余命2年の初恋泥棒聖女は、同い年になった年下勇者に溺愛される。

ユーリが出立してから三日の時が過ぎようとしていた。
未だわたくしの元には、軍団討伐の報は届いていない。

王都から戦場のある『常闇の森』までは、『転移装置』を駆使すれば一時間程で行き来することが出来る。
だから、移動が原因じゃない。
討伐それ自体に時間を要しているということね。

ミラが抜けた穴は、王国屈指の実力を持つ治癒術師の方々のお力を以てしても、埋めることが出来なかったということかしら。

「祈りましょう。戦士達の無事を。この国の健やかなる未来のために」

王都大司教であるセオお兄様に導かれるまま、信徒の方々が祈りを捧げる。
わたくしもそれに続いて祈りを捧げた。

ここは王都にある大聖堂。
わたくしとユーリの結婚式を行ったところだ。
二千近くある座席は、平和を祈る人々で埋め尽くされている。

静かで心地の良い静寂が流れていく。
赤ん坊であるルーがその静寂を破ることはなかった。
メイドのアンナの腕の中で、小さな手を左右別々にぎゅっと握っている。
もしかしたら、彼もまた祈りを捧げているのかもしれない。

礼拝を終えて、皆がゆっくりと退堂していく。
わたくしはそんな方々を見送り、人の姿がまばらになったところで立ち上がった。

「お体、辛くないですか?」

アンナが気に掛けてくれる。
わたくしは笑顔で応え、こくりと頷いた。

「大丈夫よ。今日は何だか体が軽いの」
「良かった! だけど、お辛くなったら直ぐに仰ってくださいね」
「ふふっ、ありがとう――っ!」

振り返ると、そこには意外なお方が立っていた。
クリストフ・リリェバリ様。
現役の勇者で、わたくしの元婚約者だ。

そのお隣には若い青年騎士の姿がある。
おそらくは……戦場からいらしたのね。
銀色の甲冑は、土埃と返り血と見られる血で染まっている。

「エレノア様、人が……」
「ええ。そうね」

物々しい雰囲気を察してか、或いはクリストフ様が手を回したのか、広い礼拝堂の中にはもうわたくし達以外の人の姿はなくなっていた。

「ご無沙汰しております、クリストフ様」

『お元気そうで』とは、とてもじゃないけど言えなかった。
横に結わえたブロンドの髪からは艶が失われ、自信と知性に満ち溢れていたアイスブルーの瞳は暗く沈んでいる。

服装は……腰にサーベルこそさしているものの軍服ではない。
よく見ると、紺色のジャケットの袖はやや余っている。
痩せて筋肉が落ちてしまったのね。

「それが君とヤツの子か」
「ええ。ルーベンと言います」
「ヤツに似なくて良かったな。いい忘れ形見になる」
「えっ……?」

アンナとわたくしに緊張が走る。
なぜ? と戸惑いながらも、何とか平静を装う。

「嫌ですわ、忘れ形見だなんて。お気の早いこと」
「魔王から身を守るために命を焚べた。残された寿命は三か月だそうだね」

知らばっくれるだけ無駄みたいね。
一体どこから漏れたのかしら。
しっかりと箝口令をしいていただいているはずなのだけれど。

「君の兄、ミシェルから聞かされた。義弟になりかけたよしみでな」
「……そうでしたの」

その時、青年騎士がカシャリと音を立てた。
甲冑で覆われた体を震わせたみたい。
驚いている? 戸惑っている?
青年の表情は酷く強張っていた。

ご存じなかったのかしら?
わたくしとクリストフ様が婚約関係にあったことを。
まぁ、そうね。古い話ですものね。

「時間がない。君、手短に説明を」
「っ、かしこまりました」

クリストフ様から指名を受けた青年は自らをコリンと名乗り、徐に話を始める。

「瘴気を放つ魔物が現れたのです」
「瘴気……?」

首を傾げるアンナに、わたくしの方からそれとなく補足をする。

「闇の魔力を多分に含んだ霧のことよ。吸入することで、体を内側から破壊してしまうと言われているの」
「なっ、何て恐ろしい……!」
「はい。伝承は誠でございました。高名な治癒術師の方でも手に負えず。やはり、聖者様ないし聖女様の『祈り』でなければ……」
「そんな……っ」

アンナが狼狽えるのも無理はない。
聖者・聖女はこの国に五人しかいない。
加えて、戦場への派遣が可能な方となるとますます限られてくる。

教皇様とお父様は言わずと知れた聖教の首脳、お兄様は王都守護の要であることから、この地を離れることが出来ない。

可能性があるとすればシャロン様になるけど、彼女には次世代の勇者、聖者・聖女を産む大役が課せられている。
危険な戦場への派遣は、可能な限り避けるべきだろう。

「~~っ、お願いします! 聖女エレノア様! どうか、俺の仲間を……っ、国のため戦う戦士達をお救いください!」

堪り兼ねた様子でコリン様が懇願する。
ボタボタと涙が零れ落ちて、白い大理石の床を濡らしていった。
彼が今、どれほどの覚悟と思いを胸にこの場に立っているのか。
想像するだけで胸が苦しくなる。

「おおおっ、お生憎ですが!!」

不意に誰かが叫んだ。アンナだ。
小さな肩をぷるぷると震わせて、クリストフ様とコリン様を睨みつけている。
よく見るとその目は涙目だ。
……そう。貴方もまた勇気を振り絞ってくれているのね。

「エレノア様には、もうそんな力は残っていません。なっ、治せたとしても、すっ……擦り傷ぐらいのもので――」
「命を焚べれば、まだやれるはずだ」
「……は?」
「そうだね、エレノア」

わたくしはきゅっと唇を引き結んで、顔を俯かせた。
なるほど。今度は『憎まれ役』というわけですか。
どこまでも不憫で、不自由なお方。

「あの……意味、分かってて言ってます? それってつまり、エレノア様にしっ、……っ、死ねって言ってるのと同じ、こと……ですよ……?」
「ああ。そうだな」
「~~っ、信じられない。どっ、どうしてそんな酷いことを――」
「むしろ感謝してほしいぐらいだ。彼女の長年の夢を……『癒し手として生き、癒し手として死ぬ』という夢を叶えてやろうと言うのだからな」
「~~っ、この人でなし!!!!」

怒り狂うアンナ。
わたくしはそんな彼女を宥めつつ、胸の内で巻き起こる議論に耳を傾けていた。

癒し手であるわたくしが叫ぶ。
今、戦士の方々を救えるのはわたくしだけ。
迷う余地なんてない。
この命を捧げ、一人でも多くの命をお救いするべきだと。

一方で、妻であり母であるわたくしが叫ぶ。
死ぬのが惜しい。
戦士の方々を見捨ててでも、ユーリとルーと共にありたいと。

大いなる矛盾ね。
だけど、答えはもう出てしまっている。

わたくしは戦場に行く。
犠牲の上に成り立つ幸せなんて……そんなの絶対に赦せなくなる。
貴方達にも赦して欲しくはないから。

「時間がない。さっさとしろ」
「ええ。アンナ、ルーをわたくしに」
「えっ……」

アンナは少しの間茫然とした後で、首を左右に振った。

「だっ、ダメです! ダメ! 絶対にダメ!」
「ありがとう。でも、もう決めたのです」
「そんな……っ」
「お願い。これが最後なの。きちんとお別れをさせて」

アンナはまた首を左右に振りかけて――止めた。
血の気が引くほどキツく唇を噛み締めて、ルーを差し出す。