シンデレラ・スキャンダル



 家に帰ると、テーブルの上に置いていたスマホが久しぶりに震えてメッセージの着信を知らせた。ひらけば、それは卓也からのメッセージで、その名前を見た時に自分がどうしたいのかがわかった気がした。

 このまま連絡が来なければ、もう会わずにいられれば、なにもなかったフリをして、龍介さんのそばにいられるかもしれない。そう思った瞬間もあるけれど、今はなにかが違うような気がしている。全てを話すことが正解ではないけれど、龍介さんの心に応えたい。

 前を見れば、龍介さんが窓から海を眺めていた。夕陽は海に落ちて、空が七色に変わる。歩み寄り、その背中に抱きつけば、彼は笑ってわたしの腕に触れる。

「龍介さん」

「ん?」

 優しい声が返ってきて、わたしの胸は小さく音を立てる。龍介さんの広い背中に頬を寄せて一度目を閉じる。

「日本に帰った後なんですけど……次の会社が決まっていて」

「そうなの?」

 龍介さんがわたしの手をほどいて向き直り、わたしを見下ろした。

 嘘はつきたくない。全てを伝えることが正しいとは思わない。それでも、今の気持ちを伝えることは大切なのだと思う。龍介さんがそうしてくれるように、真っ直ぐ正直に。

「秘書を……以前お付き合いしていた人の。ディアブロという車の会社なんですけど」

「……そっか」

 この数年間、仕事以外のわたしの時間は全てが黒くもやがかかっていて、はっきりと思い出せる時間がほとんどない。卓也と過ごした時間が一番多かったはずだけど、会うたびに自分自身が削られていく感覚だけが残っていた。

 本当なら、できることなら、もう会いたくはない。なかったことにして、なにも知らないフリをして龍介さんの傍にいたい。でも、それでは違う気がするから、約束を守らずに逃げて決別をするのではなく、向き合って終わりにする。今ならきっと向き合うことができるから。

「本当はその人と来るはずだったんです。このハワイも……でも、逃げずに、ちゃんと終わらせたいんです。仕事も、彼との関係も」

 わたしは、龍介さんの目を真っ直ぐに見つめた。

「二か月だけ。その期間で、全てを終わりにしてきます。そうしないと、胸を張って龍介さんの隣にいられないから」

「……分かった。待ってる」

 龍介さんは、出会ったときよりもずっと優しい眼差しをわたしに向けて微笑む。

「俺さ、さっきも話したけど、人を好きになるには理由が必要で、ここがダメだから一緒にはいられないとか、ここがいいから好きになるとか、そう思ってたんだ」

「龍介さん」

「でも、人を好きになるってそういうことじゃないのかもしれない。綾乃のことを知るたびに好きが積み重なっていくんだよね。上手く言えないけど、綾乃と一緒にいたいっていう思いが強くなっていく」

 出会ったばかりでも、過ごしたのがたった十日間でも、目の前で温かい微笑みをくれる人を信じる。わたしもあなたを信じたい。ううん、信じている。好きだから。

 溢れた思いが涙となって頬を伝えば、目の前にいる龍介さんがその涙を優しく拭ってくれる。

「日本でも一緒にいてくれる?」

 答えたいのに、声を出そうとすると涙が溢れる。すると、龍介さんが笑ってわたしの頬に手を添えて顔を上げた。

「綾乃、返事は?」

「……は、い」

「一緒にいてくれる?」

「はいっ」

「……あのオーナーに言われたんだ。『その女は、他の男と来るはずだった』って」

 龍介さんの声が、少しだけ低くなる。

「もっと酷いことも言ってたけど……俺は信じなかった。信じたくなかったんだ」

 彼は苦しげに顔を歪め、わたしを抱きしめる腕に力を込めた。

「……本当によかった」

 その震える声に、彼がどれだけの言葉を飲み込んでわたしを守ってくれていたのかを知り、胸が詰まった。

 わかっていても気付いていても、なにも言わないで全てを真っ直ぐに受け止めようとするこの人は、どれだけの優しさと強さを持っているのだろう。

 その胸に思うままに飛び込んで息を吸い込んだら、いつもの優しい香りがした。ふと見上げた先、龍介さんの肩越しに浮かぶ月と星。手を伸ばせば届きそうなその輝きが、わたしたちの肌を優しく照らし続けていた。