研究室を出ると、外の空気はひんやりとしていた。
街灯に照らされた歩道を、僕と湧井は並んで歩く。歩調はいつの間にか揃っていた。昼間、あれほど数式と数値で埋め尽くされていた頭が、少しずつ現実の輪郭を取り戻していく感覚に浸る。
「7月のフィールドワーク、正直、軽井と重森さんで大丈夫かな。」
僕が漏らした不安に、彼女は不思議そうに首をかしげた。
「軽井さんはモチベーション高そうでしたが。懇親会のときも、5月のデータをかなり読み込んでいましたし……意外と、あの方には『研究者としての誠実さ』があるのかもしれませんね。」
湧井は、僕の反応を確かめるように、ちらりと横目でこちらを見る。
「いや、それは違うと思うよ。」
苦笑いしながら、食い気味に否定する。
「?」
「あいつは、不純な動機だけで動いてる。研究そのものに対しては、君が思っている通り、無責任な男だよ。……動機が強烈すぎて、結果的に有能になってるだけだ。」
湧井は少しだけ納得がいかない顔をした。彼女にとって、あそこまで専門的な予習をしてくる人間が、研究そのものに無責任であるという状況が理解できないのだ。
「とりあえず……本当に気になるのは重森さんかな。」
「彼女ですか? とても真摯な方だと思いますけど。」
「……今回だけは、その真摯さが裏目に出る気がするんだよ。」
僕は、5月のフィールド前に重森が僕に投げかけた鋭い視線や、軽井が湧井に近づくたびに高まっていく彼女の「フラストレーション」を思い出していた。重森の今回のモチベーションは、学術的な探求ではなく、軽井への執着と湧井への反発だ。それが極限状態の現場でどう作用するか、僕には予測がつかなかった。
「?」
湧井はやはり、状況を飲み込めていない。重森が自分に対して抱いている複雑な感情や、このフィールドワークが彼女にとって「譲れない一線」となっていることに、まるで無頓着なのだ。天然ぶりも、ここまでくると才能かもしれない。
やがて、街灯に照らされた湧井のアパートの前に着いた。
「……まあ、僕たちが書いたマニュアルがあるからね。何かあればすぐに連絡するように言ってあるし。」
「ええ。山崎さんのマニュアルは完璧です。……おやすみなさい。また明日、研究室で。」

彼女は小さく手を振り、階段を駆け上がる。その背中が見えなくなってから、僕は暫く、その場を動かなかった。暗い夜空を見上げ、飯森山の方向を見つめる。マニュアルは完璧だ。
――だが、現場で動くのは感情を持った人間なのだ。
街灯に照らされた歩道を、僕と湧井は並んで歩く。歩調はいつの間にか揃っていた。昼間、あれほど数式と数値で埋め尽くされていた頭が、少しずつ現実の輪郭を取り戻していく感覚に浸る。
「7月のフィールドワーク、正直、軽井と重森さんで大丈夫かな。」
僕が漏らした不安に、彼女は不思議そうに首をかしげた。
「軽井さんはモチベーション高そうでしたが。懇親会のときも、5月のデータをかなり読み込んでいましたし……意外と、あの方には『研究者としての誠実さ』があるのかもしれませんね。」
湧井は、僕の反応を確かめるように、ちらりと横目でこちらを見る。
「いや、それは違うと思うよ。」
苦笑いしながら、食い気味に否定する。
「?」
「あいつは、不純な動機だけで動いてる。研究そのものに対しては、君が思っている通り、無責任な男だよ。……動機が強烈すぎて、結果的に有能になってるだけだ。」
湧井は少しだけ納得がいかない顔をした。彼女にとって、あそこまで専門的な予習をしてくる人間が、研究そのものに無責任であるという状況が理解できないのだ。
「とりあえず……本当に気になるのは重森さんかな。」
「彼女ですか? とても真摯な方だと思いますけど。」
「……今回だけは、その真摯さが裏目に出る気がするんだよ。」
僕は、5月のフィールド前に重森が僕に投げかけた鋭い視線や、軽井が湧井に近づくたびに高まっていく彼女の「フラストレーション」を思い出していた。重森の今回のモチベーションは、学術的な探求ではなく、軽井への執着と湧井への反発だ。それが極限状態の現場でどう作用するか、僕には予測がつかなかった。
「?」
湧井はやはり、状況を飲み込めていない。重森が自分に対して抱いている複雑な感情や、このフィールドワークが彼女にとって「譲れない一線」となっていることに、まるで無頓着なのだ。天然ぶりも、ここまでくると才能かもしれない。
やがて、街灯に照らされた湧井のアパートの前に着いた。
「……まあ、僕たちが書いたマニュアルがあるからね。何かあればすぐに連絡するように言ってあるし。」
「ええ。山崎さんのマニュアルは完璧です。……おやすみなさい。また明日、研究室で。」

彼女は小さく手を振り、階段を駆け上がる。その背中が見えなくなってから、僕は暫く、その場を動かなかった。暗い夜空を見上げ、飯森山の方向を見つめる。マニュアルは完璧だ。
――だが、現場で動くのは感情を持った人間なのだ。
