ブザービーター

 ビーーーー! 
 体育館内に鳴り響くブザー音。
 瞬間、いつも者に構えてるムカつく後輩の手から放たれたボールは綺麗な放物線を描いてゴールへと吸い込まれていく。
 ボールはリングにぶつかることすらなく、ボスッと軽い音を立ててネットをくぐった。
 一瞬の静寂、そして次の瞬間体育館が割れんばかりの歓声が飛び交う。
 それに反してオレは何も言えなかった。
 ごくり、と口内に溜まっていた唾液を飲み下す。
 チームメンバーとハイタッチしたそいつはふと、オレのいるほうへ視線を向けた。
 そして
「っ……」
 そのいつもそこまで大きく開くことのない瞳をさらに細めてにこりと意味ありげな笑顔を浮かべてみせた。
 賭けは負け、それだけじゃない、ああダメだ、これは、もう、捕まったようなもんだ。
 だって、ゴールを決めたその姿を、美しいって思ってしまったのだから。

「俺、先輩のことそういう目で見てますから」
「…………は?」
 そいつからの告白は突然だった。
 相手は後輩の一年生、咲山日向、黒髪に少し切れ長な瞳のザ、イケメン、バスケ部の新エースで当たり前のようにもちろんモテる、そしてオレ、高居夜市からしたらただの高校の後輩でしかない。
 いつもみたいにバスケのシュートスタイルを確認してやってた時のこと。
 その190はゆうにある高身長のわりにはダンクは苦手で得意なわざはスリーポイントシュート。
 フックシュートが上手く出来ないって言うからわざわざバスケ部員とかが誰もいなくなるのを待ってから見てやっていた。
 はずだったのに、何度かやってみてコツを掴んできた辺りで端のほうで様子を見ていたオレの前までずんずん進んで来て急にそんなことを言ってのけたのだ。
「だから、俺先輩のこと……」
「分かった! 冗談だろー、やめろよ急にそういうこと言うのさ、ビックリするから」
 同じことをもう一度言おうとする咲山を制すようにオレは早口に捲し立てる。
 出来ることならこれで諦めるなり止めるなんなりしてくれれば良いのにと、内心願いながら。
「……先輩が分からないふりしても俺は諦める気はありませんよ」
 でも分かってたことだけどやっぱりというかなんというか、咲山はそんなことで簡単に折れるような奴ではなかった。
 逆にその視線は少しだけ鋭さを増したような気さえする。
「……はー、なんでオレなんだよ、オレ男だぞ? 別にカッコよくもねーし」
 こうなったら咲山は絶対に引かないだろうし早々にこっちが折れることにした。
 こいつだったら美女でも可愛い系でも引く手あまたな筈なのに何でこんなパッとしない、しかも野郎を選んだのか本当に理解に苦しむわけだけど。
「好きになった相手がたまたま男だっただけですから、好きになるのに性別ってそんな必要っすか?」
「今時な考え方のやつだな……」
 オレは高校三年生で咲山は一年、二歳しか違わない筈なのに言ってることが若い奴だなーって感じがひしひしする。
「先輩が古いんじゃないですか? それに俺から見たら先輩ってカッコいいですよ」
「……急にんなこと言われても困んだけど」
 いつもみたいに歯に衣着せない言い方をしたかと思うと今度は褒めてくる。
 相変わらずこいつの情緒は良く分からんけどこんなオレのどこがカッコいいのかは更に分からん。
 出会いも、つるむようになってからもこいつに何かしてやった覚えなんてない。
 強いて言えば飯奢ったとかゲーム貸したとかそんくらい。
 普通の先輩だったらするようなことしかしていない。
 それなのにいきなり好意を告げられてもこちらとしても困るだけなんだが。
「それは百も承知です」
 そしてそれは咲山も理解していたようだった。
「じゃあなんで言った……?」
「押さえきれなくて」
「……あー、悪いけど今はそういう気分じゃねーんだよなー、恋人作るとかそんな気にはなれねぇ」
 押さえきれなくなるほどこんなオレのどこが好きなんだよ! って詰め寄りたくもなったけど蓼食う虫も好き好きって言葉もある、だからオレはこの告白をしっかりと受け取って、それからしっかりとフるという選択を選んだ。
 今は恋人を作る気になれない、これは事実だ。
 オレも別に男とか女とかは実際のところそんなに気にしないけどそもそも恋人が欲しいと思ったことは今のところ一度もない。
 人生の大半はバスケに費やしてきたしそのバスケから遠ざかってもずっと頭の中はバスケのことばかりだし。
 はっきり言ってそんなこと考えてる余裕はない。
「……そうですか、じゃあ」
 オレにフラれた咲山は特段悲しそうとか、悔しそうとかそういう感情は見せずにくるりとバスケットゴールのほうへ身体を向けてボールを構える。
 ここから打つとスリーポイントの線よりはそれなりに離れている。
 だけど咲山は迷うことなくそのままの勢いでボールを放った。
 そして放ったボールは大きく弧を描いて
「いずれそういう気にしてみせますよ、俺、簡単には諦めないんで」
 ゴールネットを揺らした。
 振り返った咲山の感情はやっぱりいつも通り、読めなかった。
 
 咲山との出会いは、よく覚えてる。 
 バスケ部にすげぇ新人が入部したって聞いて久しぶりに体育館を覗いた。
 そしたらちょうど咲山が練習試合でスリーポイントを決めたところだった。
 フォーム、体幹、明らかに他の一年とは比べ物にならないくらいには仕上がっていて、もうオレがバスケ部に戻らなくてもコイツがいれば安泰だろーなって思ったら、安堵と一緒にもうひとつの感情を覚えて、ただただ気持ち悪くなった。
「っ……」
 ふと、一瞬目が合った気がした。
 その鋭い瞳に、全てを見透かされたような気さえした。
 その瞳に射貫かれてオレは、体育館から逃げるように足早に、その場を去った。

 体育館から少し離れて人気のない校舎裏で雑に地面に腰を下ろした。
 やっぱり見るべきじゃなかったんだ。
 誰かがバスケをしてるところを見ると、どうしようもなく心にささくれが立つことなんてもう知ってたのに。
 あんな新人見せられたら余計に、未練がましくなることだって、分かってたのに。
「なんで逃げたんですか、先輩」
 後ろからふと、そんな声がした。
 バスケ部の知り合いかとも思ったけど聞いたことのない声だったから振り替えると、そこに立ってたのは噂のあの新人だった。
「……なんで追っかけて来たんだよ逆に、っていうか初対面だよな? 試合は?」
 まるで知り合いみたいに声をかけてきたソイツにオレは機嫌悪く聞き返す。
 そうじゃなくても気分悪いのに気分が悪くなった要因のひとつに声をかけられれば余計に居たたまれなくなるってもので。
 っていうか初対面なのに馴れ馴れしすぎるだろ。
 オレが先輩だって知ってるのも妙な感じするし。
 自分で言うのもなんだけどオレはどっちかって言ったら高校三年のわりに童顔で、バスケやってるわりには身長も高いほうじゃない。
 むしろ平均よりも低いぐらいだ。
 パッと見先輩には見えないだろ。
「試合はさっきちょうど終わったんで、後は……ほら、靴のラインの色が三年生の色じゃないですか」
 この後輩のスリーポイントシュートが放たれた瞬間確かにブザーの音は聞こえたけど試合終了の合図のブザーだったのか。
 勝ったのか負けたのか知らないけど練習試合だってブザービーターは盛り上がるのに何で抜け出してコイツは今ここにいるんだ?
 オレに構ってる暇なんてないだろ普通。
「あっそう、で、何の用事? オレは別に話すこともなんもないんだけど」
 後輩にかけるような言葉遣いじゃなかったことは自分でも分かってた。
 何が気に入らないとか、そういうのを言葉にして説明してみろって言われたら説明に困るけど、とりあえずどこかムカつく奴だった。
 そもそも今掃いてるの普通に上履きでも体育館シューズでもなく外履きだからラインの色もクソもないし。
 だから、何でも良いからこれでどっか行ってくれればいいのに、そう、思ってた。
「先輩はなくても俺にはあるんで」
「……何?」
 それなのにコイツはオレの嫌みなんて意にも介してませんって感じで勝手に隣を占拠する。
 こういう奴って大体自分の用件を達成するまで居座るんだろうし、早く用事を終わらせてどっか行って貰おうと思って、やっと少しだけ聞く体勢を見せてやる。
「俺に、バスケの指導してくれませんか?」
「……なんで俺なんだよ、バスケ部のやつらに聞けばいいだろ」
 だけどバスケ、という単語がソイツの口から飛び出てきて、あからさまにオレの機嫌は悪くなる。
 バスケ部に入ってるんだからオレなんかじゃなくてバスケ部のやつらに指導なんて頼めばいいだろ。
 そもそも今のオレからコイツに教えてやることなんて一個もないし。
「先輩も部員じゃないですか」
「元な」
 オレも去年のウィンターカップまではバスケ部に在籍してた。
 小学生の頃からずっとバスケ一筋の人生で、それなりの戦績も残して高校もそれなりにバスケで有名なところに推薦入学した。
 でも去年のウィンターカップの準決勝で足を怪我して、それを機にオレはバスケ部を退部した。
 そこまで重い怪我ではなかった。
 暫くリハビリさえすればもしかしたら次のウィンターカップには復帰できるかもしれないとさえ言われた。
 それなのに、オレは辞める道を選んだ。
 どうやったってインターハイには間に合わないし、ウィンターカップでオレが抜けて準決勝敗退になった事実は変わらない。
 重い怪我ではなかったけど後遺症は残るかもしれないし、前のように飛ぶことも出来ないかもしれない。
 ジャンプ力が一番の取り柄だったのにもう、オレの足ではきっとゴールに手は届かない。
 そう思った途端に、オレは全てが嫌になって、そのまま退部届けを顧問の先生に突き出した。
 言ってしまえば突発的な行動だった。
 今までの努力も、費やした時間も、全てが無駄になった気がしたから。
「……先生や先輩はまだ在籍扱いになってるって言ってましたけど」
「んなの勝手にそうされてるだけだし、オレは……もう戻る気ないから」
 オレの退部届けが受理されていないことは知っていた。
 バスケ部の顧問の先生も、同級生も二年生の後輩も、ことあるごとに戻ってこいと口を揃えて言ってきたし、こんなことを選ぶなんてオレらしくないとも言われた。
 何も、知りやしない癖に。
 あの頃みたいに飛べないなら、もうオレにはバスケをする意味なんてない。
「そうですか、じゃあ、部活終わりに教えてくださいよ、別にみっちり一時間とか二時間なんて言いませんし、三十分とか、それもダメなら十分とかで全然良いんで」
 せっかくはっきりと言ってやったのにこのムカつく後輩はどうやら引くってことを知らないらしかった。
 空気を読むとか、相手の気持ちを尊重するとか、そういうものも。
 だってバスケ部にいるならオレの話くらい聞いたことある筈で、この話を聞いた奴は大抵同情とかそういう感情を乗せた反応を返して来たのにコイツの口調はずっと淡々としてて自分本意というかなんというかマイペースで、それが少しだけ、本当に少しだけだけど今のオレには心地よかった。
「……なんでそこまでしてオレに教わりたいわけ?」
 少しだけ、名前も知らないこの後輩にその時初めて興味が湧いた。
 だから座っていた足に頬杖をついてさっきよりも幾分か穏やかな口調で聞き返す。
「何でだと思いますか?」
「分からないから聞いてんだけど……」
 せっかくオレが話に乗ってやったのに相変わらずソイツは自分本意でそんなことを言ってくるから、余計にイライラしてたことがバカらしく思えてきて、オレは半笑いにそう吐き出していた。
「先輩が俺に指導してくれるなら、いずれ教えてあげますよ」
 それでオレがもう自身のことを邪険にしないと結論付けたのかソイツは余計に調子ついた様子でそう言いながら立ち上がる。
 自分の用事が済んだから体育館に戻るんだろうけど、そんなところまで徹底してて、嫌な気持ちはしなかった。
「……ムカつく後輩だなー」
 そんな後輩を目で追いながら困ったようにそうぼやいてみたけど本当のところそこまでムカついてはいなかった、ただ、建前みたいなそんなもん。
「よく言われます」
 そう言って初めて笑ったソイツの顔は、まぁムカつくほどには絵になっていた。

「カッコつけてんのは構わねーけどさ、早くボール片付けてこいよ」
 無駄に長い過去回想を脳内で終えるとオレは落ちてるボールを指差して顎をしゃくる。
 シュート決めていつもの読めない顔でドヤられても別になんも思わんし。
「あ、もうそんな時間ですか?」
 咲山は言いながら視線を壁掛け時計に一度向けるとすぐにボールを拾いに走る。
「早く片付けねーと置いてくからな、今日オレん家来るんじゃねーの?」
 別にまだ体育館は使えるけど今日はこの後オレの家に来る約束してたし早めに切り上げるって話になってた筈。
 あの出会いからことあるごとに咲山に絡まれるようになって、今ではこうしてバスケの指導をした後に家に寄って駄弁る、みたいなことも多くなった。
「……俺、一応今告白した筈なんですけど」
 ボールを拾った咲山は珍しく困ったような顔をしてこちらを振り返ると頬をかく。
「あー、されたわ、で、だから?」
 確かに今しがた告白された。
「俺告白してフラれたんてすけど、そんな相手と普通に会話します? ってか家行ってもいいんですか?」
 そしてそれを間髪いれずに断ったのもまた事実だ。
「別に、告られてフッたけどお前が後輩なのに変わりなくね? それとも世間的にはそれで関係崩れるわけ?」
 確かにフッたフラれたの関係に今しがたなったところだけどそれって先輩後輩の関係性には関わることなのだろうか。
 家に入れないとか入れるとか、それもオレからしたら関係ない。
 ずっとバスケ一筋で恋愛とか全くしてこなかったからもしかしたら世間とは恋愛観とかそういうのがずれてる可能性は普通にあると思う。
「……」
「まぁ、お前がオレにフラれてつらいー、もう一緒にいたくないーってんなら別に無理に来いとは言わねーけど、ま、それならオレもう帰るわ」
 黙り込んでしまった咲山を無視してオレは体育館の端に放ってあった自身の鞄を拾い上げて体育館の扉に手を掛ける。
 オレにフラれてもつらそうな様子すら欠片も見せずにカッコつけてスリーポイントシュート放って、自分で簡単には諦めないとか言った癖にこれで傷ついてオレといるのがつらいとか言い出すならそれまでの奴だったってこと。
 そこまでオレがケアしてやる道理もない。
「……すぐ片付けてきます」
「おー」
 その癖次の言葉は簡単に想像出来ていて、オレは返事だけ返すと咲山がボールを片付けて倉庫の鍵閉めを終わらせるのを待つために体育館の壁に背中を預けてスマホを開いた。

