窓の外の雪は、俺の心の混乱を嘲笑うかのように、風に吹かれて踊っているようだった。
非常階段での騒動の後、俺はアイさんを先に帰らせた。俺のアパートの予備の鍵を渡して――今思えば、ひどく軽率な行動だったかもしれない。
だが、腫らした彼女の目を見てしまった以上、あんなに脆い精神状態で外を彷徨わせるわけにはいかなかった。
学校の正門に向かって歩き出そうとしたその時、ある声が俺を呼び止めた。
「荒木くん」
明日香だった。彼女は廊下の柱のそばに立っていた。隣に悟の姿はない。それは、とても珍しいことだった。
「少し、話せる?」
俺はため息をついた。口から白い吐息が漏れる。「さっきの階段でのことなら――」
「それだけのことじゃないわ」彼女は優しく、けれど拒絶を許さないトーンで遮った。
「あなたが変わろうとしていることについてよ。私の知っている荒木くんは、赤の他人のためにこんな大きなリスクを冒すような人じゃなかった。だから……教えて。今のあなたにとって、彼女は本当に『他人』なの?」
俺は絶句した。 放課後の廊下の静寂が、重くのしかかる。明日香は聡明だ。指導室でついた俺の安っぽい嘘なんて、彼女には通用しない。
「そ、そういうわけじゃない! 彼女には帰る場所がないんだ、明日香」俺は正直に答えた。声が少し掠れている。「知ってるだろ? 五木さんの噂。悟が話してたあの噂……あんなの全部ゴミだ。彼女はただ、一人で必死に戦ってるだけの女の子なんだ」
明日香は、俺の思考を読み取ろうとするかのように長い間見つめていた。やがて、彼女は深くため息をつくと、微かに微笑んだ。
「ふふっ……あなたらしいわね。その退屈そうな顔の裏に、いつもヒーローみたいな一面を隠してるんだから」明日香は近づき、俺の肩を叩いた。
「とりあえず、悟には言わないでおいてあげる。あいつは騒がしすぎるし、余計に事態をややこしくしそうだから。でも覚えておいて、荒木くん……永遠に隠し通すことはできないわよ」
「分かっている」
「それともう一つ」明日香は去り際に振り返った。「明日、もし彼女がメイクをせずに学校に来たら……必ずそばにいてあげなさい。世界は、偽物の五木アイよりも、本物の五木アイに対してずっと残酷になるはずだから」
***
その夜、アパートに着いた俺を待っていたのは、予想だにしない光景だった。
リビングの明かりが煌々と点いている。食卓の上には、まだ湯気を立てているカレーライスの皿が並んでいた。そして、そこにある俺の小さな椅子で、アイさんがテーブルに突っ伏して眠っていた。
彼女の顔は、完全に素顔だった。
滲んだマスカラも、厚いファンデーションもない。ただ青白い肌と、頬にわずかな赤みが差しているだけだ。ひどく疲れているようだが、その表情は学校にいた時よりもずっと穏やかだった。
俺は毛布をかけてやろうと近づいた。だが、肩に触れようとした瞬間に彼女は目を覚ました。
「あ……荒木くん! おかえりなさい!」彼女は弾かれたように立ち上がり、乱れた金髪を慌てて整えようとした。
「ごめん、私……勝手にキッチンの材料使ってカレー作っちゃった。少しでも、お礼がしたくて……」
「いい匂いだ」俺はマフラーを外しながら言った。「ありがとう、アイさん」
俺たちは沈黙の中で食事をしたが、その静寂は決して気まずいものではなかった。それは……心地よかった。
「荒木くん」彼女が唐突に呼んだ。スプーンで皿の上の人参を突っついている。
「さっき階段で言ってたこと……もう厚化粧はしなくていいって。あれ、本気?」俺は彼女を真っ直ぐに見つめた。
「本気だ。君はありのままで綺麗だよ、アイさん。大切にされるために仮面なんて必要ない」アイさんは少しの間黙り込み、それから深く息を吸い込んだ。
「だ、だったら……明日、やってみる。私……私自身として、学校に行ってみる」
スプーンを持つ彼女の手が震えていた。それが彼女にとって、どれほど重い決断であるかは分かっていた。
メイクをしないということは、今まで世界から自分を守ってきた「防具」を脱ぎ捨てるということだ。
「心配するな、アイさん。俺がそばにいる」俺は静かに言った。
「君を一人で立ち向かわせたりはしない」
アイさんは顔を上げ、そして初めて、心からの笑みを浮かべた。挑発的なギャルの笑いではなく、ようやく安らぎを得た一人の少女としての笑顔を。
「……じゃあ、約束、だよ?」
「ああ、約束だ」
その夜、雪の降る北海道の空の下で、小さな約束が交わされた。明日、学校でさらなる大きなトラブルに巻き込まれるであろうことは分かっていた。
