無自覚たらしは、自称S先輩を暴きたい

第七話

「うわ゛〜〜〜〜!! 終わったぁ〜〜!!」

テスト終了の合図と同時に、僕は勢いよく机に突っ伏した。
中間試験よりも明らかにボリュームの増した期末試験。範囲も広く、対策も大変で、バイトと両立しながらだと尚更きつかった。睡眠時間を削って詰め込んだ日々が、ようやく終わったのだと思うと、全身から力が抜けていく。

でも教室内は、テストの感想を言い合うのもそこそこに、どこか浮き足立ったような、期待を含んだ雰囲気が立ち込めている。

「じゃあ、昼休み後は体育祭の種目決めをするように」

回答用紙を集め終えた先生が教室全体に伝える。そう、昼休み後、教室では体育祭に向けて役割分担の話し合いが行われるのだ。

昼休み。
弁当を広げながら、向かいに座る奏がちらりとこちらを見る。

「なあ、お前、なんか種目立候補すんの?」
その問いかけに、僕は少し考えるふりをしてから首を横に振った。
「いや、僕は特にしないかな……」

うちの学校の体育祭は、生徒数の割に種目が少ない。
だから、うまく立ち回れば、どの競技にも出ずに体育祭を終えることもできる。
僕は事前にしっかりその点についてリサーチしていたし、そのルートを選ぶ気満々だ。

「部活決めの時も思ったけど、もしかして運動あんま得意じゃないの?」
突然の核心をついた質問にびっくりする。
その通りだ。
長身だからか雰囲気からか、運動が得意だと勘違いされることが多いが、僕は運動に苦手意識を持っている。

「ここだけの話、そうなんだよね……」

小声でそう言うと、奏は目を丸くする。

「その見た目で運動苦手は、正直想像つかなかった」
「正確にはね、人前で走るのが苦手で……」
「あーね?」

納得したように頷いてくれる奏に、少しだけ救われた気がした。

「体育祭に参加したい気持ちはあるから、代わりに旗係になりたいなとは思ってるよ」

うちの学校の体育祭では、クラスごとに組の応援旗を作る。デザインも制作も全て生徒が主体。当日には投票も行われて、最も評価の高い旗が表彰される。

どうせ関わるなら、ちゃんと爪痕を残したい。
競技じゃなくても、クラスへの貢献の仕方はあるはずだ。

「絶対旗で優勝するぞ!」

そんな前向きな気持ちを胸に、午後の話し合いに臨んだ、はずだったのに……。

______________

体育祭の役割決めが終わった後、僕はテスト終わりよりも、よほど悲惨な状態で屍のように机に突っ伏していた。

「生きてるかー」

奏の声に促されて、ゆっくり顔を上げる。
そして、視界に飛び込んできた黒板の文字に、再び力が抜けた。

『組対抗リレー クラス代表:ひなひな』

……現実を、見てしまった。

言葉も出ない僕の代わりに、奏がぽつりと呟く。

「……あれは、断れねぇよな………」

役割分担が始まった瞬間、僕は確かに旗制作に立候補した。それなのに、次々と飛んでくるクラスメイトの声。
「え、リレーはひなひなでしょ!」
「ひなひな以外なくない?」

他の人に譲ろうとしても、「いやー、やっぱひなひなで!」の一点張り。
陸上部のクラスメイトに助けを求めても、
「今回はそういうんじゃないっしょ」
「これは華がある人が走るやつだから」
と、笑顔で断られてしまった。


逃げたい気持ちはあったけれど、クラス全体から期待の目を向けられて、その期待を裏切りたくなくて……。
その一心で頷いてしまった自分が、今は恨めしい。

「ほんっっとうに無理なんだって……」

思わず零した弱音に、横から声がかかる。

「ひなひな、大丈夫?」

七瀬だった。
心配そうに覗き込んでくるその表情に、つい甘えてしまう。

「いーなー……七瀬は旗じゃん……」

拗ねたような声が、自分でも情けないと思う。
それでも七瀬は、困ったように笑って、

「忙しくなかったらさ、旗作りにも協力してもらえたら嬉しいな」

と、そう言ってくれた。

……そうだ。
リレーなんて、当日ちょっと我慢すればいい。
最悪、補欠の陸上部には申し訳ないけど、体調不良ってことにしちゃえば……!!

「僕、マインドは旗係だから!」

自分に言い聞かせるように、そして周りにも聞こえるように声を上げる。

「絶対良い旗、作ろうね!!」

不安は消えない。
でもそれでも。

(まぁ、なんとかなる!!!!)

