あれから二十年。
聖女エレノアの肖像画の前には、一人の青年が立っていた。
ミルキーブロンドの前下がりボブ、瞳の色は栗色で、目尻はくったりと垂れ下がっている。
「母さん! 見て見て!」
青年はその場でゆっくりと回ってみせた。
真新しい白の軍服を見せびらかすように。
彼の名はルーベン・カーライル。二十歳。
わたくしとユーリの一人息子だ。
「俺、勇者になったんだよ」
「無理くりだけどな」
扉を開けて男性が入ってくる。
紅髪に栗色の瞳。
髪は長く腰のあたりまで伸びていて、後ろで綺麗に一つ結びにしている。
ユーリだ。
相変わらずの恰好。今となってはルーと揃いの軍服に身を包んでいる。
彼も今年で四十一歳。
年齢の割に若く見られるけど、その白い頬には薄っすらとほうれい線が刻まれている。
「無理くり~? っは、それが何? 別にいーでしょ。時限付きでも勇者は勇者なんだから」
「今からでも聖者に――」
「うっさいな。その傷、塞ぐよ」
「っ! 勘弁しろよ」
ユーリが勢いよく額を覆う。
あの日、わたくしが治療を見送った傷だ。
彼は結局、その傷を塞ぐことはなかった。
なぜならその傷は、彼にとっては『勝利の証』。
聖女エレノアが天命ではなく夫を選んだ、その証であるからだ。
「ははっ、必死だね~。流石は『追想の勇者』様」
「羨ましいだろ?」
これ見よがしに指輪を見せつける。
装飾なしのプラチナの指輪。
揃いの指輪はここにある。今も変わらずわたくしの薬指に。
そう。彼は未だ、わたくしへの愛を貫いているのだ。
最も忌避していたはずの手段――大衆にロマンスを提供するという手段を駆使してまで。
端的に言えば、彼はとある高名な作家様に明かしたのだ。
わたくしとの婚約~死別に至るまでの出来事を。
そうして生み出された作品は多くの人々を魅了し、広く愛されるように。
結果、ユーリとわたくしの愛は不可侵の領域へ。
誰一人として、ユーリに再婚話を持ちかける方はいなくなったというわけだ。
『彼なら大丈夫よ。きっと貴方への愛を貫くわ。どんな手を使ってでもね』
結婚式の日、お母様はそう仰られていた。
あの時からこうなることを予見していた、或いは仕掛け人であったのかもしれない。
……あり得るわ。
だってあのお方は、希代のフィクサー、ミシェル・カーライルの母ですもの。
したり顔のお母様の姿を想像しつつ、ユーリに目を向ける。
根負けよ。貴方の覚悟は本物。これ以上疑いようがない。
だから、もう望んだりしないわ。後妻を迎え入れて、なんて。
「お前もどうだ? そろそろ恋の一つでも」
「いらない。俺にはアイツらがいるから」
「仲がいいのは結構だがな――」
「旅に出るから」
「……は?」
「キャル、ヒュー、ノル、俺の四人でね」
「はぁ!? そんなん許されるわけ――」
「安心してよ。ちゃーんと真の魔王か、激つよ魔物を倒してからにするから」
「そういう問題じゃ……っ。ちょっ、ルー!」
「ばいにゃ~♡」
「ちょっ! 待て、ルー!」
「あっ! ルーベン様……」
逃げるようにして部屋を出たルー。
その先で誰かと鉢合わせたみたい。誰かしら……?
