「……何故、掘ってはいけないのか。」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「それをご説明します。」
理事の中には、明らかに興味を失った顔もあった。一方で、理事長ら数人は、僕の言葉の重さを感じ取ったのか、真剣な表情でこちらを見る。湧井が、そっと、別の資料に手をかけるのが見えた。そこに記された数字が、僕たちの最後の切り札だ。彼女がそれをベストなタイミングで使えるよう、地ならしをするのが僕の役目だ。
僕は、理事会室を見渡した。拍手が、ゆっくりと消えていく。期待と苛立ち、そして「早く結論を出したい」という焦りが、入り混じった顔が並んでいる。
「……“掘れば解決する”。」
僕は、その言葉を口にした。
「確かに、直感的にはそう思えます。」
数人の理事が、頷く。
「ですが――」
そこで一度、言葉を切った。
「それは、“元に戻せる”という前提があって初めて成り立つ選択です。」
理事長が、わずかに眉を動かす。
「温泉の地下構造は、タンクではありません。配管でもない。一度壊れたら、やり直しが利かない“天然の装置”です」
スクリーンに、別の図を映す。複雑に入り組んだ地下の割れ目――フラクチャー。
「現在、旧源泉の通り道は、シリカ等の析出によって“部分的に詰まっている”状態です。これは、病気で言えば――動脈硬化に近い。」
一人の理事が、鼻で笑う。
「じゃあ、バイパスを作ればいい。」
「それが、ボーリングです。」
僕は頷いた。
「ですが、バイパスは――心臓そのものを壊す可能性がある。」
空気が、ぴたりと止まる。
「掘削によって、新しい割れ目を作る。一時的に、確かに湯量も温度も上がるでしょう。」
そこまでは、彼らも想定している未来だ。
「しかし――地下では、圧力と流体は“一番楽な道”を選びます。一度、人為的な近道を作れば、熱水はそちらへ流れ込み、既存の経路は、急速に使われなくなる。」
副理事長が、初めて口を開いた。
「……それの、何が問題だ?」
「問題は、その新しい道が――どこに繋がるか、誰にも分からないことです。」
理事会室が、静まり返る。
「深すぎれば、制御不能な高圧ガスを誘発し、設備を腐食させます。浅すぎれば、ただの温かい泥水に成り下がります。最悪の場合――」
僕は、言葉を選びながら続けた。
「今ある旧源泉と、新源泉、その両方の圧力バランスを崩し、どちらも弱体化させる可能性があります」
「……両方、だと?」
「はい。」
僕は、はっきりと答えた。
「これは“足し算”ではありません。“掛け算”のリスクです。」
ざわり、と空気が震える。
岩淵さんがゆっくりと口を開く。
「……二つの源泉は。……繊細な圧力バランスの上に、立っています。…現在は。……旧源泉の閉塞が“蓋”の役割を果たしている。……だから。…深部からのエネルギーは、新源泉から。……安定して立ち上がっている。」
低い声が、浮ついた希望的観測を抉り取っていく。
「そこに――」
僕は、指で図をなぞった。
「掘削による急激な減圧が起きれば、新源泉は、自噴する力を失い、消える可能性すらあります。」
理事の一人が、顔を強張らせる。
「……そんな、脅かすようなことを!」
「脅しではありません。」
僕は、感情を排した声で、しかし目を逸らさずに言った。
「地球の血管は、一度切れば二度と繋がりません。」
岩淵さんが僕の背中を押すように、ぼそりと呟く。
「……全国で。……“掘った翌年から温泉が枯れた”。……こんな報告書は。……いくらでもあります……」
重い沈黙が理事会室を支配する。
「しかも――」
僕は、最後の一押しを加えた。
「失敗したと気づくのは、温泉街の蛇口からお湯が消えた後です。」
理事長が、ゆっくりと息を吐いた。
「つまり……余りにも分の悪い賭けだ。」
「はい。」
僕は頷いた。
「掘削は、“今ある二つの源泉”をまるごとベットし、その全てを失う可能性を――私たちが引き受ける選択です。」
数人の理事は、明らかに白けた顔をしている。
――怖がらせ過ぎだ、と言いたげだ。
だが、残りの理事たちは、違った。数字ではなく、“取り返しがつかない”という言葉の重みを、理解してしまった顔だ。
「……だからこそ」
僕は、静かに締めくくった。
「私たちは、“掘らない選択”の中で、最大限の価値を引き出す方法を提示しています。」
理事会室の空気は、張り詰めた弦のように固まっていた。僕が示した「掘削のリスク」は、彼らの心に確かな恐怖の楔を打ち込んだ。だが、彼らは同時に「100に届かないメタケイ酸」と「25度に届かない湯温」という、あと一歩足りない現実に苛立ち、迷っていた。
視線の先で、湧井が僕に向かって静かに頷いた。 彼女の手元にあるのは、さっきの「1対4」のシートではない。それは、一部の利権を切り捨て、飯森山のプライドを極限まで研ぎ澄ますための、鋭利な処方箋だ。
「……理事長。先ほどの比率は、現在の給湯量を『すべて』維持することを前提にしたものです。」
湧井の声が、一段と低く、鋭くなった。
「ですが――もし皆さんに、ある『決断』を頂けるのであれば。飯森山の現状を一変させる、もう一つの黄金比が存在します。」
――ここから先は、もう一段、踏み込む。守りではなく、攻めの比率へ。 飯森山の「血」をどこに流すのか。その選別を、彼らに迫る時が来た。
