放課後、図書室で君に出会った

 図書室には、いつもと違う空気が流れていた。

「ああ、まじかぁ……」

 テスト前。通常は静かで空席ばかりなうちの学校の図書室だが、この時期だけは例外だ。今日の図書室は、まるでイベント会場みたいに混みあっていた。

 普段はまずここに来ないような、キラキラ系の女子たちが「テスト勉強しよ〜」と連れ立って入り込み、さらには運動部の男子まで「集中すんのは図書室が一番らしいぞ」とか言いながら、ぞろぞろ席を埋めていた。

 テスト期間で部活が休みなのをいいことに、見たことない顔ぶれが一気に押し寄せている。

「テスト期間に入った途端これかぁ~」

 放課後、高瀬と一緒にいるようになってからは、読書の他に授業の予習や復習までしっかりするようになっていた。
 高瀬は学年でもトップに近いくらい頭が良くて、『ここ、スペル間違ってるよ』や『そこの問題は、こう考えれば簡単』と教えるのも上手いから、ここ最近は完全に放課後勉強会の形になっていた。

 でもその方が余計なことを考えずに済むし、テストの先取りもしていて、今回の定期テストはわりと余裕がある。良いこと尽くしだ。
 順調に成績も伸びてきているから、今日はテスト範囲の復習をするつもりだった。

「どうする? 今日は帰る?」

「うーん……」

 もはや習慣になった図書室通いをやめるのは、なんだか気持ちが悪かったし、抵抗があった。

 けれど、図書室へ入るかここまで俺が悩む理由はひとつだった。
 “この人数の中に高瀬を放り込むのは無理”だからだ。

 俺ひとりなら気にせず入る。けど、高瀬と一緒に入ったら最後、絶対に何人も寄ってくる。騒ぎになる。勉強どころか、座る場所すら失う可能性がある。
 
 下手したら今後、図書室が使いにくくなるかもしれない。

 ……本当に、この男は人気者だ。

 悩んでいると、高瀬がスマホを取り出し、何かを検索し始めた。
 そして検索した画面を俺に向けてくる。

「僕はこの辺に住んでないから、詳しく知らないんだけど、市内の図書館とかは?」
「あー、あそこか。俺は徒歩通学だからいいけど、高瀬は電車通学だろ? それに図書館が閉まるのは17時30分だ。今から行っても、殆ど勉強する時間はない」

 放課後の時間なんて、ほんと一瞬だ。
 今は15時30分。バスを使えば16時には最寄りのバス停に着くかもしれないけど、そこから1時間だけってのは気乗りしなかった。

「そっか……」

 高瀬は小さく息を吐いて、スマホをしまった。その横顔が、ほんの少しだけ名残惜しそうで。
 そんな顔をされると、悪いことをしていないのにしている気分になる。

 それからしばらく黙り込んでいたかと思うと、ふっと顔を上げた。

 その目が、きらりと光る。

 まるで、何かをひらめいたみたいに。

「――じゃあ君の家は?」

「は?」

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。こいつは今なんて? 俺の家?

「いや、何言ってんだよ。そんな急に……ダメに決まってるだろ?」

 勢いで否定したけれど、高瀬は引くどころか、俺の反応を楽しむみたいに口角を上げていた。

「急じゃなかったら、よかったの?」

「いや……それは……」

 言葉に詰まって、視線が泳ぐ。
 否定したいのに、即答できない自分が情けなかった。

「ほら、今。完全に否定しなかった」

「揚げ足を取るな!」

「でも事実でしょ?」

 高瀬はそう言って、肩をすくめた。
 責めるでもなく、冗談めかした調子なのに——逃げ道だけは、きっちり塞いでくる。

「彰くんの家、確か学校から近いって言ってたよね」

「……まあ、近いけど」

 割と、最寄り駅に近いところだ。
 徒歩通学の俺にとっては便利だし、高瀬みたいに電車通学のやつでも寄りやすい立地ではある。

「だったらさ。ここより静かだし、時間も気にしなくていい」

「……」

「なにより、他のクラスメイトに邪魔されない」

 その言い方が、妙に胸に引っかかった。
 まるで、“二人きり”を前提にしているみたいで。

「彰くんの家に、行きたいな」

 最後の一言は、さっきまでより少しだけ柔らかい声だった。

「……っ」

 心臓が、どくんと鳴る。
 ダメだと分かってるのに、理由を探して拒むはずなのに。

 頭の中で、母さんの顔と、妹の顔が浮かんだ。
 ——一応、聞くだけなら。無理だって言われれば断りやすい。

「……家族に聞いてみる」

「いいの?」

「家族がいいって言ったらな。あと、すぐ帰すし、勉強だけだ」

「うん。十分」

 スマホを取り出してメッセージを打つ。
 “友達が来てもいい?”と送っただけなのに、変に緊張した。

 数秒もしないうちに返事が来る。

『いいわよ。珍しいじゃない、あなたが友達を呼ぶなんて。また流星くん? 晩ごはん多めに作らなきゃね』
『いや、それはいらないから。あと田原じゃない』

 あっさり、許可。
 むしろ歓迎ムードだ。そして時々、うちに遊びに来る田原と勘違いされた。

「……オッケーだって」

「ほんと?」

 高瀬の顔が、一気に明るくなる。

「やった。じゃあ、今日は彰くんの家だね」

「急展開すぎだろ……」

 そう言いながらも、どこか嬉しく感じている自分がいて、慌ててその気持ちに蓋をした。
 断る理由はいくらでもあったはずなのに。

 高瀬が隣で楽しそうに「じゃあ帰り道はこっちだよね」と確認する声を聞きながら、胸の奥が、じわじわと落ち着かなくなっていく。

 勉強するだけ。
 ただの友達だ。
 そう何度も言い聞かせるのに、不思議と足取りは軽かった。

 勉強するだけ。
 ただの友達だ。

 そう何度も言い聞かせるのに、不思議と足取りは軽かった。

 昇降口に向かうまでの廊下で、高瀬はいつもより少し近い距離を歩いている。
 肩が触れそうで触れない、その曖昧な間隔が落ち着かない。

「家、近いって言ってたけど、どのくらい? あと君の部屋はどんな感じ?」

「10分くらいかな。部屋は普通。テレビがあって、机があって……お前が何を想像しているか分からないけど、ほんとに普通の家だよ」

「へぇ。楽しみ」

「だから、遊びで行くんじゃないからな!」

「分かってるって。勉強会でしょ?」

 そう言って笑う高瀬の声は、やけに楽しそうだった。
 俺のほうはというと、玄関の鍵を開ける自分の姿まで想像して、無駄に緊張している。

 友達を家に呼ぶのなんて、いつぶりだろう。
 ——たぶん、かなり久しぶりだ。

 靴箱で立ち止まりながら、俺はもう一度だけ言い聞かせる。

 勉強するだけ。
 ただの友達だ。

 ……それでも、胸のあたりがそわそわするのは、気のせいってことにしておく。
 
「今、家には誰がいるの?」

「母さんと……たぶん妹もいる」

「お父さんは?」
「海外に出てる」

 質問が止まらない。

 図書室で寝顔を見られたイケメン同級生と——急遽、俺の家で勉強会することが決定した。