【悪女の勅命】

「まあ、なんて可哀そう」

天から雨がざあざあと絶え間なく降り注ぐ霊園に、哀れみの声が落とされる。
墓石が立ち並ぶ中でも一等豪華な墓石は、当主の妻たる母の栄華を象徴するかのようだ。
(わたくし)は濡れ鼠になるのも構わず、亡きお母様の墓前で手を合わせ続けた。

「こんな雨の中、長居する奴の気が知れん。儂は先に戻らせてもらう」

現当主のお父様が墓前に手も碌に合わせずに冷たく言い放ち、使用人に傘を差させて馬車に戻って行く。
一人取り残された私の耳に、遠くから別の使用人の密やかな声が雨音の隙間を縫って届く。

「まだ成人もしていないのにお母様を亡くされるなんて……澄華(すみか)様もお可哀そう」
「だけど……涙の一つも見せないなんて、流石”あの”澄華様。薄情であらせられる」
「あんな方に次の西の華族の当主が務まるのかしら?」
「貴女達、そんな事を声高に言ってはダメよ。聴こえては……ヒッ!」

(うるさ)い愚図共。
私は首だけを捩じって、故人を悼まない愚かな使用人共を睨みつけた。
悲しいに決まっているじゃない。でも、泣いた所で何になるの?弱さを見せて……何になるというの?
私は西の華族の一人娘、斉明寺 澄華(さいめいじ すみか)よ。
誰にも隙を見せず、強くあらねばならない。当主とはそういうものよ。

「お嬢様」

不意に、視界が陰って雨音が遮られた。
私に傘を差し出したのは、私の専属執事のユヅルだった。
流れるような銀髪に、爬虫類のような縦長の瞳孔を持つ金色の瞳。そして、頬に白蛇のような鱗か走る青年。
ユヅルは自分が濡れるのもお構いなしに、私に傘を差し出して雨を塞いでくれた。

「その様に雨に打たれ続けては、お身体に触ります」
「貴方も濡れているじゃない」
「俺にとって雨は障害になり得ません。……半妖ですから」

半妖。
人も妖怪も混ざり合うこの皇国(こうこく)の象徴ともいえる存在、それが半妖。
半端者だと、人からも妖からの忌み嫌われる存在。でも、有能なのに種族だけで差別するのはおかしいわ。

「貴方も入りなさい」

私はユヅルに身を寄せて二人で傘を分け合う。
そして、豪華な墓前に向かって宣言した。

「どうか天からご覧になってお母様。――私が、この西の国を導く当主になってみせるわ」

打ちつける雨音に紛れないように、私ははっきりと宣誓した。







ここは皇国、西の領土。人と妖が混ざり合って営みを紡ぐ国。
龍神を祀る東の壬生(みぶ)家、天狐を祀る西の斉明寺家、鬼神を祀る北の(あかつき)家、そして(ぬえ)を祀る南の鳳条院(ほうじょういん)家。
東西南北それぞれの守護神を祀り各地を統べる存在、それが四家華族(しけかぞく)

そして、ここは西の斉明寺領。
次期当主である私の外聞が良くない事は知っている。
可愛げが無い態度、歯に衣着せぬ辛辣な物言い。
”斉明寺澄華は悪女である”。そう、裏で私を揶揄する者は後を絶たない。

「まあなんて艶やかな御髪に紫水晶(アメジスト)のような瞳!いつにも増して美しいですわ」
「赤がここまでお似合いなのは、澄華様を置いて他に居りませんね」

豪華な家具に取り囲まれた自室。私は漆塗りの鏡台の前で数人の侍女達に囲まれながら化粧を施されていた。
当たり前すぎてつまらないおべっかなんて、聴くに値しないわ。
赤地に黒のレースがふんだんにあしらわれた和装。お父様の言いつけで正装をしているけれど、用事も告げずにここまで着飾らせるなんて、一体何の様かしら。

「この赤い紅も本当にお似合いで……あっ!」

屈んで私の唇に紅を施す侍女の手が滑り、私の唇の縁から赤い紅がはみ出る。

「もっ、申し訳ございません!!」
「……」

青ざめる侍女を鏡越しに一瞥し、はあ、とため息を吐いた。

「化粧はもういいわ、下がりなさい」
「しっ、しかし!」
「もういいと言ったのよ。私が下がれと言ったら下がりなさい」
「しょっ、承知しました!」

侍女達はバタバタとやかましく化粧道具を片付けながら部屋を後にした。
……お父様ったら、急に使用人を増やすなんて何を考えているのかしら。
使用人の精査が必要よ。あんな礼儀のなっていない侍女が斉明寺家に仕えているなんて、それこそ西の領地の恥よ。

