黒蛇様と契りの贄姫

 それから数日が経ち――。花緒は次第に常世での生活に慣れていった。贄姫として特に何かを強いられるわけでもなく、ただただ平穏な毎日が過ぎていく。

 美味しい食事と清潔な環境で、花緒の体調はみるみる良くなっていった。梅が毎日丁寧に塗り込んでくれた椿油のおかげで髪が艶を取り戻し、梅の嬉しそうな顔を見るのが日課になった。また、最低限の栄養しか採っていなかったせいでかさついていた肌もしっとりと潤っていった。

 なにより、桜河の屋敷で暮らす妖魔たちと少しずつ会話を交わすようになり、花緒は忘れかけていた笑顔を取り戻し始めたのだ。今までずっと、化け物である自分が他人を刺激しないように感情を押し殺していた。花緒にとって、その変化が一番の驚きだった。人間らしい感情を取り戻せただけでも、花緒は常世に連れてきてくれた桜河に感謝したい気持ちだった。

(この身が黒蛇様に捧げられる定めなら、それを誇りとして終わりを迎えたい)

 花緒の心情はそこまで変化していたけれど――一向に、桜河に喰われる気配はない。覚悟を決めて常世にやって来た分、拍子抜けしてしまう。

(どういう意味なのだろう……。私は指示のとおりにしていればいいのかしら)

 戸惑いを隠せないままに、花緒が中庭を見渡せる縁側に差し掛かった時だった。

「花緒様! まあまあ、ここにいらしたのですね!」

「梅さん!」

 小走りにやって来たのは花緒の世話係の梅だ。常世で日々を送るうちに親しくなり、今では互いに名で呼び合うようになっていた。
 花緒は梅に親しみを込めて笑いかける。

「そんなに急いで、なにかあったんですか?」

「ええ。さきほど桜河様より、今晩の夕餉を花緒様とご一緒なさりたいと仰せつかりました。夕刻が近づきましたら湯浴みを済ませ、お召し替えいたしましょう」

「……! そう、ですか……。わかり、ました」

 ついに主人との夕餉を迎えられると張り切っている梅。対する花緒はというと、強張った表情で頷くだけで精いっぱいだった。
 桜河との初めての夕食……。それは最後の晩餐とも言えるのではないだろうか。
 心は不思議と海が凪いだような静けさに包まれていた。
 今日まで丁重に扱われたことが、ただありがたかった。