「五右衛門様、その節は大変お世話になりました」
摩阿は天井から降ってきた男に頭を下げた。
摩阿は叫び声が聞こえた瞬間に、盗賊が侵入したのではないかと考えた。ここが前田家の屋敷だと知って侵入を試みる者など、常識的に考えればまずいない。下調べをすれば、どれほど厳重な警戒体制であるか簡単に分かる。そもそも、前田家の武威を会部に示す意味で、意図的に分かり易く警備をしているのだ。そんな場所に忍び込むのは、腕自慢、命知らずの盗賊しか考えられない。そうなれば、歴代でも最高峰と謳われた石川五右衛門が侵入したという答えに辿り着く。しかも騒ぎが始まって二刻余り。その間、この前田邸の内部を逃げ回ることができるとなれば、もう確定したようなものだ。
「まさか、摩阿姫だったとは」
本人が名乗らなくても、五右衛門には相手が摩阿だと気が付いた。
その時、廊下を近付いてくる足音が聞こえた。五右衛門は咄嗟に身構えたが、摩阿がそれを制した。
「摩阿様、賊が侵入しています。未だ逃亡していますので、お気を付け下さい」
襖の向こう側で膝を突く家臣に対し、摩阿が冷淡に応える。
「先ほど、この前の廊下を駆け抜けて行った者がいましたが、それがそうだったのでしょうか」
「摩阿様、それが賊かと思われます。どちらに向かったのでしょうか?」
摩阿は澄ました声のまま、淡々と嘘を吐いた。
「東から来て、西へと通り過ぎました。二刻以上も捕縛できていないのであれば、既に塀の外へ逃げたとしか思えませんが?」
「は、はい・・・それでは、失礼致します」
家臣は立ち上がると、廊下を西方向へと駆けて行った。
遠ざかる足音を確認し、五右衛門は深々と息を吐く。そして、それに連動するように摩阿がくすりと笑った。
「少し嫌味も言いましたし、もうここには来ないと思います」
「ふう、世話になったな」
返事を聞いた摩阿が、五右衛門に向き直って笑顔を見せる。
「いえ、助けて頂いたご恩を、ここぞとばかりに返しているだけです。ですから、気になさらないで下さい」
「一先ずそういう事にしておこうか」
部屋の隅に腰を下ろした五右衛門が、腕を組んで笑った。
「それはそうと、なぜ前田屋敷に忍び込まれたのですか?」
摩阿は素朴な疑問を口にした。厳戒態勢の武家屋敷に侵入するな自殺行為である。しかも、前田家は弱小大名ではないのだ。
「いやな、難攻不落だの、鉄壁の防御だの巷で騒がれていたもんで、こりゃあいっちょうオレ様がお宝を盗み出して自慢してやろうか、とな。そんで、このザマだ。かっかっか」
予想通りの回答に、摩阿が溜め息を吐く。もし、摩阿がいなければ確実に捕縛されていた。笑っている場合ではなかろうに、と。
「あの日、五右衛門様は盗賊をやめると仰られていた気がするのですが」
「ああ、オレが頭を張っていた盗賊団を解散しただけよ。オレ自身は他にやることもねえし、今でも盗賊だがな。食うに困りゃあ盗みもするし、騙しもする。根っからの悪党だからなあ」
悪びれることもなく、自分の悪事と性根を暴露しながら五右衛門が笑う。
実際にそうだったのだ。生まれた時から貧しく、食うに困った。悪事を働いて、逃げて、匿われては裏切ってを繰り返してきた。自慢できることなど、一つもありはしないのだ。
「―――――だが、それは今日、この時を以って終めえだ。金輪際、意味のねえ悪事はしねえ」
不意に立ち上がった五右衛門は、座ったままの摩阿を見下ろして続ける。
「オレは偶然、オメエを助け出した。それは本当に、たまたまだ。だが、オメエ・・・いや、摩阿姫は、自分の意志でオレを助けてくれた。この差は大きい。この差額を支払わねえとオレの気が済まん」
真剣な表情で宣言する五右衛門を見上げ、摩亜は言葉に詰まる。それでも、襖を開けようと手を伸ばす五右衛門に対し、どうにか言葉を発した。
「いえ、気になされなくても―――――」
「これはオレの生き様の問題だから引くことはできねえぞ。
摩阿姫が必要としているものは承知している。それを、届けて清算としようじゃねえか。そうしねえと、オレの気が済まねえからなあ」
そこまで言い切ると、五右衛門は静かに襖を開けて廊下に出た。
諦めたのか、はたまた違う方向を捜索しているのか、走り回っていた家臣の姿は無い。五右衛門が後ろ手で襖を閉める。同時に、摩阿の耳に微かに言葉が届いた。
「またな」
それに対し、摩阿が表情を崩して呟いた。
