私の心に雫が落ちた。
それは一滴で十分で、心の奥底を震わせ波紋のように広がり全身を満たした。
私は冷蔵庫に手をかけたまま、音がした方を向いた。照明を暗く落としたリビングでテレビが明るく光っている。一人の男性がピアノを弾きながら歌っているのが、テレビに映し出されていた。
規則的に響くピアノの伴奏は安心感をもたらし、彼の声を引き立たせていた。中性的な声は高いようにも低いようにも聞こえる。尖がなく、どこまでも柔らかで透明な声で、彼は、ただ、「アレルヤ」という言葉のみを紡いでいた。
画面に彼の顔がアップで映される。長く黒い前髪越しに切れ長の目があった。歌声と同じく綺麗すぎる瞳は何も映していないように見えた。
アレルヤ。アレルヤ。アレルヤ。アレルヤ。
彼の歌声が私の渇きを忘れさせる。癒していく。
濡れているように光る彼の目。
何も見てないんじゃない。彼にしか見えない何かを見てるんだと思った。
「叶芽《かなめ》さんで、『希望』でした。以上、今日のアーティストでした。これからのご活躍が楽しみですね」
アナウンサーの声がぼんやりと聞こえても、私の頭にはずっと彼の歌がこだましていた。
「お姉ちゃん、泣かないで」
文人《あやと》の不安げな声に、テレビ前に座り込んで船を漕いでいたお母さんが、
「湖心《こころ》?」
と慌てて私を振り返った。そのお母さんの目元に光る涙の跡を見て、私は苦しくなって目を逸らす。
「悲しくて泣いてたわけじゃないから」
私は開けたままになっていた冷蔵庫から麦茶を取り出した。渇いていた喉に、コップに注いだ麦茶を流し込む。
「ただ、なんか、さっきの歌に感動したみたい」
お風呂上がりのほてった全身に冷たい麦茶が美味しい。でも彼の歌はそれ以上だった。砂漠のような私の心に沁み通り、忘れていた絶望以外の感情を、三ヶ月ぶりに呼び起こした。
「歌だったの? さざ波みたいな音楽が聞こえてた気がするけど、夢じゃなかったのね」
欠伸で誤魔化すように目元を拭い、お母さんが言った。
「涙出るほどすごかったの? 僕も見たかった」
と文人が残念そうにしている。
「叶芽さんて人の歌、私、初めて聞いた」
「かなめ? お母さんは知らないわ」
「僕も知らない」
お母さんがもう一度欠伸をする。
「もうこんな時間じゃない。湖心、髪ちゃんと乾かして寝なさいよ」
「おやすみ、お母さん」
「お母さんも疲れてるんだから早く寝てね。おやすみ」
私は文人の背中を押しながら、振り返ってお母さんに言った。
「そうね、ありがとう。おやすみ」
それは一滴で十分で、心の奥底を震わせ波紋のように広がり全身を満たした。
私は冷蔵庫に手をかけたまま、音がした方を向いた。照明を暗く落としたリビングでテレビが明るく光っている。一人の男性がピアノを弾きながら歌っているのが、テレビに映し出されていた。
規則的に響くピアノの伴奏は安心感をもたらし、彼の声を引き立たせていた。中性的な声は高いようにも低いようにも聞こえる。尖がなく、どこまでも柔らかで透明な声で、彼は、ただ、「アレルヤ」という言葉のみを紡いでいた。
画面に彼の顔がアップで映される。長く黒い前髪越しに切れ長の目があった。歌声と同じく綺麗すぎる瞳は何も映していないように見えた。
アレルヤ。アレルヤ。アレルヤ。アレルヤ。
彼の歌声が私の渇きを忘れさせる。癒していく。
濡れているように光る彼の目。
何も見てないんじゃない。彼にしか見えない何かを見てるんだと思った。
「叶芽《かなめ》さんで、『希望』でした。以上、今日のアーティストでした。これからのご活躍が楽しみですね」
アナウンサーの声がぼんやりと聞こえても、私の頭にはずっと彼の歌がこだましていた。
「お姉ちゃん、泣かないで」
文人《あやと》の不安げな声に、テレビ前に座り込んで船を漕いでいたお母さんが、
「湖心《こころ》?」
と慌てて私を振り返った。そのお母さんの目元に光る涙の跡を見て、私は苦しくなって目を逸らす。
「悲しくて泣いてたわけじゃないから」
私は開けたままになっていた冷蔵庫から麦茶を取り出した。渇いていた喉に、コップに注いだ麦茶を流し込む。
「ただ、なんか、さっきの歌に感動したみたい」
お風呂上がりのほてった全身に冷たい麦茶が美味しい。でも彼の歌はそれ以上だった。砂漠のような私の心に沁み通り、忘れていた絶望以外の感情を、三ヶ月ぶりに呼び起こした。
「歌だったの? さざ波みたいな音楽が聞こえてた気がするけど、夢じゃなかったのね」
欠伸で誤魔化すように目元を拭い、お母さんが言った。
「涙出るほどすごかったの? 僕も見たかった」
と文人が残念そうにしている。
「叶芽さんて人の歌、私、初めて聞いた」
「かなめ? お母さんは知らないわ」
「僕も知らない」
お母さんがもう一度欠伸をする。
「もうこんな時間じゃない。湖心、髪ちゃんと乾かして寝なさいよ」
「おやすみ、お母さん」
「お母さんも疲れてるんだから早く寝てね。おやすみ」
私は文人の背中を押しながら、振り返ってお母さんに言った。
「そうね、ありがとう。おやすみ」



