その日の夜は、なかなか眠れなかった。
高瀬の言葉が、何度も頭の中で反芻される。
――好きだよ。
あんなふうに真正面から向けられた感情を、今まで誰からも受け取ったことがなかった。
嬉しくなかったわけがない。
なのに、すぐに「俺も同じだ」と言えなかった自分が、引っかかっていた。
(……たぶん、俺の考えすぎなんだよな)
翌日も、学校では相変わらず俺たちの噂が飛び交っていた。噂が落ち着つきを見せ始めていたところに、体育館裏で話す俺たちを見た者がいたらしい。
監視されているのかって思うくらい、よく見られていた。
けれど昨日までと違って、それが少しだけ嬉しく感じている自分がいた。
放課後。
気づけば俺は、いつもの癖で図書室に足を向けていた。
入口で立ち止まり、結局入らずに踵を返す。
(……今はまだ、会えない)
そのまま校舎から出ようとしたところで、部活動で外に出ていた田原と鉢合わせた。
「お、彰。どうした、忘れ物でも取りに行ってたのか?」
「…………なあ、田原」
自分でも驚くほど、声が低かった。
「ちょっと、話せるか」
「お? 相談か、珍しいな。今休憩中だし、いいけど」
人気のない渡り廊下。
窓の外は、どんよりとした曇り空だった。
「俺さ」
「うん」
「高瀬に、告白された」
田原は一瞬だけ目を見開いて、それから妙に納得した顔をした。
「……だろうな」
「は?」
「いや、最近のお前ら見てたら、そうなるだろって感じだった」
肩をすくめる田原に、少し拍子抜けする。
「で? 返事はしたのか?」
「……分かんねぇんだよ」
正直に言った。
「友達としての好きなのか、恋としての好きなのか。好きって言われて、嬉しくて。でも相手が女子じゃなく、男子だから怖くて。普通も知らない俺が、普通じゃない事を経験しようとして、上手くいくのかなって」
「ふーん」
田原はしばらく考えるように黙ってから、ぽつりと言った。
「彰さ」
「何だよ」
「高瀬が、他の誰かと付き合ったらどう思う?」
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
「……嫌だ」
「だろ」
それだけで十分だ、と言うように田原は頷いた。
「お前は難しく考えすぎ。好きって感情に、マニュアルなんてねぇよ」
「でも……」
「怖いのは分かる。でも逃げたまま後悔する方が、もっとしんどいぞ。この先、それはずっとついて回る」
その言葉が、妙に響いた。
(……逃げたくない。あの時の自分の気持ちをなかった事になんてしたくない)
あの日、雨の中で高瀬を探した自分。
離れたくなくて、手を伸ばした自分。
もう答えは、出ていたのかもしれない。
「……ありがとう」
「おう。頑張れよ」
背中を軽く叩かれた気がした。
◇◆◇◆◇
次の日の放課後。
空は昨日よりもさらに暗くなり、朝から雨が降り続いていた。
俺はスマホを取り出し、すぐに短いメッセージを打つ。
『今日、放課後。図書室に来てほしい』
すぐに返事は来なかった。
でも、しばらくして画面が光る。
『分かった。行く』
それだけで、心臓がうるさくなった。鼓動の音だけが妙に自分の中で響いている。
「良かった。誰もいない」
図書室は、雨の日特有の静けさに包まれていた。
こういう日は、みんな早く帰る。図書室に寄り道する人など殆どいない。
「それに今日は図書委員もいない日だから、本当に貸切だ」
普段から遅くまで残っている俺は、時々、委員会の生徒から施錠を頼まれる事があった。また毎週水曜日は図書室は開錠しているが、本を借りれない日なので図書委員の生徒はいなかった。
まだ高瀬はきていない。心を落ち着かせるためにも、俺はいつもの席に座って本を開く。
