スクリーンに映し出された数値に、理事たちの目が釘付けになる。

「――こちらが、もう一つの、より『攻めた』黄金比です。」
湧井の瞳に強い光が宿る。
「新源泉150に対し、旧源泉を550まで絞り込む。比率1対3.7。合計湯量は毎分700リットル。」
数人の理事が顔を見合わせた。
「湯量は、減ります。」
Aは逃げずに言い切った。
「ですが、湯温は25.1度。25度という境界を越え、年間の燃料コストは追加で数百万円を削減可能です。」
「……重油は金がかかるだけじゃない。保管も燃やすのも一苦労だ。」
誰かが低く呟く。彼女は頷き、説明を続ける。
「メタケイ酸は101.5ミリグラム。正真正銘、文句なしの『美肌の湯』を全国に公言できます。」
「硫黄は、わずかに下がります。ただし入浴感覚はほぼ同じで、設備腐食はむしろ抑えられます。」
寒川さんが、全員を見渡し、付け加える。
「率直に申し上げます。二つの黄金比のいずれを選んでも、入浴客には殆ど違いが分かりません。」
ざわめき。湧井薫がきっぱりと言い放つ。
「違いが出るのは――経営です。」
すぐに声が飛んだ。
「何を言うか!」
副理事長が、机を叩いて身を乗り出す。
「あんたが自分で喋った通り!合計が700リットルじゃないか。7月からこっち、うちは710リットルで首の皮一枚繋がっているんだ。これじゃ10リットル足りない。経営が変わるだと!?現場を知らん数字遊びで、どう商売を続けろと言うんだ!」
湧井は静かに頷いた。
「はい。だからこそ、『足りない』と言われるお湯の行き先を見直しましょう。」
彼女は、真っ直ぐに副理事長を見据えた。
「私たちは、この街の給湯台帳を精査しました。……皆さんが、ある大手スーパー銭湯チェーンに、毎分200リットル相当のお湯を二束三文で卸している記録も。」
室内が、不気味なほど静まり返った。それはこの街の、触れてはいけない「古傷」だった。
「10年間にわたる苦難に苛まれ、経営難に陥った街は、彼らの資本を受け入れ、代わりに貴重な源泉をタンクローリーで買い叩かれる契約を結んだ。……彼らはそのお湯を都市部で『飯森山の名湯』として安っぽく消費し、一方で皆さんは、自分たちの手元に残った薄いお湯を温めるための燃料代に喘いでいる。」
湧井は一呼吸おいて、穏やかな声で語り掛ける。
「いまこそ、“安売りする温泉”であることを、やめる時です。」
一人の理事が震える声でぽつりと言った。
「……前に、な。カミさんとドライブの途中で、あのスーパー銭湯に寄ったことがある。」
全員の視線が集まる。
「隅っこの薄暗い小さな湯船に、『飯森の湯』なんて、小さな看板がぶら下がってた。」
拳が、机の上でぎゅっと握られた。
「誇らしかった湯が、あんな扱いをされてるのを見て……カミさんには何も言えなかった。」
別の理事が唸る。
「……俺も、同じもん見た。」
「値上げの話をしたら、笑われた。
「どうせ分からないだろ、って顔でな。」
空気が、ゆっくりと変わっていく。怒りではない。恨みでもない。誇りが、彼らの芯に熱量を注いでいく。
理事長が、『攻めの黄金比』を見つめた。湧井は、もう何も言わない。
「……俺たちは、自分たちの湯の値段を、自分たちで決めることすら許されなかった。」
「だが――この湯なら、戦える。」
理事長は、はっきりと言った。
「なあ、皆。今日までの10年間、俺たちは耐えに耐えて守って来た……。それは何のためだ。――いつか、攻めに転じる。その日のためじゃなかったか。」
重い頷きが、次々に重なる。
「これで行こう。安く売るための湯じゃない。誇りを取り戻すための湯だ。」
「街んなか、タンクローリーで走り回るのも止してもらいてえ。」
「勉強会だ。マントルだか、セルフシーリングだか、そこから始めにゃならん。」
理事長は、泉教授に向かって右手を差し出した。
「……大学さん。あんたらの言う『攻めの黄金比』、賭けてみるよ。ありがとう。……スーパー銭湯との交渉は、俺たちの仕事だ。もう二度と、あんな看板は下げさせねえ。」
教授がその手を力強く握り返した。
「湧井さんと山崎君の調査は、本質を突いていると、私は確信します。だからこそ、責任を持って、精度向上のための本格調査を行いたい。学会でも、行政でも、この判断から私は逃げません。宜しいですな?」
「ああ、喜んで。……いや、是非お願いしたい。」
理事長は、少し照れたように笑うと、真剣な面持ちで続けた。
「……新源泉から数キロのパイプラインを作らなきゃならん。数億円の事業だ。掘削よりは安いが……街の体力だけじゃ足りないかもしれん。」
一瞬、空気が張る。
「だが、大学さんの研究成果は、県の役人たちにもきっと響く。――学問を曲げてくれとは言わん。今日、ここで、俺たちに聞かせてくれた話を、世の中に知らしめて欲しいんだ。」
「もちろんです。この新しい血流が町に定着するまで、見守り続けます。そのためのメンバーは、ここに揃っています」
泉教授が僕と湧井を指して言った。
僕らは、どちらからともなく小さく頷き合った。 ここからが本当の始まりだ。
安売りではなく、価値で立つ。依存ではなく、自立を選ぶ。