 家に着くといつも通りとりあえず咲山を部屋に通して、それからキッチンの冷蔵庫から麦茶を取り出す。
 高校進学のタイミングで高校に近いアパートで一人暮らしを始めた。
 バスケの練習があったのもあってバイトする時間も取れなくて仕送りでの生活で、そこまで金に余裕があるわけでもなくて基本飲み物は家で茶のパックを煮出して作ってる。
 部屋自体1kだからそこまで広いわけでもなく、190もある男を入れると大分手狭ではあるけどそれにも最近は慣れてきた。
「ほら茶」
 オレは氷を多めに入れた麦茶のグラスを咲山の前に置く。
 夏場の練習は身体に大分熱が溜まるからいつも勝手にキンキンに冷やした茶を出すけど今のところ苦言は呈されてないから大丈夫だろ。
 まあ文句つけられても後輩の癖に生意気だって軽く殴って終わりだけど。
「ありがとうございます」
「そーいやこの前借りてたマンガ読み終わったから返すわ」
 いつもより少しだけ居心地悪そうに座布団に座っている咲山の足を跨ぐとベットに積まれていたマンガを掴んで咲山のほうへ押しやる。
「あ、どうも」
「ゲームでもやるかー?」
 それを受け取った咲山がマンガを鞄にしまってる間にテレビラックから適当にゲームを引き抜く。
 これはこの前発売された格ゲーだ。
「いえ大丈夫です」
「あっそ」
 だけどすぐに断られてゲームはそのままそこらに放ってベットに大の字に転がる。
「……先輩」
「今度はなんだよ……」
 オレは呼ばれるままに咲山のほうを向くためにごろりと転がる。
 普段は家に来てもそんなに話しかけてくるほうじゃないのに今日はやけに声をかけてくる。
 しかも少し機嫌悪そうだし、コイツ本当に分かりずらいし天然入ってるから何が癪に障ってるのか基本わかんねーんだよな。
「ベットに寝転がるの止めませんか?」
 咲山は言いながら寝転がってるオレの顔の横に軽く手をつく。
「は? なんで? いつものことだろ」
 この家は1kしかないしそもそもその一部屋もそこまで広くないから咲山が来た時は大体オレはベットに座るしなんなら今みたいに寝転がってるときだって多い。
 でも普段はそれを止められたことも咎められたこともないし、そもそもここオレの家だし、それを止める権利は咲山にはない筈なんだけど。
「さっきの今では止めませんかってことです」
 さっきの今、そう語る咲山の顔は、今まで見たことない表情を浮かべてて、声にも軽くじめっとした湿度を感じる。
 普段はこんな風に物を言うことないんだけど、美人の真顔は怖いとはよく言うがイケメンの真顔も怖いんだなって初めて知った。
「はー? 意味わかんねぇんだけどーって、マジでなに……?」
 オレは取り繕うようにぼやきながらそこまで言うのならと上体をベットからあげようとする。
 だけど、それを求めたはずの咲山の手で、両肩をベットに縫い止められて起き上がることは叶わなかった。
「俺、言いましたよね、簡単には諦めないって」
「あ、ああ、言われたけど……」
 咲山は言いながら自身の体重をベットに預けるように片足をさらにベットに乗り上げる。
 確かに諦められないとは言われた。
「先輩のことそういう目で見てるってのも言いました」
「……」
 それも、確かに言われた。
 さっきの今でそれを忘れていたわけじゃ別にない。
 ただ、少しだけその言葉の意味を軽んじていただけの話だ。
 告白もされたしそういう目で見てるとも言われた。
 それでも今まで数ヵ月間、決して人生の中では長くはなくても高校生生活という中では短くない時間を先輩と後輩という関係で過ごしたという事実の上では、そこまで大きなことではないと考えていた。
 コクられて、フッて、宣言されてそれでもこの先関係は変わらないってたかをくくってた。
 我慢できなくなって告白したって本人が言ってたのに、コイツがどれだけの覚悟でオレに告白したのか考えもしなかった。
 その後だって何度も本人は言葉にしてたのに。
 その全てを無視した。
 なにも知らない癖に。
 怪我したオレに周りがかけた言葉を思い出す度にそう思ってたのに、それを今度はオレがしてた。
 自分がしてみると分かるもんだな。
 別に、悪気があったわけじゃないんだって。
「そんな奴簡単に家上げて、無防備にベットに転がって警戒心皆無で、こうなるって想像出来ません?」
「っ……」
 咲山は言いながら片手を肩から離すとオレの顎を掴んで自身のほうを向かせる。
 ここまで来て、やっと自分がマズい状況に陥ってるってことにも気付いた。
 相手はオレよりもでかい上に鍛えてる男だ。
 上を取られたらこの状況を覆すのはなかなかに難しい。
 もしかしたら本気でやれば出来るかもしれないけど、怪我をさせてしまうかもしれない。
 もしそれで、コイツまでバスケが出来なくなったら、そんなことを考えると一度込めた力が自然と手から抜けて、代わりに身体が強張った。
「オレの好きは、こういうことする好きなんですよ」
 咲山は言いながらゆっくりと顔を近付けてくる。
「ちょっ、おま、待てってっ……マジでっ……」
 もう少しで、唇を奪われる。
 待って、オレさっき帰り道にコンビニのチキン食べなかったっけ、歯、磨いてない、っていうか初めてをコイツに奪われるのか?
 いやいやいや、初めてはもっとこう、ボンキュッボンのエロイお姉さんって決めてるのに。
 オレはなんとか咲山を止めようと言葉で諭そうとするけど頭のなかは関係ないことでどんどんと埋め尽くされていってうまい台詞も出てこない。
 ダメだ、奪われる。
 そう思って強く目を瞑ったのに、その後オレを襲ったのは唇に何かを押し付けられる感覚ではなく、ただ暖かい温もりがオレの口許を覆う感覚だった。
「……は?」
 ゆっくりと目を開くと、顎に添えられていた手がオレの口許を優しく覆い、咲山は覆った自分の手の甲に唇を押し当てていた。
 そして、ゆっくりと唇と手を離すとぷはっと堪えきれないといった様子で吹き出して笑った。
 されたことにたいする驚きよりも、コイツ、こんな風に笑うんだっていう衝撃のほうがはっきり言って大きかった。
「冗談ですよ、合意も無しに変なことなんてしません」
 そしてすぐにいつもの調子に戻るとそんなことを言いながらオレの上から退く。
「お前っ……ふざけんのも大概に一一」
「ふざけたわけじゃないです、俺はいつでも本気ですから、バスケも、先輩も」
「……」
 ベットから起き上がって噛みつくように咲山に詰め寄ろうとしたけど、口許に突きつけられた人差し指で簡単に制されてしまう。
 そして、咲山はさっきの笑顔とは違うスッとした、真剣な表情でそう口にした。
「今日はもう帰ります、これからは少し気を付けたほうがいいかもしれませんね、俺のこと、それじゃあまた明日学校で」  
 そのまま動けないオレに意味わかんねぇ警告、かもわかんねぇようなこと言って、鞄を拾い上げるとそのまま帰っていった。
「……あいつ何がしたいんだよ、マジで」
 咲山がいなくなってからも暫くは動けなくて、なんとか動けるようになってすぐに手を口許にやった。
 咲山の手の温もりは既になくて、いつもと何も変わらないそれに少しだけ安堵する。
「くそっ……」
 オレは行き場のない気持ちをそのままベットにぶつける。
 咲山がいつも、バスケに本気なのは言われるまでもなくオレだって知ってることだった。

「はい、今日はここまでー、それじゃあまた来週元気に登校するように」
 次の日、いつものように登校して、いつも通りに授業受けて、気付いたら帰りのホームルームも終わってた。
「……気まずいけど行かないとなぁ」
 周りががやがやと騒がしくなって帰っていく中オレはなかなか動き出せなかった。
 誰に言うでもなくボヤきながらオレはスマホを取り出して適当に時間を潰そうとする。
 咲山のバスケの練習を見てやるのはいつも部活が終わって部員が全員帰ってからのことだから、そもそも毎日どこかで時間を潰してから体育館に向かうのが主で、いつもなら図書館とか行くこともあるけど今日はどこかへ行こうとは思えなかった。
「おーい、高居ー、お前のこと廊下で待ってる奴いるけど」
 そんなことを考えていればふと、廊下から顔を出したクラスメイトがオレの名前を呼んだ。
「はー? え、誰?」
 なんとなく察しはついたけど、一応聞き返す。
「確かー、バスケ部のエースの子! 後輩の!」
「咲山?」
「そうその子! 待ってっから早く行ってやれって」
「おー、サンキュ」
 やっぱりと内心呆れながらもお礼を伝えて、それからスマホは制服のポケットにしまい鞄を引っ掴む。
「ども」
 駆け足で行くのも待ってたみたいで癪だから、わざとのしのし歩いて教室を出る。
 そうすればちょうど教室の中からだと見えないくらいの位置に咲山は立っていて、オレを視認するとそれだけ言って軽く頭を下げた。
「咲山、お前なんでわざわざ来たんだよこんなとこまで」
 なんかいつもより縮こまってるけど元がでかいからあんま変わらないんだよなー、なんて思いながらいつものように声をかけた。
 時間的にもう部活の練習始まってる筈なんだけど、ダメだろ期待の新人が練習サボったら。
 バスケにはいつだって本気なんだろ。
「……あんなことしたから、もしかしたらもう来てくれないかと思って」
「……」
 先輩風吹かせてそれくらいのことを言ってやろうと思ってたのに、その大きな体躯から発せられたか細い声にそんな気すらどこかへ飛んでいってしまった。
「あ、えっと……迷惑ですよね、すいません」
 口早やに謝るだけ謝るとすぐにどっかに行こうとする咲山の腕をしっかり掴んで引き留める。
「……はぁー、お前さ、自分でやりたい放題やっといて今さら後悔してんじゃねーよ」
 そしてそのまま振り向かせるとため息混じりに文句をつけた。
 昨日自分からあれだけのことやっといて、あれだけ啖呵切っといて次の日になったら心配になって弱気になりましたとか、笑わせるのも大概にしてほしい。
「すいません……」
 うつむきがちに消え入りそうな声で謝る咲山を初めて見て、昨日からコイツの新しい一面を見せられてばっかだなって思ったけど、別に嬉しいことでもなかったわ。
 それがオレの好きな子とかだったら別だったんだろうけど生憎相手はただの後輩、しかも自分より体格の良い男。
 何が悲しくてそれ見て喜ばないといけないんだよ。
 まぁ、今はそれよりも別のことに対する怒り、みたいな感情のほうが大きかったわけだけど。
「我慢できなくなって告ったんだろ? で、オレはそれ断った、それなのにお前の気持ち考えもしねえで家あげて襲われかけて、でもお前とつるむのは別に止めよーとは思わねぇ、自分の意思でだ、分かるか?」
 諦めないって自分で言った癖に、オレからそれを拒否されたわけでもねぇのにしょぼくれてるその姿が、ムカついた。
 否応なしにオレの現状と重ねてしまうから。
 オレは、コイツには……咲山にはそんな風になってほしくない。
 オレみたいな屑の落ちこぼれにはなってほしくなかった。
 別に深い意味はない、と言ったら嘘になるかもしれない。
 もしかしたら、多分、きっと、オレはオレの夢だったそれを咲山に勝手に押し付けてる。
 咲山がそれに気付いてるか知らねえけど、だからわざわざ見たくもないバスケットボールも、コートも、ゴールも、目に写しながら指導なんてしてやってるんだ。
「……」
「分かったらほら行け、部活遅れてんだぞ、いつも通り適当に時間潰して部活終わった頃体育館行くから待ってろよ」
 考えるように黙り込んでしまった咲山にさらに声をかけて、それから身体の向きを無理やりひっくり返して背中を押した。
 部活入ってから多分一回もズル休みとかしてない奴が急に来なかったら誰だって心配するだろうし、何よりこんなことに時間を使うくらいだったら練習しろとも思う。
 反省も、言い合いも、今じゃなくても出来ることだ。
「……はい」
「……簡単には諦めないんだろ? 頑張れよーって、他人事かって感じだけど」
 律儀に返事をしてなんとか歩き出した咲山の後ろ姿にオレは発破をかけるように声をかける。
 聞く耳持たずにフッた本人が言うことではなかったかもしれないけど。
 だけど
「……そういうとこですよ先輩」
「何が?」
 振り返った咲山は、いつもの読めない表情に戻っていて、今の言葉の何が響いたのか残念ながらオレには今一分からなかった。
「何でも、それじゃ待ってますから!」
「おー、待ってろ待ってろ」
 そしてそのまま軽くこっちへ手を振ると咲山は廊下を走って消えていった。
 相変わらずというかやっぱり理解するのが難しい思考回路してるわ。
 とりあえず先生と鉢合わせしないようにだけ祈っといてやるか。
「……オレも大概だな」
 そんなことを考えたところで、自分の甘さに自嘲的な声が漏れた。

「……」
 無言で咲山がボールを空中に放る。
 ボールは一部の狂いもなくボールリングに吸い込まれて、床に転がり軽い音を立てて跳ねた。
「よっ、お待たせー」
 それを咲山が拾い上げるのを合図にオレは声をかける。
「あ、先輩、お疲れ様です」
 オレを見止めた咲山はパッと顔を少しだけ明るくして駆け寄ってくる。
 最近は咲山の読みずらい無表情の中に感情を見つけるのが上手くなってきたような気がする。
 あんま嬉しいわけじゃねえけど。
 でも懐いた奴にだけ気を許すこういうとこ、どこか野良猫みたいな奴だなって少し可愛く思ったりはする。
 後輩として、ってだけだけど。
「相変わらず真面目だよな、待ってる間くらい休憩してりゃいいのに」
 オレが体育館に来るのは完全に部員が帰りきってからで、誰かと鉢合わせとかしたくねぇから部活の練習が終わって少しだけ待ってから来るようにしている。
 だから本当であれば咲山は休憩して待ってることだって出来る筈なのにオレは練習に付き合うようになってから一度も咲山が休んでいるところに遭遇したことはない。
「……俺目標あるんで、それに少しでも近付くための努力は惜しまないです」
 咲山は言いながらボールを一度床で弾ませる。
「出たな、またその目標、結果何なんだよその目標って」
 目標がある。
 それは初めて練習に付き合ってやった日から言っている言葉だった。
 その度にオレはその目標がなんなのか尋ねるけど
「秘密です」
「いつもそれだな、そんなに言いずらいとか全国でも目指してるのかよ」
 いつもそう言って、少しだけ遠い目をするだけで、答えを教えてもらったことは今のところ一度もない。
 そこまで言いずらいとか叶いそうもないほど途方もない夢でも抱いてるのかと思って、いつもならここで引くそれを、ちょっとだけおどけたように聞いてみた。
「……今はまだ秘密ですけど、いずれ教えてあげますよ」
「っと、なんか上からじゃね? 後輩の癖に生意気なんだよっ!」
 咲山は挑戦的に言いながらオレに向かってボールを投げて寄越す。
 オレは言い返しながらボールを咲山に向かって投げ返す。
 とても久しぶりに、誰かに向かってボールを投げたような気がする。
「知りたかったら先輩も頑張ってくださいね」
 咲山はそれだけ言ってボールをまた床に弾ませた。
「……ほんっとに生意気な後輩だなお前」
 何を頑張れと言っているのかについては簡単に検討がついた。
 バスケをまたやらないのか、咲山は良い意味でも悪い意味でも言葉を選ばない。
 だからことあるごとにド直球にオレにそう聞いてくる。
 初めて聞かれた時は流石に少し驚いた。
 オレが怪我をしてからだれもそんな直球な言葉を使うことはしなかったからだ。
 でも、驚いたのと同時に少しだけ嬉しかったのもよく覚えてる。
 だけど、それに対して頭を縦に振ったことは今のところ一度もなくて、この先も多分ない。
「で、今日は何を教えてほしいわけ?」
 オレはとっととその話を切り上げるといつもの常套句となりつつあるそれを投げ掛ける。
「ヘジテーションとか、どうですかね」
「何? 誰かと1on1でもしたいわけ? オレ別にヘジテーション得意じゃねえんだけど」
 ヘジテーションといえば1on1で最強だって言われている技だ。
 それなりに難しいけど別に咲山からしたらそこまで苦になることでもない。
「そうですね、いずれ」
 迷うこともなくそう言う咲山の瞳はしっかりとオレを射貫いていて
「変な奴」
 それにたいしてオレはただいつものように笑ってそう返すだけだった。