1ページ、1ページ。本をめくる音も、遠くで聞こえる雨音に溶けていった。
少し遅れて、高瀬が入ってくる。
「君の方から呼び出すなんて、珍しいね」
「……話がある」
高瀬は、何も聞かずに頷いた。
窓際の席に、向かい合って座る。
沈黙が、重い。でも嫌じゃない。
雨粒が、窓を叩く。
「この前さ」
「うん」
「答え、出せなくて悪かった」
高瀬は何も言わず、続きを待っている。
「でも……考えた」
「……」
深呼吸をひとつ。
「俺も……お前のこと、好きになってた」
言った瞬間、胸の奥がすっと軽くなった。
高瀬は目を見開いて、それから信じられないものを見るみたいに瞬きをした。
「……ほんと?」
「冗談言える状況じゃないだろ」
次の瞬間、高瀬が小さく笑った。
雨音に紛れるような、安堵の笑顔。
「……よかった」
「そんな顔するな」
「だってさ」
「言ったろ? 居場所を作るって。お前の居場所は俺の隣だよ」
「彰くん……」
高瀬は、そっと手を伸ばしてきた。
指先が触れる。
一瞬だけ迷ってから、俺はその手を握り返す。
強くは握らない。
逃げない程度に、確かめるみたいに。
「……二人だけの秘密にしよっか」
「だな」
誰にも見せない。
誰にも言わない。
けれど、確かにここにある関係。
照れくさくて、笑ってしまう。
「あ、でも。田原は知ってるわ。相談しちゃったんだよ」
「え! そうなの? まぁ、彰くんの友達だし、いいよ」
ちょっと不貞腐れたような言い方に、思わず、俺はすまんすまんと言って頭を撫でていた。
「口は堅いやつだけど、一応言わないように言っとく」
「ん。お願い」
「ああ」
「……ねぇねぇ彰くん」
「なんだ?」
「今ね、とっても幸せだよ」
「俺も、幸せだよ……高瀬、大好き」
「僕も大好きだよ! 彰くん!」
図書室で始まった、二人だけの秘密は、この日初めて形となった。
高瀬の言葉が、何度も頭の中で反芻される。
――好きだよ。
あんなふうに真正面から向けられた感情を、今まで誰からも受け取ったことがなかった。
嬉しくなかったわけがない。
なのに、すぐに「俺も同じだ」と言えなかった自分が、引っかかっていた。
(……たぶん、俺の考えすぎなんだよな)
翌日も、学校では相変わらず俺たちの噂が飛び交っていた。噂が落ち着つきを見せ始めていたところに、体育館裏で話す俺たちを見た者がいたらしい。
監視されているのかって思うくらい、よく見られていた。
けれど昨日までと違って、それが少しだけ嬉しく感じている自分がいた。
放課後。
気づけば俺は、いつもの癖で図書室に足を向けていた。
入口で立ち止まり、結局入らずに踵を返す。
(……今はまだ、会えない)
そのまま校舎から出ようとしたところで、部活動で外に出ていた田原と鉢合わせた。
「お、彰。どうした、忘れ物でも取りに行ってたのか?」
「…………なあ、田原」
自分でも驚くほど、声が低かった。
「ちょっと、話せるか」
「お? 相談か、珍しいな。今休憩中だし、いいけど」
人気のない渡り廊下。
窓の外は、どんよりとした曇り空だった。
「俺さ」
「うん」
「高瀬に、告白された」
田原は一瞬だけ目を見開いて、それから妙に納得した顔をした。
「……だろうな」
「は?」
「いや、最近のお前ら見てたら、そうなるだろって感じだった」
肩をすくめる田原に、少し拍子抜けする。
「で? 返事はしたのか?」
「……分かんねぇんだよ」
正直に言った。
「友達としての好きなのか、恋としての好きなのか。好きって言われて、嬉しくて。でも相手が女子じゃなく、男子だから怖くて。普通も知らない俺が、普通じゃない事を経験しようとして、上手くいくのかなって」
「ふーん」
