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突如、光を感じて目を開けた。
あたりを見渡してみると、デスクチェアとともに横たわる自分の姿があった。
「夢……じゃなかったか」
これは紛れもない現実なのだ。
自分は――遠山ひかるは、死んだ。
開け放たれた窓から、夜空を眺める。町を呑み込むような深い藍色から、月がこちらを見下ろしていた。
あの珈琲店での出来事を、現実世界の陽介は知っているのだろうか。
「未練解消はどうだった」
藍色の空から突如現れた田宮が、窓の桟に留まるなり聞いてきた。
「自分がいかに甘く、弱い人間なのかを再確認できました。ひとりになれば立派だと思っていたけど、わたしは立派な人間なんかじゃなかった」
「未練たらたらか」
「そんなことありません」ひかるは、田宮に微笑みかける。「そんな弱いわたしでも、それがわたしで、愛してくれている人がいるってわかったから。それがわかっただけで、もう十分なんです。わたしは受け入れますよ、このまま」
「いいんじゃないか。お前はお前のままで。正解なんてないだろ」
田宮は、なんだかんだ優しい。言葉の節々に温かさがあるのは、かつて父親だったからだろか。
「ねぇ、田宮さん」
「ん?」
「娘さん、きっと田宮さんに会いたいと思ってるはずですよ」
「……なんだ、急に」
他人であるひかるでさえ、その優しさを感じるほどだ。彼の厳しい言葉の裏には、きちんと、相手を思いやる心と愛情がある。それに気づていないところが、田宮の魅力なのかもしれない。
ひかるが曖昧に微笑むと、田宮は眉を顰めたときのように目を細くして「気持ち悪いぞ」と毒づいた。
「最期、陽介が会いに来てくれたのは、田宮さんの計らいですよね」
「さあな。何のことだかさっぱり」
「ありがとうございます。彼に会えていなかったらわたし、きっと未練を残したまま成仏できてなかったかもしれない」
本当に、ありがとうございました。
改めて深々と頭を下げるひかるに、田宮は居心地悪そうに視線を逸らす。
「俺は俺の役目を果たしただけだ。そしてあんたも、あんたの役目を全うしただけ。ただ、それだけだ」
「……はい」
「もう、心残りはないな」
「心残りがあるとすれば、死んじゃったことくらいですかね」
「残念ながら、未練解消をするために生き返ることはできない――が、安心しろ。それで未練解消不履行になることはない。ちゃんと、成仏できるはずだ」
神様は優しいと思っていたけれど、それは大きな間違いだったのかもしれない。
もし本当に優しいのであれば、人から命を奪ったりなどしないはずだ。
「……じゃあ、行こう」
田宮の翼が、ひかるへと差し出される。
しかし、翼に触れようとしたその瞬間、玄関のほうからピンポーンというインターホンの音が聞こえてきた。そしてすぐ後に、ドンドンッ、と強く扉を叩く打撃音が鳴る。
焦燥の混じった音に導かれるように、ひかるは玄関のほうへとつま先を向けた。
「おい、ひかる」
呼び止める田宮の声を無視して、三和土に裸足のまま立つと、玄関扉にそっと触れた。自分の体に触れたときの、ビリビリとした電流のような痛みが、指先から全身へと流れ込んでくる。
咄嗟に玄関扉から手を離すと、今度はそっと顔を寄せて、扉に触れないぎりぎりのところで向こう側の声に耳を立てた。
「もうずっと連絡が取れなくなっていて、気がかりではあったんです……」
「お母さん……?」
顔は見なくてもわかる。久しぶりに聞いた母の声に、自然と涙腺が緩んだ。
ひどく混乱しているのが、扉越しに伝わる。
「いやぁ、そんな時間経ってないなら、もう少し待つべきだとも思いますけどね」
この声は、管理人だろうか。
カチャカチャという金属音が擦れあう音に交じって、呆れたような声を漏らしている。実家を離れたあと、子どもからの連絡が絶えたという話は珍しくはない。賃貸の管理をしている彼からしてみれば、母は大袈裟で過保護に映っているのだろう。
「ひかる、そろそろ行こう」
田宮が、ひかるの肩に留まった。
「……はい」
母の甲高い声に背を向け、窓のほうへと向かう。
玄関扉のほうをもう一度振り返ってから、窓の桟に手を掛けた。
「この中で倒れてるかもしれないんです!」
力を込めようとしたその瞬間、玄関扉を突き破るほどの声が、ひかるの耳に届く。
――陽介だ。
彼に伝えた最期の言葉は、しっかりと届いていた。
ダムが決壊したように、目からぼろぼろと涙があふれ出る。それは何度拭っても止まることを知らず、ひかるを溺れさせようとしていた。
「ひかる」
田宮の黒い翼が、ひかるの頬を撫でる。
「大丈夫だ。何も怖くない。俺がついている」
受け入れよう。弱い自分も、死も。すべて。
「……行きましょう」
夜空へと飛び立ったその瞬間、後ろでガチャリと音が鳴った。
でももう、振り返ることはしなかった。
――さようなら、わたしのユートピア。