ふわりと飛んで廊下に出る。
するとそこには、黒のモーニングコートを身に纏った小柄な青年の姿があった。
真ん丸な黒い瞳、桃色の短い巻き毛が何とも愛らしい。
あの子は確か、執事見習いのアーロね。
年は十六。ルーよりも四つ年下だったはず。
「あれ? どうしたの?」
「あっ、その……ハンカチをお返しに……」
アーロが手渡したのは、象牙色のリネンのハンカチだった。
イニシャルの『R』と、一輪のハルジオンが刺繍されている。
けれど、施された刺繍はガタガタな上にグラデーションもなく……相変わらずの酷いデキだ。
居た堪れず、つーっと目を逸らす。
「アンナ様から伺いました。このハンカチ、とても大切なものだったんですね」
「アーロだから貸してあげたんだよ」
「えっ……?」
「諦めないで。絶対に、何が何でも俺の専属執事になってよね」
ルーが笑う。挑発的でもあり、悪戯っぽくもあるあの目で。
お父様にも負けてない。とっても素敵ね。
でも、貴方の顔はわたくしと瓜二つだから……何だかちょっと気恥ずかしい。
「ルーベン様……っ」
沈んでいた黒い瞳が輝き出す。
まるでそう夜空にバンバンと花火が打ち上がるみたいに。
また一人魅了してしまった。貴方の血ね、ユーリ。
「はっ、はい! 精進致します!!」
「旅にも連れていくから、そのつもりでね~」
「旅!?」
「そっ、旅する執事。良くない?」
「っ! たっ、確かに……素敵です!」
ふっと微笑む声が聞こえる。ユーリだ。
扉の隙間から、そっと覗き見ていたようだ。
やれやれと首を左右に振って、部屋の中へと戻っていく。
『ふふっ……貴方、また折れるつもりね?』
ルーが『勇者を目指したい』と言った時もそうだった。
『ルーを失いたくない』と強く葛藤しながらも、最後には彼の意思を尊重する道を選んだ。
ユーリもまた『夢追い人』だったから、どうしてもルーの熱意に共感してしまう。
親に認められたい、味方になってほしかった……との思いも手伝って、どうにも折れがち。
自分の思いは二の次で、気を揉んでばかりいる。
『ふふっ、難儀なことね』
因みにキャルというのはミラとルイス様の長男。
ヒューはレイの因子を、ノルはビルの因子を継ぐ人造人間の青年のことだ。
キャルは勇者、ヒューは賢者、ノルは剣聖で、それぞれ若くして国の主力を担っている。
王国が彼らの離脱を許すとはとても思えない。
だけど、ユーリのサポートと、彼らの若さと胆力があれば或いは……? とも思ってしまう。
『彼らの望みが叶ったら、王国はまた大きく変わることになるでしょうね』
血筋由来の才を持つ人々も、ある程度は自由が認められるようになるかもしれない。
『とっても素敵ね。わたくしも応援しちゃおうかしら』
くすくすと笑いながら、そっとユーリに寄り添う。
わたくしの姿は二十年前から何一つ変わっていない。
白い翼にカソック姿で宙に浮いている。
「はぁ~……エラ、ごめんな。まだまだ時間がかかりそうだ」
『大丈夫よ。傍にいてあげて』
ユーリはわたくしではなく、肖像画に向かって語りかけている。
その目がこちらに向くことはない。
寂しくないと言えば嘘になる。
だけど、大丈夫。貴方のことを信じているから。
『必ず見つけ出すって、そう言ってくれたものね』
勿論、報われる保証なんてない。
けど、それでもいい。信じてるの。
「さて、行くか」
『ええ、参りましょう』
こうして今日も重ねていく。
賑やかで、時にほろ苦い日々を。
再び交わる日を夢に見ながら。
fin
聖女エレノアの肖像画の前には、一人の青年が立っていた。
ミルキーブロンドの前下がりボブ、瞳の色は栗色で、目尻はくったりと垂れ下がっている。
「母さん! 見て見て!」
青年はその場でゆっくりと回ってみせた。
真新しい白の軍服を見せびらかすように。
彼の名はルーベン・カーライル。二十歳。
わたくしとユーリの一人息子だ。
「俺、勇者になったんだよ」
「無理くりだけどな」
扉を開けて男性が入ってくる。
紅髪に栗色の瞳。
髪は長く腰のあたりまで伸びていて、後ろで綺麗に一つ結びにしている。
ユーリだ。
相変わらずの恰好。今となってはルーと揃いの軍服に身を包んでいる。
彼も今年で四十一歳。
年齢の割に若く見られるけど、その白い頬には薄っすらとほうれい線が刻まれている。
「無理くり~? っは、それが何? 別にいーでしょ。時限付きでも勇者は勇者なんだから」
「今からでも聖者に――」
「うっさいな。その傷、塞ぐよ」
「っ! 勘弁しろよ」
ユーリが勢いよく額を覆う。
あの日、わたくしが治療を見送った傷だ。
彼は結局、その傷を塞ぐことはなかった。
なぜならその傷は、彼にとっては『勝利の証』。
聖女エレノアが天命ではなく夫を選んだ、その証であるからだ。
「ははっ、必死だね~。流石は『追想の勇者』様」
「羨ましいだろ?」
これ見よがしに指輪を見せつける。
装飾なしのプラチナの指輪。
揃いの指輪はここにある。今も変わらずわたくしの薬指に。
そう。彼は未だ、わたくしへの愛を貫いているのだ。
最も忌避していたはずの手段――大衆にロマンスを提供するという手段を駆使してまで。
端的に言えば、彼はとある高名な作家様に明かしたのだ。
わたくしとの婚約~死別に至るまでの出来事を。
そうして生み出された作品は多くの人々を魅了し、広く愛されるように。
結果、ユーリとわたくしの愛は不可侵の領域へ。
誰一人として、ユーリに再婚話を持ちかける方はいなくなったというわけだ。
『彼なら大丈夫よ。きっと貴方への愛を貫くわ。どんな手を使ってでもね』
結婚式の日、お母様はそう仰られていた。
あの時からこうなることを予見していた、或いは仕掛け人であったのかもしれない。
……あり得るわ。
だってあのお方は、希代のフィクサー、ミシェル・カーライルの母ですもの。
したり顔のお母様の姿を想像しつつ、ユーリに目を向ける。
根負けよ。貴方の覚悟は本物。これ以上疑いようがない。
だから、もう望んだりしないわ。後妻を迎え入れて、なんて。
「お前もどうだ? そろそろ恋の一つでも」
「いらない。俺にはアイツらがいるから」
「仲がいいのは結構だがな――」
「旅に出るから」
「……は?」
「キャル、ヒュー、ノル、俺の四人でね」
「はぁ!? そんなん許されるわけ――」
「安心してよ。ちゃーんと真の魔王か、激つよ魔物を倒してからにするから」
「そういう問題じゃ……っ。ちょっ、ルー!」
「ばいにゃ~♡」
「ちょっ! 待て、ルー!」
「あっ! ルーベン様……」
逃げるようにして部屋を出たルー。
その先で誰かと鉢合わせたみたい。誰かしら……?