――長く険しい道のりの、確かな第一歩だった。

「――こちらが、もう一つの、より『攻めた』黄金比です。」
湧井の瞳に強い光が宿る。
「新源泉150に対し、旧源泉を550まで絞り込む。比率1対3.7。合計湯量は毎分700リットル。」
数人の理事が顔を見合わせた。
「湯量は、減ります。」
Aは逃げずに言い切った。
「ですが、湯温は25.1度。25度という境界を越え、年間の燃料コストは追加で数百万円を削減可能です。」
「……重油は金がかかるだけじゃない。保管も燃やすのも一苦労だ。」
誰かが低く呟く。彼女は頷き、説明を続ける。
「メタケイ酸は101.5ミリグラム。正真正銘、文句なしの『美肌の湯』を全国に公言できます。」
「硫黄は、わずかに下がります。ただし入浴感覚はほぼ同じで、設備腐食はむしろ抑えられます。」
寒川さんが、全員を見渡し、付け加える。
「率直に申し上げます。二つの黄金比のいずれを選んでも、入浴客には殆ど違いが分かりません。」
ざわめき。湧井薫がきっぱりと言い放つ。
「違いが出るのは――経営です。」
すぐに声が飛んだ。
「何を言うか!」
副理事長が、机を叩いて身を乗り出す。
「あんたが自分で喋った通り!合計が700リットルじゃないか。7月からこっち、うちは710リットルで首の皮一枚繋がっているんだ。これじゃ10リットル足りない。経営が変わるだと!?現場を知らん数字遊びで、どう商売を続けろと言うんだ!」
湧井は静かに頷いた。
「はい。だからこそ、『足りない』と言われるお湯の行き先を見直しましょう。」
彼女は、真っ直ぐに副理事長を見据えた。
「私たちは、この街の給湯台帳を精査しました。……皆さんが、ある大手スーパー銭湯チェーンに、毎分200リットル相当のお湯を二束三文で卸している記録も。」
室内が、不気味なほど静まり返った。それはこの街の、触れてはいけない「古傷」だった。
「10年間にわたる苦難に苛まれ、経営難に陥った街は、彼らの資本を受け入れ、代わりに貴重な源泉をタンクローリーで買い叩かれる契約を結んだ。……彼らはそのお湯を都市部で『飯森山の名湯』として安っぽく消費し、一方で皆さんは、自分たちの手元に残った薄いお湯を温めるための燃料代に喘いでいる。」
湧井は一呼吸おいて、穏やかな声で語り掛ける。
「いまこそ、“安売りする温泉”であることを、やめる時です。」
一人の理事が震える声でぽつりと言った。
「……前に、な。カミさんとドライブの途中で、あのスーパー銭湯に寄ったことがある。」
全員の視線が集まる。
「隅っこの薄暗い小さな湯船に、『飯森の湯』なんて、小さな看板がぶら下がってた。」
拳が、机の上でぎゅっと握られた。
「誇らしかった湯が、あんな扱いをされてるのを見て……カミさんには何も言えなかった。」
別の理事が唸る。
「……俺も、同じもん見た。」
「値上げの話をしたら、笑われた。
「どうせ分からないだろ、って顔でな。」
空気が、ゆっくりと変わっていく。怒りではない。恨みでもない。誇りが、彼らの芯に熱量を注いでいく。
理事長が、『攻めの黄金比』を見つめた。湧井は、もう何も言わない。
「……俺たちは、自分たちの湯の値段を、自分たちで決めることすら許されなかった。」
「だが――この湯なら、戦える。」
理事長は、はっきりと言った。
「なあ、皆。今日までの10年間、俺たちは耐えに耐えて守って来た……。それは何のためだ。――いつか、攻めに転じる。その日のためじゃなかったか。」
重い頷きが、次々に重なる。
「これで行こう。安く売るための湯じゃない。誇りを取り戻すための湯だ。」
「街んなか、タンクローリーで走り回るのも止してもらいてえ。」
「勉強会だ。マントルだか、セルフシーリングだか、そこから始めにゃならん。」
理事長は、泉教授に向かって右手を差し出した。
「……大学さん。あんたらの言う『攻めの黄金比』、賭けてみるよ。ありがとう。……スーパー銭湯との交渉は、俺たちの仕事だ。もう二度と、あんな看板は下げさせねえ。」
教授がその手を力強く握り返した。
「湧井さんと山崎君の調査は、本質を突いていると、私は確信します。だからこそ、責任を持って、精度向上のための本格調査を行いたい。学会でも、行政でも、この判断から私は逃げません。宜しいですな?」
「ああ、喜んで。……いや、是非お願いしたい。」
理事長は、少し照れたように笑うと、真剣な面持ちで続けた。
「……新源泉から数キロのパイプラインを作らなきゃならん。数億円の事業だ。掘削よりは安いが……街の体力だけじゃ足りないかもしれん。」
一瞬、空気が張る。
「だが、大学さんの研究成果は、県の役人たちにもきっと響く。――学問を曲げてくれとは言わん。今日、ここで、俺たちに聞かせてくれた話を、世の中に知らしめて欲しいんだ。」
「もちろんです。この新しい血流が町に定着するまで、見守り続けます。そのためのメンバーは、ここに揃っています」
泉教授が僕と湧井を指して言った。
僕らは、どちらからともなく小さく頷き合った。 ここからが本当の始まりだ。
安売りではなく、価値で立つ。依存ではなく、自立を選ぶ。
――長く険しい道のりの、確かな第一歩だった。
