――その瞬間、湧井の背筋が、すっと伸びたのが分かった。
彼女は小さく頷き、手元の資料を差し替える。
「はい。こちらをご覧ください。」
スクリーンに、新しいスライドが映し出される。二人で計算を重ねて練り上げた数値、「1:4」だ。
室内の空気が、わずかに動いた。
「新源泉は毎分150リットルを全量投入。旧源泉の毎分600リットル分とブレンドします。混合後の総湯量は、毎分750リットルです。」
湧井は、淡々と、だが一つひとつ噛みしめるように説明を続けた。
「旧源泉の7月後半以降の湧出量は、毎分710リットルでした。オーバーフローが不足し、運用に余裕がなくなった状態です。しかし、この比率ならば、40リットル分の余力――調整用、非常用のバッファを確保できます。」
理事たちの視線が、表の「湯量」の行に集まる。
「次は、湯温です。」
湧井は次の行を指した。
「新源泉は45.2度。旧源泉は19.4度。混合後は24.6度になります。」
「……二十五度弱か。」
誰かが小さく呟いた。
「はい。加温は必要ですが、現状と比べて燃料コストは大幅に下がります。試算では、年間2,000万円以上の削減が期待できます。」
続いて、硫黄。
「全硫黄濃度は9.4ミリグラム毎リットル。旧源泉単独よりは下がりますが、香りは、死にません。」
「硫黄は残る、と。」
副理事長が、初めてメモを取った。
「はい。飯森らしさは維持されます。」
pH、リチウム、メタケイ酸――湧井は、順に説明していく。
「pHは6前後。刺激を抑えた弱酸性です。」
「リチウムは0.68ミリグラム。湯治場クラスの鎮静効果が見込めます。」
「そして最後に――メタケイ酸は99.2ミリグラム。温泉法上の基準を優に超え、100mg/ℓという『美肌の湯』の大台に肉薄する数値を確保できます。以上により、旧源泉単体では失われていた『効能の厚み』を、新源泉が補完します。」
数字が積み上がるにつれ、理事たちの表情は、露骨な拒否から、計算する顔へと変わっていった。
「……悪くないな。」
誰かが、ぽつりと言った。湧井が一礼し、説明を終える。
後ろに控えていた寒川さんが、身を乗り出して補足する。
「……推測ではありますが、このお湯は、かつての飯森山とは全く別次元の『体験』を提供します。旧源泉の硫黄が毛細血管を広げ、新源泉のリチウムが神経を鎮める。メタケイ酸のベールがそれを包み込む……。単に温まるだけでなく、脳が解けるような深いリラックス効果。それこそが、新生・飯森山の看板になるはずです。しかも、酸性が強すぎないため、長湯しやすく、肌当たりは柔らかい。観光客だけでなく、高齢の方や湯治目的の方にも受け入れられる性質です。」
理事たちは、数値を凝視し、小声で囁き合う。
「……存外じゃないか。」
「温度が5度以上上がるのは、冬場の重油代を考えれば大きい。」
「リチウムか。新しい売り文句にはなりそうだ。」
しかし、空気は完全には晴れない。理事の一人が、不満げに鼻を鳴らした。
「だが、メタケイ酸は100に届かんのだな。それに湯温も24度台。結局、沸かし直しが必要なことに変わりはないじゃないか。」
「新源泉を使う割に、インパクトが弱い。」
空気が、再び重くなる。
「……あのね、大学さん。」
一人の理事が――その日一番の「良い笑顔」で、身を乗り出した。
「何も、『二者択一』である必要はないんじゃないですか?大学さんの提案は素晴らしい。だから、それなら話は簡単だ。予定通りボーリングをして、旧源泉をもっと掘り下げ、熱と硫黄を強化する。その『最強になった旧源泉』に、今の新源泉を混ぜればいい。100と言わず150だって狙えるかもしれない。……そういう提案としてなら、我々は喜んで賛成しましょう!」
それを聞いた瞬間、湧井はそっと目を閉じた。片や、理事たちの間にわっと拍手が沸き起こる。
「そうだ、それがいい!」
「最強のブレンドだ!」
胸の奥が、冷える。
――来たか。