「澄華、また新人の侍女を追い出したのか」
「あらお父様。ご機嫌麗しゅう」

ノックもせずに入って来たお父様に、鏡越しに目線を寄越す。
追い出す、だなんて随分な物言いね。

「レディのお化粧中に室内に入るのは無作法では無くて?」
「お前はいついかなる時も美しいだろう。亡き母さんに似てな」
「ええ、そうでしょうとも。……それで、今日は何ですの?用事も告げずに正装しろだなんて」
「お前の義妹(いもうと)がここに来る」
「は?」

鏡から視線を動かして振り返る。
皺の刻まれた威厳のある顔つきのまま佇むお父様に向かって、訝し気に眉根を寄せた。

「義妹?どういう事?私は一人娘でしてよ」
「ああ、お前の母との子はお前だけだ。だが、間違いなく”あの子”も我が斉明寺の血を引く娘だ」
「……キツネ遊びが過ぎましてよ、お父様」

キツネ遊び、すなわち遊郭通いをお父様が続けている事を私は知っている。それでも、娘だなんて話を聞いたのは今回が初めて。……まさか、花街の遊女を孕ませたとでも言うの?

「西の領土を統べる華族の、斉明寺家の跡継ぎがお前一人きりという訳にも行かんのだ。分かってくれ、澄華」
「分かりませんわ」
「澄華、これは当主命令だ!義妹と仲良くしろ!」

私のぴしゃりとした物言いが癇に障ったのか、お父様が声を荒げる。
当主命令だと、お父様は人を従わせようとする時は必ずそう言う。……そんな言葉ごときで、私は引き下がらないけれど。

「それと、そこの半妖の従者を連れるなら、その醜い鱗くらい消させろ」
「……」

部屋の隅で影の様に佇むユヅルが私達に静かな視線を送る。
さらりとユヅルの銀髪が揺れ、髪で隠れた右頬の白い鱗が垣間見える。

「でなければ、同伴は認めん」
「……畏まりましたわ」

それだけ言い残すと、父は大股で私の自室を歩き去って行った。
部屋には私とユヅルが二人きりになる。私は静かになった室内で、赤い紅に彩られた唇を開いた。

「ユヅル」
「はい、お嬢様」
「髪を梳いて」
「畏まりました」

恭しく一礼して私の背後に回ったユヅルが、椿油の塗り込まれた櫛で丁寧に長い黒髪を梳く。

(かんざし)はどういたしましょうか」
「貴方に任せるわ」
「でしたら、金細工で」
「あら意外ね」
「貴女様の紫水のような瞳と紫紺の髪には、金細工が良く映えます」

光に透ける艶やかな紫紺の髪をハーフアップにまとめ上げ、金の花があしらわれた簪を飾られる。
鏡には完璧な淑女が映る。
そうよ。由緒ある斉明寺の嫡子はこうでなくては。

「……何が……」

鏡に映る私の顔が怒りで歪む。ぐっと握り締めた拳は、怒りでぶるぶると震え始めた。

「何が義妹と仲良くしろですって!?お父様の色情魔が……っ!!」

お父様がお母様が存命の時から斉明寺の名を存分に利用して、花街に足しげく通っているのは知っている。お母様がそれに心を痛め続けていたことも。
それでも花街通いを辞めなかったお父様(あの男)を、私は許せない。

「どこの遊女よ!お母様の服忌令(ぶっきりょう)が開けた途端にこれだなんて信じられない!あんな男、私が当主になったら破門してやる!!」

ダンッと化粧台に拳を打ち付け、怒りを収める。
ちらりと衣装箪笥の上に飾られたセピア色の写真を見る。そこには、優美な笑顔で微笑むお母様の遺影が飾られている。
豊かな紫紺の髪に白い肌。
ああ本当に、私はお父様に似なくて良かったわ。

