フヴェルゲルミルの黄昏 ―天然理系女子と温泉調査―

理学部棟の廊下。

軽井と重森は二人だけでエレベーターを待っていた。泉教授は立ち去り、湧井と山崎は会議室に残って資料の整理をしている。

夕暮れ時の廊下は薄暗く、二人のシルエットを長く伸ばしている。
「……なぁ、重森」
先に口を開いたのは軽井だった。かつての軽薄な調子はない。
「あのさ、7月のこと。……俺、本当は今でも怖いわ。あの窪地で、息ができなくなった瞬間のこと、たまに思い出すんだ。」
重森は視線を足元に落としたまま、固く結んだ唇をわずかに震わせた。
「……私が、間違えたから。あの時、あなたを死なせかけて……」
「そうじゃない。」
軽井は遮るように、しかし穏やかに言った。
「お前が助けてくれた。それも事実だろ。」

エレベーターが到着し、二人は乗り込む。鏡張りの壁に映る自分たちの姿を、重森は逃げずに見つめた。
「……私、あなたを『何もできない男』だと思って、それで安心してた。」
「お互い様だよ。俺も、お前に全部任せてヘラヘラしてたしな。」
軽井はエレベーターのボタンを見つめ、決然と言った。
「でも、山崎の顔、見たか?……俺も、もう逃げない。」
重森は深く息を吐き、乱れていた髪を指で整えた。その仕草には、かつての虚勢ではなく、真摯に現実を受け入れた者の静かな覚悟が宿っていた。
「……いいわ。今度こそ私が……『パートナー』として、その背中を守ってみせる。」
軽井は一瞬驚いたように重森を見、それから小さく笑った。
「今度は、“代行”じゃないからな。」
「ええ。前みたいに、何も考えずに測って、帰って、って訳にはいかない。」
エレベーターの扉が開く。

一歩を踏み出す二人の背中には、もう依存も慢心もなかった。