人生の岐路に立つとき

※本作は 文芸社より2026年3月に書籍化 されます。
応援してくださる皆さまのおかげです。ありがとうございます。

30歳のとき、僕の人生は音を立てて崩れた。
母のくも膜下出血による介護、うつ、解雇、転職失敗。
どれかひとつでも重いのに、一度に全部が襲ってきた。

それでも――
毎日「1日20分だけ」書くことを続けた。

この作品は、
人生のどん底に落ちた男が、
どうやってもう一度立ち上がったのかという、
“再生の記録” です。

読んでくださるあなたの人生が、
少しでも軽くなるなら、それ以上の幸せはありません。

そんな中、「人生を変えたい」と、藁にもすがる思いで幸助は転職を決意した。というのも、勤務先の経営状況が悪化の一途をたどっており、ついには二〇〇人規模のリストラが始まったからだった。幸助が人生を変えるべく、密かに転職活動を始めた頃には、ボーナスも支給されなくなっていた。

だが、転職先には希望の未来が待っているはずだ――はずだった。そう信じて、薬に頼りながらも、何かに取り憑かれたように幸助は転職活動を繰り返した。

幸助は、手当たり次第に面接を受けていった。あの頃は、「転職こそが正解だ」と疑うことなく信じきっていた。必死の努力の末、複数の企業から内定を得ることができた。ようやく一息つけた気がした。「これからは希望に満ちた未来が待っているさ」――そんな晴れやかな気持ちだったことを、今でも鮮明に覚えている。

そして、長年勤めた会社に別れを告げることができた。経営悪化、独裁的な社長の横行で、会社は変わってしまったが、先輩方には、これまで育ててきてもらった恩があった。別れの挨拶の時には、ただ別れるのが悲しく、泣いてしまい、思うようにしゃべれなかった。それでも、快く送り出してくれた良き人達だった。ただ、転職した原因の一つには、介護から少しでも遠ざかりたい、そんな思いも存在していたのは確かだった。 

新たな転職先は、実家から少し離れた他県にある企業だった。派手さはないものの、業績は長期的に安定しており、内定をもらった複数の会社の中でも給与水準が最も高かった。そのため、幸助はその会社への転職を決意した。もちろん、他にも、直観的に、良い会社だな、と思える会社はあった。ただ、実家からさらに遠くなってしまうのと、趣味で続けていた辞めた会社の先輩上司から誘われたフットサルは週一でずっと続けており、これだけはやり続けたいと思っていたため、その会社は候補から外れた。今思うと、この会社であったら、また違った未来があったのだなと思う。

これまで通っていたのは地方の企業だったが、今度の勤務地は都心に近い、いわゆる〝都会〟と呼べる場所であり、通勤手段も車から電車へと変わった。転職に伴い、当然ながら引っ越しも行った。

転職後の二、三か月間は、新しい環境に慣れようと努力し、それなりに順調に過ごしていたように思う。ただ、前職の課長に比べて、転職先の課長はかなり厳格な人物だった。前の会社では残業は多かったものの、規則は比較的緩やかで、ある程度の自由が利いた。しかし新しい職場では、週に二回の週報が義務付けられており、それが幸助にとって大きな負担となった。

もともと緊張しやすく、人前で話すことが苦手な幸助にとって、毎週二回もある週報の報告は精神的な重圧だった。そのため、以前よりも薬に頼る頻度がますます増えていった。さらに、転職者という立場から「キャリア採用なんだから、これくらいはやれるでしょ?」という冷たい視線を浴びることもあり、職場では、常に緊張状態であった。

母の介護によって心を病んでいたところに、仕事でも思うようにいかず、幸助の心はより壊れていった。気持ちが沈むたび、薬の量が増えていく。気づくと、負のループから抜け出せない悪循環に陥っていた。

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