僕は、ゆっくりと立ち上がった。
彼女は小さく頷き、手元の資料を差し替える。
「はい。こちらをご覧ください。」
スクリーンに、新しいスライドが映し出される。二人で計算を重ねて練り上げた数値、「1:4」だ。
室内の空気が、わずかに動いた。
「新源泉は毎分150リットルを全量投入。旧源泉の毎分600リットル分とブレンドします。混合後の総湯量は、毎分750リットルです。」
湧井は、淡々と、だが一つひとつ噛みしめるように説明を続けた。
「旧源泉の7月後半以降の湧出量は、毎分710リットルでした。オーバーフローが不足し、運用に余裕がなくなった状態です。しかし、この比率ならば、40リットル分の余力――調整用、非常用のバッファを確保できます。」
理事たちの視線が、表の「湯量」の行に集まる。
「次は、湯温です。」
湧井は次の行を指した。
「新源泉は45.2度。旧源泉は19.4度。混合後は24.6度になります。」
「……二十五度弱か。」
誰かが小さく呟いた。
「はい。加温は必要ですが、現状と比べて燃料コストは大幅に下がります。試算では、年間2,000万円以上の削減が期待できます。」
続いて、硫黄。
「全硫黄濃度は9.4ミリグラム毎リットル。旧源泉単独よりは下がりますが、香りは、死にません。」
「硫黄は残る、と。」
副理事長が、初めてメモを取った。
「はい。飯森らしさは維持されます。」
pH、リチウム、メタケイ酸――湧井は、順に説明していく。
「pHは6前後。刺激を抑えた弱酸性です。」
「リチウムは0.68ミリグラム。湯治場クラスの鎮静効果が見込めます。」
「そして最後に――メタケイ酸は99.2ミリグラム。温泉法上の基準を優に超え、100mg/ℓという『美肌の湯』の大台に肉薄する数値を確保できます。以上により、旧源泉単体では失われていた『効能の厚み』を、新源泉が補完します。」
数字が積み上がるにつれ、理事たちの表情は、露骨な拒否から、計算する顔へと変わっていった。
「……悪くないな。」
誰かが、ぽつりと言った。湧井が一礼し、説明を終える。
後ろに控えていた寒川さんが、身を乗り出して補足する。
「……推測ではありますが、このお湯は、かつての飯森山とは全く別次元の『体験』を提供します。旧源泉の硫黄が毛細血管を広げ、新源泉のリチウムが神経を鎮める。メタケイ酸のベールがそれを包み込む……。単に温まるだけでなく、脳が解けるような深いリラックス効果。それこそが、新生・飯森山の看板になるはずです。しかも、酸性が強すぎないため、長湯しやすく、肌当たりは柔らかい。観光客だけでなく、高齢の方や湯治目的の方にも受け入れられる性質です。」
理事たちは、数値を凝視し、小声で囁き合う。
「……存外じゃないか。」
「温度が5度以上上がるのは、冬場の重油代を考えれば大きい。」
「リチウムか。新しい売り文句にはなりそうだ。」
しかし、空気は完全には晴れない。理事の一人が、不満げに鼻を鳴らした。
「だが、メタケイ酸は100に届かんのだな。それに湯温も24度台。結局、沸かし直しが必要なことに変わりはないじゃないか。」
「新源泉を使う割に、インパクトが弱い。」
空気が、再び重くなる。
「……あのね、大学さん。」
一人の理事が――その日一番の「良い笑顔」で、身を乗り出した。
「何も、『二者択一』である必要はないんじゃないですか?大学さんの提案は素晴らしい。だから、それなら話は簡単だ。予定通りボーリングをして、旧源泉をもっと掘り下げ、熱と硫黄を強化する。その『最強になった旧源泉』に、今の新源泉を混ぜればいい。100と言わず150だって狙えるかもしれない。……そういう提案としてなら、我々は喜んで賛成しましょう!」
それを聞いた瞬間、湧井はそっと目を閉じた。片や、理事たちの間にわっと拍手が沸き起こる。
「そうだ、それがいい!」
「最強のブレンドだ!」
胸の奥が、冷える。
――来たか。
僕は、ゆっくりと立ち上がった。
