後宮妃のシャープな日常



 ――それは35才の冬の出来事だった。

 いつものように、会社に出勤するために渋谷駅前のスクランブル交差点を横断していると、不意に後ろから甲高い悲鳴が聞こえた。何事かと振り返る前に、後ろから()()()ぶつかった。その何かは分からなかったが、身体が燃えるように熱くなり、全身に痺れるような痛みが走った。そのまま目の前が暗くなり――私は意識を失ったのだった。


※※※※※


 目を覚ますと、私は知らない誰かに覗き込まれていた。メイド服を着たお姉さんが、何故か驚いた表情で私を見ている。

「奥様! 奥様! お嬢様が目を覚まされました」

 ナース服ではなく、メイド服を着ていたことに違和感を覚えたが、助かったことに安心した私は、再び眠気に襲われて眠りについたのだった。

(ん……。あれ?)

 しばらくして再び目を覚ますと、金髪の美しい女性が、寝ているベッドの隣にある椅子に座ったまま眠っていた。そのまま視線を横にずらすと、周りに置かれている調度品が目に入って驚いた。どう考えても高価なものばかり置かれている。棚の上に置かれた小箱に着いている宝石は本物だろう。よく見れば、自分が寝ているベッドも天蓋付きのベッドだった。

「え?」

 不思議に思いながら呆然としていたが、薄くドアが開いたことに気がついて顔を上げた。すると、そこには知らない男性が立っており、こちらを見て微笑んでいた。

「目が覚めたのかい? マリアンヌ、気分はどうだい?」

(夢を見ているのかしら……。不思議ね。何てリアルな夢)

 ドアを開けて入ってきた男性に、反射的に「違うんです」と言おうとして、手を伸ばした自分の手が小さい事に気がついて、私は思わず出した手を見つめていた。

「吐き気は? どこか痛いところはある?」

 私は伸ばしていた手を引っ込めると、この優しげな男性を傷つけてしまうことになるだろうと思いながらも、聞いてみた。

「あなたは誰ですか?」

 ベッドの傍にいた女性も目が覚めたのか、私の言葉を聞いて泣いていた。二人は見つめ合うと、抱きしめあって号泣していたのだった。

 その後、私は主治医から『全快』の診断を下されていた。話によると、私が――この身体の持ち主であるマリアンヌという少女は、ずっと身体の調子が良くなかったらしい。

 寝て起きたら夢から覚めるかもしれないと思っていたが、現実は甘くなかった。どうやら私は、この小さな女の子に生まれ変わってしまったようだ。

(ええと、確か私は渋谷の駅前で――思い出せない。私は殺されてしまったのだろうか?)

 主治医の話によると、記憶障害は高熱を出した時によくあるもので「そのうち思い出すだろう」と言っていた。そんなことを言われても、前世の記憶しか持ち合わせていない私は、困り果てていた。

(マリアンヌの記憶を思い出したら、私の記憶は消えてしまうのだろうか? でも、もともとはマリアンヌの身体だもの。この優しそうなお父さんとお母さんのためにも早く戻って来て欲しい)

 私が俯いていると、父親らしき人物が傍へ来て、「大丈夫だよ」と言って頭を撫でていた。

 私の名前はマリアンヌ・バレンティアと言うらしく、伯爵家の長女ということだった。ベッドの側にある姿見から覗いた時に見えた自分の容姿から、5才か6才くらいだろうと思っていたが、私の予想は見事に外れていた。

「13才?」

 両親は顔を見合わせると溜め息をつき、二人とも私を抱きしめてきた。「もう一度、話さなければならないか」と言う声が聞こえる。

(この世界の人間の成長速度が遅いわけではなさそうね)

「マリアンヌ――前にも話したが、君の成長は5才から止まっている。止まっているというか、5才から7才の成長があった後に、また5才に戻るんだ。退行と言うらしいんだが……。君は、たまたま家に『押し売り』でやって来た魔女に呪いを掛けられてしまってね」

「押し売り?」

「薬を買わないかって、売りに来るんだよ。でも、うちは懇意にしている薬屋があったから、断ったんだ。そういうことは、よくあることで……。けれど、魔女は虫の居所が悪かったのか、庭で遊んでいるマリアンヌに呪いを掛けて帰ったんだ」

