女性の顔には笑みのようなものが浮かんでいるが、眉は悲しそうに垂れ下がっている。
十年前となれば、彼女が子どものときだろうか――と疑問に思ったところで、女性は「わたしが十四歳のときでした」と付け加えた。十年前に十四歳となれば、ひかると同い年だ。
「居眠り運転をしていた大型トラックが突っ込んで、父はブロック塀と車体に挟まれて亡くなったんです。家から近い場所での事故だったので、衝撃音を聞きつけた私と母はすぐさま家を出て事故現場となった場所に向かいました。いまでも、あの時の光景は忘れられません」
交通事故というワードだけでも痛ましいというのに、実際にその現場を見てしまった彼女は、相当なショックを受けたに違いない。
もしかしたら、外傷ひとつなく綺麗な状態で亡くなったひかるは、恵まれている方なのかもしれない。
「……田宮さん」隣の墓石に彫られた苗字で女性を呼んでみる。「田宮さんは、どれくらいで立ち直られましたか」
「うーん、どれくらいか……あまり意識したことなかったですけど、少なくとも中学を卒業するまでは確実に引きずっていました。なんてったって、父は交通事故に遭う前、わたしとの喧嘩を理由に家を出ていってしまったんです。『頭を冷やしてくる』って言って、行ったっきり、帰ってくることはなかったんですけどね。わたし、本当に最低で……お父さんに『死んじゃえばいいのに』って言っちゃって、それが現実になっちゃったんです。言霊ってやつ?」
「それは……」
辛かったでしょう――という同情の言葉は、声には出なかった。
あまりにも辛すぎて、苦しくて、先ほどまで自分が泣いていたのが情けなくなってきた。
「もう取り返しはつかないから、半年に一回、欠かさずここに来るようにしてるんです。父が亡くなったあの年からずっと、ここへ来るたびに『あの時はごめんね』って」
墓石を拭いていた田宮の手が止まる。
「……あ、ごめんなさい。わたしの話ばっかしちゃって。えっと、お兄さん――」
「あ、西原陽介です」
「西原さん……あっ、改めまして、田宮真希です」
この場限りでの関係性に違いないというのに、丁寧に自己紹介までしているのがなんだかおかしくなって曖昧に笑い合った。
「もし迷惑じゃなければ、そちらのお話も聞かせてください」田宮は持っていたタオルをビニール袋に戻すと、花を供え始めた。「全然、無理はしなくて大丈夫です」
「……いや、聞いてほしいです」
そう答えると、田宮はほっとしたような笑みを浮かべた。
「恋人――ひかるは、すごく可愛らしい子でした。わがままも多いし、怒らせるとちょっとだけめんどくさいところがあったけど、不器用なりに頑張ってるところとか、何事にも一生懸命なところとか、そーゆーところが好きでした。でも、彼女にはやりたいことがあって、それを成すためには俺は必要なくて……別れたんです。でもそのあと、彼女は急性心不全でこの世を去りました。まだ二十四歳でした」
「わたしと、同い年ですね」
「まだ、受け入れられてません。どこかからドッキリ大成功の看板持って現れるんじゃないかって、いまだにちょっとだけ信じてるんです」
「亡くなってから日も浅そうですし、受け入れられないのは当然です」
花を供え終わった田宮は、先ほど陽介もしたように、柄杓で墓石に水を掛けた。
「というか、ずっと受け入れられないですよ」
墓石を伝う水を見守りながら、田宮は穏やかな口調で続ける。
「時間が解決するって言葉があるけど、それって受け入れるとか、悲しみがなくなるとかじゃなくて、ただ、その人がいない毎日に、少しずつ慣れていってしまうだけなんですよね」
「慣れるって、なんかちょっと悲しいですね」
「たしかに、ちょっと悲しいですね。でも、自分もいずれかは同じ場所に行くんだと思うと、ちょっと気が楽です。きっと、そっちでまた会えるだろうし」
田宮は、何かを思い出したかのように、ふふっと笑った。