「はー、疲れた疲れた」
 咲山がボールを返して倉庫の施錠を終えたのを確認するとオレはわざと大袈裟にそう言いながら鞄を掴む。
「先輩別にそんなに動いてないじゃないですか」
「動かなくても教えるだけで疲れるんだよ、もうオレ練習どころか筋トレとかもしてねーし」
 そして咲山から突っ込みを入れられるけどこれもいつも通りのことだ。
 実際そんなに動き回らなくても指導するっていうのは存外疲れるものだ。
 しかも相手は咲山、オレからすればそこまで自分と大差ないか、もしくは今のオレより出来るんじゃないかって奴に教えるのはけっこうな心労だ。
「そういえば明日は部活の練習休みなんですよね」
「お前オレの話無視かよ、ま、いいけど、良かったじゃん一日だらだらできて」
 咲山はオレの説明を無視して、頭は既に明日の休みに飛んでいっているようだった。
 部活は基本休日も練習が入ってることが多いけど明日は久しぶりの休み、それはオレも知っていた。
 バスケ部に行かなくなってからも朝練とか、休日の練習時間とか、そういうのは全て把握してる。
 一応、本当に一応で、別に何か深い理由があるわけではないけれど。
「それが俺、バスケ以外にやることとかなくて、良ければ一緒に出掛けませんか? 遊びに」
「はぁ? オレと遊びに行っても別に楽しくねーと思うけど、それにお前なら他の奴でも全然誘える……」
 ふと、いつもと変わらない声で、なんともないような調子で咲山はオレを遊びに誘う。
 怪我してバスケやらなくなってから交友関係もほとんど全て切った。
 それでも声をかけてくれる奴とかはいるけど、それでも誰かと遊びに行ったことなんてない。
 そんなつまらねぇ奴になったオレと今さら遊びに行っても何も楽しいことなんてない。
 それこそ咲山ぐらいの人気者なら他の人気者だって、かわいい女の子だって誰だって、遊ぼうって声をかければひとつ返事に頷く筈で、そんな奴がオレを誘う意味が分からなくてふざけた調子でわざわざ教えてやったのに、そんなオレを見る咲山の瞳は真剣で、オレは途中で言葉を切った。
「俺が、先輩と遊びたいんです、先輩がいいんです」
 そして、そんなオレに咲山はなんの迷いも何も浮かべることはせずにそう、言いきった。
「……あっそ、相変わらず変な奴だな、まぁお前がそれでいいならオレは構わねーけど、どうせやることなんかないし」
 咲山のまっすぐ過ぎる瞳はいつだってオレの気持ちを揺らす。
 それをされるたびにたまに自分の考えてることなんて本当にちっぽけでくだらねぇことなんじゃねぇかって思わされて、少しだけ嫌な気持ちにもなるけど、それ以上に、ただオレをオレとして見てくれてるその瞳に、絆されていく自分がいる。
「じゃあ明日はデートですね」
「次デートって言葉使ったら行かねぇ」
 オレが珍しくひとつ返事で頷いたのが嬉しかったのか調子に乗ったこと言い出すから速攻で言い返す。
 確かにオレは狙われているらしいけど、今のところまだ全然オレのほうにその気がない。
 だからこれはデートじゃなくてただ先輩と後輩が一緒に出かける、それだけだ。
「冗談ですって、駅前に十時でどうですか?」
 咲山は少しだけ笑って、それからいつもよりも少しだけ明るい声でそう提案してくる。
「早くね?」
 朝十時って、集合するには少し早い気がしないでもなくてとりあえず突っ込んでおく。
 そもそも初めて休みの日に遊ぶのに十時から集まって途中でぐだったらどうする気なんだよ。
「もう少し遅くしますか?」
「……寝過ごして遅れて来んなよ」 
 そんな風に、考えていたはずなのに、咲山の声のトーンが少しだけ落ちたのに気付いて、気付いてしまった時には自分の言ったことなんてかなぐり捨てて咲山の胸元を指で押しながらそう、忠告していた。

「あ、先輩、おはようございます」
 次の日、朝起きて適当に飯食って約束の十五分前に駅前に着くと既に咲山は到着していた。
「はよ、ってかお前もう来てたんだ、まだ待ち合わせの時間じゃねえけど」
 一瞬約束の時間間違えたかと思って持っていたスマホの時計に視線を落としたけど表示された時間はしっかり九時台だった。
「少し早く目が覚めて、でもさっき来たところですよ」
「……あっそ、じゃとりあえず行こうぜ、あとこれやるわ」
 それイケメンって本当に言うんだって内心驚きながら途中の自販機で買った水を差し出す。
 イケメンだから許されるそれをオレが言ってもおそらくこうはいかないんだろうな。
 っていうか初めて咲山の私服見たけどあれなんだな、意外と高校生らしい感じというかなんというか。
 もっとおしゃれなの勝手に想像してたけどどっちかっていうと運動部の好青年って感じだわ。
 それでも充分にモテそうな感じだから少し癪に触るけど。
「水、ですか?」
 咲山はペットボトルを受け取ると不思議そうにペットボトルを何度か傾けてみせる。
「水分補給はしとかねーとだろ、こんな暑いし、別に飲みかけじゃねえから安心しろ」
 オレは自分のショルダーバックにも同じものが刺さっているのを指差して教える。
 別にオレは男同士の飲み回しなんて普通のことだと思ってるけどコイツがどうかは分からない。
 最近の奴はそういうの気にするって話もよく聞くし。
「俺は飲みかけでも構わなかったですけど、ありがとうございます」
「……もう少し隠せよ」
 咲山はお礼を言いながらペットボトルのキャップに手をかける。
 これはオレナイス判断だったわ。
 飲み差し渡してたらオレのほうが危ない、っていうか気にする。
 コイツにはこれからも食いかけとか渡さないように気をつけねぇといけねぇな。
「誰かに好意を抱いてることを恥ずかしいとは思いませんから」
「……へー」
 にしても自分の気持ちを隠そうともしない咲山に軽く注意してみたものの返ってきたのはそんな言葉で、変に意識してるオレのほうがおかしいような気さえしてくる。
 でも普通って異性とか同性とか関係無しにそういう気持ちって隠すもんじゃないのか。
 オレは生まれてからずっとバスケ一筋だったから恋愛沙汰には疎いけど、自分の好意を相手に伝えたからってその後こんなにはっちゃけて隠さなくなるようなものなのか、普通。
 しかも一度フラれてるのに。
 でも咲山がいつもあまりにもそういうことを言いながらも堂々としているからオレの考えがおかしいんじゃねえかって最近は思いさえする。
 多分咲山がおかしいんだろうけど。
「で、どこ行きますか?」
「別に特に決めてねぇけど、そこのゲーセンとかでいいんじゃね?」
 高校生の休みなんてゲーセンとか、カラオケとかショッピングセンターとか、そういうとこに行くくらいしかやることなんてない。
 まぁがり勉達は図書館とかにも行くのかもしれないけど残念なことにオレは勉強のほうは得意じゃない。
 推薦だってスポーツ推薦だったし。
 大学もスポーツ推薦狙ってたし。
 まぁそのバスケも出来なくなった今、これから先進学したいなら勉強もしねぇといけないだろうけど。
「良いですね、俺ほとんどゲーセンとか行ったことないので」
「……マジで? え、じゃあ小学生の時とか中学とか何してたんお前」
 咲山の返事にオレは少し唖然とする。
 最悪小学生の時に行く機会がなかったとしても中学の友達付き合いとかでゲーセンなんて何度も行く機会あると思うんだけど。
 バスケに没頭してたオレだって同じ部活内の奴とかとゲーセン行ったことあるし、高校に上がってからも部の奴と行くことがあった。
 こいつももう半年近くバスケ部にいるわけだからそういうの誘われてると思うんだけど。
 だって見てる限り別にハブにもされてなければ周りのやつらから可愛がられてるのもよく分かる。
 たまに校内とかで見かけても女子からハート出されてるし。
「……まぁ、色々と」
「ま、どっちでもいいけど、じゃとっとと行くかー」
 だけどオレの質問にあからさまにテンションを下げた咲山に、これがあまり聞かれたくないことなんだっていうことは流石のオレでも気付けたから早々にその話は切り上げることにした。
 そもそも行ったことあろうとなかろうと、これから先のことにそこまでの関係はなかったし。

「しっかりボール見ろ! 手元に来たら振る! だぁー! 違うって!」
 オレは隣のブースに立っている咲山にずっと大声で指示を出しては咲山の空振りにさらに声を大きくする。
「つ、次当てますから……」
 咲山は言いながらバットを構え直すけど残念なことに全然様にはなってない。
「しっかりボール見ろよー」
 そしてそんな咲山にオレは何度目かも分からない指示を飛ばす。
 オレ達は今ゲーセンのなかに一緒に設置されているバッティングセンターのブースに立っていた。
「っ……ダメだ……」
 そして何度目かも分からない全力の空振りを咲山が放つ。
「マジかよこれ子供用の球速だぞー」
 最初は初級のブースに入ったけど咲山が一向に当てる気配がなかったから早々に子供用の速度のブースに移動した。
 だけどそれでも残念なことに咲山の振るうバットにボールが当たる気配は今のところ一度もない。
「初めてやったもので……」
 咲山は少し恥ずかしそうにそう言いながら頭をかく。
「いやー、意外だな、お前何でも出来そうなのに」
 バスケはあれだけ上手いんだからバッティング、というか野球もそれなりには出来るんだろうなって勝手に思っていただけにこれは意外だった。
 っていうか野球どころかスポーツ全般何でも出来てもおかしくない感じの雰囲気と体格してんのにな。
 初めてやったっていうのも少し意外だったけど、そこはさっきのゲーセン行ったことない云々に繋がりそうだから触れるのは止めておく。
「そんなことないですよ、むしろ出来ないことのほうが全然多いです」
「ふーん、よっと!」
 咲山の意外な自分語りにから返事を返しながらオレは飛んできたボールを打ち返す。
 いつもは上級とかやるんだけど子供用の横だから初級の球速で、オレには少しだけ遅い。
「逆に先輩上手いですね」
 咲山は飛んでいったボールを目で追いながら驚いたようにそう呟く。
「本気ではバスケしかやってこなかったけど、ガキの頃とか親父に連れてこられてたからなー、中学の時とか友達とも来てたし、高校入ってからは初めてだけど、身体が覚えてるもんだわ、おりゃ!」
 オレは咲山の質問に答えながらまたバットを振りかぶって大きく振るう。
 今のは良い感じの当たりだった、多分今一度飛んだと思う。
「凄い……ホームランですかあれ」
 綺麗に弧を描いて飛んでいったボールはホームランの的を打ち抜いて、咲山が驚いたように声を漏らす。
 まぁ、初級の玉だからそこまですごいことでもないと思うけど褒められるのは悪い気はしない。
「これやるわ」
 オレはバッターブースから出ると機械から出てきた一枚の紙切れを咲山に押し付ける。
「これ、何ですか?」
「読めば分かるだろ、ホームラン記念の1ゲーム無料券だよ」
 咲山は条件反射で受け取ったわいいもののそれが何か分からなかったようでそんな風に聞き返してくるけど、券にも書いてあるから読めば分かると思うんだけど、こういうところ抜けてるよなコイツ。
「も、貰えませんよこんなもの、俺にはもったいないです、それに、もうやるか分からないので……」
「次一緒に来た時使ったらいいだろー、またコーチしてやるから」
 慌てて返そうとしてくる咲山の手を突き返してまた次に来る未来を勝手に約束しておく。
 一度も打ち返せないとかオレのコーチ力が疑われてしまうこんなままでは終われない。
 だからまた一緒に来る約束をした。
 それだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。
「っ……ありがとうございます」
「さてと、次何すっかなー」
 嬉しそうに少しだけ頬を染めていた咲山は見なかったことにして、オレは次に遊ぶゲームを探すためにゲーセン内に視線を移す。
「あ、先輩」
「何?」
「あれ、やりませんか?」
 ふと、咲山がそんなことを言いながら店内の奥のほうを指差す。
「は? どれ?」
 だけど残念なことに位置的な問題で咲山が何を指差しているのかまでは分からなくてオレは聞き返す。
「来てくださいよ、すぐに分かりますから」
 咲山はそんなオレの腕を掴むと引っ張るように店内に戻った。

 咲山は二つの並んだ筐体の前でピタリと足を止める。
「……あー、悪いけどこれはやれねぇわ」
 だけど、オレはそのゲーム機を見た瞬間に少しだけ考えてから断りを入れる。
 その筐体は、よくあるバスケのシュート数を競うゲームだった。
「なんでですか? 投げるだけですから足はそんなに使いませんよ」
「そういう問題じゃないんだわ、オレもうバスケ関係はやらねぇから、やりたいなら一人でやれよ」
 確かにシュートをするだけだから足はそんなに使わない。
 今のオレなら問題なく出来ると思うけど、そういう問題の話じゃない。
 オレはもうバスケに関わる何事も、一生やる気なんてない。
 それがゲームだったとしても変わらない。
「バッティングは俺もやったじゃないですか」
「嫌だったなら断ればよかっただろ、別に無理強いはしてねぇから、だから俺も断りたいもんは断る」
 バッティングは別に無理やり付き合わせたわけじゃない。
 嫌なら嫌って言えば無理やりやらせなんかしなかったし、だからオレもやりたくないものはやりたくないってしっかり言う。
 こんなもん、ゲームなんて無理強いするもんじゃねぇし。
「もしかして、負けるのが怖いんですか?」
「……あ゛?」
 だけど、普段は咲山から聞くことのないような嘲笑ったようなその声に、オレは眉間をピクリと反応させながら咲山のほうに顔を向けて唸る。
「そうですよね、いくらブランクあるからって一年坊に負けたらメンツが立たないですもんね、じゃあ俺一人でやるんでそこで見ててくださいよ」
 そんなオレに咲山は少しも臆することなくさらに煽るように続ける。
 そしてそのままの流れで荷物置きのカゴに自分の鞄を入れた。
「……後で泣いても慰めてやんねぇからな」
 オレは吐き出すようにそう言いながらかけていたショルダーバックを引っ付かんでカゴの中に乱暴に投げつけるとスタートボタンに手をかける。
 金は多分咲山が最初に入れてたし。
「本気でかかってきてくださいね」
 それを見て咲山もスタートボタンに手をかけて、今度はさっきの煽るような声色とは全く違うただ楽しそうな声でオレにそんなことを言ってくるから
「安心しろ、オレ手加減とか出来ねぇタイプだから」
 それを合図に周りの全てをシャットアウトした。

