放課後、図書室で君に出会った

「んうぅ~……!」

 ……まただ。

 最近のお兄ちゃんは、とにかく様子がおかしい。
 急に頭を抱えて唸り始めたかと思えば、次の瞬間には顔を真っ赤にしてベッドにダイブ。そのまま枕に顔をうずめて、意味不明な声を出す。

「ほんと、最近ずっとこれ……」

 私は廊下で足を止めて、兄の部屋の前に立った。
 案の定、扉はいつも通り、ほんの少しだけ開いている。

 昔から何度言っても直らない癖だ。 「誰か来たらすぐ分かるから」なんて言ってたけど、正直、意味があるとは思えない。

「意味ないでしょ。こんなの」

 気づかれないようにそっと近づいて、扉の隙間から中を覗く。

 部屋の真ん中、ベッドの上で、兄が枕に顔を埋めたままごろごろしていた。
 完全に不審者ムーブだ。

 兄とは二つくらい年が離れているけど、私の中ではあまり“年上”という感じはしない。
 優しいし、ちょっと鈍いけど、頼めばちゃんと応えてくれる。

 それに、人と距離を取るタイプだからか、これまで人間関係で揉めているところも見たことがない。
 誰かに振り回されて悩む——そんな兄を、今まで知らなかった。

 だからこそ、余計に気になる。

 もしかして……と思って、一度、聞いてみたことがある。

『好きな人でもできたの?』

 そう聞いたら、ものすごい勢いで否定された。

 顔を真っ赤にして、「違う!」って。
 あれはあれで、怪しすぎたけど。

「……でも」

 確信まではいかなくても、ひとつだけ分かっていることがある。

 兄が時々、無意識に口にする名前。
 枕に顔をうずめながら、あるいはぼんやりと天井を見つめながら、小さく呼ぶ。

「……“タカセ”」

 何回も聞いた。
 間違いなく、同じ名前。

「……それって、そういうことじゃないの?」

 独り言みたいに呟いてから、私は決めた。
 このまま放っておくのも面白いけど、今日はちょっとだけ、ちょっかいを出してみる。

「お兄ちゃん!」

 そのまま勢いよく、部屋に入る。

「また好きな人のことでも考えてたの?」

「っ!?」

 兄は飛び上がるみたいに体を起こした。

「違うし、あと勝手に入ってくるなよ!!」

「ドア開けっ放しなの、お兄ちゃんじゃん」

 そう言うと、兄はぐっと言葉に詰まる。図星らしい。

 それ以上、私は何も言わなかった。
 からかうのも、問い詰めるのもやめる。

(……そのうち、自分から話すでしょ)

 それまで私は、知らないふりをしていようと思う。

「ママがご飯できてるって」
「……おう」

 ただひとつ確かなのは——兄のこの様子、原因は間違いなく“タカセ”だ、ということだった。
 
◇◇◇

 兄が放課後、友達を家に連れてくる。
 そんな話を聞かされたのは、居間のソファーでクッキーをかじっている時だった。

「今日ね、彰が学校のお友達を連れてくるみたいよ」

 スマホの通話ボタンを切ったお母さんが、何気ない口調で言う。

「また田原くん?」

「今回は違うみたい。よく聞き取れなかったけど……“タカセ?”って言ってたわ」

 その瞬間、私は思わずソファーから身を乗り出した。クッションがずれるのも構わず、お母さんの方へずいっと詰め寄る。

「タカセ!? お兄ちゃんは本当にそう言ったんだね?」

「なあに、(さくら)ったら急に大きな声を出して」

 きょとんとしたお母さんを前に、私の心臓はどくりと大きく跳ねた。

(タカセ……)

 どんな人かは分からない。
 けれど、最近のお兄ちゃんがおかしい原因はたぶん、その人。

(こういう時にコミュ力化け物のお父さんがいたら、色々聞きだしてくれるのになぁ)

 お父さんは海外赴任中で、基本的に家にいない。
 半年の間に数回帰ってくるけれど、その度に必ず奇妙な土産を買ってくる。

 私とお母さんは呆れるだけだが、兄だけは毎回、子どもみたいに目を輝かせていた。

「それにしても珍しいわよね。あの子が家に田原くん以外のお友達を呼ぶなんて」

「たしかに……」

 兄が家に呼ぶのは、ほぼ田原くん一択だ。というか、あれくらい強引なタイプでなければ兄と関係が続かないのだろう。

「田原くんもかっこいいんだけど、お母さんのタイプじゃないのよね~」

「はいはい。また始まった。まあ私も、チャラいから好きじゃないけど」

 お母さんはかなりの面食いだ。私も母ほどではないが、そこそこ顔重視派だから、血は争えない。
 顔がいい人は好きだ。男性でも女性でも。

 どんな人だろうと気になって仕方なくなり、私は兄にメッセージを送った。

『いつ帰ってくるの?』

 すぐに返信が来る。

『あと五分くらいで着く。俺たちが部屋に入るまで、桜は自分の部屋に引っ込んでろよ』

『え、やだ』

 一言で返す。

 そのまま、妙にそわそわしているお母さんと一緒に玄関前で待ち構えることにした。

「ただいまー……って、なんで二人とも玄関にいるんだよ」

「当たり前でしょ、お兄ちゃん」
「当たり前よ、彰」

 即座に返すと、兄はうんざりしたように眉をひそめる。

「こいつら……」

「ねえ。僕、入っていい?」

 その時、兄の背後から聞こえてきたのは、少し柔らかくて中性的な声だった。

「ん、ああ。すまん」

 兄が一歩どいた、その瞬間——背丈は兄とほとんど変わらないが、整った目鼻立ちに、柔らかく落ちる前髪。派手じゃないのに、なぜか視線を引きつける。

 ――何この人。それに”タカセ”って男の人だったの!?

「え、うそ……!?」
「あら……!?」

 私とお母さんの声が、綺麗に重なった。

「お邪魔しまーす」

 にこやかにそう言って会釈するその人は、どう見ても超がつくほどのイケメンだった。

「はじめまして。高瀬 颯真です。彰くんとは同じクラスで、最近は特に仲良くしてもらってます」

 爽やかオーラ全開の自己紹介。

(……この人が“タカセ”)

 お兄ちゃんの異変の原因にしては、あまりにも納得のいくビジュアルだった。