「ああでも、どうだろう……。お父さん、せっかちだったし、ぶっきらぼうだったから、わたしたちのことなんて待たずに先にどこか別の場所に行っちゃってるかもしれないなあ」
「それだったら、俺もちょっと不安です。もしかしたら、また『あなたに使っている時間を執筆に裂きたいから』とか言われちゃうだろうな」
「執筆?」
田宮が、不思議そうに首を傾げた。
「はい。読書をするうちに小説を書くことのほうにハマったみたいで、いろいろ書いたりしてたみたいです。俺は、見せてもらったことないんだけど……」
「小説? すごいですね、ひかるさん。わたしも本は読みますけど、自分で書こうとまでは思えないなあ。すごい、本当にすごいですよ」
なんだか自分が褒められているような気がして照れ臭くなる。
「あ、もしかしたら、あっちのほうで作家デビューしてるかもしれないですよ。そしたら、わたしのお父さんもひかるさんの小説を読むかもしれないです。親子そろって、それなりに本は読んできたので」
「そうだったんですね。そしたら、俺たちもあっちに行ったとき、田宮さんのお父さんに感想を聞いてみましょう。俺、どうも読書だけは苦手なんです」
「へえ、そうなんですね。意外と、読んでみると面白いかもしれませんよ?」
「……そうしてみます」
春風が、頬に触れた。
ぽかぽかと温かい太陽に照らされた木々が、嬉しそうに揺れている。
沈黙が生まれ、それを埋めるように、田宮は自分の家の墓に向けて合掌をしていた。その横で、陽介も田宮家の墓に向けてひっそりと手を合わせた。
「よしっ、そろそろ行こうかな」
田宮が腰を上げるのと同時に、陽介も立ち上がる。
このまま一杯どうですか、という流れになるのもおかしいし、かといって、ではさよなら、とあっさり別れを告げるのも、それはそれで惜しい気がした。
「ありがとうございました、いろいろと」
「いえ、こちらこそ。ぺちゃくちゃ喋っちゃってすみませんでした」
「そんなことないですよ」
わずかな間が生まれる。
まだ何かあるのかと窺うような視線を向けられ、陽介は意を決した。
「また、会えたら嬉しいです。半年後にまた来られるんですよね?」
「えっ?」
別に、変な意味ではなかった。
ただ純粋に、ひかるが逝ってしまったあっちの世界のことについて、想像だけでここまで楽しく話せたのが嬉しかったのだ。陽介がひかるがいないこの現実に慣れるためには、田宮との会話が必要な気がした。
田宮は「えっと」と困ったように首筋を掻くと、肩をすくめる。
変な誤解が生まれているのではないかと思い、訂正しようとしたところで、先に田宮の方が口を開いた。
「実は、今回を最後にしようと思っていたんです」
「えっ、最後? どうしてですか?」
「あれからもう十年も経ったし、わたしももうだいぶ慣れてきてしまったので……それに、来月結婚するんです」
柄杓を持つ田宮の右手薬指には、たしかに婚約指輪のようなものがはまっている。
「旦那の勤務地が北海道になるので、しょっちゅうこっちにまで足を運べなくなると思って、今日は父にそれを伝えに来たんです」
そんな大事なときに、自分と話してくれていたのか、と申し訳ない気持ちになった。
「西原さんとお会いできて、こうやってお話できたこと、本当に嬉しかったです。今日ここにきて、本当に良かった」
「俺は何もしてないですよ」首を横に振る。「でも、そっか……来ないのか。また、今日みたいに話すことができたら、どれだけいいだろうと思ってたんですけど、そういうことなら、仕方ないですもんね」
「そうやって思ってもらえて、よかったです」
田宮が、にっこりと微笑んだ。陽介も釣られて微笑み返す。
このまま同じ帰路につくのはよくないと思い、陽介は地面に置いたままだった手桶と柄杓を手に取り「では、またどこかで」と頭を下げて、先に墓地を出た。
本当に、またどこかで出会えたらいい。