 ゲームの時間は1分間、別に長いわけでもない。
 だけど終わった時には少しだけ額に汗が滲んでた。
「……」
「どうした? あんだけ煽っといて負けてなんも言えねぇか?」
 ゲームが終わっても無言で筐体から視線を下ろそうとしない咲山にさっきのお返しと言わんばかりにわざと煽り返してみせる。
 スコアとしては僅差でオレの勝利だった。
 はっきり言って接戦で、負ける可能性もあったけど、さすがに後輩に負けるなんて恥は晒せない。
「……やっぱり」
「は? やっぱり?」
 だけど煽られた咲山は煽りなんて全く意にも介してない様子でぼそりと呟くとそのままくるりとオレのほうを向いた。
 そして
「先輩、部活の練習出てないですけどバスケの練習自体は止めてませんよね?」
 真剣な表情でそんなことを言ってのけてみせた。
「……」
 オレは、それにたいして何も言い返すことはしなかった。
 いや、出来なかった、のほうが正しいかもしれない。
「冬のウィンターカップで怪我してからもう半年くらい経つ筈ですけどその間ずっとバスケやってなかったならこんな精度でゴール決められませんよね」
 咲山の言っていることは全くもって的を射ていた。
 オレは、バスケ部に顔を出してはいないけど、その裏で勝手にバスケの練習は続けてた。
 なんなら怪我した数日後にはシュートの練習だけでもするために松葉杖ついて公園に行ってたし、足がほとんど完治した今では基礎体力が落ちないように走り込みとか、筋トレとか、そういうものだって毎日変わらずやっている。
 でも隠れてやってるから多分知ってる人は誰もいない。
 だから、今初めて誰かにバレたことになるわけだけど。
 それも一番知られたくない相手に。
「……別に、身体に染み付いてるだけだろ、十何年もずっとバスケばっかやってきたんだから」
 オレは咲山の言葉を適当にいなしながらカゴの中から鞄を引ったくるように拾い上げる。
「でもそれじゃあ説明が一一」
「うるせえな、これ以上その話するならオレ帰るから」
 それでも引かない咲山にオレはいつもよりも声を数段低くして、大人げない脅し文句を吐き出した。
 帰るっていうのを傘に着るのはダセェことこの上ないことは理解してたけど、それでもこの話はもうこれ以上したくはなかった。
「……」
「……冷めたわー、別のとこ行かね?」
 黙り込んでしまった咲山に少しだけ罪悪感を覚えながら頬をかいてなんとかそんな提案をする。
 別に咲山自身に悪気があったとか、そんなことは考えてない。
 でも、それでも人には触れてほしくないことっていうものが多かれ少なかれあるものだ。
 オレにとってはそれが、バスケのことだった。
 それだけのこと。
「……向こうの公園、バスケットコートあるの知ってますか?」
「……知ってるけど、それが何?」
 これで終わりにしてまた楽しく遊ぼうぜ、せっかくそう思っていろいろ端に押しやってこんなことを口にしたのに、それなのに、やっと口を開いた咲山が口にしたのはまた、バスケのことだった。
「俺と、1on1やりましょうよ」
「……は?」
 しかも咲山がした提案は信じられないもので、オレはつい間の抜けた声を漏らしていた。
「1on1やって、それで俺が勝ったら今度バスケ部の先輩達いるときに顔だしてください」
 さらに咲山が続けた提案はあまりにも馬鹿馬鹿しくて
「悪いけど、煽られても、バカにされてもぜってぇにやらねぇからな、この話は終わりだ、この先バスケの話は一度もするな、したらその時は……この関係も終わりだな、分かったらとっとと行くぞ」
 オレはバカみてぇに笑うことも忘れてただ真顔でそれを伝えた。
 さっきみたいに挑発されてもこの誘いに乗ることはねぇし、これ以上この馬鹿げた話をするんだったらもう、コイツとの関係も完全に終わりにする。
 これは別に比喩でもなんでもなく、マジだった。
「…………はい」
 長い間を置いてから咲山が返事をしたのを後ろ耳に聞いて、そのまま咲山がどんな顔してるのかすら確認せずに歩きだした。

「……」
「……」
 ゲーセンを出て近くにあったファミレスに入ってからもオレ達の間に会話はなかった。
 気まずい、はっきりいって。
 初対面の時すらここまで気まずいと思ったことはなかったのに。
 だけどそれがオレのせいだってことは普通に理解はしてた。
「お前何頼む? 今日は奢ってやるけど」
 だから、先輩としてオレから話を振ることにした。
 元々飯は奢る気でその分の金は持ってきてたし問題ない。
「……じゃあミックスグリルで」
「ドリンクバーはいる?」
「お願いします」
「……そういえばお前とこうやって二人で出かけんの初めてじゃね?」
 それでも咲山はなかなか会話に乗ってこずにずっと視線はお冷に張り付けているから、少しだけ食いつきそうな話題を考えて、出来るだけ明るさを取り繕って振ってみる。
「そう、ですね、普段は学校か先輩の家ですから」
 今までオレと咲山が一緒に何かするってなったら大体は学校かオレの家だった。
 そもそもなんかするっていっても体育館か学校からの帰り道か、それぐらいだから当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「この後どうする? オレん家来るかとはもう気安く聞けねぇからなぁ、特にやることないなら解散するか?」
 前までの流れならオレん家来るかって聞いたんだけど本人から警告された以上気安く誘うわけにもいかないし、カラオケとか行こうってなってもこの空気のなか行くのはただの苦行になるだろうし、それならもう解散してしまったほうがいいのかもしれない。
 今はこれで解散して、次学校で会った時にはいつも通りの元通り、それでいいだろ。
 オレは、そう思ったけど
「……それなら、俺の家に遊び来ませんか?」
 咲山の考えは違ったみたいだった。
「は? お前ん家? それもっとヤバいだろ、お前自分が何言ってるか分かってるか? お前が言ったんだぞ自分のこと警戒しろって」
 やっと顔を上げたと思ったら出た爆弾発言にオレは呆れたように物を言う。
 自分のこと家に上げるのを気をつけろって言ったくせに家に誘うとかなかなかすみに置けない奴だなコイツも意外と。
「あ、違うんです、別に下心は……全くないかと言えば嘘になるかもしれないんですけど、俺実家暮らしですから母もいるんでそういうことはしません、っていうか出来ません」
 だけど咲山は困ったように笑いながらそういう目的を否定する。
 下心が全く無いって言いきらない辺りはコイツらしいというかなんというか。
「……まぁ、それなら行ってもいいけど、なんか面白いもんでも見せてくれるんだろうなぁ?」
 だけどそれなら別に行ってもいいと思える自分がいて、オレはそれを快諾すると悪どい笑顔を浮かべてみせる。
「面白い、ものですか……?」
 咲山には真意は伝わらなかったみたいだけど、実家にお邪魔してやることなんてひとつしかないだろ。