田原はしばらく考えるように黙ってから、ぽつりと言った。
「彰さ」
「何だよ」
「高瀬が、他の誰かと付き合ったらどう思う?」
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
「……嫌だ」
「だろ」
それだけで十分だ、と言うように田原は頷いた。
「お前は難しく考えすぎ。好きって感情に、マニュアルなんてねぇよ」
「でも……」
「怖いのは分かる。でも逃げたまま後悔する方が、もっとしんどいぞ。この先、それはずっとついて回る」
その言葉が、妙に響いた。
(……逃げたくない。あの時の自分の気持ちをなかった事になんてしたくない)
あの日、雨の中で高瀬を探した自分。
離れたくなくて、手を伸ばした自分。
もう答えは、出ていたのかもしれない。
「……ありがとう」
「おう。頑張れよ」
背中を軽く叩かれた気がした。
◇◆◇◆◇
次の日の放課後。
空は昨日よりもさらに暗くなり、朝から雨が降り続いていた。
俺はスマホを取り出し、すぐに短いメッセージを打つ。
『今日、放課後。図書室に来てほしい』
すぐに返事は来なかった。
でも、しばらくして画面が光る。
『分かった。行く』
それだけで、心臓がうるさくなった。鼓動の音だけが妙に自分の中で響いている。
「良かった。誰もいない」
図書室は、雨の日特有の静けさに包まれていた。
こういう日は、みんな早く帰る。図書室に寄り道する人など殆どいない。
「それに今日は図書委員もいない日だから、本当に貸切だ」
普段から遅くまで残っている俺は、時々、委員会の生徒から施錠を頼まれる事があった。また毎週水曜日は図書室は開錠しているが、本を借りれない日なので図書委員の生徒はいなかった。
まだ高瀬はきていない。心を落ち着かせるためにも、俺はいつもの席に座って本を開く。
1ページ、1ページ。本をめくる音も、遠くで聞こえる雨音に溶けていった。
少し遅れて、高瀬が入ってくる。
「君の方から呼び出すなんて、珍しいね」
「……話がある」
高瀬は、何も聞かずに頷いた。
窓際の席に、向かい合って座る。
沈黙が、重い。でも嫌じゃない。
雨粒が、窓を叩く。
「この前さ」
「うん」
「答え、出せなくて悪かった」
高瀬は何も言わず、続きを待っている。
「でも……考えた」
「……」
深呼吸をひとつ。
「俺も……お前のこと、好きになってた」
言った瞬間、胸の奥がすっと軽くなった。
高瀬は目を見開いて、それから信じられないものを見るみたいに瞬きをした。
「……ほんと?」
「冗談言える状況じゃないだろ」
次の瞬間、高瀬が小さく笑った。
雨音に紛れるような、安堵の笑顔。
「……よかった」
「そんな顔するな」
「だってさ」
「言ったろ? 居場所を作るって。お前の居場所は俺の隣だよ」
「彰くん……」
高瀬は、そっと手を伸ばしてきた。
指先が触れる。
一瞬だけ迷ってから、俺はその手を握り返す。
強くは握らない。
逃げない程度に、確かめるみたいに。
「……二人だけの秘密にしよっか」
「だな」
誰にも見せない。
誰にも言わない。
けれど、確かにここにある関係。
照れくさくて、笑ってしまう。
「あ、でも。田原は知ってるわ。相談しちゃったんだよ」
「え! そうなの? まぁ、彰くんの友達だし、いいよ」
ちょっと不貞腐れたような言い方に、思わず、俺はすまんすまんと言って頭を撫でていた。
「口は堅いやつだけど、一応言わないように言っとく」
「ん。お願い」
「ああ」
「……ねぇねぇ彰くん」
「なんだ?」
「今ね、とっても幸せだよ」
「俺も、幸せだよ……高瀬、大好き」
「僕も大好きだよ! 彰くん!」
図書室で始まった、二人だけの秘密は、この日初めて形となった。