「お嬢様」

ユヅルが涼やかな声で私を呼ぶ。恭しく屈み、そっとハンカチーフで私の唇からわずかにはみ出した紅を拭った。

「本日も、大変お美しゅう御座います」
「……」

ユヅルの表情は凪の様に動かない。でも私は知っている。この男は私に世辞など使わないという事を。

「お支度も整いましたので、大広間へ向かいましょうか」
「待ちなさいユヅル。その鱗、どうするの?」

飾られた爪で頬の鱗を指すと、少しばつが悪そうに私から目を逸らした。

「……髪で隠せばよいかと」
「貴方の妖力で何とかならない?」
「……少々時間がかかります故」

まあ、生まれ持ったものを消すのは容易では無いわよね。

「分かったわ。ユヅル、ここに座りなさい」
「……はい」

私の向かいに椅子を寄せると、ユヅルはそこに遠慮がちに腰かけた。ユヅルが座ったのを確認すると、化粧台の引き出しからピンを取り出た。
ユヅルの長い前髪をピンで留める。露わになった顔は、右半分の生え際から頬にかけて白い鱗が生えている。
私は引き出しから練り粉を数種類取り出し、筆に取ってユヅルの頬に伸ばしていく。

「お嬢様にその様な真似をさせるなど……」
「動かないの。色情魔とその娘なんて、待たせておくに限るわ」
「お衣装が汚れてしまいます」
「あら、貴方私がそんなヘマをするとでも?」
「……申し訳ありません、失言でした」

何色かの練り粉を混ぜて塗布し、最後に軽く白粉をまぶせば、ユヅルの白い鱗が色素の薄い肌に同化するように隠れた。

「ほら出来たわよ。鏡を見てごらんなさい」

ちらりと鏡を見たユヅルは、長い睫毛を持ち上げて目を見開いた。

「……素晴らしいです」
「ええ、そうでしょうとも。……別に、私はそんな鱗ごときで人を判断しないけれど」
「あの時も、そう言ってくださいましたね」
「あら何だったかしら」

「俺を、”地獄通り”からお救い下さった、あの時です」

ユヅルが私に向き直って柔らかく微笑む。普段は表情の硬いユヅルの柔らかい笑みを見るのは久しぶりで、私も連られて微笑み返した。
そう、あの日。――私が、初めて貴方と出会った日。

「……そんなもの、当たり前すぎて忘れたわ」

立ち上がって扉を見る。
当然憶えているけれど、それを言うのはなんだか癪だわ。
ふっと口角を上げて目を細める。

「それでは行きましょうか。――会ってやろうじゃないの。私の”義妹”とやらに」



「ええい!澄華はまだ来ぬのか!?」

襖越しにお父様の怒鳴り声が聞こえてくる。
全く、当主としての品格はどこへ行ったのやら。
私を先導していたユヅルが、一礼しながら襖に手をかけて引いた。

煌びやかな大広間の左右には使用人が立ち並び、最奥のお父様が肩を怒らせている。
私が畳に足を踏み入れた瞬間、左右に一列に並んだ使用人が揃って頭を下げた。
私は悠然と畳を踏みしめてお父様に近づき、ふっと微笑んだ。

「お待たせ致しましたわ、お父様」
「貴様!一体どこで油を売って――」
「あ、あのっ!貴女があたしのお義姉様ですか!?」

お父様の背後から聴こえてきた甲高い声に眉を顰める。
……なんなの?当主の言葉を遮るなんて無礼な子ね。
さっとお父様の背後から出てきたのは、ピンク色の着物に身を包んだ小柄な女だった。

「あたしっ……あ、えっと、私!斉明寺 百華(さいめいじ ももか)って言います!よろしくお願いします、お義姉様!」
「……」

バッと頭を下げる女をじっと見定めた。
亜麻色のふわふわとした髪、蜂蜜のような金色の瞳、とろんと丸く落ちたお父様譲りの眦。
所作がまるでなっていないという事は、平民の家の出かしら。

「あの……お義姉様?」

こてんと小首をかしげる仕草も、甲高く甘い声色も、私ともお母様とも何一つ似ていない。
鋭くなる視線をきつく瞬きをすることで堪える。
初対面だもの、礼儀は重んじないとね。
ふっと相好を崩し、目の前の義妹と名乗る女に微笑んだ。

「百華さん、とおっしゃるのね。私、斉明寺澄華と申します。――一つ、よろしいかしら?」
「はいっ!」
「私、貴女を義妹だなんて認めないわ。二度と私を義姉(あね)だなんて呼ばないで」
「……え……?」

百華の顔が分かりやすく引きつる。
何よその顔は。まさか認められるとでも思っていたの?

