桜の蕾がほころび始める季節。
授業を終えた生徒たちのざわめきが、近衛学園高等部の校舎を満たしていた。
屈指の名門校として知られるこの学園には、ひとつの暗黙の了解がある。
——逆らってはいけない存在がいる、ということだ。
制服のスカートを翻し、ひとりの生徒が廊下の奥から姿を現す。
その瞬間、ざわついていた空気が、嘘のように静まった。
誰かが指示したわけでもない。
それでも生徒たちは自然と道をあけ、彼女の歩く先に余白を作る。
視線が集まり、息を呑む気配が連なっていく。
背筋を伸ばし、迷いのない足取り。
顎下で切り揃えられた黒髪が揺れ、切れ長の瞳が前だけを見据えている。両耳には、翡翠の石を埋め込んだ小さなピアスが静かに光っていた。
「あの方……誰?」
抑えきれない声が漏れたのは、まだこの学園に慣れていない新入生だった。
「しっ……声が大きいわよ」
すぐ隣の生徒が、血の気の引いた顔で制する。
「あなた、新入生? まさか知らないの?」
「……え?」
「あの方は、御三家・嵐家のご令嬢。嵐翠様よ」
「御三家……!?」
小さく上がった悲鳴に、周囲がさらに静まり返る。
「以前、嵐様に無礼を働いた生徒が退学になったって噂、聞いたことない?」
「……」
「無事に卒業したいなら、覚えておきなさい。嵐様の歩かれる道を塞ぐことは許されないのよ」
恐れと羨望が入り混じった視線が、一斉に彼女へと注がれる。
さらに、別の声が続く。
「それに、気に入らない相手には容赦ないらしい」
「園遊会で、誰かを殴ったって話もある」
「社交の場に滅多に顔出さないのに、出た時は必ず何か起きるんだって」
「だから“御三家の問題児”って呼ばれてるらしいよ」
その言葉を最後に、廊下の空気がぴたりと静まった。
「ご、ごきげんよう、嵐様……!」
次々とかけられる挨拶に、彼女は歩みを止めることなく応じた。
「ごきげんよう」
淡々とした声。
感情の起伏を感じさせないその一言だけで、場の空気は引き締まる。
——嵐翠。
近衛学園高等部三年生。学園の女王。
恐れられ、崇められ、距離を置かれる存在。
誰もが彼女をそう呼び、そう扱っていた。
やがて翠は、人の波を抜け、校舎の外へと姿を消す。
残された生徒たちは、張りつめていた息を一斉に吐き出した。
だが、そんな学園の女王の素顔は——
* * *
「姫ぇええ!障子が!障子が息絶えております!」
「ま、まだ死んでないって!直せる!」
「真ん中から裂けている時点で致命傷でございます!」
「……紙貼れば誤魔化せる」
「骨組みまで逝っております!」
「……もはや弁解の余地もない」
「謝罪は障子に向けてなさってください!」
「すみませんでしたッ!!!」
勢い余って振り上げた腕が、障子の中央を真っ二つに裂いていたのは、紛れもなく彼女自身だった。
学園で“女王”と畏れられる少女と、障子に謝罪する姫は、どうやら同一人物らしい。