 ファミレスで飯を済ませると予定どおりオレと咲山は咲山の家に向かった。
 思ったよりオレの住んでるアパートと家が近かったのには驚いたけど咲山のお母さんは驚くほど喜んで迎えてくれた。
「これがお前のガキ時代のアルバムかー、どんなムカつくくそちびだったんだろうなぁー」
 オレは咲山の部屋でお母さんから預かったアルバムを抱えてニヤニヤする。
 実家に行ったらする事っていったらガキの頃のアルバムの確認、これに限るだろ。
「あんまりガン見はしないでくださいね……」
「さーってと、どれどれー……っ、これ、病院か……?」
 咲山に釘を刺されながらガン見してやろうとアルバムの適当なページを開く。
 そこに写っていたのはオレの想像してた体格のいいガキじゃなくて、貧弱で、今にも折れてしまいそうな身体をした一人の少年だった。
 しかも場所は見るからに病院の一室って感じのところとか、病院の中庭みたいなところとか、そんなとこの写真ばかり。
「俺、小学生の中学年くらいまで入退院繰り返してたのでその辺りのアルバムは病院の写真が多いですよ、小学校もほとんど行けてませんでしたし運動会とかももちろん出れてませんし、自ずと小児科病棟の写真が増えたみたいで」
 特に気にした様子のない咲山は向かい側からアルバムを覗き込んで補足してくれる。
「身体、弱かったんだな」
 全く知らないことだった。
 オレは勝手にチビの頃から体躯に恵まれててみんなのヒーロー、みたいな奴なんだって思ってた。
 でもそれは、勝手に覚えただけの偏見だった。
 ゲーセンのこととか、バッティングのこととか、全部これだけで説明がついた。
「生まれつきですね、未熟児だったのもあって病弱で、風邪引いたら肺炎になって入院、みたいなコースが大体でした、心臓にも疾患があったので運動も禁止でしたね」
「……今は、大丈夫なのか?」
 さらに続ける咲山に、少しだけ不安になって聞き返す。
 オレ声今、震えてなかったよな。
「小学校高学年の時に心臓の手術して、それからはどんどん元気になってきて、今ではこの通りです」
「……それは、いや、何でもないわ」
 咲山の説明に大変だったなって言いそうになって、それが勝手な同情だってすぐに気付いて言う前に止めた。
 何がどう大変だったかなんて、今それをどう思ってるのかなんて、本人にしか分からないことだ。
 他人がとやかく言うことじゃない。
「聞きたいことがあれば何でもどうぞ、先輩にだったら隠したいこともありませんし」
「……じゃあひとつだけ聞いて良いか?」
 それでも咲山は特に何も気にした様子もなくそう促すから、一番気になっていたことだけ聞くことにして口を開く。
「はいどうぞ」
「何で、バスケにしたんだよ、他にも運動はたくさんあったのに」
 するりと促されて、オレは確信に触れる。
 はっきり言ってバスケよりも野球とか、サッカーのほうがメジャーなスポーツだ。
 ただ運動をしたかったならそれでも問題なかったはずで、なんでバスケを選んだのか、それは少しだけ気になった。
 オレがバスケにした理由は親がバスケを好きで進められたからっていうよくある理由だったから余計に気になったんだと思うけど。
「それは、やっぱり身体が自由に動かせるようになると出来てなかった分を取り戻すように身体を動かしたくなって母と色んなスポーツの試合を観戦しに行ったんですけど、そこである選手のプレイに魅せられて、そのまま中学からバスケットボールを始めました」
「へぇ、誰のプレイ? やっぱプロ?」
 選手のプレイに魅せられてそのスポーツを始めるっていうのはそれなりに多い理由だと思う。
 でも咲山をそこまで魅了した選手が誰なのかは少しだけ、気になって聞き返す。
「……いえ、プロじゃなかったです、俺が観に行ってたの学生試合とかですから」
 だけど咲山はまずプロという選択肢は潰した。
 確かに観に行きやすいってなると学生試合はちょうどいいか。
「それからはずっとバスケ一筋なんだなー、にしてもすげえな、そんな魅せるプレイの出来る学生、今頃プロにでもなってんじゃねーの、名前とか覚えてないのか?」
 あくまでただの好奇心。
 それを装ってオレはより深い部分に突っ込んでいく。
 はっきり言ってソイツが別にプロになってるかとかクソ程どうでもよかったけど、コイツをバスケ沼に引き込むほどに魅せた、っていう事実に内心、複雑な気持ちは覚えていた。
 その理由はよく分からなかったけど。
「……もちろん覚えてますけど、プロにはなってませんね、まだ」
「まだってことはこの先なりそうってことかー、すげえ選手がいたもんだわ」
 考えるようにそう告げる咲山の言葉が、また少しだけオレの心にひっかかった。
 わざわざまだって言葉を使うってことは今後プロになるだろうってくらいには上手い選手なんだろうし。
「そうですね、後にも先にも、俺が一番憧れた選手はあの人だけですから」
「へぇー……」
 咲山の遠くを見るような瞳と、浸るような台詞にジリッと、心の奥で何かが燻った。
 咲山は、オレに指導を頼みたいくらいにはオレのプレイとか何かを好いてくれてるんだと、思ってくれているんだと勝手に考えていた。
 でも、実際のところは憧れてる選手はソイツ一人だけ。
 じゃあなに? コイツの好きってオレの顔とかそういうこと?
 んだよ、勘違いさせんなよ。
「……どうしました?」
「あ、え、何が?」
 そこまで考えて、咲山に声をかけられたことで現実世界に引き戻される。  
 すぐになんでもないように取り繕ったけど、今しがた自分のなかに浮かんで弾けた感情ってのは簡単には消えてくれなかった。
 一度理解してしまえば受け入れるのは早かった。
 オレは、コイツが、咲山日向がオレ以外のプレイを褒めることがどうやら許せないらしい。
 それがなんでかなんて理由まではパッとは分からなかったけど。
「なんか、いつもより機嫌悪そうだったので……」
「そう? 別にそんなことねぇけど……ま、んなことより男の部屋来たらやることはひとつだよな?」
 いつも機嫌悪そうなのかよとか突っ込みたかったし、なんなら確かにいつもより機嫌悪かったけど、この話をこれ以上続けたくなくてとっとと次の話題に移る。
 男の部屋に来たらもうひとつ、やっておかないといけないことがあるし。
「……え」
 オレは分かってなさそうな咲山を無視して立ち上がる。
「エロ本、あるだろ、どこに隠してあるか探さねぇとなー」
 そしてニヤッと一度笑ってみせるとそのままベットに近付いていく。
「な、ないですよ! そんなもん!」
「はぁ!? 男なんだからエロ本のひとつくらいあるだろ普通! 隠してもムダだからな! こういう時はベットの下って相場が決まってんだよ!」
 普段はスンッとしてる咲山が慌てふためき始めるからやっぱりコイツも男だなって内心ニヤニヤが止まらない。
「っ……そこは触らないでください!」
 そしてベットに手をかけたところでさらに焦りだしたからオレは確信する。
「やっぱりここか! みーっけって、なんだただのスクラップブックじゃねぇか……」
 止められるのも無視してベットの下に手を突っ込んで紙の束みたいなものを引っ張り出したは良いものの見ればそれはただのスクラップブックで、内心がっかりする。
 表紙にはバスケって書いてあるしただのバスケのスクラップ帳なのは確定で、こんなもんベットの下に隠すみたいに置くんじゃねえよ紛らわしいな。
 っていうかもしかしたらコイツデジタル派だったのか。
「か、返してください!」
「あ、おい! おまっ……押すなよ危なっ、うわっ……!」
 なんてどうでもいい問答を頭のなかで繰り返しながらとりあえずスクラップ帳を開こうとする。
 そうすれば慌てた咲山がオレの肩に手を置いてスクラップ帳を奪おうとして、そのまま体制を崩して縺れるようにベットに倒れ込む。
「痛ってぇな! お前自分の体格考えて動けよ……!」
 オレは咲山に押し倒されたそのままの体勢で怒鳴る。
 コイツたまに自分のサイズ感分かってないような行動することあるけどマジで止めてほしい。
 お前は身長190あるスポーツマン体型の大男なんだよ、それを理解してくれねぇといずれマジでオレが怪我するわ。
「先輩が勝手に漁るからですよ……! これに勝手に触らないでもらえますか?」
 咲山は言いながらオレの上から退くこともせずに真っ先にスクラップ帳を回収して胸に抱き抱える。
「……あー、悪かったって、そんな触られるのが嫌なくらいの宝物だと思わなくって、それあれか? さっき話に出てた選手のスクラップか?」
 オレは咲山を押し返しながら聞きたくないけど一応それは聞いておく。
「……そうですけど」
「……本当に憧れてんだな」
 そうすれば咲山は少しの間を置いた後にそれを肯定して、余計に惨めな気持ちになりながら誰に言うでもなくただぼやいた。
 その知りもしないどこかの誰かは、一体どれだけすごいプレイをするんだろうか。
 きっとオレでは遠く及ばないようなプレイスキルなんだろうけど。
「……この人がいなかったら今の俺はいませんから」
「……」
 ふと、咲山が意図せず漏らしたその言葉に、オレは咲山を押し返していた動きをピタリと止めた。
「……先輩?」
 動かなくなったオレに咲山は不思議そうに声をかけて、そのままオレの顔を覗き込もうとするからそれを無理やり手で制する。
 今は、顔はあんま見てほしくねぇ。
 乙女みたいなこと言ってる自覚はあるけど。
 それでも嫌なもんは嫌だ。
「あー、いや、何でもねぇわ、とりあえずソイツには感謝しないといけないな」
 オレは咲山から顔を反らしたまま起き上がると空元気で笑いながら無理やり思ってもないそんな言葉を口にする。
「何でですか?」
「だってソイツがいなかったら今お前この高校でバスケやってないんだろ? そしたら……オレが抜けた穴を埋めるやつがいなかっただろ、流石に申し訳がたたねえってやつだよなー」
 オレの言葉の意味を理解出来てない咲山に、心臓が痛むのを耐えながら説明してやる。
 さっきのは思ってないものも多分に含まれてたけど今のこれは本音。
 一応バスケ部のエースだったオレが抜けた穴はそれなりに大きい。
 でも、それと入れ違う形で咲山っていう期待の新人が入ってきてくれたことに関しては渡りに船だった。
「……俺が、先輩の抜けた穴を埋められてるってそれ、本気で思ってるんですか?」
 咲山の、初めて聞く低く唸るような声にオレの肩はびくりと跳ねる。
 慌てて咲山のほうを向けば初めて、怒りみたいな色を灯した瞳をしていて、それは確実にオレに向けられていて、何が気に障ったのか分からなくて少しだけ距離を取るように下がる。
 別に咲山を貶すようなことはひとつも言っていなかったはずなのに、なんで、こんなに怒ってるんだコイツ。
「見てれば分かることだろ、埋められるどころかオレなんかよりずっと活躍してる、だからもう、オレはバスケをしなくてもいいんだよ」
 でも、それでも卑屈になったオレの口は止まってくれなくて、確実に余計なことを口走っていた。
「っ……」
「咲、山……?」
 瞬間、ぐっと息を飲み込んだ咲山がオレの胸ぐらを掴み上げる。
 オレはただ、何がなんだか分からなくて咲山の名前を呼ぶことしか出来なくて
「あんた、いい加減にしろよ」
「……咲山?」
「オレの憧れた先輩は、そんなこと言わねぇんだよ!」
「……は?」
 憧れた、その言葉もうまく飲み下すことは、出来なかった。
 憧れた? お前が憧れたのはその選手だけなんだろ。
 お前本人が今さっき言ったことだろ、もう忘れたのかよ。
 それ以外にも言いたいことはたくさんあったけど、それらが言葉になることはなかった。
「俺が見てきた先輩は、ずっとチーム引っ張って、カッコいいダンク決めて、勝ちに誰よりもこだわる人だっただろ、なんで簡単に俺なんかにエース譲った気になってんだよ、勝手に自分の限界計って、怪我を理由に逃げんなよっ……!」
 普段声を荒げたことなんて一度もない。
 少なくともそんなところをオレは見たことがない。
 でも今の咲山の細い瞳はぐらりと揺れて、作ったような敬語も消え去って、オレの胸ぐらを掴んだまま本気で怒っていた。
「咲、山……」
 なんでコイツがそんなことまで知ってるのかは分からない。
 でも、言っていることは正しかった。
 怪我を理由に逃げた。
 それは、オレしか知らないはずの事実なのに。
「俺じゃ、ダメなんですよ、俺だけじゃダメなんです、俺は……先輩と一緒にバスケがしたくてこの高校に入ったのに」
 咲山はそれだけ言うと一度強く握って、それからオレの胸ぐらから手を離してベットに座って項垂れる。
 その弾みで開いたスクラップ帳に切り抜かれていた記事は、オレの所属してたバスケチームが県大会で優勝したときのものだった。
「……これ、オレか?」
 自分で口にしながら、口にするまでもなく全てを理解していた。
 これで、全ての説明がつく。
 咲山が唯一憧れた選手はオレで、オレを目標にしてバスケを始めた。
 だからお母さんも必要以上にオレの来訪を喜んでくれたのか。
 咲山がこの高校に入学したのはオレがいたからで、オレに指導を乞うのも、オレに懐いてくれてるのも、全部オレが憧れの選手だったからだ。
 でも、それはあまりにも皮肉だった。
 オレは一度咲山のほうに視線を向けて、すぐに反らすとゆっくりと口を開いた。
「………だって、怖いんだよ、オレが怪我してる間にお前みたいな才能の塊みたいな奴が入部してさ、どうやったって前より動きづらいのは変わらねぇのに、これで戻ってお前に負けたら……オレの全てがムダになるような気がするんだ」
 怪我して弱気になったオレにとって咲山の登場は地獄だった。
 それなりの強豪高ということはバスケ部に在籍している奴はそれなりに多い。
 もちろん今年の新一年生の中にも入部希望者はたくさんいて、それがどういう意味を成しているのか端的に言えば、それだけスタメン選抜が厳しくなるってことだった。
 そうじゃなくても足は前ほど動かないのにスタメン必須みたいな咲山みたいな奴が現れて、オレはコイツとぶつかって負けることに怯えるようになった。
 だから、怪我が治っても、自主練をしても、バスケに戻ることはしなかった。
 さっきのバスケゲームで額に滲んだ汗も冷や汗だった。
 ゲームだろうと負けられない戦い、そう考えると次第にたま粒の汗が頬を伝ってた。
「俺のこれが、才能だと思ってるんですか?」
「今は、思ってない、でも最初はそう思ってた、体躯に恵まれて一年なのに三年に負けないくらい動けて、オレなんかチビだし怪我までしてさ、ひどい差だと思ってた」
 咲山の問いかけにオレは嘘はつかずにそのままの事実を伝える。
 実際に恵まれた体躯も、でかい手も、そのプレイも、オレは生まれ持った才能だと思ってた。
 でもアルバム見て、話を聞いてそれは違うってことに気づいた。
 それが余計にオレを惨めにさせた。
 勝手に思い込んで、勝手に負けた気になって、僻んでた。
 本当に、ダセェことこの上ない。
「……先輩、俺が何でダンク苦手なのか知ってますか?」
 そんなオレを黙って見止めていた咲山がふと、空気を和らげてそんなことを聞いてくる。
「んなこと知らねぇよ、お前言おうとしねぇじゃん、そんだけ身長あるんだから難しいことでもないだろとは思ってたけど……」
 なんで進んでダンクしないのか聞いたことは何度かあった。
 これだけ身長があればダンクに向いてるのは間違いない。
 実際たまに見るダンクは普通に出来てるから極めれば良い武器になるはずなのに本人は苦手だからとやろうとしない。
 だから聞いてもいつも濁すばかりで、理由は一度も聞いたことがない。
「先輩のダンクが、好きだからです」
「……は?」
 咲山の突然の告白にまたオレが驚く番だった。
「いつ見ても先輩の決めるダンクは誰よりもかっこよくて、俺にはあれ以上のダンクなんて決められないから、俺はダンクはしないんです」
「……はっ、なんだそれ」
 咲山のダンクをしないくだらねぇ理由に今度は吐き出すように笑う。
 確かにオレはこの身長のわりに得意なシュートはダンクシュートだ。
 高く飛べる足が武器だったぐらいだから。
 まぁ、そのダンクで着地ミスって怪我したわけだから笑えるけど。
 でも別に点数の計算にかっこよさとか、綺麗さとか、そんなもん何の意味も持たない。
 それなのにオレのプレイがかっこいいから自分はやらないとか、本当に意味わかんねぇ奴だよな。
「俺、インターハイの選抜メンバーに選ばれたんです」
 さっきよりも全然落ち着いたオレに咲山はふと、そんな報告をしてくる。
「……へぇ、で?」
 そんな報告に特段驚くことはない。
 まぁ咲山の実力なら一年でも選抜に選ばれてもおかしくないから実際そこまで驚くことでもないし。
「絶対に勝ち抜きますから、約束してくださいよ」
 咲山はそれだけ言うとこちらと向き合うように顔を動かす。
「何を?」
「……インターハイで勝ち抜いたら、俺のお願いをひとつだけ何でも聞く」
「……そこまで言って、俺に何してほしいわけ?」
 なんかよくマンガとかで聞くようなその言葉を、まさか言われるほうになるとは思わなかったけど、咲山がここまで言ってふざけて変なことを言うとは欠片も思うこともなく、ただしっかりと瞳を見据えて聞き返す。
「先輩がこの賭けに乗ってくれるって言ってくれたら教えてあげます」
 このムカつく後輩はたまにこうして上から目線になるけど、前ほどムカつくこともない。
 まぁ、最初からぶちギレるほどにムカついたことなんてなかったから上手いように扱われてるってことなんだろうけど。
「またそれかよー、分かった、全裸で街中練り歩けでも、お前のものになれでも、なんでもひとつ言うこと聞いてやる、これでいいか?」
 オレは早々にその提案を飲み込んで両手を降参といったように上げてみせた。
 後出しはムカつくけど全て吐き出してしまえば意外とスッキリするもので、どんな無理難題でも今なら聞いてやれるような気がした。
「……はい!」
「で、何してほしいの?」
 嬉しそうにうなずく咲山に不覚ながら一瞬ドキッとして、それを自分のなかから追い出そうとしてあえて呆れた様子を取り繕って聞き返す。
「……インターハイ勝ち抜いたら、バスケ部に戻ってください」
「……」
 オレはつい、黙り込んでしまう。
 咲山の求めたお願いはけっこうぶっ込んでて、今日、しかもちょっと前にその話をすれば縁を切るって言われたくせによく言えたなって感じだった。
 本人は覚悟決めました、みたいな顔してて内心ちょっとイラッとはするけど。
 毎回コイツはオレより先に覚悟を決めるから先輩として面目が立たないんだよなそれ。
「バスケ部に戻って、俺とウィンターカップのスタメンの座を、奪い合ってください、もちろんエースの座を賭けてです」
「……そ、れはっ一一」
 バスケ部に戻る、そこまではまだ了承出来る内容だった。
 だけどエースの座をかけてコイツと争う、それはあまり許容出来る内容ではない。
 だから抗議しようと身を乗り出したのに咲山はそれを人差し指一本でまた制してみせる。
「約束しましたよね、先輩は俺の言うことひとつ聞くって、だから俺も言ったんです、やっぱ無しは通りませんから」
 そして、それだけ言いきるとスッと瞳を細めて優しく笑んだ。
 コイツのこんな落ち着いた笑顔、初め見たかもしれない。
 最近は新しいコイツの一面を見る機会が多くて、別に相変わらず嬉しくはないけど前ほどまでにどうでもいいとは思わなくなってきたのは感覚が麻痺してきているのだろうか。
「……分かった、分かったよ! お前達がインターハイ勝ち抜いたら、戻る、バスケ部に、これでいいか?」
 コイツのそんな目見てたらなんかここまで頑なにバスケに触れようとせずに逃げてたこととか全てがバカらしくなってきて、オレは降参というようにまた両手を上に上げて半ばなげやりに宣言する。
「はい!」
 そんなオレを見て咲山は嬉しそうに頷く。
 こんな年相応な反応も初めて見た気がするわ。
「にしてもお前もったいないことするなー」
 オレは両手を下ろすと顎に手を添えて真っ先に気になってたことを指摘する。
「何がですか?」
「先輩相手に何でも言うこと聞かせられるんだぜ? パシリにも出来るし、なんならお前俺のこと狙ってんだろ? それ使えば思いどおりにだって出来んのにバスケ部に戻るなんてのに使っちゃってもったいないってこと」
 咲山は分かってないみたいだったからわざわざ説明してやることにする。
 オレからすれば何でも言うこと聞かせられる券なんてどんなことにだって使えるのにもったいないことこの上ない。
 卒業までの一年間パシりにして昼休みに購買に走らせることも出来るし、相手に好意があるならそれこそってもんである。
 それをバスケ部に戻ってくれなんてもんに使うのは勿体ないだろ。
「……そういうこと言っちゃう辺り、先輩ってモテなさそうですよね、まぁ俺としてはライバルが出来なくてありがたいですけど」
 咲山の呆れたような、軽蔑したような声にぐっと強く息を飲む。
「うるせーな、悪かったなモテなくて」
 どっちかって言ったら高校生として健全な答えはオレのほうだろ。
 モテなさそうって言われた通り全然モテないけど悪いか?
 一応去年までバスケ部のエースだったのにコクられたこともねぇよ。
 あ、一回だけあるか、コイツからだけど。
「命令して好きな相手と付き合えてもそれ嬉しくないじゃないですか、俺は……」
「っ……」
 咲山は言いながらオレの顎に手を添える。
「自分の力で振り向かせて見せますよ、近いうちに俺のこと無視できなくして見せますから、楽しみにしててくださいね」
 そしてオレの眼前でその無駄に良い顔をさらに決めて見せるから
「……さっきから近ぇんだよ、ちょっと離れろよ」
 抗議の声と一緒に軽く押しやる。
「意識、しちゃいましたか?」
「してねぇよ! どけこらこのバカ!」
 意識した、その台詞に我慢ならなくなってオレは思い切り咲山を蹴り飛ばす。
 バスケ部の期待の新人に怪我させたらとかそういうのはもう考えなかった。
 ていうか自分の気持ちオレに伝えてから調子乗りすぎなんだわコイツ。
 何回オレの顔に触れば気が済むんだ。
 確かに少し、本当に少しだけだけど意識したけど! それは絶対に教えないし認めないからな。
「痛ったっ……普通かわいい後輩のこと蹴り飛ばしますか……?」
 咲山は床に打った部分を擦りながら抗議の目を向けてくる。
「かわいい後輩なんて俺の目には写らねぇなぁ、誰のこと言ってんだか」
 ムカつく調子乗った後輩はよく目に写るけどかわいい後輩なんて残念ながらオレの目には写らない。
「怪我したらどうするんですか……」
「んな脆くねぇだろお前」
 オレは立ち上がって襟元を正すと軽く咲山の頭をはたく。
 あんだけのプレイが出来るってことはそんだけ必死に鍛えてるってことで、オレが軽く蹴り飛ばしたくらいで怪我なんてするわけない。
「……まぁ、そうですね」
「ってことで、エロ本探し再開再開ー」
 そう言いながら真っ先に崩れた髪の毛を直す辺りは軽くイラッとしたけどそんなんも今さらで、オレはそんな咲山は無視してエロ本探しを再開することにする。
 この際エロ本じゃなくてAVでもいいから見つけてやらないと気が済まない。
 やられっぱなしはマジで性に合わないからな。
「マジで! 持ってないんで止めてくださいって……!」
「焦る辺り怪しいんだよなぁ」
 咲山は慌てて止めに入るけどそこまで焦るのが逆に怪しい。
 ないならここまで焦る必要もないだろうし。
 完全デジタル派ってことはないんだろうな。
「……今度先輩の家行ったら同じことしますからね」
 本棚を漁るオレを止められないと察したのか咲山は諦めた様子で座り直すと恨めしげにそんな言葉を口にする。
「安心しろ、お前に見つかるようなへまするわけねぇだろ」
 オレが何年バスケ部の先輩と後輩って立ち位置経験してると思ってんだ。
 先輩と後輩も何度も家に来る機会はあったし先輩って奴は特に容赦なく人の家を漁る。
 そんな荒波に揉まれてるわけだからそんな簡単に見つかるところに隠しているわけがない。
「持ってることは否定しないんですね……」
「は? 別に否定することねぇだろ、健全な男子なわけだし」
 オレの返事が意外だったのか咲山は気まずそうにせっかく自分で直した髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱す。
 健全な男子高校生がエロ本とかAV持ってるのなんて別に普通のことだろ。
 今さら隠すような間柄でもなしになんでそんなとこ気にしてんだって逆に疑問だわ。
「……俺、先輩のこと好きなんですよ?」
「は? だから? 俺がエロ本持ってたら失望して嫌いになるわけ? そんな浅っさい愛ならこっちから願い下げだけどな」
 確かに何度もオレが好きだってのは聞いた。
 むしろそれよりもずっと前から想われてたことも知ったし、それはスクラップ帳なんか作られるほどに。
 でもオレがエロ本持ってる健全な男子って知ったとたんに失望するような純愛ならこっちから願い下げだ。
 面倒くせぇし。
「嫌いには、なりませんけど、そういう問題じゃないんですよ……」
 咲山は悲しそうにぼやきながら両手で自分の顔を覆ってしまう。
「お前けっこうめんどくせぇタイプの男だったんだな」
 オレは手にしていた雑誌を本棚に押し戻して咲山の前にあぐらをかいて頬杖をつく。
 指の間から少しだけ覗く咲山の顔を覗き込みながらそんなことを言えば少しだけ咲山の瞳がこちらを向いて
「……悪いですか?」
 恨みがましそうにそんなことを呟く。
「まさか、逆にそれくらいの奴じゃねえとこっちも期待はずれって感じだな、楽しみにしてるわ、お前がオレを落とせるか」
 オレはそれを簡単に否定してみせてから咲山の頭をぐしゃぐしゃとなで回す。
 いつもはしっかりワックスとかで整えてるから触りづらいけど今は自分で充分にかき乱した後だから問題ないだろ。
「っ……」
「あれあれ? 今もしかして照れたー? かわいいところあるじゃん、今のお前ならかわいい後輩認定してやってもいい……けど……」
 その大きな手から少しだけ覗く頬が確実に、少しだけ赤くなったのが見えて、調子に乗ったオレはさらに煽るようなことを言ったけど、残念なことにすぐに後悔した。
「あんまり煽らないでもらえますか? 先輩のこと喰っちゃいそうになるんで」 
 咲山はオレの手首を掴むと噛みつくように手の甲に唇を押し当てて、それから耳元でそんなことを囁く。
 待って、オレ先輩なんだけど、もしかしてコイツの中での想定ってさ……オレが、そっちってこと?
「……え、いや、ごめん?」
 咲山にされるがままになったまま、オレは反射的に謝っていた。
 多分だけど今のオレきっとさっきのコイツとは比べ物にならないくらい赤くなってるし、顔を隠したかったけど片手は掴まれてるしもう片方の手は床について身体支えてるしで残念ながらそれは叶わなかった。
 こういうとき顔が良いってのは本当にズルいわ。