「ど、どうしてそんな事を言うんですか?あたし……っ、お義姉様と仲良くなりたいのに!」
「あら聴こえなかったの?……この耳は飾りかしら?」

私は帯に指していた扇を取り出し、親骨の先端で百華の右の耳たぶを掬う。

「いいこと?西の華族、斉明寺家の嫡子はこの私。当主になるのも私よ。誇り高き斉明寺を名乗りたいならば、一から貴族の作法を学んでからになさい」
「そ、そんな!あたしが平民だから、そんな事を言うのですか?」
「ええ、そうよ」

私は目の前の百華の蜂蜜色の瞳を見据えながらはっきりと告げる。
心の奥底から怒りが湧き上がってくる。
こんな平民上がりの芋娘が一夜にして西の華族の娘ですって?馬鹿も休み休み言いなさい。

「お義姉様ひどいです……!う、うぅ……っ!」

百華の眦に大粒の涙が溜まり、ぽろぽろと零れ落ちた。
仮にも華族を名乗るならば、泣いて隙を見せるだなんてご法度よ。

「何をしている!?やめないか澄華!!」
「ユヅル」
「はっ」
「どかぬか!!儂に寄るな!半妖風情が!!」

私の後ろに控えていたユヅルが、ずかずかと私達に駆け寄るお父様の前に立ち塞がって押し留めた。
近寄られたら何をされるか分かったものじゃないわ。
お父様と百華に冷えた視線を送り、くるりと身を翻す。

「ユヅル。顔合わせはもう済んだわ。戻るわよ」
「畏まりました」

お父様の傍から離れたユヅルを連れ立って歩き出す。
私達の周りから波が引くように離れる使用人を一瞥し、大広間から廊下に繋がる襖に手をかけた。

「あっ、あたし!!」

その瞬間、甲高い声が大広間に響き渡った。耳障りの悪さを覚えながら振り返ると、涙を流しながらお父様や使用人に助け起こされた百華がキッと上目遣いに私を睨みつけた。

「あたし諦めませんっ!お義姉様になんか負けませんからっ!……だって」

負けないとは何?礼儀作法もままならない分際で、当主になろうとでも言うのかしらあの芋娘は。
あんな女、認めてなるものですか。斉明寺家の当主になるのは、この私よ。
私は前に向き直って大広間を後にした。

「――もう、この家はあたしのものだもん……♪」

ユヅルが襖を閉める音と共に、震え交じりの勝気な呟きが聴こえた……気がした。
気の所為かもしれない。でも愉悦が入り混じったその声音は、底知れぬ闇を孕んでいるように感じた。
私は直感した。――あの女は、ただの平民上がりの小娘では無いわ。



「ユヅルさん。貴方に来客でございます」

私達が大広間を後にすると、使用人がユヅルを呼び止めた。
何かしら。ユヅルに客人だなんて初めてだわ。
ユヅルは訝し気に眉根を寄せたけれど、すぐにその表情を消して私を申し訳なさそうに見下ろした。

「自室まで同行出来ず申し訳ありません、お嬢様」
「気にしなくていいわ。わざわざ斉明寺家に来てまで貴方をご氏名なのよ。行って差し上げて」
「すぐに戻ります」
「ええ」

ユヅルは恭しく私に一礼し、姿勢を正して音も無く廊下の奥に消えた。
本当に、ユヅルは所作が美しいわ。
ユヅルの出身についてはあえて聞いてこなかったけれど、平民の出では無いのかも知れないわ。百華とは大違いだもの。
そんな事を思いながら、私は踵を返した。



side:ユヅル

俺は音を立てないように歩調を整えながら、玄関に進んだ。
応接間にも上がらずに玄関で待っているらしい。今の俺に知り合いなど存在しない。しないが……心当たりは、有る。
閂を外して木製の門扉を開いた瞬間、涙交じりの声が飛び込んできた。

