あんなに陽を傷つけて、あんなにショックを受けたのに、家にも帰れるし次の日起きられるんだ。そんな自分すらショックで、僕はしばらく布団から動けなかった。
嫌われてしまったのかな。真っ先にそう思った。僕がきっかけで、あんなに陽を傷つけるような発言をされて、すごく苦しかっただろうな。
大学をサボって、ぼーっとスマホを眺めた。大好きなゲームのためにすら体を起こすことが怠くて、ショート動画とか、SNSのおすすめ欄とか、そういうのをただただスワイプして時間を潰したのだった。でもただスワイプしているだけで、全く集中なんてできなかった。
考えていたのは、陽のこと。
初めての会話は、記憶が間違ってなければ、僕からだった。
「あの」
前の席に座っていた、かっこいい男の子に声をかけた。クラスで友達ができるか不安だったから、とにかく近くにいる子なら誰でもよかったのかもしれない。逆に言えば、小学校一年のクラスが違えば会話すらしなかったかもしれない。そんな偶然の出会いだった。
「ぼく、むかいゆうき」
なんの前触れもなく名前を伝えてきた子に対しても、陽は優しかった。
「おれ、みつだよう!」
「ようくん、よろしくね」
「よう、でいいよ!よろしくな、ゆうき!」
先生に「隣の子と話し合ってね」って言われたのに、前後で話し合ったりして怒られたりもしたっけ。席替えの日は泣きそうなくらい悲しくて、陽に「クラスが変わるわけでもないのに」って笑われたっけ。
流石に六年間同じクラスとは行かなかったけど、中学一年の時また同じクラスで、前後の席になった。周りが急に知らない子ばかりで不安だった時、それだけでものすごく安心したのを覚えている。
「優輝一緒のクラス?一年楽しいの確定だわ〜」
陽のそんな一言に、くすぐったくなると同時に、同意した。僕もそう思う。陽が一緒だったら、絶対楽しいって。
そんなことばかり思い出してしまう。絶交を言い渡されたわけでもなく、ただコラボ配信をやめようと言われただけではあった。けれど、僕たちを繋いでいたものを失ったような、そんな感覚だった。共通の趣味も何もないのに毎日笑い合えたあの頃に戻りたかったのだろうか、小さかった頃のことばかり。
文化祭で迷路を作るために二人で近所のスーパーに余っているダンボールをもらいに行ったこと。合唱コンクールのときはパートも違うのに二人で放課後に練習したりもした。定期テスト前は問題を出し合ったりした。そのときも僕がまとめたノートを見せてたっけ。
何もなくてもずっと喋れたのに、今はなんでこんなに不安なんだろう。もう陽との縁が切れてしまいそうな気すらしてきて、涙が出てきた。
うじうじしていても何も始まらない!そう自分に言い聞かせて、陽に何か送ろうとメッセージアプリを立ち上げる。配信に関係ないこと、なんでもいい。そうだ、今日の講義の話でもしよう。
『今日学校行けなくて、ノートとかあったら写真ほしい』
これでいい。これ以上はもうどうしようもない。
あとはせめて、配信を続けよう。陽がもし僕を許してくれることがあったら、またコラボ配信ができるように。
やっと布団を這い出て、寝癖をなおす。気合いを入れようと冷たい水でばしゃばしゃ顔を洗った。いつも通り寝たはずなのに目の下にクマができていて、なんだかんだ眠りが浅くなったりしていたのだろうかと思うと、少しだけ自分を許せる気がした。
配信開始ボタンを押して……いつも通り配信できるはずだった。
「みんな、こん──」
あれ?なんか上手く、声が出ない。丸一日引きこもって、全く声を出さなかったからだろうか。咳払いを一つ、気を取り直して口を開く。
「こんユウキ!……お昼寝してたから、なんか声がうまく出ないや」
そんな言い訳をする。
『こんユウキ!いっぱい寝れてえらい!』
『発声練習とかしてもいいよ〜』
挨拶をしてくれるリスナーさんたちの中に、陽にひどいことを言った人たちの名前を見つける。どうして僕の配信だとこんなに穏やかでいい人たちなのに、陽の配信となった途端に急変するんだろう。かなり疑問だった。例えば女の子だったりしたら、熱愛を疑って……とか、あるのかもだけど。
