のような声で現実感が戻る。四宮は小さく頷き、一歩距離を取る。空気がすっと引く。すれ違いざま、囁くように言った。

「……合宿、楽しみですね」

その言葉が、僕に向けられたものなのかどうか、分からなかった。
布団に挟まっても眠れなかった夜、彼女の声だけが、まるで蛍の光のように、脳内で点滅し続けていた。