「咲山ー、コンディションは?」
 オレは客席から身を乗り出して咲山に声をかける。
 今日はインターハイの決勝戦、オレと咲山の賭けの結果が出る日だ。
「ばっちりですね、いつもより全然力入ってます」
 咲山は言いながら珍しく力こぶなんて作って見せる。
 普段は静かなほうなだけにこれだけテンションが上がってるのは珍しい。
「あんまり力みすぎもよくないから適度になー」
 オレの長年の経験上そういう時こそ足を掬われやすい。
 だからちゃんと力み抜き出来るようにわざとそうやって注意を促す。
「……約束、ちゃんと覚えてますよね」
「忘れるわけないだろ、あの後から定期的に釘も刺されてるし……」
 咲山はあの日以来ほとんど毎日じゃないかってくらいにはその話を持ち出してオレにあの約束を思い出させた。
 それが一週間くらい続いた辺りで流石にオレのなかで我慢の限界がきてしつこいとぶちギレてからは週一くらいの感覚にはなったけどそれでも充分に多すぎるくらいだろ。
「あれ、もう俺だけの願望じゃなくてバスケ部のみんなの気持ちですから、ちゃんとそれ全部受け止めた上でこの試合、観ててくださいね」
 咲山はある日、この約束をバスケ部のみんなにも話して良いかと聞いてきた。
 最初はもちろん迷った。
 だって勝手に怪我して勝手に辞めるって決めて皆の前から消えたのに、校内とか教室で声をかけてくれても無視して逃げたのに、今さら賭けに負けたら戻りますとか都合が良すぎる。
 でも、きっと、アイツらはそんなこと考えないって、咲山と過ごすようになってからの日々を思い返せばすぐに分かった。
 卑屈になっている目に写る世界は色褪せて、人はみんな他人に写るけど、ちゃんと前を向いて見ればそれが酷い独りよがりだってよく分かるから人間ってのは面白いよな、全く。
「……分かってるよ、そんなことくらい、まぁだからってお前らの応援しないなんてこと絶対にないから安心しろよ、絶対に、優勝しろよ」
 咲山からこの賭けの話を聞いたバスケ部の奴らは会うたびにそれはもう好き勝手言ってくれた。
 ちゃんと身体アップしとけとか、もう戻ってきてもスタメンじゃねぇんだからちゃんと水配りの練習しとけとか、前までだったら全部嫌みに聞こえてたのに、全くそんな風には聞こえなかった。
 だから、自分が戻りたくないから負けろなんて欠片も思ってない。
 応援しないなんてことも、ない。
 オレはただ、みんなが勝つのを信じて待って、勝ったら盛大に祝って、それからオレもその輪の中に戻るだけ。
 身体のアップも、気持ちのアップも既に出来てる。
「当たり前じゃないですか、何のために俺が先輩にマンツーマンでずっと練習見てもらってたと思ってるんですか」
 あれからもちょくちょく咲山の練習には付き合ってたけどインターハイが近付いた頃からそれも辞めた。
 下手に顧問とかが決めた量の練習以外をやればオーバーワークになりかねないし、その必要もなく思えたからだ。
 まぁそれがなくなってからもたまに一緒に出掛けたりとか、家に遊びに行ったりとかすることはあったけど。
 そういえば最近やッとバットにボールがかするようになってきたんだっけか。
 オレのあげた無料券はお守りにするって使ってないみたいだったけど。
「なら、なんの心配も必要ないな、本気でやってこい!」
 オレはそんなことを思い出しながら全力で咲山を送り出す。
「はい!」
 咲山が走っていった先の輪のなかにオレがいないことが少しだけ寂しかったけど、それもきっと今だけのことだった。

 試合は延長戦、ダブルオーバータイムまでもつれ込んでいた。
 夏の甲子園とも呼ばれるインターハイの決勝戦。
 観客も皆、息を飲むような攻防戦が続く。
 そして、その時は来た。
 ビーーーー! 
 双方同点のまま体育館内に鳴り響くブザー音。
 瞬間、いつも者に構えてるムカつく後輩の手から放たれていたボールは綺麗な放物線を描いてゴールへと吸い込まれていく。
 ボールはリングにぶつかることすらなく、ボスッと軽い音を立ててネットをくぐった。
 綺麗なスリーポイントのブザービーター。
 一瞬の静寂、そして次の瞬間体育館が割れんばかりの歓声が飛び交った。
 それに反してオレは何も言えなかった。
 ごくり、と口内に溜まっていた唾液をただ飲み下す。
 ゼッケンのついたユニホームで汗を拭って、チームメンバーとハイタッチしたそいつはふと、オレのいるほうへ視線を向けた。
 そして
「っ……」
 そのいつもそこまで大きく開くことのない瞳をさらに細めてにこりと意味ありげな笑顔を浮かべてみせた。
 咲山としてた賭けは見事に負け、それだけじゃない、ああダメだ、これは、もう、アイツに捕まったようなもんだ。
 だって、ゴールを決めたその姿を、その寸分の狂いもないフォームを、美しいって思ってしまったのだから。

「……おい咲山!!」
 決勝戦後、挨拶とか色々終わってこの後のことを話すバスケ部の奴らのほうへ近付いていくとオレは咲山の名前を呼んで手首を掴む。
「……先輩?」
「ちょっと来い!」  
 驚いた様子の咲山はガン無視して首を外へしゃくるとそのまま無理やり手首をひいて歩き出す。
 この後打ち上げとか込み入ったこととか色々あるだろうけど、それでもオレの気持ちは止められなかった。
「は、え、でも……ちょっと! 先輩!」
「いいから行ってこいよ!」
 流石に少し抵抗する咲山の肩を同じ三年のスタメンが思い切り叩いて、それからオレのほうへ軽く視線を投げ掛けて笑む。
 あー、きっとコイツには色々バレてんだろうな。
 だてにエースの名を奪い合った仲じゃねえってことか。
「っ……すみません! 行ってきます!」
 咲山はそれだけ言うとオレに引っ張られるままに歩き出した。

「先輩! いきなりどうしたんですか、流石にまだそんなに長く抜けるわけには……っ、これは……」
 歩いている間もぐだぐだ言ってくる咲山にオレは拾い上げたバスケットボールを見せつける。
「1on1するぞ、オレが攻め、ショットクロックはそうだな、十秒間、オレが1点決めるかお前がブロックするか、それで勝負を決める」
 説明しながら軽く何度かドリブルしてボールの弾み具合を確認する。
「待って、くださいって! 急にどうしたんですか? それに俺スモールフォワードですし決勝戦後すぐなんですけど……」
 既にいつでも1on1を出来る心意気のオレとは裏腹に咲山は焦ったように手をブンブンと振る。
 それに咲山もシュートは守るより決めるほうだからやるなら攻めのほうがいいんだろう。
 それに決勝戦を終えて単純に疲労が貯まってるっていうのはオレだって充分に分かってる。
 それでも
「オレもう試合形式なんていつぶりだと思ってんだよ、ハンデだよハンデ、お前が勝ったらもうひとつ何でも言うこと聞いてやるよ、俺と付き合ってください、とかでも全然良いぜー、抱かせてくださいとかでも、何でもな」
 オレはこの1on1を止める気は、全くなかった。
 それに最初にオレと1on1したいって言い出したのは向こうなわけだし何を言ってでも辞めさせる気はない。
「っ……だから、俺はそういうことにこういうのを使う気は一一」
「もしかして負けるのが怖いのか?」
 以前とは立場が逆転する。
 オレはわざと嘲笑うように下目がちに咲山のその細い瞳を覗き込む。
「……」
 一瞬、咲山の瞳のなかに炎が灯ったのをオレは見逃さなかった。
「そうだよなー、お前のバスケは攻めのバスケだからどっちかって言うと守るのは得意じゃない、しかもさっき決勝戦終えた後で満身創痍、いくらオレが怪我してからずっと試合してないって言っても負けたら恥ずかしいもんなー」
 そうだろ、スポーツマンって基本的に負けん気が強い人種だから分かりきった挑発でもムカつくもんだろ。
 あのバスケゲームの日の気持ちをやっとコイツも分かってきたんじゃないか?
「……分かりました、やりましょうか1on1、で、先輩は何が望みなんですか?」
 咲山は一度大きく息を吐き出した後に筋を伸ばすようにストレッチを始める。
 そして、そのままこちらにそんな問いかけをしてくるから
「なんのこと?」
 オレはあえてとぼけてみせる。
「こんな俺だけに得があるようなこと先輩しませんよね普段、先輩が勝ったら俺になにして欲しいんですか? バスケ部に戻るのやっぱ無しとか、自分のこと諦めろとか一一」
「スモールフォアードの席を返しえもらう」
「っ……」
 おふざけ無しのオレの返事に咲山は強く息を飲んだ。
 まるでオレが自分に利があることしかやらないみたいに言われたことは少しだけ癪だったけど実際のことだからわざわざ否定したりはしない。
 そういうところもモテない理由なんだろうなー。
 もうモテるとかモテないとか今ではどうでもいいけど。
「なんて、冗談だよ冗談、その席はちゃんと自分の実力で返してもらうわ、しばらくは預けっぱになると思うけど、これはただ、お前のプレイ見てたらやってみたくなっただけ、それじゃあダメか?」
 緊張した空気が流れるなかオレは一度ボールを地面に弾ませて、それから本当のことを口にする。
 こんなもので勝ってエースの座を返してもらっても別に嬉しくない。
 だから、自分の実力でそれは奪い返す。
 といっても流石に怪我もブランクもあるからしばらく預けっぱなしになる未来は確定だと思うけど。
「……全然、ダメじゃないですよ、受けて立ちます」
「あー、でもせっかく何かして欲しいことって言われたんならなんかしてもらおうかなー、例えば、オレが卒業するまでパシりとかー」
 咲山がやる気になって構えた瞬間にまた場の空気を乱すようにそんな軽口を叩く。
 前ももったいないことに使うと思ったくらいだしせっかく言うことを聞いてもらえるなら色々と高校生最後の学生生活も捗るってもんだ。
 パシりになってもらえればあのめちゃくちゃに混む購買に授業終わりに走り込む必要もなくなるわけで。
「先輩……」
 そんなオレの提案に明らかに咲山は呆れたような表情を浮かべるけど
「恋人関係のイニシアチブをオレがもらう、とか」
 オレ的には存分に呆れてもらって結構だった。
 だって、こんな風に茶化さないこんな言葉のひとつさえ口に出せないのだから。
「っ……は、え、せ、先輩っ……?」
「なんかこの間お前が上みたいなムーヴかましてたろ? あれが地味にムカついたんだわ、オレのほうが先輩なのにって一一」
「いやいやいや、待ってください先輩!」
 オレが勢いのままに続けていれば咲山が割り込んできて無理やり黙らせられる。
「は? 何? 早くやって戻らねぇといけねぇんじゃねぇの?」
 咲山からすればこの1on1をとっとと終わらせて皆の元に戻らないといけないはずだし、なんならこれ以上突っ込まれるのはこっちとしても気まずい。
「いや、その、な、なんで俺と先輩が付き合う……みたいな流れになってるのかなって」
「はぁ? お前もうオレのこと好きじゃねぇの?」
 珍しくおどおどしてる咲山の台詞にオレは噛みつく。
 珍しい咲山を見れたのは今のオレとしては役得だけどこれでもう好きじゃありませんとか言われたらマジで居たたまれねぇ痛い奴じゃんオレ。
「いや! 好、好きですけど……」
「じゃあいいじゃん」
 咲山の肯定に軽く安堵しながら笑ってもう一度ボールを弾ませる。
 手にバスケットボール持ってるとどうしても手慰みにしてしまう癖は今でも全く直ってなくて笑える。
 まぁ、怪我してからも一人でボールは弄ってたけど。
「いやだから、先輩の気持ちは……」
「オレも好きだよ、お前のこと、ちゃんとそういう意味で」
 咲山はずっとモゴモゴと続けてるけど流石にここで決めないのは先輩として威厳を保てない。
 だから、オレは出来るだけ自然体に自分の気持ちを伝えた。
「……は?」
「なんだよその反応ー、心外だわー」
 オレは咲山の反応を見てわざと拗ねたように振るまって見せる。
 内心はコイツでもこんな間の抜けた顔することあるんだって楽しんでたけど、それは内緒。
「え、待ってください……いつからですか?」
 咲山は軽く頭を抱えて考えこみながらそんなことを聞いてくる。
「さっき」
「さっき……」
 さっき、即答でそう返せば咲山はあからさまに怪訝そうな顔をしてその台詞を復唱する。
「悪りぃ冗談だって」
 実際にはそこまで冗談ってことではないけど今の言い方はわざとだった。
 出会った最初の頃は表情は乏しいし天然だし、人の話を聞いてないし、口数も多くないしでコイツの考えとかを読むのは至難の技だと思ってたけど実際に一緒の時を過ごしてみればコイツの顔は口ほどに物を言うって奴だった。
 嬉しい時も、悲しい時も、驚いた時も、その瞳はよく感情を写し出す。
 だから、わざとからかってやりたくなってしまう。
「多分だけど、お前の家に誘ってくれた時ぐらいから意識はしてたんじゃねぇかな、でもちゃんと意識したのは本当にさっき、お前のスリーポイント見て、綺麗だなって思った、だからお前がまだオレのことちゃんと好きなら付き合ってよ、ダメか?」
 最初に告白されたときは全く意にも介してなかった。
 別に同姓に告白することにたいする差別とかとなかったけどあのときのオレはバスケにたいする気持ちをずっと引きずってて、だから誰とも付き合ったりする気なんてなかった。
 相手が男でも女でも。
 だから断った。
 オレん家で押し倒された時もその無駄に整った顔面のせいでドキドキはしたけどあれも恋だったわけじゃないと思う。
 だけど、咲山の家にお邪魔してスクラップ帳の中身が誰か分からなくてイライラしたときには多分落ちてた。
 そしてさっきのスリーポイントが最後の決め手。
 オレながら流石に分かりやすすぎるし気持ちの移り変わり激しすぎるし単純だって思うけど、オレはあそこまで綺麗なスリーポイントシュートのブザービーターを見たことはなかったし、これから先もあの瞬間を越えることはないだろう。
 後は、やっぱり先輩なら告白はオレからしたかったし、ちょうどいい。
「……ダメなわけ、ないじゃないですか」
 咲山はそれだけ呟くと目尻を強く腕で擦った。
 もしかしたら泣いてたんかもしれないけど、それに突っ込むほどオレは野暮じゃなかった。
「よーし、分かったら位置につけー、始めるぞ、で、お前が勝ったらなにして欲しい?」
 そんな咲山に聞き返しながら場を仕切って、オレは自分のスタート地点に両足をつく。
「……じゃあ、してもらいますよ、エロイこと」
 そして咲山もオレの前に立つと今度は笑顔でそんなことをのたまって見せた。
「はぁ? そういうのは無しなんじゃねぇのかお前」
 咲山はことあるごとにそういう感情をこういう賭けに使うことしないって言ってた癖に途端に自分の欲に忠実になるからこっちは焦ってボールを取り落とすとこだった。
「確かに先輩後輩だったらだめですけど、相手が恋人ならいいですよね、別に」
「……はっ、お前しっかりむっつりじゃねーか、良いぜ、乗ってやるよその賭け、じゃ、始めるか!」
 恋人になった瞬間欲を解放するとか充分にむっつり過ぎて笑いそうになるけど、流石にこれ以上バスケ部の奴らを待たせるのも申し訳ない、だから話はここまでにしてオレはカチリとスイッチを入れた。
「……いつでもどうぞ」