「ありがとう、ちょっと発声練習しようかな。あめんぼ赤いなあいうえお」
しっかり声を張ろうとしても、やっぱり声が上手く出ない。声を出さなかったからというより、緊張してしまっている時のような、震えがある。
「うーん、今日喉の調子悪いのかな。短めに終わってもいい?」
『悲しいけどいいよ!喉壊して休止とかのほうがツライ』
『風邪とかじゃないといいね』
風邪とかじゃないと思う。体調は良くて、せいぜい一日中布団にいたからちょっと腰が痛いかな、くらい。なのに、なんで声が震えるんだ。
「ありがとう、ごめんね」
みんなと話すのだって、いつもは楽しいのに、今日はなんだか義務感が強くて、うまく楽しめない。喉を言い訳にしてるけど、会話のテンポも悪い。
そんな調子で配信は終わってしまい、また布団に戻るのもなんだかなあ、そういえば何も食べていないなあ、と、近所のスーパーに出かけることにした。スマホを見てみるが、陽からの返信は来ていなかった。お惣菜を買って、食べ終わって、シャワーを浴びても通知は鳴らず、メッセージ画面を開くと、既読だけがついていた。もしかしたら陽も今日は学校に行けなかったのかもしれない。明日会って話そう。大丈夫、大丈夫……そう自分に言い聞かせながら布団を被るけれど、体を動かしていないせいか、眠気は一向に訪れないのであった。
翌日、履修が被ってる講義で陽を見つけたけど、別の友達といて話しかけられなかった。当たり前だけど僕以外にも友達がいるのに、ここ数週間はずっと優先してもらっていたんだから、むしろそれが異常で、今みたいな距離感のほうが普通なんじゃないか、なんて考えすら浮かぶ。そう考えてしまうのも現実逃避なのかな。
お昼休み、一人で学食のテーブルを使ってしまうのが申し訳ない気がして、コンビニでサンドイッチを買って、ベンチを探してフラフラ校内を歩いていたら、一人でいる陽を見つけた。僕は声をかけようと近寄った。
「自分の力……じゃないかもですけど」
しかし、陽は電話をしていたようだった。思わず隠れてしまい、盗み聞きをする形になってしまった。
「このままじゃ嫌なんです」
何が……?誰と話しているんだろう……サンドイッチを握りつぶしてしまいそうなくらい手に力がこもる。
「だから……優輝とは、しばらく距離を置きたいんです」
自分の名前が聞こえて、ぎょ、っとする。
配信でだけ距離を置くのではなくて、実生活でも距離を置きたかったのだろうか。それなのに僕は、コラボ配信をしないだけで友達ではあるからと、メッセージを送ったり声をかけようとしたりしてしまった。
反省と後悔と、悲しさとつらさが一気に押し寄せてきて、僕はとぼとぼとその場を後にした。
サンドイッチは好きな味のものを選んだのに、味がしなかった。
家に帰ってSNSを見たら、話していた相手はどうやらチヒロだったようで、コラボ予告を投稿していた。悲しいことに、それは来週水曜だった。
陽の言った「優輝とは、しばらく距離を置きたいんです」という言葉が、頭の中をぐるぐると回る。しばらくっていつまで?どのくらいの期間?「しばらく 期間」で検索したりしてみたが、かなりケースバイケースらしくて、諦めて画面を消した。
その投稿へのコメント欄は、当然「水曜?ユウキくんとのコラボはどうなるの?」のようなもので溢れていた。
もう、疲れちゃった。配信をしてもうまく声が出ないし、なんだか楽しくないし、陽は他の人とコラボするし、いつまで距離を置けばいいかわかんないし。僕は「しばらく配信を休みます。それに伴い、しばらくヨウとのコラボもおやすみです。告知が遅れてごめんなさい」
しばらく。自分で打ちながら思った。しばらくって言葉を使う時、明確な期間なんて決めていないどころか、無期限というニュアンスすらあると。