「呪い?」

「成長が止まる呪いだよ。君は5才の時に呪いを掛けられ、7才で成長が止まって一度5才まで退行した後、また7才まで成長して、今の5才に見える13才になったんだ」

(何だか意味が分からないけど……。とりあえず5才と7才を繰り返しているってわけね)

「本来なら来年から学園に通う予定だったんだ。ただ、見た目が5才だと色々と問題も出てくるだろうから、学園長と相談して家で家庭教師をつけることにしたんだよ」

「……」

 マリアンヌちゃんは学園に行けなくて、きっと残念だったんだろうな――記憶は無いけれど、何となくそう感じていた。

「呪いに詳しい魔術師に診てもらったこともあるんだが、結局は『呪いを解くのは難しい』と言われてしまってね」

「難しい?」

「何と言えばいいのか……。本当は『成長が止まる呪い』だったらしいんだ。けれど、呪いが不完全だった為に余計に解くのが難しくなっている状態らしくてね。そもそも、基本的に魔女の呪いは、掛けた本人にしか解くことは出来ないと言われている」

「あの、私はどうすれば……」

「ああ、私の可愛いマリアンヌ。ずっと、家にいていいんだよ。パパの傍にいておくれ」

 そう言うと、自分のことを父と名乗った男性は、私の頬に頬ずりをしていた。優しい子煩悩なイケメンパパといった感じで、嫌ではなかったが、無精髭が生えていて髭がジョリジョリと顔に当たって痛い。母親らしき人物を見上げて助けを求めると、微笑まれてしまった。

「アンドレ様。病み上がりのマリアンヌを刺激してもいけませんわ。また明日、ゆっくり話しましょう?」

「ああ、そうだな。ごめんな、マリアンヌ。疲れただろう? 明日、また話そう」

「はい、お父様」

 私がそう言うと、二人は目をパチクリとさせていた。

(不味かったかな? 私はお父様の事を、どんな風に呼んでいたのだろう?)

 私が戸惑っていると、二人はまた代わる代わるに私を抱きしめて、頬にキスをした。

「おやすみ、マリアンヌ。いい夢を」

「具合が悪くなったら、すぐに呼ぶのよ。おやすみなさい。愛してるわ、マリアンヌ」

「おやすみなさい」

 二人はもう一度、私を抱きしめると部屋を出ていった。

(この子は、何て愛されているんだろう。あの二人のために、マリアンヌの記憶を思い出せればいいのだけれど……)

 両親が部屋を出て行った後、私はこっそりメイドを呼び戻し、今までのことを忘れてしまったと言って、この世界について教えてもらった。

 私が住んでいる国は、チャムズ帝国と言い、西南に国境を持つ緑豊かな国らしい。魔術や魔法が普通に存在し、才能があれば使用することが可能だということだったが、資格が無ければ使うことは禁止されており、国も魔法を使うことを進めてはいないらしい。

 今の時代、便利な魔術具が溢れていて魔法を使う必要がなくなったのと、魔法を使える者が国内で増えてしまうと、危険だということ。それから、魔術師が増えすぎると魔導具師の仕事が無くなってしまうからということだった。

(後で、こっそり練習してみよう。怒られるかな?)

 私は魔法や魔術という言葉に食いつきすぎて、メイドに引かれてしまっていた。

 私の住む伯爵領は、王都から少し離れた位置にあり、農業や畜産を主な収入元としている。伯爵家に生まれたからには、14才になったら王都の学園で学び領主の後継者になるか、嫁入り先を探さなければならないらしい。そうでなければ、城での仕事を学園で紹介してもらうのが慣例だそうだ。

 来年から通う予定の学園の学園長に通ってもいいのかお伺いを立てると、なぜか話は皇帝陛下のところまでいってしまい、最終的には自宅学習でよいという話になっていた。

 その話を聞いてマリアンヌの心はポッキリ折れてしまったのか、それから誰とも口をきかなくなり、食事も少しずつ減っていって、最終的には高熱を出して一週間も寝込んでいたという。

(全然、覚えてないけどね)

 私は記憶にないことは仕方がないと思い直し、今までの生活についてやメイドの名前、それから今までの学習内容についても、詳しく話を聞いたのだった。