そう、自分に言い聞かせた。

______________

「聞いてない……!聞いてないんだけど……!!」

それから数日後の昼休み、僕はこの世の終わりのような事態に遭遇していた。

「なんで昼休みにリレーの練習…!?他の競技は練習とかないのになんでここだけガチなの…!?僕マインド旗係なのに……!」

本気で聞いていない。
体育祭当日さえ耐えればいいと思っていたのに、組対抗リレーだけは特別扱いらしい。
昼休みに、各クラスの代表が集まって、合同で練習をする。そんな大事な情報、僕の耳には一切入っていなかった。

「顔に出てるか分かんないけどさ」

隣の席で、奏が気の毒そうに弁当箱を閉じる。

「俺、今すごいお前に同情してるよ……」

「……同情するなら、代わりに…………」
「それは無理」

即答だった。
希望は、音を立てて砕け散った。



「ひなひなー! 行こうぜ!」

同じ学年から出るもう一人の代表が、教室の入り口から声をかけてくる。
逃げ道は、もうどこにもない。

「……行ってくる」

半ば魂を置いていくような気持ちで椅子を立ち、僕は教室を後にした。

体育館に着くと、すでに各組が色ごとに分かれて座っていた。
僕たちは、自分の青組の集合場所に腰を下ろす。

「うわ、1年の代表、陸部とひなひなかよ」

どこからか聞こえてきた声に、心臓と全身がぎゅっと縮む。
その言葉が悪意じゃないことは分かっている。
むしろ、期待や評価が含まれているポジティブなものだ。でも、だからこそ余計に重くのし掛かってくる。

(……帰りたいなぁ)

そんな現実逃避が頭に浮かんだ、その時。

「お!2年は如月かー!」
その名前が耳に入った瞬間、反射的に顔を上げていた。
少し離れた場所に、腕を組んで立っている人影。
相変わらずの無愛想で、全身から「だるい」のオーラを放っている――如月先輩だった。

「如月先輩ーーーーーー!!」

考えるより先に体が動いた。
立ち上がる時間すら惜しくて、僕は四つん這いで先輩に近付く。

「うわ、お前……身長170越えのハイハイは怖えって」

露骨に引かれた。
でも、久しぶりに聞くその声音が、妙に嬉しい。

接触禁止令が撤廃されて、距離感を盛大に間違えて逃げられた日以降、期末試験対策に追われて、2年フロアにも行けなかったから、本当に久しぶりに会った気がする。


「みんな集まったかー、点呼取るぞー」

何を話そうかと思ったところで、前で3年の先輩が話し始めたので、そちらを向いて話を聞く。
先輩は、僕が隣にいても何も言わずに隣にいてくれた。

今日は、走る順番を話し合ようだ。

「じゃあ、アンカー如月。その前が朝比奈で」

まただ。
また、推薦という名の逃げ場のない流れで、僕は大変不本意ながら、アンカーから2番目になってしまった。
如月先輩がアンカーだという一点だけが、かろうじて救いだ。

話し合いが終わって解散、というところで、如月先輩が横からぽつりと声を落とす。

「足引っ張ったら許さねぇぞ」

冗談だと、分かっている。
分かっているのに、背中に冷たいものが走った。
どう考えても足を引っ張ることしかできない未来が見えるからだ。先輩は、僕のそんな様子をみて不思議そうにしている。

言うか、言わないか悩んだけれど、何も言わずに練習や本番で迷惑をかけるくらいなら……。

意を決して、僕は口を開く。

「実は、僕……人前で走るのが苦手で」
「は?」

予想通りの反応だった。
僕が言うと、先輩は心底不思議そうな顔をする。

「あんだけ廊下で俺に引っ付き回っといてか?」
「うぅ……人前で、見られるって思うとどうしても上手く走れなくなっちゃって……」

言葉を続ける前に一拍、先輩を見る。
先輩は、何も言わずに僕の次の言葉を待っているようだった。

「中学生1年生の時、体育祭の1番大事なリレーで転んじゃって……。クラスメイトから責められて、それがトラウマで……」

僕が言うと、先輩は顎に手を当てて何かを考えるような仕草をして、

「まぁ別に大丈夫だろ」

と、軽い調子で言った。

「いつもみたいに俺追っかけてくるつもりでやれば良いんじゃね?」

一瞬、心臓がドクリと大きく跳ねた。

先輩は、あくまでリレーについて言ったことは分かっていたけれど、僕が先輩の表情を見たいがために先輩を追いかけ回していることを見透かされたようでヒヤッとしたのだ。

でも、不思議と「……はい、頑張ります……!」そう返事をした自分の声は、前向きだった。

______________

「あ〜〜〜……旗作り落ち着く」
「リレーの練習もあるのに手伝ってくれてありがとう」
七瀬の言葉に、筆を動かしながら首を振る。

「全然。僕、マインドは完全に旗係だから」

体育祭まで、残り一週間を切った。
空いている時間はできる限り集まって作業してきた応援旗は、もう完成が見えている。
正直、我がクラスながら、かなり出来がいい。
体育祭当日、掲げられるのを想像するだけで、誇らしい気持ちになる。
今日は、昼休みにリレー練習がなかったから、七瀬を含む旗係と一緒に作業していた。