配信をしないと決めたら、夜が長かった。好きなだけゲームをできるぞ、と思ったのに、ちっとも楽しくなかった。陽とゲームしたら楽しかったのに。
ああ、そうか。やっと気づいた。僕は陽に依存していたんだ。陽がいないと生きていけないくらい、陽に寄りかかって生きていた。そんなことに、陽がいなくなってから気づいた。今回のコメントの件がなくても、陽からしたら重い存在だったのかもしれない。申し訳なくておかしくなりそうだ。
『いつもコラボしてたんだから、陽からも告知しなよ』って、そんなメッセージを送ろうか悩んで、打っては消して打っては消して、結局やめた。きっと陽の判断で自分でできる。いまの僕は理由をつけてメッセージを送りたいだけで、独りよがりだ。既読だけついた自分のメッセージを眺めているうち、涙が溢れて止まらなくなる。泣いてばかりだ。
また強い無気力感に襲われて、布団にもぞもぞと潜り込む。枕を濡らす、って言葉を始めて実行した。今まで濡らすのは服の袖だった。涙を拭う元気もないから、枕が濡れるんだなって、そんな気づきたくなかったことに気づかされた。
それから一週間くらい大学も配信も休んで、ぼーっとしていた。陽のこと思い出すのが辛くて、新しく買った一人用のゲームをプレイしたりしつつ、お腹が空いたらコンビニと家を往復した。最初は本当に何もやる気が起こらなくて、泣く気力すらなくなって……いつまでもこうなのかなと思ったのに、一週間くらいで元気になってきてしまった。人間の丈夫さと、たいていの問題は時間が解決してくれるということを思い知りながら、久々にSNSを開いた。
なんの因果か、おすすめ欄の一番上に流れてきたのは、陽とチヒロの配信の切り抜きだった。僕はそれをタップする。
『ヨウくん、最近寝不足?』
『……そうなんですよ!最近発売されたゲームが面白くて!』
なんてことないように見える会話。切り抜きの投稿文も『え!ヨウくんもこのゲームしてるんだ!私も買おうかな?』というものだった。
けれど、僕にはすぐに分かった。不自然な間の取り方、少し硬い声、ワンテンポずれた笑うタイミング。休止直前の僕の配信と一緒だった。配信がなんだか怖くて、楽しくなくて、それでもどうにか配信しなきゃって無理をしているときの、僕と。
どうにもできなかった。陽に直接連絡するのもいまは控えたほうがいいだろうし、チヒロに「ヨウのこと気にかけてやってください」なんて送るのも過保護で鬱陶しいだろう。そもそもフォローすらしてないし。
以前感じていた、強すぎる「陽を守らなきゃ」という気持ちは軽くなっていた。自分の依存を自覚できたのと、単純に時間を置けたのと。だけど、陽と一緒にいると楽しいとか、そういう気持ちは一切消えなかった。陽が苦しんでいるなら楽にしてあげたいって気持ちも、当然芽生えてきた。
僕は『明日から配信を再開します』と投稿した。陽のためだけど、それだけじゃなくて、陽を元気付けたい自分のエゴで。さっきみたいに僕の切り抜きが陽の目に入ることがあったら、あいつも頑張ってるなって、少しでも笑顔にしてあげられないかな、って思ったから。
「しばらく」配信を休むのは、明日で終わり。陽の「しばらく」距離を置くのが終わるまで僕にできるのは、自立することだ。陽に寄りかかりすぎないことだ。もし、陽の「しばらく」が終わらなくても、寂しいけど、それでも生きていけるように。
次の日、僕は大学で気になっていた子に声をかけてみた。その子はカバンに、僕の好きなFPSゲームのストラップをつけていたのだ。実はずっと話しかけたかったけど、突然声をかけるのも変かなと思って、なかなか声をかけられなかった。
「ねえ!突然ごめんね。キミも、このゲーム好きなの?」
「えっ、あ、うん」
驚いた様子のその子に、いちかばちか提案する。
「僕もめっちゃ好きでさ。マルチできる相手探してて。……よかったら今度、一緒にやらない?」
「……やる。オレ、いつもソロでやってたから……嬉しい。」
おどおどした様子だったけど、少しにこりと笑ってくれた。声をかけてよかった……!
