無自覚たらしは、自称S先輩を暴きたい

第六話②

いつもの廊下の端。
人通りも少なく、階段の影になっていて、放課後の校舎の中でも少しだけ静かな場所。

「ネコウサギは好きですか?」

唐突にそう聞くと、如月先輩は壁にもたれたまま、腕を組んでこちらを見下ろした。

「心菜と心春が好きなやつだろ。俺はあんま」
「なるほど……。僕は、最近ちょっと可愛いと思うようになりました。声が意外と渋いのがギャップで」

先輩は一瞬だけ眉を寄せたが、特に突っ込んではこない。

「じゃあ……コーヒーは好きですか?」
「コーヒーよりかは茶派」
「僕は、苦いお茶以外ならお茶も好きです」

自分でも分かるくらい、声が弾んでいる。

「次は……古典は好きですか?」
「まぁまぁ」
「僕は、苦手です。えっと……パクチーは?」
「……どちらかと言うと嫌い」
「僕は、最近までパクチーを口にしていても、その存在に気付いていませんでした。じゃあ次は……」

「待て」

先輩が低い声で遮った。

「パクチーに気付かないってなんだよ。つか、そもそもこれ、なんの時間だよ」

その言葉に、はっとして口をつぐむ。

先輩の好きなものを知りたくて、先輩に素直に何かを「好き」って言ってもらいたくて始めた問答だったけれど、いつの間にか僕の興味のままに質問攻めをする時間になってしまっていた。
余裕そうに質問に答えていた先輩だったが、とうとう痺れを切らしたらしい。

「せ、先輩の好きなものが知りたくて!」
「はぁ……?まだ前言ってた偵察とやらが続いてんのか?」
「偵察とはまた別です!!」

即座に否定する。
如月先輩のことを偵察と称して観察していたのはもう数ヶ月前のことなのに、まだ覚えていることに驚いた。

「…………そういうお前の好きなものはなんなんだよ」

不意に投げ返された質問。

僕の好きなもの……?
好きなもの。改めて考えて見るとなかなか出てこなくて、なんとなく先輩の方を見ると、パチリと目が合った。

先輩の顔はパーツが揃っていて無駄な余白がない。切長の目。スッと通った鼻筋。厚すぎでも薄すぎでもない、形の良い唇。
何より、前にここで話した時より全体的に鋭さがなくなって、ある意味無防備のようにも感じる表情。

僕に対する警戒心が薄れているのかな?
それがハッキリと分かり、ギュッと心臓が掴まれたような感覚になる。

「僕、僕は……」

言葉を探しながら、先輩に一歩近付いてみる。

先輩は動かない。
前なら一歩近づくごとに一歩逃げられていたのに。

「如月先輩の、顔が好きです」

口に出すのを躊躇ったが、言ってしまった。
でも、如月先輩に素直になってもらうために、僕も素直にならなきゃ。そう思って口に出したけれど、思った以上に恥ずかしくて、顔に熱が集まっていくのを感じる。先輩の顔を見続けることが出来なくて、下に顔を背けた。

先輩は何も言わない。
キモがられたかな…?と不安になり顔を上げると、目に入ってきたのは、先輩の真っ赤な顔。

前はここで赤くなった耳を、後ろ側からしか見れなかったのに、今は顔全体をこんなに近くで見ることが出来ている。

先輩が、自分の顔が赤くなっているのを察したのか顔を隠して僕から離れようとする。

………待って。
もっと、この顔を見ていたい。

「……逃げないでください」

先輩に離れて欲しくなくて、咄嗟に先輩の足の間に自分の足を差し込んで動きを封じる。先輩はびくっと肩を震わせてそれ以上、動くのを辞めた。

また、距離が縮まった。
目の前には、さっきよりも近くなった先輩の顔。

長いまつ毛。
そしてもっと赤くなった顔。
前も一度だけ見ることが出来た明るめの瞳。
心なしか目に涙の膜が張っているように見える。

流れるかな、涙。

なんて、そんなことを考えてしまう。

その瞬間、不意に、良い香りが鼻を掠めた。

(これ……先輩の香り?)

初めて会った時、先輩が落としたハンカチも同じ香りがしていたような気がする。
僕は、記憶の中の香りを確かめたくて、先輩の首元に顔を近付けてスン、と嗅いでみた。

(あ、やっぱりそうかも)

香水とかじゃない、柔軟剤の類の柔らかい香り。

「僕、先輩の香りも好きです」

そう言いながら首元に埋めていた顔を上げた時だ。顔に1滴、小さな水滴が落ちてくる。
なんだろうと先輩の顔を見てみると、

(え、わ、泣いてる……!?)

顔を真っ赤にした先輩の目から、小さな涙が溢れていた。

「す、すみませ……!?」

僕が離れるのよりも先に、先輩が軽く僕の肩を押した。
よろけて一歩下がる。

先輩は、腕のあたりで軽く目を拭って、強がるようにキッとした顔をむけてくる。

そして、一言。

「…………変態」

真っ赤な顔。
潤んだ瞳。

少し荒い吐息に混ざって呟かれたその言葉に、僕は胸に矢が突き刺さり、脳天に雷が落ちたと錯覚するほどの衝撃と、背筋が擽ったくなるような感覚を覚えた。

「可愛い…………」

思わず口から飛び出た言葉。
慌てて自分の手で口を塞ぐけれど、一度外に出た言葉は、もう仕舞うことができない。

先輩は、僕のその言葉を聞いて、とうとう逃げ出してしまった。

1人廊下に残される。
先程の光景は、果たして現実なのだろうか。
それとも白昼夢?

(照れのキャパオーバーで泣いちゃうって、可愛すぎないか…!?)

この胸の高鳴りの名前を、僕は知っているような気がした。
でも、まだ名前は付けない。
名前を付けてしまったら、もう後戻りは出来なくなってしまうから。

僕は、逃げた先輩の背中が消えた方向を、しばらく呆然と見つめていた。