「前田家も軽く見られたものです」
摩阿は天井から降ってきた男に頭を下げた。
摩阿は叫び声が聞こえた瞬間に、盗賊が侵入したのではないかと考えた。ここが前田家の屋敷だと知って侵入を試みる者など、常識的に考えればまずいない。下調べをすれば、どれほど厳重な警戒体制であるか簡単に分かる。そもそも、前田家の武威を会部に示す意味で、意図的に分かり易く警備をしているのだ。そんな場所に忍び込むのは、腕自慢、命知らずの盗賊しか考えられない。そうなれば、歴代でも最高峰と謳われた石川五右衛門が侵入したという答えに辿り着く。しかも騒ぎが始まって二刻余り。その間、この前田邸の内部を逃げ回ることができるとなれば、もう確定したようなものだ。
「まさか、摩阿姫だったとは」
本人が名乗らなくても、五右衛門には相手が摩阿だと気が付いた。
その時、廊下を近付いてくる足音が聞こえた。五右衛門は咄嗟に身構えたが、摩阿がそれを制した。
「摩阿様、賊が侵入しています。未だ逃亡していますので、お気を付け下さい」
襖の向こう側で膝を突く家臣に対し、摩阿が冷淡に応える。
「先ほど、この前の廊下を駆け抜けて行った者がいましたが、それがそうだったのでしょうか」
「摩阿様、それが賊かと思われます。どちらに向かったのでしょうか?」
摩阿は澄ました声のまま、淡々と嘘を吐いた。
「東から来て、西へと通り過ぎました。二刻以上も捕縛できていないのであれば、既に塀の外へ逃げたとしか思えませんが?」
「は、はい・・・それでは、失礼致します」
家臣は立ち上がると、廊下を西方向へと駆けて行った。
遠ざかる足音を確認し、五右衛門は深々と息を吐く。そして、それに連動するように摩阿がくすりと笑った。
「少し嫌味も言いましたし、もうここには来ないと思います」
「ふう、世話になったな」
返事を聞いた摩阿が、五右衛門に向き直って笑顔を見せる。
「いえ、助けて頂いたご恩を、ここぞとばかりに返しているだけです。ですから、気になさらないで下さい」
「一先ずそういう事にしておこうか」
部屋の隅に腰を下ろした五右衛門が、腕を組んで笑った。
「それはそうと、なぜ前田屋敷に忍び込まれたのですか?」
摩阿は素朴な疑問を口にした。厳戒態勢の武家屋敷に侵入するな自殺行為である。しかも、前田家は弱小大名ではないのだ。
「いやな、難攻不落だの、鉄壁の防御だの巷で騒がれていたもんで、こりゃあいっちょうオレ様がお宝を盗み出して自慢してやろうか、とな。そんで、このザマだ。かっかっか」
予想通りの回答に、摩阿が溜め息を吐く。もし、摩阿がいなければ確実に捕縛されていた。笑っている場合ではなかろうに、と。
「あの日、五右衛門様は盗賊をやめると仰られていた気がするのですが」
「ああ、オレが頭を張っていた盗賊団を解散しただけよ。オレ自身は他にやることもねえし、今でも盗賊だがな。食うに困りゃあ盗みもするし、騙しもする。根っからの悪党だからなあ」
悪びれることもなく、自分の悪事と性根を暴露しながら五右衛門が笑う。
実際にそうだったのだ。生まれた時から貧しく、食うに困った。悪事を働いて、逃げて、匿われては裏切ってを繰り返してきた。自慢できることなど、一つもありはしないのだ。
「―――――だが、それは今日、この時を以って終めえだ。金輪際、意味のねえ悪事はしねえ」
不意に立ち上がった五右衛門は、座ったままの摩阿を見下ろして続ける。
「オレは偶然、オメエを助け出した。それは本当に、たまたまだ。だが、オメエ・・・いや、摩阿姫は、自分の意志でオレを助けてくれた。この差は大きい。この差額を支払わねえとオレの気が済まん」
真剣な表情で宣言する五右衛門を見上げ、摩亜は言葉に詰まる。それでも、襖を開けようと手を伸ばす五右衛門に対し、どうにか言葉を発した。
「いえ、気になされなくても―――――」
「これはオレの生き様の問題だから引くことはできねえぞ。
摩阿姫が必要としているものは承知している。それを、届けて清算としようじゃねえか。そうしねえと、オレの気が済まねえからなあ」
そこまで言い切ると、五右衛門は静かに襖を開けて廊下に出た。
諦めたのか、はたまた違う方向を捜索しているのか、走り回っていた家臣の姿は無い。五右衛門が後ろ手で襖を閉める。同時に、摩阿の耳に微かに言葉が届いた。
「またな」
それに対し、摩阿が表情を崩して呟いた。
「前田家も軽く見られたものです」