陽のことを抜きにしても、もともとあのゲームを一緒にやる友達は欲しかったし、陽と仲直りしたら三人マルチとかもできるかもしれない。それに、大学に話せる子が増えるのもすごく嬉しい。
「えっと、連絡先交換、しよう」
QRコードを提示されて、お礼を言いながら読み取る。ユーザーネームは「羽衣」と表示されていた。
「はごろも……?」
「羽衣って書いて、ういって読むんだ。えっと……ユウキ?」
「うん、向井優輝。」
「あ、オレは、角田羽衣」
フルネームを名乗り合って、ちょっとおかしくなって笑い合う。
「羽衣、いつも見かけてたから多分同じ学科だよね。この後の講義一緒?」
「えと、多分。……これ、時間割」
「……うん、同じだ!一緒にお昼食べて、一緒に受けない?」
「優輝が、いいなら」
二人で食堂に移動して、さっきの講義の話で盛り上がる。あの先生大事なところちょっと早口だよねとか、そんな取り留めもない話。久々に人と喋ったから、うまく話せてるか不安だったけど、羽衣はどんな話をしてもウンウンって聞いてくれた。
「あの、優輝って。いつも一緒にいた子いたけど……」
陽のことだろうか。少しだけ胸がちくりとした。腐れ縁なんだよーと軽く陽の話をする。羽衣は少し心配そうに、「喧嘩とか?」と聞いてきた。
「まあ……俺が一方的に怒らせちゃったって感じ」
「オレでよければ、話聞くしかできないけど、聞くし。さっき話したばかりで何をって思うかもだけど。別にいまじゃなくても、ゲームしながらでも。」
すごく気を遣ってくれるいい子で、この子に声をかけてよかったなと思った。
家に帰って、配信までの時間、羽衣と話しながらゲームをした。その中で、自分が配信者をしていること、自分のリスナーが陽にひどいことを言ったこと、しばらく距離を置こうと言われたこと……全部話した。羽衣は出会ったばかりの僕の辛気臭いお悩みを、うんうんと文句ひとつなく聞いてくれた。
「多分、その友達、優輝に怒ってるんじゃないと思う」
隣の建物にいる敵を銃で撃ち抜きながら、羽衣は言った。僕も相当やり込んでいるつもりだったけど、羽衣は僕より上手いように感じた。
「もちろんつらくは、あったと思うけど、オレだったら……怒ってるってより、不甲斐なかったんじゃないかな」
「不甲斐ない?」
「うん、コメント、つらかったんだと、思う。それで、優輝は悪くないのに当たっちゃう自分がいるのが不甲斐なくて、優輝を守るために距離を置いたとか。」
そういう見方もあるのかと、目から鱗だった。相談できる人もいなかったから、ずっと自分の中で抱え込んでいたから、全くない視点だった。
「わかんないけど。確かに傷つけちゃったかもしれないけど、優輝のせいってだけじゃ、ないと思うし。」
言葉を途中で区切って、また銃を構える。おそらく敵を見つけたのだろう。羽衣は遠距離の敵を見つけるのも、それを撃ち抜くのも上手くて、僕は今日ほとんど何もしていない。
キルログが表示されて、羽衣がひとつため息をついて、続けた。
「だから、話してくれてありがとう。話して、楽になって、いまは楽しく過ごすのが正解だと思う。向こうも、しばらく、頭が冷えるまで距離置きたいだけだと思うから」
もう枯れたと思っていた涙がじわっと湧き上がってきて、ゴシゴシ服の袖で拭った。
「って、ごめん。オレなんかの意見、真剣に聞いてくれてありがとう」
「ありがとうはこっちのセリフだよ〜……」
お礼に羽衣も話したいことがあれば聞くと言ってみたが、「ゲームできる友達ができて嬉しいのが、オレの最近のハイライト」なんて言われるだけだった。
羽衣とのゲームを終えて、少し心の準備をしたら配信をつけよう。そう思っていたけど、心の中で固まっていた嫌な感情が解けたみたいに、楽だった。心の準備なんてもう必要なかった。むしろ、新しい友達ができたこと、その友達がすごくゲームが上手いこと……リスナーさんたちに、話したいことだらけだった。
配信ボタンを押して、SNSにも投稿して。
「みんな、こんユウキ!久しぶり!」
大好きだった配信をまた楽しむぞ、そんな気持ちでいっぱいだった。
『ユウキくん久しぶり〜!』