そんな和やかな空気の中、突然、肩を叩かれる。

「ひなひな、あの……」
「ん?なにー?」
振り返ると、そこには、なぜか緊張した面持ちのクラスメイトが。

「え?なにどしたの?」
「……呼ばれてる」
「呼ばれてる?」

この状況、もしかしなくてもデジャヴじゃない!?
期待を込めて勢いよく廊下の方を見る。すると、そこに立っていたのは思った通りの人物だった。

「如月先輩!!!!」

椅子を蹴りかける勢いで立ち上がり、先輩の元へ向かう。

「なんですかなんですか!?先輩からご指名なんて珍しい!」
「…いや、別に」
「……え?別に?」
「……あー、うちのクラスの奴が、他のクラスの側がどんなんか見てこいって」
「わ!カンニングですか!?ダメです!帰ってくださぁい!!」
「…ん」

目的の割に、あまりにもアッサリ踵を返して2年フロアに帰っていく先輩に拍子抜けする。

(……見れたのかな? 旗)

何しに来たのか、結局よく分からなかった。
不思議に思っていると、教室から僕を呼ぶ声がしたので再び作業に戻る。
もう少しで旗は完成だ!!

______________

「赤塗るのってここで良いんだっけ?」
「うん、そこにとりあえずざっくりお願い」

バイトない放課後は、旗作りに残るのが最近の日課となっていた。今日は旗係のほとんど人が予定が合わなかったみたいで、僕と七瀬の2人で残って作業をしている。

「うわ、ヤバいワイシャツに赤ついた」
「洗いに行く?」
「んーん、少しだし多分もう無駄だから諦めて親に怒られる」

七瀬との会話はテンポが良くて好きだ。
黙々と作業しながらぽつりぽつりと話す。

「3年生まで、その赤付きっぱなしかもね」
「そしたら思い出として、このワイシャツで卒業式出る」
「ふふふ、買い替えなよ」
「それはそう」

そんなやり取りの合間、七瀬がふと筆を止めた。

「ねー、ひなひな」
「んー?」
「体育祭の後夜祭、一緒に回らない?」

軽い調子に聞こえたけれど、声が少しだけ震えていた。

「お!いいねー!メンツは……」
「……2人きりが良い」
「え」

その言葉に、思わず筆が止まる。
顔を上げると、七瀬はまっすぐこちらを見ていた。
意志は強いけれど、どこか不安そうで、必死な目。

__あぁ、さすがに、分かってしまう。

七瀬が、どれだけ勇気を出して、この言葉を口にしたのか。そして、その意味も。

「あ……えっと、ごめんね!」

僕の沈黙に耐えきれなかったのか、七瀬が慌てて言葉を重ねる。

「すぐ返事じゃなくていいから! 他の予定もあると思うし、考えておいて!」
「……うん」
「じゃ、私そろそろ帰るね。もう下校時間だし」
「あ、うん。僕も……」

「じゃあ、ひなひな!また明日____っきゃ!?」

七瀬はエプロンを脱いで鞄を掴むと、ほとんど逃げるように教室を出ていこうとする。
そしてそのまま、ちょうど教室に入ろうとしていた誰かとぶつかってしまった。

「七瀬、大丈夫……って如月先輩!?」
慌てて筆を置いて教室の入り口へ向かう。

「じゃあひなひな! また明日!」
七瀬はそう言い残して、小走りで帰っていった。

教室には、僕と如月先輩の二人だけ。
いつもは僕が2年のフロアに行くので非日常なシチュエーションにドキドキしてしまう。

「先輩、遅くまで残ってるんですね」
「あぁ。でももう帰る」
「え!?ま、待ってください!!」

せっかく会えたのにもうお別れなんて寂しい!
僕は、帰ろうとする如月先輩の肩を掴んで引き留めた。

でも、その手を払われてしまう。

最近、如月先輩から接触を避けられることがなかったので、衝撃と、遅れて悲しさが募ってくる。

「先輩、待って!」

こちらを見ずに歩いて行ってしまう先輩を追いかける。もう一度、追いつくことが出来て肩を掴むと、今度は振り払われることはなかった。

「…先輩、お願い、逃げないで。お話がしたいです」
「…今、お前に用はねぇよ」

最近は、2年フロアで用がなくても他愛のない話をすることも多いのに。

「どうして突き放すんですか」
「…」
僕は軽く先輩の肩を掴んでいるだけ。すぐに振り解いて逃げる事だって出来るはずなのに。

「どうして、言葉では突き放してくるのに、今は逃げないんですか」
「………」
「なんで俺なんだ……告られてただろ」

……見られてたんだ。少しだけ気まずい。
先ほどの後夜祭の誘いに、びっくりはしたけれど、僕の心の中では断る方向で気持ちが固まっているから、余計に。

「…七瀬は今、関係ないです。僕は先輩と…」

♪♪♪

タイミング悪く、僕のスマホが鳴った。

「電話、出ろよ」
「でも……待ってください!」

「お前ら、両思いだろ」

そう言って、先輩は足早に去ってしまった。
両想い?僕と七瀬が?

そんなことない。

『お前、ああいう『いかにも女子』って感じのが好きなん?』

ふと、先輩と出会ってすぐの会話で言われた言葉を思い出した。

もしかして、あの時からずっと、勘違いされてる…!?

気付いた時には、もう先輩の姿も気配も校舎のどこにも、残っていなかった。