ふわりと飛んで廊下に出る。
するとそこには、黒のモーニングコートを身に纏った小柄な青年の姿があった。
真ん丸な黒い瞳、桃色の短い巻き毛が何とも愛らしい。
あの子は確か、執事見習いのアーロね。
年は十六。ルーよりも四つ年下だったはず。
「あれ? どうしたの?」
「あっ、その……ハンカチをお返しに……」
アーロが手渡したのは、象牙色のリネンのハンカチだった。
イニシャルの『R』と、一輪のハルジオンが刺繍されている。
けれど、施された刺繍はガタガタな上にグラデーションもなく……相変わらずの酷いデキだ。
居た堪れず、つーっと目を逸らす。
「アンナ様から伺いました。このハンカチ、とても大切なものだったんですね」
「アーロだから貸してあげたんだよ」
「えっ……?」
「諦めないで。絶対に、何が何でも俺の専属執事になってよね」
ルーが笑う。挑発的でもあり、悪戯っぽくもあるあの目で。
お父様にも負けてない。とっても素敵ね。
でも、貴方の顔はわたくしと瓜二つだから……何だかちょっと気恥ずかしい。
「ルーベン様……っ」
沈んでいた黒い瞳が輝き出す。
まるでそう夜空にバンバンと花火が打ち上がるみたいに。
また一人魅了してしまった。貴方の血ね、ユーリ。
「はっ、はい! 精進致します!!」
「旅にも連れていくから、そのつもりでね~」
「旅!?」
「そっ、旅する執事。良くない?」
「っ! たっ、確かに……素敵です!」
ふっと微笑む声が聞こえる。ユーリだ。
扉の隙間から、そっと覗き見ていたようだ。
やれやれと首を左右に振って、部屋の中へと戻っていく。
『ふふっ……貴方、また折れるつもりね?』
ルーが『勇者を目指したい』と言った時もそうだった。
『ルーを失いたくない』と強く葛藤しながらも、最後には彼の意思を尊重する道を選んだ。
ユーリもまた『夢追い人』だったから、どうしてもルーの熱意に共感してしまう。
親に認められたい、味方になってほしかった……との思いも手伝って、どうにも折れがち。
自分の思いは二の次で、気を揉んでばかりいる。
『ふふっ、難儀なことね』
因みにキャルというのはミラとルイス様の長男。
ヒューはレイの因子を、ノルはビルの因子を継ぐ人造人間の青年のことだ。
キャルは勇者、ヒューは賢者、ノルは剣聖で、それぞれ若くして国の主力を担っている。
王国が彼らの離脱を許すとはとても思えない。
だけど、ユーリのサポートと、彼らの若さと胆力があれば或いは……? とも思ってしまう。
『彼らの望みが叶ったら、王国はまた大きく変わることになるでしょうね』
血筋由来の才を持つ人々も、ある程度は自由が認められるようになるかもしれない。
『とっても素敵ね。わたくしも応援しちゃおうかしら』
くすくすと笑いながら、そっとユーリに寄り添う。
わたくしの姿は二十年前から何一つ変わっていない。
白い翼にカソック姿で宙に浮いている。
「はぁ~……エラ、ごめんな。まだまだ時間がかかりそうだ」
『大丈夫よ。傍にいてあげて』
ユーリはわたくしではなく、肖像画に向かって語りかけている。
その目がこちらに向くことはない。
寂しくないと言えば嘘になる。
だけど、大丈夫。貴方のことを信じているから。
『必ず見つけ出すって、そう言ってくれたものね』
勿論、報われる保証なんてない。
けど、それでもいい。信じてるの。
「さて、行くか」
『ええ、参りましょう』
こうして今日も重ねていく。
賑やかで、時にほろ苦い日々を。
再び交わる日を夢に見ながら。
fin