『元気だった?大丈夫?』
「元気だよ。みんな来てくれてて嬉しいな。一週間も休んだから、みんなに忘れられちゃってたかもと思ったけど」
『鶏じゃないし忘れないよ!?』
『ずっと切り抜き見返してたよ』
コメント欄はあったかかった。途中、hagoromoというIDで『初見です』とコメントがあって、すぐに羽衣だと分かった。羽衣の聞いている中で友達ができたという話をするのは気恥ずかしかったので、「みんな一週間何してたー?」と話題を変えた。
もう声は震えなかった。もう僕は平気だ。
あとはただ、「しばらく」が終わるまでの時間を、笑顔で過ごそう。
嫌われてしまったのかな。真っ先にそう思った。僕がきっかけで、あんなに陽を傷つけるような発言をされて、すごく苦しかっただろうな。
大学をサボって、ぼーっとスマホを眺めた。大好きなゲームのためにすら体を起こすことが怠くて、ショート動画とか、SNSのおすすめ欄とか、そういうのをただただスワイプして時間を潰したのだった。でもただスワイプしているだけで、全く集中なんてできなかった。
考えていたのは、陽のこと。
初めての会話は、記憶が間違ってなければ、僕からだった。
「あの」
前の席に座っていた、かっこいい男の子に声をかけた。クラスで友達ができるか不安だったから、とにかく近くにいる子なら誰でもよかったのかもしれない。逆に言えば、小学校一年のクラスが違えば会話すらしなかったかもしれない。そんな偶然の出会いだった。
「ぼく、むかいゆうき」
なんの前触れもなく名前を伝えてきた子に対しても、陽は優しかった。
「おれ、みつだよう!」
「ようくん、よろしくね」
「よう、でいいよ!よろしくな、ゆうき!」
先生に「隣の子と話し合ってね」って言われたのに、前後で話し合ったりして怒られたりもしたっけ。席替えの日は泣きそうなくらい悲しくて、陽に「クラスが変わるわけでもないのに」って笑われたっけ。
流石に六年間同じクラスとは行かなかったけど、中学一年の時また同じクラスで、前後の席になった。周りが急に知らない子ばかりで不安だった時、それだけでものすごく安心したのを覚えている。
「優輝一緒のクラス?一年楽しいの確定だわ〜」
陽のそんな一言に、くすぐったくなると同時に、同意した。僕もそう思う。陽が一緒だったら、絶対楽しいって。
そんなことばかり思い出してしまう。絶交を言い渡されたわけでもなく、ただコラボ配信をやめようと言われただけではあった。けれど、僕たちを繋いでいたものを失ったような、そんな感覚だった。共通の趣味も何もないのに毎日笑い合えたあの頃に戻りたかったのだろうか、小さかった頃のことばかり。
文化祭で迷路を作るために二人で近所のスーパーに余っているダンボールをもらいに行ったこと。合唱コンクールのときはパートも違うのに二人で放課後に練習したりもした。定期テスト前は問題を出し合ったりした。そのときも僕がまとめたノートを見せてたっけ。
何もなくてもずっと喋れたのに、今はなんでこんなに不安なんだろう。もう陽との縁が切れてしまいそうな気すらしてきて、涙が出てきた。
うじうじしていても何も始まらない!そう自分に言い聞かせて、陽に何か送ろうとメッセージアプリを立ち上げる。配信に関係ないこと、なんでもいい。そうだ、今日の講義の話でもしよう。
『今日学校行けなくて、ノートとかあったら写真ほしい』
これでいい。これ以上はもうどうしようもない。
あとはせめて、配信を続けよう。陽がもし僕を許してくれることがあったら、またコラボ配信ができるように。
やっと布団を這い出て、寝癖をなおす。気合いを入れようと冷たい水でばしゃばしゃ顔を洗った。いつも通り寝たはずなのに目の下にクマができていて、なんだかんだ眠りが浅くなったりしていたのだろうかと思うと、少しだけ自分を許せる気がした。
配信開始ボタンを押して……いつも通り配信できるはずだった。
「みんな、こん──」
あれ?なんか上手く、声が出ない。丸一日引きこもって、全く声を出さなかったからだろうか。咳払いを一つ、気を取り直して口を開く。
「こんユウキ!……お昼寝してたから、なんか声がうまく出ないや」