 1on1、1点取れるか止められるかのたった十秒間のショットクロック。
 それだけのはずなのに額に滲んだ汗はあの日バスケゲームをした時の比ではない。
 あのゲームは1分間、今回は十秒間。
 それなのに、全然体感時間は今のほうが永く感じる。
 ディフェンスをされる刺さるような緊張感は久しく感じてなかった感覚だ。
 咲山日向。
 コイツはオレの動きをよく知ってる。
 だからきっと小手先だけのフェイントなんて通用しない。
 フィジカルも完璧に負けてる。
 三十センチはあるだろう身長差にブランク。
 真正面から突破するのは難しい。
 でも、オレのバスケをするなら、ここは真っ向から抜く。
 軽いシフティングから動き始めてそのままヘジテーションに移行する。
「……くっ」
 バスケは身体が大きいだけが取り柄じゃない、小柄なら小柄なみにスピードで相手の身体の間を抜けばいい。
 一瞬の隙、咲山を抜けたオレはそのままのスピードでボールを持ったままジャンプする。
 ゴール下、狙うシュートはひとつだけ。
 バスケの花形みたいな技で、一番かっこよくて目立つやつ。
 オレの一番好きな技で、そのせいでバスケが出来なくなった要因でもある。
 その時から考えれば、怪我が治ってから初めて、打った。
 ガコンッ!!
 オレの手はゴールリンクにしっかり届いてボールは叩きつけられるみたいにゴールをくぐった。

「はぁっ……」
 バスケットボールがダムダムと音を立てて地面を転がるその音で現実世界に引き戻されて、自ずと止めていた息をぐっと吐き出した。
「負けたっ……くっそ……先輩ヘジテーション得意じゃないって言ってたじゃないですか……」
 咲山は悔しいって気持ちを隠すこともせずに地面に思い切り尻をつくと恨めしげにこちらを睨む。
「そうだったかー? もう覚えてねえなぁんな昔のこと」
 オレはおどけながら拾ったボールをもう一度放ってゴールネットを揺らす。
 確かにヘジテーションは得意じゃないけど咲山に教えてくれと乞われた後に充分に練習はした。
 仮にも教える立場に立つ以上は苦手だなんだなんて言っている場合じゃない。
 ちゃんと噛み砕いて、飲み込んで、自分のなかで理解して動けるようになってからしか教える資格はない。
 っていうかコイツ多分あの時からオレとの1on1のことを考えていたのかもしれないな、なんて思ったりもするけど。
「……次は負けませんから」
「オレも次も負けないけどな」
 咲山の宣戦布告にオレは笑ってそう返す。
 この先オレがバスケ部に戻れば1on1をする機会なんて山のようにある。
 コイツの腕なら苦渋を舐めさせられる時もそう遠くないだろうけど今は、先輩ぶらせてもらうことにする。
「さてと、戻る前にお前にはツケを払ってもらわねぇとなー」
 オレはにやにやと自分でも自覚している嫌な笑顔で咲山の前に屈みこんで声をかける。
「……何でもどうぞ、今さら悪あがきしても仕方ないですから」
「じゃあひとつ、お前これからオレのことちゃんと名前で呼べよ」
 オレからどんなお願いをされると思ってんのか知らないけど覚悟を決めた様子の咲山に、オレは最初から決めてたお願いを告げる。
「……は?」
「んだよその顔、どんな命令されると思ってたんだよ、恋人ならちゃんと名前で呼んでくれよ、夜市ってちゃんとした名前があんだから」
 それを伝えきるとオレはほらー、とか早くーなんてわざと煽る。
 コイツ今までオレのこと名字ですら読んだことのないヘタレだから多分出来ないけど、まぁぐうの音をあげたら慰めるくらいはしてやってもいいかもしれないな、なんてたかをくくって
「……い」
「どうした? 聞こえないなぁー」
 ボソボソと何か呟いた咲山をさらに煽った。
 瞬間そのでかい手で襟首を掴まれて引き寄せられる。
 この前一度襟首を掴みあげられたことはあったけど、あの時とは全く違う優しい掴みかただった。
「夜市先輩、打ち上げ終わったら覚悟しててくださいね」
 そしてしっかりとオレの瞳を射貫いて名前を呼ぶと少しずつ顔を近付けてくる。
「っ……」
 喰われる、そう思って強く目を瞑り結んだけど暖かい感触が押し付けられたのはオレの癖の強い跳ねた髪の毛にだった。
「分かりましたか?」
 チラッと目蓋を持ち上げて目の前を確認してみれば既に咲山の顔は離れていて、その見下すような瞳に撫で上げられたように背中がゾクゾクと粟立つ。
「……お、おうー、分か、りました」
「それじゃ俺行きますね、次のウィンターカップの打ち上げは先輩も一緒ですから」
 オレが尻餅をついて情けない声をあげたのを満足そうに見止めると咲山はそれだけ言って試合会場のほうへ走って行ってしまった。
「……勝てねぇー、くそー」
 やられっぱなしは性に合わない。
 だからやり返してやろうと思ったのに最後には一枚上手を行かれる始末。
 誰もいなくなったバスケコートのなかでひとりボヤきながらこの先いつも先手を取られる未来を想像して、久しぶりに明るい気持ちで空を見上げた。

 インターハイを終えて、オレは無事にバスケ部に復帰することになった。
 顧問の先生からは一時の感情で馬鹿なことするなって退部届けを押し返された。
 久しぶりにちゃんと顔を合わせた部員達はいろんな感情を見せてくれたけど、誰もオレの復帰に文句をつける奴はいなかった、今までのオレの対応にも。
 本当に周りの環境に恵まれてたんだなって今ならすぐに分かるのに、前までのオレはそんなことすら気付けなかったらしい。
「おーい、遅いぞ日向ー、もうオレ終わるけど?」
 オレは一通りアップが終わって咲山に声をかけた。
 そんなオレの横で日向はまだスクワットを続けていて
「夜市先輩の体力がバケモンなんですよ……もう俺も終わりますからっ……」
 まだしばらくアップは終わりそうにない。
 部の練習にまたついていくのに意外と時間はかからなかった。
 部活に顔を出していない間も部活内でやる以上の自主練は欠かさなかったし体力はそこまてま落ちていないようで、まだ足をそこまで酷使することは出来ないけど何とかついていける、そんな感じ。
 アップにかかる時間も前までとそこまで変わらない。
 日向が言うように怪我をする前の現役の時から体力には自信があったし、自分としてはまぁ、少しだけ遅くなった感じはするけど。
 とはいってもすべての練習に復帰前くらいついていけているかといえばそうではなかった。
 特に部員同士での連携とかそういうのは全然で、完全に復帰するまでにはまだ時間はかかるだろう。
「っていってまだ終わらなそうなんだよなー、おい、オレもう一周行ってくるわ」
 オレは日向のストレッチがまだまだ終わらなそうなのを確認すると空いた時間でもう一度走り込みをするためにそのままの勢いで体育館の扉に手をかける。
「復帰してそんなに日も経ってないんだからあんまり無理するなよー」
 そんなオレにちょっと離れたところでストレッチをしていたチームメイトが声をかけてくる。
 ほとんどのチームメイトはオレが復帰してから無理をしようとするとこうしてちゃんと止めようとしてくれるからオーバーワークにならずに済んでいるというところは多分あると思う。
「おー、んじゃ日向もそれ終わったらオレについてこいよー」
 オレはチームメイトに軽く手をあげて声を返すと日向に向き直ってもう一度声をかける。
「は!? 俺もう無理って……聞いてますか?」
「さぁ? 蚊の鳴くような声過ぎて聞こえなかったわー、んじゃ」
 日向からはすぐに根をあげる声が漏れたけど、それは軽く流してそのまま体育館を飛び出した。

 体育館を出て少し、ランニングコースになっている校舎裏で壁に背中を預けて休憩していればしばらくして日向が合流する。
「……あれ、夜市先輩まだ待っててくれたんですか?」
「……せっかくなら一緒に走ろうと思って」 
 不思議そうに聞いてくる日向にオレはそれだけ返す。
 これでも体力バカなんて呼ばれてるくらいだから別に疲れて休んでたわけじゃない。
 ただせっかくこんな晴れた日に外を走るなら日向と一緒がいい、そう思っただけだ。
 別に少し寂しかったとかそういうわけじゃない、断じて違う。
「なんだ、誘ってくれてたんですね、相変わらずかわいい人ですね」
 それだけの言葉で全てを察してしまったムカつくほどにオレにたいする理解度の高い後輩兼恋人は嬉しそうに笑ってそう言うとオレに並ぶように壁に背中を持たれかける。
「るせぇな、悪いかよ」
 恋人なんて出来たのはこの短い人生の中で初めてで、柄にもなく浮かれているけどそれを日向に面と向かって伝える気は一切ない。
 まぁ言わなくてもきっとバレてるし、それをたまに匂わして来てそれが軽く癪に障るのも事実なんだけど、ちょっと嬉しいなんて思ってしまう自分がいることもまた事実だった。
「悪いなんて一言も言ってないじゃないですか、そんな機嫌悪くならないでくださいよ」
 日向は言いながらオレの頬を軽く指で撫でる。
 日向は付き合う前からよくオレに触れてきてたけど付き合い出してからスキンシップはさらに増えた。
 最初のほうは触られる度に軽く切れたり払ったりしてたけど今では慣れてきて、でかくてガサガサしたスポーツをする奴って感じの手が触れると少しだけ心地いい。
「…今日、部活終わったらオレん家来る?」
 オレは撫でられるままに少しだけ手に頬を刷り寄せて日向に提案する。
「それ、ちゃんと意味分かって言ってますか?」
「んなもんちゃんと分かって言ってるに決まってんだろ、もうただの先輩後輩じゃねーんだから」
 自分を家に呼ぶのは気を付けたほうがいい、そう言われたこともあったけど今では恋人同士だから別に憚ることなんて何一つない。
「それなら、お邪魔させてもらいますね、夜市先輩の恋人として」
 日向はにこりと少しだけ笑んで、それから釘を指すようにそう言ってオレの頬から手を離す。
「……コイツ、オレん家のエロ本全部捨てろとかこんな重い奴だと思わんかったわ」
 付き合い出してまず日向がオレに求めたのはそういうエロ系の物を全部捨てることだった。
 最初のほうこそ断っていたが日向があまりにも何度も、強く迫ってくるからそういうのは全部処分した。
 お気に入りもあったのにそれを残すことも許されず、泣く泣く捨てた。
 日向と付き合っていることは周りには言ってないけど恋人としてとかそういう台詞を日向は好んでよく口に出す。
 色々と冷めた奴だと思ってたからここまで重い奴だったのは少し意外だった。
 まぁ、スクラップ帳のこととか解釈違いで詰め寄られたこととかもあるから湿度が高そうだなとは思ってたけど。
「何か、言いましたか?」
「……いえ、何も」
 日向の軽い圧にオレは首を軽く横に振る。
 軽く190を越えるぐらいにでかいオレの恋人の圧はすごくてなかなか抗うことが出来なくて、先輩としての風格なんてどこ吹く風だ。
「それじゃあ早くノルマ終わらせちゃいましょうか」
 オレの反応を見た日向は満足そうにそれだけ言うと壁から背中を離す。
「オレはもう終わってんだよバーカ!」
 苦し紛れにオレは小学生みたいな罵倒を日向に投げつけて、そのまま日向を置いて走り出した。
 もう待ってって言っても待ってやらないからな。
 怪我したときは、オレの全てが終わったような気がした。
 これから先の未来を一体何を目的に生きればいいのか分からなくなった。
 そんな折に現れた咲山日向っていう一年生のホープは余計にオレの気持ちを暗くさせた……はずだったのに、今ではオレの心を一番支えてくれる相手になった。
 バスケの舞台にまた引き上げてくれたのもコイツなんだから人生何があるのか分からない。
 日向の隣にただいて、先輩風吹かせながら恋人として適度に甘えて、バスケの舞台に立てば今度はチームメイトにもライバルになる。
 これからもオレはきっと、日向とこんな関係を続けていくんだと思う。
 ただ、心地いいそんな関係を。
 目を瞑れば今でも鮮明に思い出すことが出来る。
 日向が決めたスリーポイントシュートと、体育館に鳴り響いたブザービーターの音を。
 人生は永いし、もしかしたらまた見れるかもしれないと思うとそれだけで少しだけ、心が弾むんだからいつでもオレは単純だ。