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「それをご説明します。」
理事の中には、明らかに興味を失った顔もあった。一方で、理事長ら数人は、僕の言葉の重さを感じ取ったのか、真剣な表情でこちらを見る。湧井が、そっと、別の資料に手をかけるのが見えた。そこに記された数字が、僕たちの最後の切り札だ。彼女がそれをベストなタイミングで使えるよう、地ならしをするのが僕の役目だ。
僕は、理事会室を見渡した。拍手が、ゆっくりと消えていく。期待と苛立ち、そして「早く結論を出したい」という焦りが、入り混じった顔が並んでいる。
「……“掘れば解決する”。」
僕は、その言葉を口にした。
「確かに、直感的にはそう思えます。」
数人の理事が、頷く。
「ですが――」
そこで一度、言葉を切った。
「それは、“元に戻せる”という前提があって初めて成り立つ選択です。」
理事長が、わずかに眉を動かす。
「温泉の地下構造は、タンクではありません。配管でもない。一度壊れたら、やり直しが利かない“天然の装置”です」
スクリーンに、別の図を映す。複雑に入り組んだ地下の割れ目――フラクチャー。
「現在、旧源泉の通り道は、シリカ等の析出によって“部分的に詰まっている”状態です。これは、病気で言えば――動脈硬化に近い。」
一人の理事が、鼻で笑う。
「じゃあ、バイパスを作ればいい。」
「それが、ボーリングです。」
僕は頷いた。
「ですが、バイパスは――心臓そのものを壊す可能性がある。」
空気が、ぴたりと止まる。
「掘削によって、新しい割れ目を作る。一時的に、確かに湯量も温度も上がるでしょう。」
そこまでは、彼らも想定している未来だ。
「しかし――地下では、圧力と流体は“一番楽な道”を選びます。一度、人為的な近道を作れば、熱水はそちらへ流れ込み、既存の経路は、急速に使われなくなる。」
副理事長が、初めて口を開いた。
「……それの、何が問題だ?」
「問題は、その新しい道が――どこに繋がるか、誰にも分からないことです。」
理事会室が、静まり返る。
「深すぎれば、制御不能な高圧ガスを誘発し、設備を腐食させます。浅すぎれば、ただの温かい泥水に成り下がります。最悪の場合――」
僕は、言葉を選びながら続けた。
「今ある旧源泉と、新源泉、その両方の圧力バランスを崩し、どちらも弱体化させる可能性があります」
「……両方、だと?」
「はい。」
僕は、はっきりと答えた。
「これは“足し算”ではありません。“掛け算”のリスクです。」
ざわり、と空気が震える。
岩淵さんがゆっくりと口を開く。
「……二つの源泉は。……繊細な圧力バランスの上に、立っています。…現在は。……旧源泉の閉塞が“蓋”の役割を果たしている。……だから。…深部からのエネルギーは、新源泉から。……安定して立ち上がっている。」
低い声が、浮ついた希望的観測を抉り取っていく。
「そこに――」
僕は、指で図をなぞった。
「掘削による急激な減圧が起きれば、新源泉は、自噴する力を失い、消える可能性すらあります。」
理事の一人が、顔を強張らせる。
「……そんな、脅かすようなことを!」
「脅しではありません。」
僕は、感情を排した声で、しかし目を逸らさずに言った。
「地球の血管は、一度切れば二度と繋がりません。」
岩淵さんが僕の背中を押すように、ぼそりと呟く。
「……全国で。……“掘った翌年から温泉が枯れた”。……こんな報告書は。……いくらでもあります……」
重い沈黙が理事会室を支配する。
「しかも――」
僕は、最後の一押しを加えた。
「失敗したと気づくのは、温泉街の蛇口からお湯が消えた後です。」
理事長が、ゆっくりと息を吐いた。
「つまり……余りにも分の悪い賭けだ。」
「はい。」
僕は頷いた。
「掘削は、“今ある二つの源泉”をまるごとベットし、その全てを失う可能性を――私たちが引き受ける選択です。」
数人の理事は、明らかに白けた顔をしている。
――怖がらせ過ぎだ、と言いたげだ。
だが、残りの理事たちは、違った。数字ではなく、“取り返しがつかない”という言葉の重みを、理解してしまった顔だ。
「……だからこそ」
僕は、静かに締めくくった。
「私たちは、“掘らない選択”の中で、最大限の価値を引き出す方法を提示しています。」
理事会室の空気は、張り詰めた弦のように固まっていた。僕が示した「掘削のリスク」は、彼らの心に確かな恐怖の楔を打ち込んだ。だが、彼らは同時に「100に届かないメタケイ酸」と「25度に届かない湯温」という、あと一歩足りない現実に苛立ち、迷っていた。
視線の先で、湧井が僕に向かって静かに頷いた。 彼女の手元にあるのは、さっきの「1対4」のシートではない。それは、一部の利権を切り捨て、飯森山のプライドを極限まで研ぎ澄ますための、鋭利な処方箋だ。
「……理事長。先ほどの比率は、現在の給湯量を『すべて』維持することを前提にしたものです。」
湧井の声が、一段と低く、鋭くなった。
「ですが――もし皆さんに、ある『決断』を頂けるのであれば。飯森山の現状を一変させる、もう一つの黄金比が存在します。」
――ここから先は、もう一段、踏み込む。守りではなく、攻めの比率へ。 飯森山の「血」をどこに流すのか。その選別を、彼らに迫る時が来た。