そんな言い訳をする。
『こんユウキ!いっぱい寝れてえらい!』
『発声練習とかしてもいいよ〜』
挨拶をしてくれるリスナーさんたちの中に、陽にひどいことを言った人たちの名前を見つける。どうして僕の配信だとこんなに穏やかでいい人たちなのに、陽の配信となった途端に急変するんだろう。かなり疑問だった。例えば女の子だったりしたら、熱愛を疑って……とか、あるのかもだけど。
「ありがとう、ちょっと発声練習しようかな。あめんぼ赤いなあいうえお」
しっかり声を張ろうとしても、やっぱり声が上手く出ない。声を出さなかったからというより、緊張してしまっている時のような、震えがある。
「うーん、今日喉の調子悪いのかな。短めに終わってもいい?」
『悲しいけどいいよ!喉壊して休止とかのほうがツライ』
『風邪とかじゃないといいね』
風邪とかじゃないと思う。体調は良くて、せいぜい一日中布団にいたからちょっと腰が痛いかな、くらい。なのに、なんで声が震えるんだ。
「ありがとう、ごめんね」
みんなと話すのだって、いつもは楽しいのに、今日はなんだか義務感が強くて、うまく楽しめない。喉を言い訳にしてるけど、会話のテンポも悪い。
そんな調子で配信は終わってしまい、また布団に戻るのもなんだかなあ、そういえば何も食べていないなあ、と、近所のスーパーに出かけることにした。スマホを見てみるが、陽からの返信は来ていなかった。お惣菜を買って、食べ終わって、シャワーを浴びても通知は鳴らず、メッセージ画面を開くと、既読だけがついていた。もしかしたら陽も今日は学校に行けなかったのかもしれない。明日会って話そう。大丈夫、大丈夫……そう自分に言い聞かせながら布団を被るけれど、体を動かしていないせいか、眠気は一向に訪れないのであった。
翌日、履修が被ってる講義で陽を見つけたけど、別の友達といて話しかけられなかった。当たり前だけど僕以外にも友達がいるのに、ここ数週間はずっと優先してもらっていたんだから、むしろそれが異常で、今みたいな距離感のほうが普通なんじゃないか、なんて考えすら浮かぶ。そう考えてしまうのも現実逃避なのかな。
お昼休み、一人で学食のテーブルを使ってしまうのが申し訳ない気がして、コンビニでサンドイッチを買って、ベンチを探してフラフラ校内を歩いていたら、一人でいる陽を見つけた。僕は声をかけようと近寄った。
「自分の力……じゃないかもですけど」
しかし、陽は電話をしていたようだった。思わず隠れてしまい、盗み聞きをする形になってしまった。
「このままじゃ嫌なんです」
何が……?誰と話しているんだろう……サンドイッチを握りつぶしてしまいそうなくらい手に力がこもる。
「だから……優輝とは、しばらく距離を置きたいんです」
自分の名前が聞こえて、ぎょ、っとする。
配信でだけ距離を置くのではなくて、実生活でも距離を置きたかったのだろうか。それなのに僕は、コラボ配信をしないだけで友達ではあるからと、メッセージを送ったり声をかけようとしたりしてしまった。
反省と後悔と、悲しさとつらさが一気に押し寄せてきて、僕はとぼとぼとその場を後にした。
サンドイッチは好きな味のものを選んだのに、味がしなかった。
家に帰ってSNSを見たら、話していた相手はどうやらチヒロだったようで、コラボ予告を投稿していた。悲しいことに、それは来週水曜だった。
陽の言った「優輝とは、しばらく距離を置きたいんです」という言葉が、頭の中をぐるぐると回る。しばらくっていつまで?どのくらいの期間?「しばらく 期間」で検索したりしてみたが、かなりケースバイケースらしくて、諦めて画面を消した。
その投稿へのコメント欄は、当然「水曜?ユウキくんとのコラボはどうなるの?」のようなもので溢れていた。
もう、疲れちゃった。配信をしてもうまく声が出ないし、なんだか楽しくないし、陽は他の人とコラボするし、いつまで距離を置けばいいかわかんないし。僕は「しばらく配信を休みます。それに伴い、しばらくヨウとのコラボもおやすみです。告知が遅れてごめんなさい」
しばらく。自分で打ちながら思った。しばらくって言葉を使う時、明確な期間なんて決めていないどころか、無期限というニュアンスすらあると。