「あっ、ちょっと、本当にあの人体力オバケだな……」
 俺が止めようとしたときには既に夜市先輩は彼方遠くに走り去ってしまった後だった。
 まだ復帰してそんなに経たないのに近くで見ていると夜市先輩のスタミナには驚かされることばかりだ。
「……どうせ今回もダメなんだろうな」
 夜市先輩の後を追いかけるだけの体力は俺にはもう残っていなくて歩いて追いかけることにして歩きながらひとりでボヤく。
 分かって言っているに決まっている、夜市先輩はそう言ったけど今のところキスより先に進めたことは一回もない。
 唇にキスを出来たのだって最近やっとのことで全然それ以上先に進めるような気配はなかった。
 夜市先輩が確かにそういうのに夢を見ている気配は付き合う前から察していたけどまさかここまでうぶだとは思っていなかったから俺としては困ったことだ。
「……」
 ふと、昔のことが頭をよぎる。
 俺が夜市先輩のことを知ったのは本当に偶然だった。
 身体が少しずつ動かせるようになってきてから行ったひとつのバスケの学生試合。
 小学生のやる試合だからそこまで大きな盛り上がりがあるわけでもないそれのなかに俺は見つけてしまった。
 誰よりも楽しそうにプレイをして、小学生の体躯でありながらゴールがたわむほどのダンクをするその人を。
 多分、憧れってよりは一目惚れに近かったと思う。
 俺が小学生の頃には同性愛とかにたいする差別とかそういうものも大分なくなっていたし俺も相手が男とかそういうのは少しも気にならなかった。
 ただかっこよくて、少しでもあの人に近付きたい、そういう思いが先行して他のことなんてどうでもよかった。
 それから俺はバスケを始めて、最初の頃は怪我も多いし慣れない運動で寝込んだりもしたけどそれでも俺はバスケを辞めようとは一回も思わなかった。
 夜市先輩は市内では有名なジュニアプレイヤーだったから雑誌とか新聞に載ることも多くて俺はその度にその記事を擦りきれるほどに読み込んではスクラップ帳にスクラップしていった。
 まさかそれが本人に見られることになるとは1ミリも思ってなかったけど。
 あのときは本当に焦った。
 なんならまだエロ本見られたほうがマシなくらい。
 そもそも俺本当にエロ本とかそういうのは持ってなかったんだけど。
 まぁ、結果としてはそのお陰で夜市先輩の抱えていたいろいろなものを知れたから少しだけ感謝もしてはいる。
 中学三年生の冬、夜市先輩は怪我をした。
 俺はその瞬間を応援席から見ていた。
 いつもみたいにかっこいいダンクを決めて、瞬間試合終了のブザーが鳴って、ダンクシュートによるブザービーターに会場は湧いた。
 だけど先輩は着地後にそのままぐらりと体勢を崩してバスケットコートに倒れこんだ。
 すぐに会場内は騒然として、救急車が呼ばれて夜市先輩は運ばれていったけど、その間俺は少しも動くことが出来なかった。
 ひとりで来ていたから誰にも声をかけられることもなく、気付いたら他の観客はほとんどいなくなっていて、そのまま俺は帰宅した、多分。
 多分っていうのは、そのときの記憶がほとんどないから断言出来ないってことだ、気付いたら会場じゃなくて自分の部屋にいて、ただボケーっとベットに座ってた。
 夜市先輩の怪我は大々的にニュースとか新聞で取り上げられた。
 未来を約束された高校生名プレイヤーウィンターカップで大怪我、そんな売り文句が紙面には並んだ。
 本人の気持ちなんて少しも汲んでいないような記事だってあった。
 そして、世間がそれに触れなくなってきた頃に俺はやっと夜市先輩と同じ高校に入学した。
 だけど、バスケ部の体験入部に行くとそこに夜市先輩の姿はなくて、俺は他の先輩に聞いた。
 退部届けを出した、その答えを聞いて冷や汗が伝った、だけどすぐに顧問の先生がそれを受理していないと言って笑ったから、少しだけ安堵した自分がいた。
 それから、俺は何度か夜市先輩を見かける度に声をかけようと思って、思いとどまる、そんな日々を過ごしていた。
 俺からなんて声をかければいいのか分からなかったから、荒んだ夜市先輩にファンですなんて言えないし、なんなら恋心を抱いてますなんて言えるはずもない。
 だけど、先輩と話す機会は思わぬ形で舞い降りてきた。
 練習試合の終了のブザー音が鳴って、ふと体育館の入り口のほうに視線を向けるとそこには夜市先輩がボーッと立ちすくんでいた。
 俺とカチリと目がかち合うと夜市先輩はすぐにいなくなってしまって、俺は他のチームメイトに声をかけられるのも無視して後を追った。
 俺に指導してほしい、今考えてもなんてこと言ってんだって思うけど、結果としてはそれが良いほうに転がって、夜市先輩にバスケの指導をしてもらうなんていう最高の立ち位置を手に入れていた。
 それで満足してたはずなのに気付いたら俺はもっと欲張りになっていた。
 しばらくした頃には先輩と後輩という間柄では満足出来なくなっていた。
 自分の気持ちに素直になって告白して、フラれて、もっと落ち込むと思っていたけど自分で思っていたよりと落ち込むことはなかった。
 なんか、まぁそうだよなって感じしかしなくて、でもいずれ落としてやるって宣言して、自分の夜市先輩に向けている感情がどれだけ大きなものなのかそこで自分でもよく理解した。
 それで、決めた。
 何があっても、何をしてでも夜市先輩をまた、バスケットボールの舞台に立たせてみせると。
 そして、一緒のコートでいずれ肩を並べてプレイする、そのためなら嫌われたって構わない、それぐらいの意気込みだった。
 俺の家で夜市先輩が自分の心が折れた理由のひとつに俺のことをあげた時は、内心焦った。
 だって、大好きな夜市先輩のバスケを奪った要因に自分がいるなんて、耐えられなかったから。
 それでも俺が自己嫌悪に走る間もなく夜市先輩は立ち上がって、自分から前に進む道を選んでた。
 だからきっと、俺が変に首を突っ込まなくてもいずれ夜市先輩は自分だけの力で立ち上がってたんじゃないかと思う。
 夜市先輩は俺のおかげでまたバスケが出来てるって言っていつも笑う。
 でもしばらくは落ち込んでたかもしれないけど、それくらいで全てを投げうるような人じゃないから。
 自分のなかで噛み砕いて、飲み込んで、いつかまたバスケットボールのコートに戻ってきていた。
 それが少し早まっただけの話で、だから俺にそんな風に感謝する必要はない、そう思うけど、夜市先輩が俺に向けてくれるその屈託のない笑顔が好きだから言い出せずにいる。
 そしてこれからもきっと言葉にすることはないと思う。
 夜市先輩のことだから気付いている可能性だって普通にあるけど。
 インターハイの時は心臓が飛び出て落ちてしまうんじゃないかってくらいには緊張した。
 もちろん純粋に緊張してたっていうのもあるけど、俺の心のなかの大半を占めていたのは夜市先輩との約束だった。
 俺たちが勝たなければ夜市先輩が戻ってくる言い分けを作ってあげることが出来なくなる。
 あの人無駄にプライドが高いから、こういう方法じゃないとなかなか輪のなかに戻ってきてくれようとはしない。 
 もつれ込んだオーバータイムのなかで放ったスリーポイントシュート、少しずれた体幹のなか放ったそれ。
 外したと思った。
 だけど、放ったボールはブザーの音といっしょにリングに吸い込まれていった。
 奇しくもあのときの先輩と同じブザービーター、心が跳ねて、チームメイトとハイタッチしてそのままの勢いで応援席の夜市先輩のほうへ顔を向けた。
 そうしたら、まるで今のシュートが決まることを知っていたような顔で、俺のスリーポイントシュートを信用しているような顔で、こっちを見ていて、そんな顔を向けられたら自ずと俺も笑ってた。
 それからいろいろ大会は進んでいって、夜市先輩は当たり前のように俺の手をひいて外の、どこかの公園に併設されたバスケコートに連れていって1on1を挑んできた。
 挑発を挑発で返された時はやられたって思った。
 やられっぱなしで終わる人だとは思ってなかったけどまさかここでそれをしてくるとは思わなかったし、好き云々江陵もここで出してくるとは思ってもみなかった。
 永遠の憧れの人、夜市先輩との1on1ははっきり言ってさっきのインターハイ決勝戦より緊張した。
 攻めに回った先輩のプレッシャーはすごくて、構えた手がブルブルと震えた。
 先輩の決め手はヘジテーションだったことにはこれもやられたと思った。
 先輩はヘジテーションはそんなに得意じゃないって言ってたし、こんなバカみたいにでかい俺に向かって真っ向から勝負を挑んでくるとも思ってなかったから。
 先輩のバスケスタイルは知ってたけど復帰戦みたいなものでそれを貫くと思ってなかった俺の惨敗だった。
 夜市先輩に勝てるなんてほとんど思ってなかったし、なんならこれから永遠に勝てる未来なんて来ないとすら考えていた、はずだったのに。
 夜市先輩がダンクシュートを決めた瞬間夜市先輩のダンクのかっこよさを再認すると同時に言い様のない悔しさが身体中から込み上げてきた。
 憧れの夜市先輩に、バスケ選手に、次は負けないなんて気がついたら言い放っていたくらいには、多分悔しかったんだと思う。
 そして、夜市先輩の次も勝つっていう勝ち気な宣言は、とても夜市先輩らしいと思った。
 こういう賭けを引き合いにしないと恋人相手に名前呼びを頼めない辺りはさすがというかなんというか、夜市先輩らしいなとは思ったけど。
 そうして夜市先輩はバスケ部に戻ってきて、今はほとんど毎日夜市先輩と切磋琢磨しながらバスケの練習をしている。
 残念ながら今のところ1on1で勝てたことは一度もない。
 この人本当に怪我して休んでたのか、ってくらいにはブランクを感じさせない動きでいつも翻弄されている。
 でも本人は動きに満足いっていないって言って憚らない辺りはさすがというかなんというか、それでこそ俺の憧れた夜市先輩っていう感じはするけど、無理して怪我がまた悪化しないかだけが最近の心配事だったりする。
 はっきり言ってストイック過ぎるしいつまた身体を壊してもおかしくないから少しだけほどほどにしてほしいとも恋人としては思ったりするのは仕方ないと思うけど。
 今度試合形式の練習があるからそのときは本気でぶつかり合いたいと思う自分もいるから本当に感情っていうのは厄介すぎて困ってしまう。
 もし同じチームになったらずっと夢だった夜市先輩との共闘も叶ってしまうしこんなに恵まれていると根がネガティブなだけに少しだけ不安っていう感情が顔を出すのもまた事実だった。
「おーい、日向! そろそろ練習始まるぞー、いつまでも休憩してないでとっとと戻ってこいー」
「あ、はい!」
 ふと、過去回想みたいなことを頭のなかでしてしまっていれば思っていたよりも時間が経っていたようで夜市先輩が呼びに戻ってくる。
 俺は反射的に返事をして、そのまま重たい足を持ち上げて走り出す。
 っていうか夜市先輩一回体育館戻ってからここまで走ってきたのかな。
 多分そういうことなんだろうけど全然息切れてないし本当にバケモンみたいな体力してる。
「なんつー顔してんだよ、オレみたいなイケイケのバスケ部エースが彼氏なんだぞ、もっと喜べよ、ああ?」
 しかもそんな状況ですら俺の少しの感情の変化を察してそんな声をかけてくるんだからどこまでもすごい人だと思う。
「……どっちかって言ったら俺からすると彼女なんですけど」
 夜市先輩はイニシアチブの話になると絶対にマウントを取ろうとするけど俺からしたら夜市先輩は絶対に彼女側の想像しか出来ない。
「まだそうって決まったわけじゃねぇだろ、いいからとっとと戻ってこい、この後のお家デートに支障きたすぞー?」
 夜市先輩は多分本気で言ってるんだろうけどそれって多分フリにしかならないと思う。
 夜市先輩のあの感じで彼氏は無理だしその立ち位置を譲る気は残念ながら今のところ全くない。
「相変わらずですね、夜市先輩は」
「バカにしてんのか?」
 俺の言葉をどう受け取ったのか夜市先輩は軽く切れて詰めてくるけど
「褒めてるんですよ」
 言葉の通り俺からすればそれは褒めているに他ならない。
 だってほら、今の会話だけで少しだけ顔を出した昔の俺をどこかへ放り捨ててしまうんだから、この人は本当にすごい人だ。
「……そうは聞こえねぇんだよな、とりあえずとっとと始めるぞ!」
 夜市先輩はそれだけ言うと一足先に体育館の中に姿を消す。
「はい!」
 俺はそんな夜市先輩に返事をしながら後を追って体育館の中に入る。
 今、目標を叶えてこうして憧れの選手と軽口を叩きあいながら練習して、スタメンを争って、それどころか恋人として一緒の時間を過ごしているなんてもし昔の自分に会うことがあって教えたとしてもきっと信じないんだろうな。
 動かなければ憧れはずっと憧れのままで終わっていたかもしれない。
 もしかしたらいずれいろいろなものが崩れ落ちてこんなことなら遠い存在のままで良いとさえ思うことがあるかもしれない。
 それはすぐか、ずっと先のことか、分からないけれど可能性はゼロではない。
 でも俺は動いたことを後悔しない。
 夜市先輩がまたバスケをしてくれるだけで俺の全てが報われるから。
 それほどまでにあの日見たブザービーターはかっこよくて、俺の心を掴んで、離そうとはしない。
 いずれまた、もしかしたら見れるかもしれないその光景に胸を馳せて、今日も俺はボールを投げる。