「ああ、本当に生きておられた……!」

ああ、当たるものだな。悪い予感というものは。
目の前には黒いフードを目深に被った青年が立っていた。――正確には、青年の()りをした妖だ。
フードの隙間から伸びる腕には三つほど目玉が埋め込まれている。その瞼は全て閉じられているが、妖を証明するにはそれで十分だった。

「……貴方はサトリ、ですか」
「いかにも」
「諜報活動に長けた妖怪が、俺に何の御用でしょうか」
「他の妖からの目撃情報を受けた時は耳を疑いましたが、東よりはるばる馳せ参じた甲斐がありました」

諜報能力に長けたサトリが本気で探せば、見つかるのもやむを得ない。
サトリの青年は腰を折って、恭しく俺に首を垂れた。高貴な身分に相対するかのような畏敬の籠った眼差しに、俺は目を(すが)める。

「どうか東に戻り、我々をお救い下さい!()()()()()()()()()()()()()()()(()()())()()()()()()()()!!」
「……」

地に伏せ頭を下げ続けるサトリの青年を前に、俺は微動だにしなかった。
練り粉で隠された右頬の鱗を、白い皮手袋越しにつうっと撫でる。ああやはり、俺の容姿は目に付きやすいか。

「俺は東の国からの追放を命じられました。今更戻る義理はありません」
「あれは不当追放です!貴方様に汚点なぞ、ただの一つもございません!」
「それでもです。……東の統治は、安定しているのではないのですか?」
「それは表面上だけにございます!我々には貴方様のご助力が必要なのです!壬生、ゆ――ッ」

俺は素早くサトリの青年との距離を詰め、口元に手袋越しの人差し指を押し当た。

「その名で呼ぶな」
「っ……!?」
「今の俺の名はユヅルだ」

その名前は捨てた。
あの方が――澄華様が俺を見つけてくれた、あの日に。

『私が、貴方を身請けしてあげる』

記憶の中のお嬢様が艶然と微笑み、あの日のボロ布同然の俺に手を指し伸べる。

『丁度執事が欲しかったのよ。身請けしてあげるから、今日から私に仕えなさい』
『華族のお屋敷が俺のような半妖を雇うなぞ、当主が許すはずがない』
『お父様の意見なんてどうでもいいのよ。――なにより大事なのは私自身の意志よ』

臭気に満ちた薄暗い牢獄。
小窓から差し込む僅かな光さえ集め、あの方の紫紺の髪が神々しく艶めいた。

『あら、名前が無いの?では”ユヅル”と名を与えてあげるわ。良いわね?――ユヅル』

俺はあの日に誓ったのだ。生涯この方に尽くすと。
俺は記憶の海から帰り、目の前のサトリの青年の青年を立たせた。
暮れなずむ夕日の逆光で、フードを目深に被ったその表情はだんだん読めなくなる。それでも、狼狽する雰囲気は分かる。

「東の誰かに、俺の行方の捜索を命じられでもしたか?」
「いっ、いいえ!僕自身の意志です!」
「そうか。俺の身辺を洗うのは構わない。だが、俺の所在を東に伝える事は禁じる」
「……っ」

フード越しの瞳を見開いて彷徨わせたが、やがて唇を噛みしめながら小さく頷いてくれた。

「……それが、貴方様のお望みでしたら」

不意に、風に乗って鈴の音が聴こえる。
ああ、あれは澄華様のハンドベルだ。行かなけれは。俺の、唯一の主が呼んでいる。

「そろそろ戻る」
「ユヅル様!俺はまだ西の地に居りますので、何かあればいつでもお呼びください。……微力でも、貴方様のご助力になりたいのです」
「……心に留めておく」

俺は踵を返して門扉を潜る。
俺は肩ごしに振り返り、窄まった金色の瞳孔でサトリの青年を見据えた。
夕日が俺に降り注ぎ、銀髪と頬の真白の鱗を赤く染め上げる。
俺はしいっと細く息を吐きながら、人差し指を自身の薄い唇に押し当てて口元を和らげた。

「俺が東の華族だという事は、内密に」

ギシリと音を立てて厚みのある木製の門扉が閉じられる。
澄華お嬢様の元へ向かおう。()()()は、あの方の専属執事なのだから。

「誠心誠意お仕え致します。……俺のお嬢様」

俺は日が沈んで藍色が混ざる不安定な空を背に、斉明寺のお屋敷に戻って行った――。

To Be Continued……