配信をしないと決めたら、夜が長かった。好きなだけゲームをできるぞ、と思ったのに、ちっとも楽しくなかった。陽とゲームしたら楽しかったのに。
ああ、そうか。やっと気づいた。僕は陽に依存していたんだ。陽がいないと生きていけないくらい、陽に寄りかかって生きていた。そんなことに、陽がいなくなってから気づいた。今回のコメントの件がなくても、陽からしたら重い存在だったのかもしれない。申し訳なくておかしくなりそうだ。
『いつもコラボしてたんだから、陽からも告知しなよ』って、そんなメッセージを送ろうか悩んで、打っては消して打っては消して、結局やめた。きっと陽の判断で自分でできる。いまの僕は理由をつけてメッセージを送りたいだけで、独りよがりだ。既読だけついた自分のメッセージを眺めているうち、涙が溢れて止まらなくなる。泣いてばかりだ。
また強い無気力感に襲われて、布団にもぞもぞと潜り込む。枕を濡らす、って言葉を始めて実行した。今まで濡らすのは服の袖だった。涙を拭う元気もないから、枕が濡れるんだなって、そんな気づきたくなかったことに気づかされた。
それから一週間くらい大学も配信も休んで、ぼーっとしていた。陽のこと思い出すのが辛くて、新しく買った一人用のゲームをプレイしたりしつつ、お腹が空いたらコンビニと家を往復した。最初は本当に何もやる気が起こらなくて、泣く気力すらなくなって……いつまでもこうなのかなと思ったのに、一週間くらいで元気になってきてしまった。人間の丈夫さと、たいていの問題は時間が解決してくれるということを思い知りながら、久々にSNSを開いた。
なんの因果か、おすすめ欄の一番上に流れてきたのは、陽とチヒロの配信の切り抜きだった。僕はそれをタップする。
『ヨウくん、最近寝不足?』
『……そうなんですよ!最近発売されたゲームが面白くて!』
なんてことないように見える会話。切り抜きの投稿文も『え!ヨウくんもこのゲームしてるんだ!私も買おうかな?』というものだった。
けれど、僕にはすぐに分かった。不自然な間の取り方、少し硬い声、ワンテンポずれた笑うタイミング。休止直前の僕の配信と一緒だった。配信がなんだか怖くて、楽しくなくて、それでもどうにか配信しなきゃって無理をしているときの、僕と。
どうにもできなかった。陽に直接連絡するのもいまは控えたほうがいいだろうし、チヒロに「ヨウのこと気にかけてやってください」なんて送るのも過保護で鬱陶しいだろう。そもそもフォローすらしてないし。
以前感じていた、強すぎる「陽を守らなきゃ」という気持ちは軽くなっていた。自分の依存を自覚できたのと、単純に時間を置けたのと。だけど、陽と一緒にいると楽しいとか、そういう気持ちは一切消えなかった。陽が苦しんでいるなら楽にしてあげたいって気持ちも、当然芽生えてきた。
僕は『明日から配信を再開します』と投稿した。陽のためだけど、それだけじゃなくて、陽を元気付けたい自分のエゴで。さっきみたいに僕の切り抜きが陽の目に入ることがあったら、あいつも頑張ってるなって、少しでも笑顔にしてあげられないかな、って思ったから。
「しばらく」配信を休むのは、明日で終わり。陽の「しばらく」距離を置くのが終わるまで僕にできるのは、自立することだ。陽に寄りかかりすぎないことだ。もし、陽の「しばらく」が終わらなくても、寂しいけど、それでも生きていけるように。
次の日、僕は大学で気になっていた子に声をかけてみた。その子はカバンに、僕の好きなFPSゲームのストラップをつけていたのだ。実はずっと話しかけたかったけど、突然声をかけるのも変かなと思って、なかなか声をかけられなかった。
「ねえ!突然ごめんね。キミも、このゲーム好きなの?」
「えっ、あ、うん」
驚いた様子のその子に、いちかばちか提案する。
「僕もめっちゃ好きでさ。マルチできる相手探してて。……よかったら今度、一緒にやらない?」
「……やる。オレ、いつもソロでやってたから……嬉しい。」
おどおどした様子だったけど、少しにこりと笑ってくれた。声をかけてよかった……!