けれど、今の彼女の顔を見た瞬間、どんなリスクも冒す価値があると感じていた。
非常階段での騒動の後、俺はアイさんを先に帰らせた。俺のアパートの予備の鍵を渡して――今思えば、ひどく軽率な行動だったかもしれない。
だが、腫らした彼女の目を見てしまった以上、あんなに脆い精神状態で外を彷徨わせるわけにはいかなかった。
学校の正門に向かって歩き出そうとしたその時、ある声が俺を呼び止めた。
「荒木くん」
明日香だった。彼女は廊下の柱のそばに立っていた。隣に悟の姿はない。それは、とても珍しいことだった。
「少し、話せる?」
俺はため息をついた。口から白い吐息が漏れる。「さっきの階段でのことなら――」
「それだけのことじゃないわ」彼女は優しく、けれど拒絶を許さないトーンで遮った。
「あなたが変わろうとしていることについてよ。私の知っている荒木くんは、赤の他人のためにこんな大きなリスクを冒すような人じゃなかった。だから……教えて。今のあなたにとって、彼女は本当に『他人』なの?」
俺は絶句した。 放課後の廊下の静寂が、重くのしかかる。明日香は聡明だ。指導室でついた俺の安っぽい嘘なんて、彼女には通用しない。
「そ、そういうわけじゃない! 彼女には帰る場所がないんだ、明日香」俺は正直に答えた。声が少し掠れている。「知ってるだろ? 五木さんの噂。悟が話してたあの噂……あんなの全部ゴミだ。彼女はただ、一人で必死に戦ってるだけの女の子なんだ」
明日香は、俺の思考を読み取ろうとするかのように長い間見つめていた。やがて、彼女は深くため息をつくと、微かに微笑んだ。
「ふふっ……あなたらしいわね。その退屈そうな顔の裏に、いつもヒーローみたいな一面を隠してるんだから」明日香は近づき、俺の肩を叩いた。
「とりあえず、悟には言わないでおいてあげる。あいつは騒がしすぎるし、余計に事態をややこしくしそうだから。でも覚えておいて、荒木くん……永遠に隠し通すことはできないわよ」
「分かっている」
「それともう一つ」明日香は去り際に振り返った。「明日、もし彼女がメイクをせずに学校に来たら……必ずそばにいてあげなさい。世界は、偽物の五木アイよりも、本物の五木アイに対してずっと残酷になるはずだから」
***
その夜、アパートに着いた俺を待っていたのは、予想だにしない光景だった。
リビングの明かりが煌々と点いている。食卓の上には、まだ湯気を立てているカレーライスの皿が並んでいた。そして、そこにある俺の小さな椅子で、アイさんがテーブルに突っ伏して眠っていた。
彼女の顔は、完全に素顔だった。
滲んだマスカラも、厚いファンデーションもない。ただ青白い肌と、頬にわずかな赤みが差しているだけだ。ひどく疲れているようだが、その表情は学校にいた時よりもずっと穏やかだった。
俺は毛布をかけてやろうと近づいた。だが、肩に触れようとした瞬間に彼女は目を覚ました。
「あ……荒木くん! おかえりなさい!」彼女は弾かれたように立ち上がり、乱れた金髪を慌てて整えようとした。
「ごめん、私……勝手にキッチンの材料使ってカレー作っちゃった。少しでも、お礼がしたくて……」
「いい匂いだ」俺はマフラーを外しながら言った。「ありがとう、アイさん」
俺たちは沈黙の中で食事をしたが、その静寂は決して気まずいものではなかった。それは……心地よかった。
「荒木くん」彼女が唐突に呼んだ。スプーンで皿の上の人参を突っついている。
「さっき階段で言ってたこと……もう厚化粧はしなくていいって。あれ、本気?」俺は彼女を真っ直ぐに見つめた。
「本気だ。君はありのままで綺麗だよ、アイさん。大切にされるために仮面なんて必要ない」アイさんは少しの間黙り込み、それから深く息を吸い込んだ。
「だ、だったら……明日、やってみる。私……私自身として、学校に行ってみる」
スプーンを持つ彼女の手が震えていた。それが彼女にとって、どれほど重い決断であるかは分かっていた。
メイクをしないということは、今まで世界から自分を守ってきた「防具」を脱ぎ捨てるということだ。
「心配するな、アイさん。俺がそばにいる」俺は静かに言った。
「君を一人で立ち向かわせたりはしない」
アイさんは顔を上げ、そして初めて、心からの笑みを浮かべた。挑発的なギャルの笑いではなく、ようやく安らぎを得た一人の少女としての笑顔を。
「……じゃあ、約束、だよ?」
「ああ、約束だ」
その夜、雪の降る北海道の空の下で、小さな約束が交わされた。明日、学校でさらなる大きなトラブルに巻き込まれるであろうことは分かっていた。
けれど、今の彼女の顔を見た瞬間、どんなリスクも冒す価値があると感じていた。