陽のことを抜きにしても、もともとあのゲームを一緒にやる友達は欲しかったし、陽と仲直りしたら三人マルチとかもできるかもしれない。それに、大学に話せる子が増えるのもすごく嬉しい。
「えっと、連絡先交換、しよう」
QRコードを提示されて、お礼を言いながら読み取る。ユーザーネームは「羽衣」と表示されていた。
「はごろも……?」
「羽衣って書いて、ういって読むんだ。えっと……ユウキ?」
「うん、向井優輝。」
「あ、オレは、角田羽衣」
フルネームを名乗り合って、ちょっとおかしくなって笑い合う。
「羽衣、いつも見かけてたから多分同じ学科だよね。この後の講義一緒?」
「えと、多分。……これ、時間割」
「……うん、同じだ!一緒にお昼食べて、一緒に受けない?」
「優輝が、いいなら」
二人で食堂に移動して、さっきの講義の話で盛り上がる。あの先生大事なところちょっと早口だよねとか、そんな取り留めもない話。久々に人と喋ったから、うまく話せてるか不安だったけど、羽衣はどんな話をしてもウンウンって聞いてくれた。
「あの、優輝って。いつも一緒にいた子いたけど……」
陽のことだろうか。少しだけ胸がちくりとした。腐れ縁なんだよーと軽く陽の話をする。羽衣は少し心配そうに、「喧嘩とか?」と聞いてきた。
「まあ……俺が一方的に怒らせちゃったって感じ」
「オレでよければ、話聞くしかできないけど、聞くし。さっき話したばかりで何をって思うかもだけど。別にいまじゃなくても、ゲームしながらでも。」
すごく気を遣ってくれるいい子で、この子に声をかけてよかったなと思った。
家に帰って、配信までの時間、羽衣と話しながらゲームをした。その中で、自分が配信者をしていること、自分のリスナーが陽にひどいことを言ったこと、しばらく距離を置こうと言われたこと……全部話した。羽衣は出会ったばかりの僕の辛気臭いお悩みを、うんうんと文句ひとつなく聞いてくれた。
「多分、その友達、優輝に怒ってるんじゃないと思う」
隣の建物にいる敵を銃で撃ち抜きながら、羽衣は言った。僕も相当やり込んでいるつもりだったけど、羽衣は僕より上手いように感じた。
「もちろんつらくは、あったと思うけど、オレだったら……怒ってるってより、不甲斐なかったんじゃないかな」
「不甲斐ない?」
「うん、コメント、つらかったんだと、思う。それで、優輝は悪くないのに当たっちゃう自分がいるのが不甲斐なくて、優輝を守るために距離を置いたとか。」
そういう見方もあるのかと、目から鱗だった。相談できる人もいなかったから、ずっと自分の中で抱え込んでいたから、全くない視点だった。
「わかんないけど。確かに傷つけちゃったかもしれないけど、優輝のせいってだけじゃ、ないと思うし。」
言葉を途中で区切って、また銃を構える。おそらく敵を見つけたのだろう。羽衣は遠距離の敵を見つけるのも、それを撃ち抜くのも上手くて、僕は今日ほとんど何もしていない。
キルログが表示されて、羽衣がひとつため息をついて、続けた。
「だから、話してくれてありがとう。話して、楽になって、いまは楽しく過ごすのが正解だと思う。向こうも、しばらく、頭が冷えるまで距離置きたいだけだと思うから」
もう枯れたと思っていた涙がじわっと湧き上がってきて、ゴシゴシ服の袖で拭った。
「って、ごめん。オレなんかの意見、真剣に聞いてくれてありがとう」
「ありがとうはこっちのセリフだよ〜……」
お礼に羽衣も話したいことがあれば聞くと言ってみたが、「ゲームできる友達ができて嬉しいのが、オレの最近のハイライト」なんて言われるだけだった。
羽衣とのゲームを終えて、少し心の準備をしたら配信をつけよう。そう思っていたけど、心の中で固まっていた嫌な感情が解けたみたいに、楽だった。心の準備なんてもう必要なかった。むしろ、新しい友達ができたこと、その友達がすごくゲームが上手いこと……リスナーさんたちに、話したいことだらけだった。
配信ボタンを押して、SNSにも投稿して。
「みんな、こんユウキ!久しぶり!」
大好きだった配信をまた楽しむぞ、そんな気持ちでいっぱいだった。
『ユウキくん久しぶり〜!』
『元気だった?大丈夫?』
「元気だよ。みんな来てくれてて嬉しいな。一週間も休んだから、みんなに忘れられちゃってたかもと思ったけど」
『鶏じゃないし忘れないよ!?』
『ずっと切り抜き見返してたよ』
コメント欄はあったかかった。途中、hagoromoというIDで『初見です』とコメントがあって、すぐに羽衣だと分かった。羽衣の聞いている中で友達ができたという話をするのは気恥ずかしかったので、「みんな一週間何してたー?」と話題を変えた。
もう声は震えなかった。もう僕は平気だ。
あとはただ、「しばらく」が終わるまでの時間を、笑顔で過ごそう。
